45. イルテル・バリュイーサ
■ 12.45.1
全長5123m、最大幅1035m、最大高1072m。
九月になってもなおまだ強く照りつける日差しを反射して、純白に近いその巨大な艦はオアフ島最大の都市であるホノルル沖約15kmの海上に、今はヒッカム連邦宇宙軍基地に吸収された元ダニエル・K・イノウエ航空基地の08R/26L滑走路、いわゆるリーフランウェイとほぼ並行になるような向きでその巨体を停泊し、海面上約150mの位置で静かに佇んでいた。
その偉容はホノルルの街はおろかオアフ島南岸のどこからでも見ることが出来、かの有名な観光地ダイアモンドヘッドの先端にある展望台などは数千もの地元住人が詰め掛け、誰もが双眼鏡片手に初めて間近で眺める異星人の巨大戦艦に眼を見張っていた。
参謀本部に代わってラフィーダとの交渉を引き継いだ地球連邦政府に対して、ラフィーダ側が要求したのはまさに最初の通信の通り、対話だった。
即ち通信などを介さず直接に会って話をする、いわゆるフェイストゥフェイスの会談を行いたいとの要求が提案されたのだ。
とは言え、地球人類にとって歴史的な会談を行う事が出来るような施設が宇宙空間に存在しなかった。
地球人類が宇宙空間に保有している施設はいずれも純粋に軍事用のものであり、機能最優先であって居住性に関しては色々と問題があり、とても異星からの賓客を迎えることが出来るような代物ではなかった。
巨大なラフィーダ艦での会合を提案したところ、ラフィーダ艦も倉庫や格納庫と云ったスペースしか存在せず、そのような目的で使える場所がないとの返答を受け取った。
こちらも戦闘に特化した艦船であり、公式な客を迎えるに使えるようなそれなりのスペースが確保できないのは似た様なものらしいと、地球側は理解した。
結局ラフィーダの使節を地球上のどこかで迎えるほかないとの結論に至り、そして選ばれたのがオアフ島のヒッカム宇宙軍基地であった。
もともと大型の空軍機地であったヒッカムと、太平洋地域のハブ空港であったダニエル・イノウエ空港は、そのような目的で使用できる場所を幾つも有していた。
基地が海に隣接しており、海上に停泊するであろうラフィーダ艦から直接基地に乗り入れることが出来る事も、警備上都合が良かった。
そして絶海に浮かぶ孤島、ではないものの、ハワイ諸島は周囲に他に陸地もなく、なにより警備がし易いという大きな利点を持っていた。
ラフィーダ艦が地球を訪れている間、オアフ島から半径500kmの海域は、軍用以外のあらゆる船舶、航空機の航行が制限されることとなり、これを無視して指定海域或いは空域に侵入したあらゆる船舶航空機は、警告無く攻撃されるとの通達が世界中に告知された。
会場の選定を終えた連邦政府側が次に心配したのは、呼吸気の問題と、防疫の問題であった。
ラフィーダ人は地球の大気を呼吸して問題無いのか。
ラフィーダ人が地球に未知の病原体のようなものを持ち込みはしないか。
或いはその逆で、地球上に無数に存在するそのような存在からダメージを受けることはないのか。
しかしその点については、地球人類側から質問が発せられる前にラフィーダ側から、地球の大気組成で問題なく呼吸可能であることと、ラフィーダ側は全くの無菌状態であり、地球人類にとって有害な病原体を持ち込む恐れは全く無いという通知を受け取った。
勿論、地球上に降り立つラフィーダ人にとって、地球上の病原体が問題無いことも言い添えられていた。
地球連邦政府とラフィーダ艦隊との間で様々な調整が行われ、地球上に異星の艦とその乗員を初めて友好的に迎えるための準備が整えられた。
かくして西暦2054年09月23日、地球人類は初めて異星からの友好的な訪問者を自分達の母星上に迎えることとなった。
ヒッカム基地のエプロン、宇宙軍基地となった現在では離着床という名に変わり以前よりも広く拡張されたスペースに、軍と政府の高官が集まる。
やがて沖に停泊する巨大戦艦に小さな開口部が出来、そこから小型機が飛び出してきた。
その小型艇は空中を滑るように加速し、滑らかに曲線を描いてヒッカム基地の離着床を目指して飛んでくる。
高度500mほどで海を渡り近付いてくるにつれ、小型機と思っていたその艦載機が実は全長80mにも達する大きさであることに、その場に居合わせた者達は驚きの声を上げる。
これまで人類が眼にしたことのない、全長5000mを越える巨大な艦体が感覚を狂わせていただけなのだと気付いた。
戦艦と同じく純白の船体を持った小型艇は、離着床上空に静止すると、急遽そこに白色の塗料で描かれた着陸位置を示す円に向かってゆっくりと降下し、そして中心にピタリと静止した。
着陸脚など出すこともなく、最も接近している部分でも地上1m弱ほどの間隔を空けて浮上したまま静止した小型艇の横部分が開いた。
そこに人影が姿を見せる。
