29. Empress and Royal Guard (女皇と近衛兵)
■ 2.29.1
北から三機のF16V2がデルタ編隊を組んで近付いてくる。
その三機は、西から東へと高度5000mを巡航する達也達の編隊に対し500mほど低い高度で接近してきて、一旦進路上下方を横切った後、見事なデルタ編隊を組んだまま右に旋回するようにして高度を上げ、達也達チムン隊B1小隊のすぐ左脇にぴたりと付いた。
「チムンB1ご苦労だった。スイーパー任務を引き継ぐ。基地に戻って一杯やってくれ。」
左に並んだ台湾空軍からの派遣部隊、バンディットA1小隊は無線を使って話しかけてきた。
達也達は既にファラゾアと交戦し、存在が完全にバレているため今更無線封鎖を行う必要も無いのだ。
「有り難い。少し暴れすぎて燃料が危なかった。お言葉に甘えて帰らせて貰う。」
「見事追い返したらしいな。流石デルタサーカスだ。因みにAS(Armored Scout)で回っていたランビエンB2は全機MIAらしい。」
ランビエンB2小隊は、ちょうど達也達がスイーパーとしてインドシナ半島から300km辺りのラインを遊弋していたときに、カリマンタン島から4~500kmの距離を武装巡回偵察を行っていた。
達也と一緒にバクリウ基地に配属されたチャン少尉が居る小隊だった。
カリマンタン島のファラゾアの迎撃を受けて撃墜されたのだろうが、その巡回コースはインドシナ半島上空を遊弋するAWACSでも補足することが出来ない為、撃墜されれば即MIAとなる。
「拙いな。ランビエン隊は元々欠員があったんだ。補充を急がないと。」
達也も通ってきたコースだが、地球防衛の使命に燃えて軍に入隊したとしても、その全員がパイロットとなれるわけではない。
戦闘機パイロットに適性が有る者となるとさらに数が絞られ、最前線で戦うことの出来る者となると更に数が少なくなる。
毎月のように多数の志願者が軍の入隊事務所を訪れるが、それに対して前線に送り込むことが出来るパイロットの要件を満たすほどにまで成長する者はごく少数でしかなかった。
しかし当然、最も損耗が激しく、そして最も必要とされているのはその前線を支える能力のあるパイロットなのだ。
「いずれにしても私に決定権のある事では無いな。では、バンディットA1(Alpha One)、後は任せた。チムンB1(Beta One)、フュエルビンゴ。RTB。」
パナウィーは左側100m程の位置に浮かんでいるバンディットA1リーダーに軽く敬礼して、機体を右に捻った。
達也とアランも同様に軽く敬礼し、パナウィーの後を追う。
「女皇陛下がお戻りだ。敬礼。」
バンディットA1リーダーが厳めしい声で言う。勿論、冗談だ。
冗談なのだが、パナウィーが最近バクリウ基地内で「女皇(Empress)」というあだ名で呼ばれているのは皆薄々気付いていた。
バクリウ基地で一二を争うスコアを叩き出すエースである事や、凜として一見他を寄せ付けない様な鋭さのある容貌、アランと達也を引き連れて颯爽と自機に向かう姿や、作戦時に鋭く簡潔かつ的確に飛ばす指示など、色々なことが理由となっていた。
勿論、「女皇」と呼ばれるだけの実力を見せているからであり、実力の無い者はこの手のあだ名の対象になったりはしない。
「タツヤ、アンタのせいだからね。」
100kmほど陸地に向けて飛んだところで、突然パナウィーが言った。
帰投中であるため、特に無線封鎖はしていなかった。もしファラゾアに探知されて迎撃されたとしても、達也が駆る四〇式零改が遙か遠距離から敵を探知できるという理由もある。
「俺のせい? 何の話ですか?」
パナウィーの口調は作戦行動時のそれでは無かった。
「アンタが時々私に向けて『Her Majesty(女皇陛下)』とか言うから、みんなが言い出したじゃないのよ。」
見た目に反して冗談が通じ、実は本人も冗談好きのパナウィーに時々おどけて女皇陛下と言いながら恭しく腰を折る仕草をしていたのは確かだった。
元大英帝国領であったシンガポールでは、身の回りの女性に対して良くやるジョークなのだが。
「いいんじゃねえの? 実際そんなもんだろ? 俺達下僕。』
「アランてめえ。帰ったらシメる。」
「ヤベえ。陛下の逆鱗に触れちまった。オレ絞首台送り。」
と、アランとパナウィーのいつものじゃれ合いが始まる。
流石に半年しか経たない新兵であり士官でさえ無い准尉の達也は、大尉でありかつ年上でもあるパナウィーに対してアランと同じ様な態度を取ることは出来なかった。
