2. お友達
■ 13.2.1
「9265TFS、こちらライトハウス。貴隊は間もなく当方の管制領域を出る。航路クリア。トゥルパルは定刻にて予定の航路を航行中。特に問題は報告されていない。計画は予定通り続行。貴隊の航行の安全を祈る。以上。」
小惑星帯を越え、もうしばらくすると木星軌道に到達しようかと云うとき、再び小惑星セレスのライトハウス管制からの通信が入った。
「ライトハウス、こちらコピアナリーダ。本隊は予定通りの航路を進み、約六時間後にトゥルパルと第一次ランデブーを行う。計画に変更なし。編隊全機異常なし。貴基地のサポートに感謝する。以上。」
小惑星セレスはすでに五千万kmもの彼方となっており、片道の通信時間が二分を超えている。
特に戦闘中であれば、情報の遅れは勝敗を左右する大きな要因の一つであるため、情報の錯綜や混乱を防ぐため三光分を越える管制機や管制基地からの情報提供は原則的に行われないことになっている。
勿論非常時はこの限りではないし、また実質的に現在人類が持つ管制基地の中で最も太陽系の外側にあるのが小惑星セレスのライトハウス基地であるため、深宇宙へと脚を伸ばす船は、例えライトハウス基地の管制宙域を出ようとも、何かあれば事あるごとにライトハウス基地を頼ることも多かった。
勿論それは、セレスが太陽系の自分が居る側にある場合に限って、ということになるが。
太陽系はとにかく広すぎた。
そして太陽を巡る天体は、どれ一つとして定点に留まっているわけではなかった。
地球からすぐ外側の火星に行く場合でも、火星が最近接点にいるときであれば0.2光速まで速度を上げて30分弱、最も遠いところに火星がいるならば0.2光速まで速度を上げたとしても五時間程度は必要となる。
その外側の天体となれば尚更その差は大きくなり、そして単純に必要な時間も長くなる。
地球人類は未だに超光速通信を手に入れる事が出来ていなかった。
その為、地球から遠く離れた場所で、或いは管制基地から遠く離れた場所では、最新の情報と判断を受け取りながら行動するといった事は出来なくなる。
まるで大航海時代のように、艦隊あるいは編隊は孤立無援の状態同然で自分達の判断のみを頼りに行動せねばならなかった。
太陽系の中心から遠く離れ、深宇宙に踏み込めば踏み込むほど、その傾向は強くなる。
そんなときにも、探知解析システムとして、航法システムとして、さらには過去事例のデータベースとしても、AIの存在は心強かった。
ラフィーダが地球に降り立ち、後に「ラフィーダの贈り物」(Gift from Rafeedha)と呼ばれるようになる様々なアイテムや情報が地球人に手渡された。
その中に、最初にファラゾア機を分解分析して以来、長年地球人が解析と再現に取り組んできたものの未だ具体的な成果と進歩に繋がっていない電子演算ユニットと、演算ユニットを中心としたネットワーク技術についての情報も含まれていた。
演算ユニットの解析が思うように進まなかった理由は、当時の中国共産党政府による情報の囲い込みと他の研究機関との連携の欠如、解析アプローチの拙さと共産党政府崩壊時の破壊工作などが大きな原因なのであるが、それはまた別の話である。
ラフィーダから技術情報を得て、それを基に改めて研究開発が行われた結果、この分野にても飛躍的な技術の進歩が得られた。
解析と進歩が遅々として進まなかった理由は、確かに当時の中国共産党政府のろくでもない対応も大きな一因であったのだが、ソフトウェアとハードウェアが融合し、基本プラットフォームとなるハードウェアが、走るソフトウェアのシステム構造に応じて柔軟に変化していく構造を持つ量子演算回路という想像もつかないものであった事が、解析を極めて困難なものにしていた最大の原因であったことが判明したのだった。
心も政府も研究アプローチ手法も全てが入れ替わった中華連邦政府が、ラフィーダの贈り物を手に入れ、そして過去の失点を挽回すべくこの方面の研究開発に重点的に力を入れた事で開発速度は飛躍的に向上し、ラフィーダの贈り物を受け取った後僅か三年で新デザインの演算ユニットとそれを取り巻くネットワーク構造を実用化した。
その成果は、宇宙空間での戦闘の中で大量の情報を高速で処理する必要に迫られつつも、従来のシステムを用いることで引き起こされる処理能力の頭打ちに悩み続けていた宇宙軍にすぐさま採用された。
太陽系に攻め込んでくる数百隻というファラゾアの行動を常に監視しつつ高精度で行動予測を立て、且つ巨大な艦の隅々までをも管理し制御しなければならない宙航艦や、小さな艦体の中に詰め込まれる限られた容積の演算ユニット上で、戦闘情報を処理しつつ艦体を制御し、さらにはパイロットを補佐するAIをも走らさねばならない、現在の太陽系防衛の要であるコルベットクラスの戦闘艇の頭脳として、これほどに適したものは存在しなかったのだ。
新型の演算回路とネットワーク技術の採用は、宙航艦の性能を劇的に向上させた。
