30. Operation "Kalimantan Implosion" take 18
■ 2.30.1
後に「カリマンタン奪還作戦群」と呼ばれる一連の対ファラゾア降下定着領域侵攻作戦があった。
南側2/3をインドネシアに、北側1/3をマレーシアに、そして北沿岸部のごく小さな部分をブルネイに、三つの領土に区分けされた南シナ海最南部に浮かぶこの巨大な島の、北沿岸から直線で約100kmほど南に向かって内陸部に進んだところ、南シナ海に注ぐラジャン川沿いにカピトという人口十万にも満たない小さな街がある。
このカピトからさらに南東方向に100kmほど進んだ、山がちな密林地帯に向けてファラゾアは軌道降下を行い、そして大小数百にも及ぶ地上構造物を設置して定着した。
山がちな密林地帯だらけというどう考えても拠点を形成するには不向きなこの島に、なぜその様な地形で形成も運用もし難い地上施設を設置したのかという疑問は、世界地図の縮尺をより大きくして一辺数千kmの大きさで周囲を大きく眺め渡すことで答えに到達することが出来る。
カリマンタン島に設置されたファラゾアの定着地点は、インドネシアを中心とした東南アジアの島嶼部のほぼ中心にあり、この辺り一帯の島を全て制空圏に内包する、或いは圧力を掛けて地球人側の行動を制限することが出来る。
長くとも片道2000km程度の脚しか持たない地球側の戦闘機、攻撃機にとって、有力な軍事拠点の置かれているインドシナ半島、マレー半島、或いはオーストラリア大陸からカリマンタン島に到達して作戦行動を行うのは、相当に大きな負担となる。
航続距離は増槽を搭載することで延長できるが、空戦時には機動性を確保するために余分な重量である増槽は投棄する。
激しく燃料を消費する空戦を終えた後の帰路は、胴体内のタンクに残っている燃料の分だけしか飛ぶことは出来ない。
そもそもパイロットと機体の疲労を考えると、激しい戦闘を必ず伴う往復4000kmもの作戦行動を連続して取ることなど不可能だ。
無理矢理作戦行動を実施したとしても、連日の出撃と長距離の移動で疲れ果てた人と機体に、数千、或いは万を超すファラゾア戦闘機と戦うだけのスタミナはもう残っていない。
そして足は長くとも重鈍な爆撃機を対ファラゾア戦に投入するのは、愚の骨頂である。
フィリピン諸島、スマトラ島、或いはセレベス島といった、よりカリマンタン島に近い場所からであればカリマンタン島に到達するのはさほど難しいことではないが、ファラゾアによって海上輸送が壊滅させられた現在、例えこれらの島々に空軍力を中心とした軍事基地を設置しようとも、それを支えるだけの恒常的な補給路を確保する事が出来ない。
空軍基地を支える補給路に求められるのは何も戦闘機の予備部品だけではない。燃料や弾薬、或いは兵士達が生活していく日用消耗品も毎日大量に消費されていくのだ。
それに対して宇宙空間から垂直に補給を受ける事が可能であるファラゾアにとって、それらの地形的条件は殆ど制約とはならない。
シンガポール、マレーシア、フィリピン、そしてオーストラリアと云った、有力な空軍力を持つ国々に囲まれた領域のど真ん中で、それらの勢力を分断しつつ、防御にも有利な場所である。
しかもこの場所は、インドシナ半島、或いはマレー半島からオーストラリア大陸へと続く列島線の中央に位置し、ユーラシア大陸とオーストラリア大陸を繋ぐ、物と情報のやりとりを完全に断ち切る事が出来る。
地球側にとっては、手が届きそうで届かない、無理に手を伸ばそうとすれば逆に返り討ちに遭い壊滅的な痛手を被る危険性を孕んだ難攻不落の敵城。
かと言って喉元に刺さった巨大な棘のように、どうにかして取り除かなくてはならない、無視することなどとてもできない場所にある敵占領地。
一方ファラゾアにとっては、二大大陸の間の物流を遮断でき、有力な軍事拠点と多くの人口を抱える多数の地域に簡単に手が届く絶好の場所。
国連軍と東南アジア諸国による多国籍軍が、激しい消耗を強いられる事が明らかに分かっていながらも、この地域を死守して絶対に手を引こうとしないのにはその様な明確且つ切実な理由があった。
そしてその手が届きそうで届かない敵占領地を何とか地球人の手に取り戻そうと、手を変え品を変え幾度となく奪還攻撃作戦が実施され、そして実施されたと同じ数だけ目的未達、継続遂行困難の判断を下されて失敗に終わっていた。
幾度となく繰り返されたカリマンタン島降下地点の攻略作戦のことを、後に「カリマンタン奪還作戦群」と呼ぶようになった。
「作戦名は『Kalimantan Sandwich』(カリマンタン・サンドイッチ)だ。先日の『Light Snail』作戦にて通信ケーブルが接続され、歩調を合わせることが可能となったオーストラリア軍が今回から本格的に参戦する。アジア側からと、オーストラリア側の両方から攻勢を行う為、この作戦名となった。」