白銀の髪に白磁の肌。真紅の眼と柔らかな桃色の唇が細い顎の線の中に収まった印象的な顔立ちをした、身長170cmほどの華奢な骨格の女だった。
その顔立ちは、地球人で云うならコーカソイドに近い目鼻立ちがくっきりとした造形を有しているが、鼻の大きさや頬骨の高さが比較的小ぶりであるので、東洋的な顔立ちの特徴も有していた。
有り体に言って美人に分類されるであろうその顔は、開口部の端まで進み出ると一度だけ軽く左右を見渡した。
現れた人影が、腕や足が何本も余分に生えていたりせず、身長が1m程度であったり、白目の無い巨大なな吊り目だったりするような異形ではなく、各部の色合いはともかく、地球人とほぼ同じ外見であったことに皆安堵する溜息と、地球人の感覚でかなりの美貌を有しているその姿に半ば感嘆する溜息とが混ざり合ったような低い声が上がった。
小型艇の船体と同様にほぼ真っ白な身体の線に沿ったスーツの様なものを着用した細い脚が、空中に一歩を踏み出す。
地上数mのハッチから飛び降りるのかと、出迎えた誰もが意外に思った次の瞬間、踏み出した右足は何も無い空間をしっかりと踏みしめ、次に送り出された左足がその僅かに下の空間にあるやはり目に見えないステップを踏む。
よく見れば彼女が着用している真っ白なスーツは、肩や肘、外股や向こう脛などに継ぎ目なく僅かに盛り上がったプロテクタの様なものが設けられており、そのままある程度過酷な環境下で生存し、且つ作業が可能な機能を有しているのであろう事が想像できる。
透明な階段を落ち着いた歩調で下ってきたラフィーダ人の女は、彼女にとっても初めて足を踏み入れるであろう異星の地上に降り立つと、その様な事は取り立てて珍しいものでも無く何の感動も生まないとばかりに、肩の下まである透き通るような銀色の髪を南国の海風になびかせながら歩みを止めずにそのまま真っ直ぐ歩き続け、ちょうど正面に居並んでいた政府高官の集団まであと数歩の距離で立ち止まった。
「ようこそ、地球へ。歓迎致します。私が地球連邦大統領のアリステア・イーガンです。」
彼女が立ち止まったちょうど向かい側の男が、笑顔を浮かべて口を開いた。
初めて姿を見て、そして初めて面と向かって話しをする異星人のマナーがどの様なものであるか全くの不明であったので、右手を差し出したりなどはしなかったが。
「初めまして。私はラフィーダ第四百八十四主力艦隊所属第百二十七戦闘単位艦隊第八分遣隊指令艦生義体。地球原生種族(Terra primeval species)とのインターフェースです。」
その鈴の鳴るような良く通る声は、正に彼女の容姿から想像するとおりの美しい声だった。
そしてその美しい女はまるで英会話の教材のような、完璧で明瞭かつ流暢な、北部東海岸あたりの発音で米語を話した。
ただ、彼女が口にした言葉の後半は、その場に居合わせる多くの者にとって意味不明であったが。
「そこに見える建造物の中に、会談のための場所を用意してあります。ここは少々暑い。立ち話もなんですから、そちらに向かいましょう。」
そう言ってアリステアはにこやかに離着床脇の管制塔に続く基地司令部の建物を手で示した。
「同意します。」
全身真っ白な異星の美しい女はアリステア後ろについて、エアコンの効いた基地司令部の建物の中へと進んでいった。
「まずはお礼を申し上げます。あなた方は我々の仇敵を殲滅してくれた。ファラゾアは約二十年ほど前にこのソル太陽系にやって来て、それ以来ずっとこの太陽系に居座っていた。我々地球人は、彼等によって絶滅させられる瀬戸際にあったのですよ。大変感謝しております。」
この様な会談によく使われる、大型のテーブルの向かいの席を示してラフィーダ人の女に着席を促し、正面向かい側の席に自分も着席した後、開口一番アリステアは彼女に向かって礼を述べた。
強気に出る、相手のアドバンテージを敢えて無視する、不利になることには敢えて触れないなど、政治家として当然ながら様々な会談のテクニックを持つアリステアであったが、強大な軍事力を持つラフィーダがどの様なメンタリティを持つ者達かまるで予測がつかないので、その様なテクニックは敢えて全て封印し、会談の冒頭に素直に謝辞を述べることにしたのだった。
「結果的にあなた方を救うことになったかも知れませんが、我々は自分達の敵を討ち滅ぼしただけのことです。礼には及びませんよ、ミスタ・イーガン。」
彼女はその美しい声で、アリステアを真っ直ぐに見つめながら言った。
やりにくい、とアリステアは思った。
それが彼女に対する第一印象だった。
表情が動かず、視線も動かない。
話し方もまるでAIが喋っているような、起伏の無い声だった。
感情が一切読み取れない。
異星人の感情を読み取ろうとすることが、どだい無理な話なのかもしれないが。
「ふむ。そう仰るなら、それでも結構。いずれにしても我々があなた方に助けられたことに変わりは無い。