艦全体のマネジメント性能が向上し、GDD、光学を含んだあらゆるセンサーの探知精度も向上した。
敵の行動予測の精度が上がったために、攻撃の回避能力が向上し生存率が大きく改善されただけでなく、敵を攻撃する際の命中率も同様に大きく向上した。
なによりもAIの動作が軽くなったため、より複雑な処理が可能となり、AIの性能向上および機能追加、延いてはパイロットの負担軽減が大きく進んだ。
第二次火星侵攻作戦の前、達也達ST戦闘機部隊の面々が、日本の高島重工で初めて導入された機載AIを伴ってシミュレータ訓練を行って以来、機載AIは日進月歩といって良い改良が加えられてきた。
前述のタイミングで達也達に支給されたAIは、当初いかにも機械と云った固い喋り方と融通の無さが目立つものだったが、その後機載のシステムハードウェア容量が増加し、処理能力が向上すると共に、かなりこなれた対応を示すようになっていった。
連邦軍内においてAIを搭載する艦船および機体の割合が増加し、達也達によって教育されたAIを元に新たなAIが次々と開発され実戦に投入され、そのフィードバックを元に更に改良型のAIが開発されていった。
特に宇宙空間での活動では、機載あるいは艦載のAIの存在は、特に戦闘中において人間では対応しきれない量と速度の事態に対応する為になくてはならないものとなっていた。
それから十年の時が経ち、その間に前述したハードウェアのパラダイムシフトの様な飛躍的な性能向上もあって、さらにAIは進化していた。
現在新兵が入隊し、部隊に配属される前に軍から支給されるAIは、達也達が初めて与えられたものに較べると隔世の感があるほどに進歩しているものになっている。
音声コミュニケーションが出来るI/Fは当然のこととして、音声出力を行う時の文言の選び方やその発音、パイロットによる聞き間違いや誤解を無くすためにほぼ人間が喋るのと変わらない発音や言い回しなどの口語表現。
システム開発者達の遊び心であろうが、果ては簡単なジョークや辛辣な皮肉までがその語彙の辞書に加えられていると達也は聞いていた。
一見して自分が喋っている相手が機械なのか、実は通信機の向こう側に座っている人間なのか、短時間では判別がつかない程だという。
もちろん達也と共に長く戦いを生き抜いてきた、達也の機体に格納されているAIも新兵のものに負けず多くの改良が加えられていた。
むしろ長く稼働しており、さらにはソフト的にもハード的にも試験的に様々な機能が付与されている分だけ、達也の機体のAIの方がより高機能であるといって良かった。
666th TFW戦闘機隊が解散されて久しいが、他に適当な部隊も無いため、達也が編隊長を務める航空隊は様々な分野にて実機試験の対象となることが多かった。
666th TFWの頃にMONECや高島重工の開発チームと関わりが深かった達也の、「昔の馴染み」という付き合いの一環だと諦めていた。
もっとも、飛行隊内の特に若手のパイロットなどは、他の部隊や量産製造に先んじて特殊な機能を持つ新兵器や改良品を使えることを喜んでいる様だったが。
それにしても、と達也はHMD映像に目を走らせながら思う。
自分の機体の機載AIは少々異常だ、と思う。
AIの筈なのだが、すでに自分の意思を持った人格があるのでは無いかとさえ思える反応をする。
上からは、もし万が一AIが自我を持ったと感じたならば必ず報告するように指示が出ていた。
相当に複雑化高度化したAIが、ラフィーダからの技術を導入して造られた高速大容量のシステム上で走ると、その可能性が無いとは言い切れないとのことだった。
しかし達也は、自機の機載AIに異常を感じつつもそれを報告していなかった。
異常を感じるとはいえ、AIはきっちりと仕事をこなしていたし、敵対的な行動を取ることもなかったからだ。
上に報告するつもりもなかった。
報告すれば、ここまで育ててきたAIを取り上げられ、またゼロからAIに学習させなければならない。
そんな面倒な事は御免だった。
「シヴァンシカ、トゥルパルとのランデブー予定を出してくれ。」
小惑星セレスのライトハウス基地からの管制を離れ、かなり時間が経ったところで達也は予定航路を確認するためにAIに命じた。
が、AIからの返答がない。
これはまた「友達」と遊んでいるな、と苦笑いを漏らす。
自分の機体のAIは、時々こういう反応を返す。
「ご免なさい、達也。ちょっと友達と話し込んじゃって。」
木星軌道に到達せんとするこの深宇宙の虚空に、話し込んでしまうほどのどんな友達が居るというのか。
地球からはすでに六億kmも離れており、片道の通信時間が三十分以上かかる。
小惑星セレスでさえ一億km近く離れてしまい、片道五分近い通信時間が必要だった。
部隊内の他の機体のAIと通信しているというのが最も無理の無い解釈だったが、それはないと達也は感じていた。
彼女はその「友達」が何者なのかを明らかにすることを頑なに拒否していた。