バクリウ基地駐在国連軍部隊司令官ダット中佐が壁に貼られた地図の前に立ち、ホール内を見回して言った。
ホール内には達也達国連軍のパイロットだけでなく、ベトナム空軍や日本空軍など各国から派遣された支援部隊のパイロット達の姿も見える。
バクリウ基地全体が出撃するような大規模作戦の場合、便宜上国連軍部隊の司令官であるダット中佐が指揮を取る事になっている。
他の各国から派遣されている部隊の隊長は皆少佐であるため、階級的にも問題無い。
逆に基地司令であるダン准将が指揮を執った場合、ベトナム空軍所属であるダン准将の所属が命令系統に齟齬を発生させる恐れがあった。
「『カリマンタン・サンドイッチ』作戦は、我が基地を含めたインドシナ半島だけでなく、マレー半島、フィリピン諸島、オーストラリア大陸の四方面からカリマンタン島に侵攻し、カピト近傍の降下定着地点領域のファラゾア地上施設群を攻撃、破壊することが目的である。」
ダット中佐はそう言うと、赤い円をカリマンタン島内陸部、即ちファラゾアの地上施設が存在する場所に貼り付けた。
「本作戦はまず、当基地を含むインドシナ半島側、オーストラリア大陸からダーウィン空港を発した部隊でカリマンタン島の南北から制空攻撃を加える。」
ダット中佐が、インドネシア半島南端と、オーストラリア大陸北端に青い磁石を貼り付けた。
それに向かい合わせるように、カリマンタン島から少し離れた南北の位置に赤い磁石を貼り付ける。
「カリマンタン島に存在する敵戦闘機は、当然これに釣られて迎撃に上がってくる。ここまでが作戦の第一段階、陽動部分だ。」
ダット中佐はいったん言葉を句切ると、ホール全体を見回して全員が話について来ているかどうかを確かめた。
「第二段階として、マレー半島とミンダナオ島から戦闘機隊と対地攻撃隊が出撃、カリマンタン島東西からカピトを目指して侵攻する。こちらが作戦の本体だ。」
ダット中佐が今度は、青色の丸い磁石と三角形の磁石をマレー半島東側、ミンダナオ島西側に置いた。
「我らバクリウ基地に所属する戦闘機隊の主任務は、先制してカリマンタン島に向けて侵攻し、カリマンタン島に存在するファラゾア機を一機でも多く引きつけ、攻撃部隊の侵攻を成功させることにある。」
中佐はインドシナ半島南側に置いた青い磁石をカリマンタン島北側まで移動し、そこにあった赤い磁石に接するように置いた。
「そして対地攻撃部隊がカリマンタン島深部にまで侵入する事に成功した場合、これを助け、制空圏を一秒でも長くこちら側に傾けておくことが求められる。」
今度はフィリピン脇とマレー半島脇に置いてあった青い磁石をカリマンタン島に近づけ、そして中佐は地図の盤面を拳で叩いた。
「従来、陽動を掛けてもまだ多数の敵機がカリマンタン島に残っており、攻撃隊がその迎撃を突破して目標に到達することが出来なかった。しかし今回は、作戦名の通りオーストラリア軍も参加して、南北二方向から陽動を掛けることで、従来よりもより多くの敵を引きつけることが出来る様になった。これまでの同様の侵攻作戦に較べて、対地攻撃部隊が敵基地に到達し、目標を達成する可能性が飛躍的に高まったものと考えている。
「作戦開始は明日未明。各隊の出撃時間等は各隊でのブリーフィングにて伝える。全体説明は以上。各人の奮戦を期待する。以上。解散。」
ダット中佐は「奮戦」と言ったところで力強く背後の地図を拳で叩いた。
衝撃に耐えきれず、幾つかの磁石が剥がれて落ち、床の上に転がる硬く乾いた音がした。
落ちた磁石がどれも青色ばかりだったというのは縁起の悪い話だな、とその様を冷めた眼で眺めながら達也は思った。
■ 2.30.2
闇の世界の中、格納庫の中だけが昼間に切り取られたかのように明るく、そして整備兵を含めた多くの人間が走り回っている。
そして、うるさい。
エアジャッキのコンプレッサーの音や、人の走り回る足音、指示を出す大声、そしてスターターモーターの回る音に続いて、ターボファンエンジンに火が入り、回転数が上がっていく甲高い音。
本来なら格納庫前の駐機スポットで行うはずのエンジン点火作業だが、駐機スポットを電灯で照らすわけにも行かず、かといって真っ暗な中で作業を行うわけにもいかず、出撃する機体のエンジン始動は格納庫の中で行われていた。
達也の機体、四〇式零改は格納庫の一番奥に駐機されている。
日本空軍の格納庫の隅を借りて特殊装備の整備点検を行った後、チムン隊の格納庫の一番後ろに牽引されてきたためだった。
濃紺の海洋迷彩に塗られた愛機に近付くと、イヤーマッフルを兼ねたレシーバを付けたフランシスが、ラダーの下に立っていた。
フランシスと右手の拳を打ち付け、達也はラダーを駆け上がる。
アイドリング状態とは言え、十基のターボファンエンジンが立てる騒音で、格納庫内はとても話の出来るような状態ではない。
ヘルメットバッグをシート後ろのスペースに放り込み、コクピットに身体を沈めると同時にフランシスがラダーを上がってきた。