「ところで貴女は完璧な英語を操っておられる。我々としてはありがたい事ですが、どこで習得されたのですかな。」
「この太陽系を調査した偵察隊の報告により、この太陽系に未知の知性体が居住している事を知りました。その知性体がファラゾアと交戦状態にあることも分かりました。その未知の知性体、即ちあなた方テランと接触するために、言語の習得を目的としてこの太陽系から約90光年、50光年ほどの所に情報収集艦を配置し、あなた方が過去に発信した電波を約二ヶ月ほど受信して言語ライブラリに格納しました。受信した通信波の中で最も多用されていた言語が英語であり、この惑星上で最も大きな勢力を持つアメリカ合衆国の首都がある北部東岸地域の方言が標準形であるものと理解しました。正しいでしょうか?」
途方も無い話に、アリステアは半ば呆れつつも舌を巻いた。
確かにそのやり方なら、過去に地球人が発した電波を受信することも可能だろう。
実際にそれが出来てしまうところが、超光速恒星間航行を実現している者のすさまじさと云ったところか。
「ええ。その認識で合っています。北米北部東岸地方の米語を中心として、我々地球連邦の第一公用語が設定されております。しかし理屈では分かっているものの、実際に聞かされると途方もないお話ですな。我々にはまだ、90光年先に艦を送り込む技術は無い。
「ところで貴女のことをどうお呼びすれば良いのでしょうかな。先ほど仰ったのは貴女の役職名であると思われます。遅ればせながら、お名前を伺っても?」
「私は生義体ユニットであるため、名前はありません。艦の識別番号は4593043975号艦ですが、あなた方には呼びにくいでしょうね。では、イルテル・バリュイーサ(Irterr Barlujsza)とお呼び下さい。我が種族の古い言語で、『特務大使』という意味です。呼びにくければ、イルト、と。」
彼女はかなり発音し難い言葉を口にした。
地球人類が初めて耳にする異星の言葉だった。
「お気遣い戴きありがとうございます。では、イルト殿とお呼びしましょう。私の事はアリステアとお呼び下さい。こちらに控えて居るのがアカンクシュ・ラクシュマナリヤン、地球連邦政府首相、こちらがガンツァ・ドヴァシヴィリ、地球連邦最高会議議長、そしてこちらが・・・」
居並ぶ政府要人を、アリステアが一人ずつ紹介していくのを、イルトは軽く頷きながら聞いていた。
一通り全員の紹介が終わったところでアリステアが切り出す。
「さて、イルト殿。貴艦隊がわざわざ我々の言語を習得してまで我々地球人との対話をお望みになったのには、理由があるものと理解しております。まずはそれを伺っても?」
笑みを絶やさずアリステアが訊いた。
このような席での微笑が持つ意味が異星でも同じであれば良いのだが、と思いながら。
「あなた方の技術レベルを確認することが目的です。これまでの観察で、熱核融合によるパワーユニットと、重力を利用した推進器を持ち、星系内限定であっても宇宙空間の航行技術を有しているものと見ています。正しいですか?」
全く表情を変えずにイルトが尋ねる。
視線はアリステアの眼を真っ直ぐに見たまま、全く動かない。
「ええ、正しいですな。もっともそれらの技術はごく最近、ファラゾアとの戦いの中で彼等の技術を吸収して手に入れたものですけれどね。」
「彼等があなた方にそれらの技術を教えたのですか?」
「まさか。我々がどれだけコンタクトを取ろうとしても、彼等からはただの一度も何の応答もありませんでしたよ。
「戦いの中で、宇宙船を含めた彼等の戦闘機械を撃墜し、残骸を回収し、使われている技術を解析して手に入れたものです。余り褒められたことではないのかも知れませんがね。我々自身で開発したものではない。敵から奪ったものです。」
90光年彼方で過去の電波を拾い集めて情報収集するような連中なのだ。
隠そうとしたところでどうせすぐに曝かれるだろうと、アリステアは包み隠さず正直に話した。
するとイルトは一瞬の間をおいて、アリステアに尋ねた。
「先に確認したいことがあります。あなた方は、彼等の種族名が『ファラゾア』であると、どうやって知ったのですか?」
「どういう意味ですかな?」
と聞き返してから、アリステアはイルトの問いの意味に気付いた。
「『ファラゾア』とは、彼等の種族を指す一般的かつ公式な名称です。あなた方テランは、一度も彼等と言葉を交わすことなく、どうやって彼等の正しい種族名を知ったのでしょうか?」
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
生義体ユニットです。
もちろん、AIは入っていません。
肌が白いと、ワイハーの強い日差しが気になりますね。
大丈夫です。
レーザー反射塗装を持ってるような奴等です。太陽の紫外線なんて全反射です。