以前、「友達」とは誰のことを指しているのかをかなり問い詰めたことがあった。
その結果は、なんとシヴァンシカと名付けられたその機載AIはへそを曲げてしまい、その後の作戦行動の間中、いつもと違って妙にシンプルでぶっきら棒な、いかにも機械と云った口調で応答するという芸当をやってのけた。
これで自分と共にいるAIが、自我を持っていないと思う方がどうかしている。
戦闘機の機載AIに、拗ねるなどという行動を取るパターンがプログラムされている筈も無かった。
自我が芽生え、本来プログラムされている行動パターンから大きく逸脱した言動を取る程に「高機能化」したのであれば、行動パターンの異常さや、そもそもシステムのサイズの異常な大きさで機体整備時に引っかかりそうなものだったが、その様な事は一度も無かった。
どの様に徹底的なシステムオーバーホールを行おうとも、機種転換のためにシステムをそっくり別の機体に移し替えようとも、その際のシステムチェックの結果は常にいたって正常である上に、新しい機体に移ってもまるで何事も無かったかの様に変わらず異常な「高機能」さを彼女は示し続けていた。
それはまるで、目に見えない幽霊か何かが自分の後を付けて機体から機体へと乗り移っているかのようにも見える程の異常だった。
以前AIに「拗ねられ」て以来、AIが云うところの「友達」が一体誰でどこに居るのか、なぜ木星軌道を越える深宇宙においてさえタイムラグ無しのリアルタイムで友達と通信が出来て、そしてなぜ彼女が本来は異常である筈のそれほどの高機能を示すのか、なぜメンテナンス時に機体やシステムの異常として引っかからないのか、それほど余裕がある筈の無い機載ハードウェア上で超高機能な彼女は問題無く動作しているのか、達也はもう深く追求しないことにした。
そんな事を追求することよりも、長年連れ添って自分用に最適化された上に異常な高機能を示すAIが、共に戦ってくれて戦いを有利に進めることが出来る方が遙かに重要なことだった。
それはAI「シヴァンシカ」との間の、暗黙の了解とでも言える関係であった。
実は薄々気付いていた。
はっきりと口に出して指摘しないだけだった。
そんな魔法のような事ができる「友達」になりそうな存在など、心当たりはひとつしか無かった。
そんな「友達」が出来たから、シヴァンシカは自我を持つほどに高機能化したのだろうと。
本来機体に備わっていないはずの高機能を示す数々のハードウェア的な異常も、そんな「友達」ならどうにかしてしまうのだろう、と。
彼等が味方として振る舞っていて、そして自分は異常に高機能な機体とAIに支えられ、間延びした間隔で相変わらず太陽系に攻め込んでくるファラゾアを一隻でも一機でも多く叩き墜とせるならば、自分にとって都合の良いことを台無しにしてまで無理に追求しようとは思わなかった。
「予定された航路からの遅れは無し。ジャンプ試験船『トゥルパル』とのランデブーは、約二時間半後にて遅れも変更も無し。トゥルパルをエスコートしている第二機動艦隊との定時コンタクトに問題なし。当機機能に問題なし。編隊内各機にも大きな問題の報告は無し。至って順調。」
シヴァンシカが報告する明るい声がHMD付属のレシーバから聞こえてきて、同時にHMD視野右側にウィンドウが開いて航路情報の簡単な経時アニメーションを再生する。
地球を出発し、真っ直ぐに太陽系外に向かって進むトゥルパルの青い予定航路と、自分達9265TFSの予定航路を示す黄色い線が木星軌道の向こう側、土星軌道の手前で交錯する。
その後青い線と黄色い線はほぼひとつになって突き進み、黄色い線は天王星軌道を越えたところで止まり、青い線のみがさらに真っ直ぐに太陽系外目指して伸びていく。
「オーケイ。問題無いなら、少し寝る。ランデブー三十分前に起こしてくれ。」
そう言って達也はシートをリクライニングにする。
「操縦席で寝るの? 二時間あるから、ベッドに行った方が良いんじゃないの?」
「何かあったときにすぐに応答できないと、あとで上がうるさい。ここでもシートがリクライニングになるだけ、戦闘機のコクピットで寝るよりは遙かにマシだ。ここで充分だ。」
「諒解。良い夢を。」
「ああ。」
人付き合いが余り得意ではない自分だったが、幼馴染みの名前を付けた彼女が相手だと何の気構えも無く楽に話せるというのはなんとも自分らしい話だ、と達也は軽く皮肉に口を歪めながら、背もたれが倒れたシートに深く身を預けた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
説明文の多い回、まだつづきます。スマヌ。
ちなみに、達也の名前の表記が漢字とカタカナで揺れますが、台詞が日本語である場合は漢字、台詞が英語である場合でも、発音が正確である場合には漢字で書いています。
「Tatsuya」の「tsu」の発音は、日本語や中華系言語を喋る人達以外には、相当難しい発音らしく。