HMDヘルメットを被り、ヘルメットのパワーを入れる。
コクピット脇まで上がってきたフランシスが、レシーバのケーブルコネクタをコクピット内のコネクタに差し込んだ。
「お早うさん。よく眠れたか?」
レシーバを通してフランシスの声が聞こえる。
「ヤバい。緊張の余り八時間しか寝れなかった。朝からお肌の調子が悪い。あと二十四時間くらい寝たい。」
コンソールモニタに映るインジケータを確認し、出撃前チェックを進めながら達也は答えた。
格納庫内の騒音が一段と大きくなる。
眼を向けると、滑走路側出口に一番近い機体が、牽引車に引かれて向きを変え、格納庫の大扉に向けて移動を始めるところだった。
「寝不足は構わねえが、永眠しないようにしろよ。日本空軍から回ってきたチェックリストは確認しておいた。GDD(重力波変位探知器)もCSIP(複合センサー統合システム)も確実に動いているはずだ。右翼パイロンの在荷センサーが渋いつってたのも直しておいた。」
「有り難い。これでありもしないおかしな警告表示に悩まされずに済む。」
「気ぃ抜くなよ。当たり前の話だが、大規模作戦で墜とされる奴が一番多い。行ってみたら思ったより敵が沢山いました、で、大混戦になって、気が付くと『あいつどこ行った?』なんて話はザラだ。」
「女皇陛下の尻に引っ付いて見失わないようにするさ。」
互いにチェックリストを交換しながら、最終確認を行う。
ヘルメットのHMDスクリーンを降ろすと、スイッチが自動的に入り、色気も装飾もない緑色の表示で各種情報が空中に浮き上がる。
「『Kalimantan Implosion take 18』だ。せいぜい気張ってこい。」
「なんだそれ?」
「同じ様なカリマンタン島奪還作戦を何回もやって、今回が十八回目ってことだ。いい加減こっちもうんざりしてるが、カリマンタン島はどうやったって取り返さなきゃならん目標、ってことでな。敵さんの方もとうにこっちのパターンを読んでるだろ。予想外の手を打ってくるかも知れねえ。食らうなよ。」
そう言いながらフランシスは達也がハーネスを閉めるのを手伝う。
牽引車と共に数人の整備兵が近づいて来て、達也の機体の主脚にコネクタを噛ませた。
機体から離れた整備兵が手信号で「コネクト完了」とこちらに向けてサインを送ってきた。
「機体も新しくなったんだ。大暴れして、女皇陛下より良いスコアを叩き出してやれ。エースかっ攫ってやれ。じゃな。Good Luck.」
フランシスがレシーバのコネクタを引き抜き、ラダーから飛び降りた。
コクピット脇からラダーが外された。
車上からこちらを見ている牽引車のドライバーに、達也は準備完了、牽引開始のハンドサインを送った。
こちらを見上げているフランシスと数名の整備兵に、動き始めた四十式零改の機上から軽く敬礼をして、キャノピーを閉じる。
四十式零改は牽引されてゆっくりと格納庫の中を抜け、外の暗闇の中に引き出された。
誘導灯の青い光に近付いたところで牽引車が離れていく。
紅い炎を引いて、轟音と共に次々とF16V2が滑走路上で加速し、ふわりと浮き上がっては夜空に向かって駆け上り消えていく。
タクシーウェイ上には、達也より先に格納庫を出たチムン隊のF16V2が、後続機のタクシーライトで照らされ、列を為して闇の中に浮かび上がる。
スロットルを開けると、機体がじわりと動き始めた。
青い誘導灯に沿ってタクシーウェイに進入する。
ふと脇を見ると、国連軍、台湾空軍、日本空軍それぞれの格納庫の前に、格納庫の光でシルエットになった何十人もの整備兵達が並んでいるのが見えた。
タキシングを終わり、滑走路端で一旦停止する。
滑走路上に埋め込まれた白い誘導灯が連なり、闇の中に一本の線を形作っている。
「Chim ung 13, cleared for take off.」
「Chim ung 13 copy, thanks.」
無線封鎖の中で、ごく短い離陸許可交信が管制塔と交わされる。
達也がスロットルを開けると、四十式零改は滑るように前に進み始めた。
そのままスロットルを開け続け、リヒートが点火し機体が一機に加速する。
誘導灯が凄まじい勢いで次々と後方に消えていく。
推力偏向パドルを最大に開き白みがかった紅い炎を吹いて、機体は滑走路半ばで離陸速度に達し、ふわりと接地感が消える。
着陸脚を格納してさらに増速し、滑走路の端が近付いたところで操縦桿を引いた。
達也を乗せた四十式零改は紅い噴射炎を引きながら、急角度で満天の星が輝く夜空に向けて轟音と共に駆け上がっていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
コロナウィルス絡みで在宅勤務が増えてきました。
ここぞとばかりに執筆を進めようかと思いきや、ここぞとばかりにやって来るオシゴト。
思惑を完全に外されました。