41. 火星大気圏内戦闘機戦(Battle on Mars)
■ 12.41.1
時は少しだけ遡る。
輸送機ヴィルゾーヴニル二機がカンドル谷底部に手荒い強行着陸を決めた頃、上空で制空権を確保し続けるべく戦っている戦闘機隊は、遠距離射撃の応酬から徐々に近距離格闘戦へと移行しつつあった。
軌道降下から最初に接触した約五千機を瞬く間に蹴散らした戦闘機隊であったが、それに続く三方向からの計三万五千機はすでに100km以内にまで接近していた。
地球大気圏内よりも遙かに機動性の上がる薄い火星大気の中で、100kmある互いの距離を僅か十秒そこそこの短時間でゼロに出来る互いの機動力から、その距離はもうすでに格闘戦距離であり、突っ込んでくる敵機を避けながら周囲の敵に手当たり次第に狙いを付けては撃ち墜とすという、これまでに経験したことの無い熾烈な格闘戦の幕開けであった。
さらに増援として別の三方向から迎撃のため接近してきた約九万機が1000km以内にまで接近してきて遠距離射撃を行い、その熾烈さにさらに拍車をかける。
そしてまだなお敵の増援は続く。
カンドル谷から方位055(東北東)、約2500kmの距離にあるシムド谷近傍平原、方位227(南西)、約3500kmの距離にあるタルタルクレータ近傍平原、方位097(東)、距離約5300kmにあるアマゾニス平原、方位233(南西)、距離約6800kmにあるハラス平原、それぞれの位置に建造されているファラゾアの小型戦闘機械生産施設を中心に、ごく短時間でいずれも十万を超える機数の戦闘機群が形成され、次から次へと達也達が戦うカンドル谷に向けて送り出される。
そして戦闘機隊が近接格闘戦に突入してから僅か10分も経たない内に、距離100km以内で格闘戦真っ最中の敵機群を含め、カンドル谷を目指して殺到する敵機の総数はついに百万機を突破した。
しかし地上ではいまだ要救難兵の回収作業の真っ最中であり、これまで経験したことの無い圧倒的多数の敵戦闘機に囲まれてなお、達也達戦闘機隊に与えられた使命は、カンドル谷上空に留まり制空権を維持すること、或いは最低限地上で要救難兵回収作業を続ける輸送機と歩兵部隊が敵から攻撃されないように護り続けることであった。
闇の中にどこか朧気な白いレーザーの光路が走る。
カンドル谷上空で激しい格闘戦を行い始めるとすぐに、敵味方入り交じり発射された無数のレーザーが地表を灼き、その爆発によって飛び散り吹き上げられた大量の砂塵が大気中を漂い始めた。
砂塵の雲をレーザーが横切れば、その光路にある粒子がレーザーの圧倒的熱量によって瞬時に数万度を超えて加熱され、一瞬の煌めきを残して粒子は蒸発する。
砂塵の雲の中を貫通し急速に減衰していくレーザー光の光路に沿って無数の砂塵の煌めきが連なり、明かりの無い火星の夜の闇の中で一条の光の線となる。
宇宙空間であれば当然のこと、大気中であってもレーザー砲の光路を視認することは出来ない。
しかし他に明かりの無い火星の夜というこの戦場で、絶えること無く舞い上がる赤茶けた火星の砂塵がレーザーの光路に沿って光を発し、暗闇の中に無数の白い光路を浮かび上がらせる。
無数の敵機に囲まれて、あらん限りの技術をもって敵の攻撃を躱し、同時に敵を攻撃し、すでに数えることも出来ないほどの敵を撃ち落としてなお辺りの敵の数は一向に減りはしないこの絶体絶命の状況で無ければ、夜の闇を無数に切り裂き地上に当たって弾けるように爆発を起こすこのレーザー光が織りなす光景は、幻想的に美しく目も心も奪われるほどのものであったかも知れなかった。
しかしいま彼等にその様な時間は無かった。
いま彼等に許された唯一の行動は、幻想的光景に見蕩れる事では無く、一瞬たりとて気を抜く暇さえなくあらん限りの技術を用い死力を尽くして己に降り掛かる死から逃れるために藻掻き続け、そして同時に死を産み出す必殺のレーザー光を敵に向かって叩き付け続ける事のみであった。
「クソッ! クソ、クソ、クソッタレがあ! 何でこんな! 畜生、半分以上ダークレイスじゃねえか!」
9103TFS編隊長のテオフィル・ドパルドン少佐の罵り声が聞こえる。
それに応える声は無い。
誰もその様な余裕など無いのだ。
そのテオフィルの機体も、あちこちに破壊跡が目立ち、ささくれ立ったように外装板がめくれ上がり、融けて固まっている。