アランに言わせれば、そんなところが社会主義国のお堅い日本人らしいのだが。
日本に住んだことも無く、自分の国籍を意識することも殆ど無いのだが、遺伝するのか、或いは日本人家庭で育つとそうなるのか、どうやら他国の人間から見れば自分も日本人らしいと、達也が国籍を意識するのはそんなときだった。
「達也も行く?」
突然パナウィーに声を掛けられて、物思いにふけっていた達也の意識は現実に引き戻された。
「え? 行く? どこへ?」
「アンタ人の話全然聞いてなかったでしょ。明日丸一日非番だから、今夜バクリウの街に飲みに行こうかって話よ。」
人手がまるで足りていない最前線基地であるバクリウ基地に所属するパイロット達には、定期的に与えられる土日の休みなど望むべくもなかった。
丸一日休みの日など、数週間に一度あれば良い方だった。
出撃がない日でも、報告書の作成や整備兵達との打ち合わせ、上から命令される「自発的な」座学教育など、やらなければならないことはいくらでもあった。
その労働条件に不満があろうが気に入らなかろうが、死にたくなければそのヘビーローテーションに従い出撃する以外の選択肢は無い。
そして小隊単位で動かされることが殆どの国連軍の組織の中では、休日も小隊単位で与えられる。
元々人口二十万人程度の、田園地帯のど真ん中に位置する地方都市でしか無かったバクリウの街だが、カリマンタン島にファラゾアが降下定着したことで多くの住人が逃げ出し、一時期は人口数万人程度にまで減少し、まるでゴーストタウンのような様相を呈していた。
街からほんの10km程度の場所に国連軍主導でバクリウ基地が造成され、その工事関係者やバクリウ基地に配属された兵士達が宿泊、食事、或いは娯楽を提供する役割をバクリウの街に求めた。
ファラゾア侵攻から数年経ち当初のパニック状態が収まり、またファラゾア侵攻初期に噂されていた、まるでSFパニック映画に出てくるような無数の不気味なファラゾアロボットが街を破壊し人々を虐殺し捕獲するような事態にはなっていないのだと気付いた者達が、儲け話を求めてバクリウの街に戻ってきたことで街の人口は再び増加に転じた。
増加した人口は、街に戻ってきた元々の住民であったり、ただ単に儲け話を聞きつけて遠方から移住してきた者であったりしたが、いずれにしてもバクリウの街は食事や娯楽や労働力などを提供する基地の街として再び発展しはじめていた。
バクリウ基地を造成し建造する労働力や、基地内で提供される食事とそれを調理する者、細かなところではトイレットペーパーなどの日用消耗品や、兵士達が着用して汗だくになり汚れた服のランドリーサービスまで、ありとあらゆるものがバクリウの街を通じて提供されているのだった。
そして兵士達はというと、非常に厳しい勤務体系のもと、普段はまともな娯楽など基地内で望むべくもないのだが、たまに休みが取れると時間をやりくりしてバクリウの街に繰り出して、酒や食事、風俗店といった娯楽で息抜きをするのがお決まりとなっていた。
工事関係者を入れると常時三千人を超える人々がバクリウ基地で働いており、彼等にその様なサービスを提供する歓楽街が街中に既に形成されていた。
「大尉、ダメだ、そういやコイツ未成年だぜ。」
「別に未成年だからって酒が飲めないわけじゃないでしょ。」
「いや、法律上飲めないんだが。」
アランの呆れた声がレシーバーから聞こえる。
「バレなきゃ良いのよ。」
女帝陛下のご気分により自分の運命が己の手を離れて翻弄されていく会話を聞きながら達也が半ば諦観に達しつつ呆れていると、別の声がレシーバーから響いた。
「あー、デルタサーカスのお三方。こちらクバスタン。ご歓談中申し訳ないんだが。そちらの機位は陸地まで150kmを切ってる。殆どまる聞こえだ。」
「げ。」
「やば。」
AWACSが受信した会話は当然全て記録され公式なログに残される。
「次こっちに来るときにサイゴンエクスポート(地ビール)をちょいと数杯奢ってくれりゃ、模範的軍人である俺もちょっとうっかり録音ボタンを押し忘れたりするかも知れないんだが。」
こんな事を言っている時点でクバスタンの通信士の会話もログに残っており、どのみちログを不正に消す作業を行わなければならない事に変わりは無い。
要は、口止め料を寄越せと言っており、彼女の奢りを呑む口実にしたいだけだった。
ちなみに当然の事だが、インドシナ半島上空を遊弋しているAWACSの通信は、距離の近いバクリウ基地とサイゴン基地にも聞こえている。