今のところ飛行に支障は無いが、それもいつまで維持できるか分からない。
とうの昔にこちらの存在は敵に知られているので、すでに電波もレーザー通信も使い放題になっている。
そしてエクサン・プロヴァンス宇宙軍基地からこの突撃救出作戦に参加している9102TFSも、9103TFSも、すでに半数以上の機体が墜とされていた。
いずれの飛行隊も、かろうじて飛行隊長は生き残っているが。
飛行隊長を任されるだけあって、他のパイロットよりは戦闘技術が頭一つ抜け出ていると云うべきか。
当然のことながら、地球で収集した地球人生体脳を使用して戦闘機を生産していると考えられている戦闘機生産拠点がある火星では、迎撃に上がってくる敵機がかなり高い比率でいわゆるダークレイス、即ち地球人生体脳を使用した機体であることは予想されていた。
達也達ST部隊の格闘戦能力の優位性が宇宙空間での戦闘では余り意味を成さなかったのと同様に、ファラゾア側においても戦闘機部隊の中にダークレイスが高い割合で混ざっていようと、それによって地球人類側の被害が大きく変化することは無かった。
地球上で行われた連続した大規模作戦の終盤で、敵戦闘機群の中に僅か10%ほど混ざり込んでいただけのダークレイスに散々な目に遭わされた地球連邦軍であったが、喉元過ぎて熱さを忘れたわけでは無かったものの、宇宙空間の戦闘ではダークレイスの脅威を低く見積もっていたのは確かだった。
火星大気圏内、少なくとも高度100km以下で今現在行われているカンドル谷上空の制空権を奪い合う戦闘の中で、ダークレイスの脅威が再び息を吹き返し、以前よりも遙かに大きく危険なものとなって、突撃救難隊の戦闘機部隊に襲いかかっていた。
1000kmもの遠距離でレーザー砲の応酬を行っている間はさほどでも無かった。
しかし、敵味方入り交じり、敵の裏をかき、敵よりも一瞬でも早くレーザーを叩き付け、敵が撃つよりも先に身を捩るようにして危機を切り抜け、撃ちまくるレーザーでどうにかして自分が生存する空間をこじ開けるような乱戦の中において、通常のファラゾア機よりも反応速度の速いダークレイスが存在すること、そしてその恐怖の対象の割合がそもそも圧倒的多数である敵機の半数以上を占めることは、彼等突撃救難隊の戦闘機部隊にとって致命的な問題であった。
達也は操縦桿を横に押すように圧力を加え、機体を横にスライドさせてほぼ正面から突っ込んできた二十機ほどの敵の集団を交わす。
さらに操縦桿を手前に強く引き、機体を縦に180度回転させて、いますれ違ったばかりの敵に機首を向けた。
達也の戦い方を学習しているAIが即座にその動きに反応し、後ろを見せている敵に照準を合わせて立て続けにレーザーを浴びせ掛けて次々と撃破する。
四門の回転砲座を操るAIは、達也一人で操縦と攻撃を行っていたときとは比べものにならない早さで敵を墜とし、僅かな間に八機の敵を血祭りに上げた。
一瞬だけその場に留まっていた達也は、上下逆さまになった上空に向かって一気に加速する。
一瞬前まで達也の機体が存在していた空間を数十条ものレーザー光線が薙ぎ払うが、そんなものには眼もくれずすでに次の敵の群れに向かって機体を回り込ませる。
まるでその動きが分かっていたかのように、AIはレーザー砲を次の敵に向け、達也が操縦する機体機動に合わせて砲座の角度を調整し、急激な機動の間も次から次へと敵機を撃ち落とし続ける。
すでに達也達666th TFWは完全に編隊を解き、ともすると激突しそうになるほどの密度で敵が存在する戦闘空間の中、全員が単機で縦横無尽に飛び回って信じられない効率で敵を墜とし続けている。
ただ、地球上では対峙したことの無い大量の敵機の数と、トップエース集団であるSTとは言えども手こずるダークレイスが多数存在することで、その戦いは消して余裕のあるものではなかった。
事実、9102TFS、9103TFSは次々と墜とされていっており、このまま戦い続ければ間違いなく全滅するであろう事が明らかなほどであった。
目の前ほんの数kmの所に、五機の密集した敵編隊が突然現れた。
空中衝突を回避するため達也が思わず身構えたその一瞬で機体AIはそれに対応し、瞬く間に三機を撃墜する。
次の瞬間には残った二機の姿も消えており、前方に針路が開けたように思えた次の瞬間、後方1kmにも満たない空間に数十機の敵機からなる密集集団が降下してきた。
普通のパイロットであれば、前方に切り開いた空間に飛び込み生き延びるために一瞬注意をそちらに持って行かれただろう。
その隙を狙って後ろから集中砲火を浴びせるつもりであったことは明らかだった。
しかし達也が取った行動は、前方に空いた空間に機体を滑り込ませつつ、同時に機体を急速に左回転させ、まるでそこに敵が現れることを知っていたかの様に機首を後ろに向ける行動だった。
新たに現れた敵集団に対してすでに「注意を向けていた」機体AIは、達也の手による機体回転に呼応してレーザー砲座を回転させて、フェイントで出来た隙を狙おうとした敵機を次々と切り刻んだ。
達也はそのまま機首を振って360度回転させたが、レーザー砲座はそれさえも見切っていたかのように四門の砲身全てを後方に向くように調整し、更に敵機を墜とす。
僅か数秒の間に、激しい戦闘機動を行いながらも二十機近い敵を墜とした達也の機体は、次の瞬間大加速でその空間から消える。
とは言え達也の機体も無事ではない。
すでに外装はあちこちが融けてめくれ上がり、大きく破断して機体内部が覗いているところもある。
主兵装であるレーザー砲も、右舷上部のB砲は外装が吹き飛ばされて動きも渋くなっており、もう一発もらえば確実に使用不能になるであろう。
それでも飛行性能にまだ殆ど影響が出ていないのは達也の戦闘技術だけによるものではなく、大型の機体であることでの機体設計の余裕と、対レーザー性を重視した複合層状構造を持つ機体外装のお陰でもあった。
ちらりと眼を走らせた戦術マップで、さらにまた大量の敵機群がこちらに向かって接近中である事を確認すると、格闘戦の合間に一瞬だけ機首をその方向に向ける。
同時に残り少なくなった蘭花Ⅱミサイルを二発、迫り来る敵機群の方向に向かって発射する。
極めて高い密度で敵機が存在するため、増援の敵機群に到達するまでの間にも、ミサイルは多数の敵機を巻き込んで行動不能にすることが期待できる。
機体を離れた二発のミサイルは加速を始め、母機から距離をとる僅かな間100Gほどの低加速で進んだ後、1200Gの最大加速に入り敵機を追い回し始める。
その瞬間の敵機の推進器の出力状態にも依るが、蘭花Ⅱミサイルは最短でも半径1km、最大で5km近い周囲のファラゾア機の重力推進器に深刻なダメージを与え、行動不能にして撃墜する、或いはまともな戦闘機動が行えない状態にして、いずれにしても敵機を戦闘から脱落させる。
その余りの加速度と高速度で、濃密な地球大気の中では短時間のうちに熱で崩壊してしまう蘭花であったが、大気が薄いこの火星で、かつ惑星表面近傍での密集した格闘戦が行われているこの状況は、まさに蘭花が最も効果的に暴れ回ることが出来る戦場であると言えた。
桜花やグングニルといった華々しい戦果を叩き出す対艦ミサイルとは異なり、使用される状況がかなり限定的であるため余り用いられることが無く、従って改良も殆ど行われなかった蘭花ミサイルであったが、大量且つ高密度の敵と乱戦状態にあるこの状況下ではかなりの戦果が見込める。
それを見越して突撃救出隊の各戦闘機は相当量の蘭花ミサイルを搭載していたのだが、しかしそれも殆ど撃ち尽くしてしまいもう残りは少ない。
「ねえ、まだなの!? もう無理! 画面が警告だらけ!」
9102TFSリーダのジョランダが、殆ど悲鳴のような声で叫ぶのが聞こえた。
声が聞こえるという事は、まだ生きているようだった。
「まだだ。耐えろ。」
自らも忙しなく操縦桿を動かし、壊れるのではないかと思われるくらいに頻繁にスロットルを動かしてラダーを蹴り飛ばしながら、達也がそれだけを答える。
他に言えることも無い。
地上で作業している兵士達が一秒でも早く撤収を完了してくれることを祈りながら、彼等の作業に障害が発生しないように、上空で最大限敵の注意を引きつけて派手に暴れ回るしかないのだ。
自分の部隊はどれだけ生きているのか。
旋回し、加速し、ロールする機動の僅かな合間に、右コンソールに表示されている通信リストを確認する。
本来は通信可能である有効なチャンネルと対象を表示する為のリストであるが、個別通信の待機モードにしておけば、簡易的に生存確認ができる。