ここで奢ると言えば、彼等全員に奢らなければならない羽目になるのは火を見るよりも明らかだった。
「・・・分かったわ。アンタ名前は?」
「クバスタン02のポズガーリョフ少尉だ。この機にはあと十五人乗ってる。」
「・・・分かったわよ。覚えておきなさいよ。」
「ウラー! バクリウの女皇陛下の奢りだぜ!」
レシーバの向こうで何人かの歓声が漏れ聞こえる。
「なんでそのあだ名アンタ達が知ってんのよ!?」
「あんだけ言われてりゃ覚えるって。」
「タツヤぁ!」
「俺かよ!?」
パナウィー機が機体を急激に寄せてきたのを、達也は右バレルロールで回避した。
■ 2.29.2
半ば昼間の居住地と化した国連軍の格納庫内事務棟を出て、そのまま格納庫を出る。
左に曲がり、ランビエン隊が使っている格納庫の前を通り過ぎてそのまま進むと、台湾の部隊の格納庫があり、その向こうに日本の部隊の格納庫がある。
達也は一人、日本空軍が使っている格納庫に入っていった。
巨大な格納庫の中にまるで刃物のような鋭利な印象を受けるF15RJが何騎も並んでいる。
ライトグレーのF15RJが並ぶその一番向こう側に、一機だけ濃紺に塗られた機体が羽を休めている。
達也の乗機である四〇式零改であった。
国連軍の格納庫ではF16の整備を行うことは出来ても、四〇式零改の整備ではGDD関連や光学ユニット、それらを統合しているシステムなどで手を付ける事が出来ないものが有り、機材が揃っている日本空軍の格納庫の端を借りて整備を行っているのだった。
「すみません。西山少佐はこちらにいらっしゃいますか?」
格納庫の中に歩み入った達也は、手近な日本人整備兵に日本語で声を掛けた。
西山少佐は、達也の機体が世話になっているエルボ隊、即ち日本空軍在バクリウ基地支援部隊305飛行隊の隊長だった。
世話になるからには一度顔を出して挨拶をしておくべきだろうかと、一般的日本人ならばこうするのではなかろうかと想像を働かせて達也はこの格納庫にやってきたのだった。
見知らぬ日本人の、しかもまだ子供と言って良い年齢の男に声を掛けられた整備兵は怪訝な顔をした。
「あんた、誰?」
一般的に礼儀正しいと思われている日本人として、その対応はどうなんだ、と思いつつ達也は答えた。
「国連軍チムン隊の水沢准尉です。あのF2C改40式の。」
達也が指差した先に停機する四〇式零改を振り返り、整備兵は表情を明るくして言った。
「四〇式・・・ああ、あんたロイヤルガードかい。ちょっと待ってな。少佐は在室の筈だ。」
・・・ロイヤルガード?
達也は整備兵が突然口にした意味不明の単語に訝しみながらも、問い返そうにも整備兵は既に走り去ってこの場にいない。
しばらくして、日本空軍の深緑の飛行服を着た別の男が達也を迎えに来た。
「チムン隊の水沢准尉か? エルボ隊の岩下中尉だ。西山少佐のオフィスに案内する。付いてきてくれ。」
そう言って男は踵を返した。達也はその後を付いていく。
「その歳で国連軍のパイロットというのは驚きだな。どこの部隊からの出向だ?」
歩きながら岩下中尉が達也に話しかける。
「いえ、自分はシンガポール軍の軍人です。日本軍ではありません。」
「シンガポール軍? 日本人じゃないのか?」
多少驚いたらしい岩下は、足を止めて達也の方を向いた。
「日本人です。いわゆる駐在家族というやつです。バトルオブエスプラネードの時にシンガポールに住んでいました。その後色々あって。」
「成る程な。」
そう言って岩下は再び歩き始めた。
「あの、一つ聞いても良いでしょうか?」
「俺に答えられることであれば。」
歩きながら話しかけてきたところから、岩下は比較的話し好きな男のようだった。
聞く相手を選ぶ質問をするには丁度良いと達也は思った。
「先ほどの整備兵が『ロイヤルガード』と言っていたのですが、あれは・・・?」
岩下は再び足を止めて、達也の方に向き直り、笑いながら答えた。
「なんだ、知らないのか。デルタサーカスを率いる女皇、それに付き従い両脇を固める近衛兵という意味だ。皆そう言ってるぞ。」
今度は達也が心の中でパナウィーの名前を叫ぶ番だった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
パナウィーさん、実際のモデルがいます。
名前はちょっとアレンジしていますが。
某メーカーに勤務する女性で見た目性格、だいたいこんな感じです。