つまり、通信可能である機体は確実にまだ生きていて、通信不能となっている機体はすでに墜とされている可能性がある、ということだ。
勿論、通信機が破壊されているだけ、或いは敵の妨害や敵機が邪魔になって、一時的に通信不能になっているだけ、という可能性もあるが。
B小隊のジョージの8番機と、L小隊のヴィルジニーの4番機の表示がグレイになっていた。
流石と言うべきか、経験豊富なA小隊はまだ全機生存しているようだった。
右コンソールから視線を戻す際、中央の大きなHUDに表示されている戦術マップに動きがあることに気付いた。
ファラゾアの火星艦隊が居る方向を示すマーカが動いている。
地球側の第一機動艦隊と戦い、火星の昼間側に陣取っていたはずのファラゾア火星艦隊が、第一機動艦隊の動きに合わせて東側、即ちこちらに近寄る様に移動していた。
前回の火星進行時の艦隊の動きから、地球側の艦隊と一度交戦した後も、5000m級戦艦を中心とした敵艦隊本隊は動かないものと推定されていた。
しかし、それが動いた。
かなりまずい。
火星を離れてすぐ、ファラゾア艦隊からの距離数万km以内の所謂必中距離とされる部分を火星の陰に隠れて上手くかわし、その後は敵艦隊の砲撃から逃げ回りながら脱出する作戦であったが、それが根底から崩れかねない。
その時、視野の右側が白く眩い光に包まれ、同時に激しい衝撃を受けて機体が振り回された。
回る世界に機位を失いかけたが、すぐに機体姿勢を回復し、大加速でその場を離れると同時に機体の操作性を確認する。
操縦桿やスロットルからの入力に対して、機体の反応は悪くない。
まだ飛べる。
しかしあれほどの衝撃は、どこかが大きく破壊されたはずだ。
「シヴァンシカ、どこをやられた?」
コンソール左側のHUDにて、リアクタとAGG/GPUコンディションの下に小さく表示されている機体損傷状況は、とうの昔に赤と黄色で埋め尽くされていてどこがどれほどやられているのかもう判別がつかない。
とは言え、メンテナンスモードを表示させて確認する暇など無い。
こんな時は、AIが搭載されていて本当に助かる、と思った。
「B砲破損。使用不能。R2燃料タンク破損。R2タンク燃料喪失。右舷高精度光学センサ使用不能。」
レシーバから聞こえるAIの感情のこもらない声が報告した内容に、達也は思わず舌打ちする。
思いの外被害が大きい。
多分、本体右舷上面に直撃を食らったのだろう。
B砲破損の影響は大きい。
ただ単に攻撃力が25%低下してしまっただけではない。
周囲の敵を排除するための攻撃力の低下は、生存率に直結する。
先ほどのジョランダの悲鳴ではないが、まだなのか、と思った。
機体の運動性はまだ失われていない。
が、攻撃力を削がれてしまった。
敵を排除できない分、被弾し破壊する速度が上がる。
いずれ運動性を削られていき、そして脚が止まるときが、命の尽きるときだ。
汗が眼に入り、霞む視野で敵マーカを追いかけ、手汗でぬるりと滑るパイロットスーツのグローブの中で、操縦桿を掴み動かす。
再び激しい衝撃が走る。
とっさにスロットルと操縦桿を動かし、その場から離れる。
今度はどこだ?
目の前に飛び込んできて激突しそうになったクイッカーを避けながら操縦性を確認する。
ちゃんと動く。
まだいける、が。
つまり、帰りの事を考えると、もうヤバイ。
ダメか。
歯を食いしばる。
AIに損害状況を確認する為に声を出そうとしたその時、レシーバから聞こえてきたヴィルゾーヴニルのパイロットの声は、酷い音質の男の声であったが、達也には天使の歌声にさえ聞こえた。
しかしその内容を聞いて浮き立つ心は再び焦燥に塗りつぶされる。
「フェニックス01、こちらパーティハット01。目標の収容を開始した。あと少しだ。保たせてくれ。」
今すぐにでも最大加速でこの場を離れ、火星から離脱したい気分だった。
達也はHUDに表示されている戦術マップに眼を走らせながら答えた。
「諒解。パーティハット、引き続き急いでくれ。状況は最悪だ。敵機の数は百万を超えている。ついでに、ファラゾアの艦隊がこっちに向かっている。」
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
良く考えたら、初めてのまともな夜間戦闘ですね。
ここに来て。w