34. 幸運の言葉
■ 12.34.1
その日、666th TFW戦闘機隊の九名は、日が昇るよりも何時間も前から、一人また一人と地下六階にある戦闘機格納庫へと姿を見せた。
広大なエプロンの様な空間の広がる戦闘機格納階であるが、地下空間である為地上の様な格納庫は設置されておらず、唯一白線が引かれ駐機スポットが明示されているのみで、エプロンの駐機スポットでそのまま整備を行う。
最も今行われているのは機体整備では無く、大規模作戦に向けて発進する直前の最終確認であるのだが。
「シヴァンシカ、チェックリストを確認しろ。」
「諒解。最終チェックリスト確認を開始します。」
感情のこもらない機械の声が達也の指示に返答すると、チェックリストの確認が始まったことを示すログがコンソールに流れる。
達也自身が行うよりも遙かに素早く、百以上もある確認項目にOKのマークが付けられ、画面上方に流れ去っていく。
「ホント便利だな、AIってのは。俺達の商売あがったりだぜ。」
コクピットの縁に腰掛けるようにして達也の搭乗と最終チェックを手伝うスライマーンがぼやく。
この男との付き合いも長い。
これまでも配属された先々で顔を合わせると、なぜか優先的に達也を担当してくれていた。
戦場が宇宙空間へと移り、攻略目標が火星に定められると、もう地球上のどこから出撃してもほとんど違いなど存在しない。
達也達666th TFW戦闘機部隊もST部隊の本拠地へと呼び寄せられ、同時にスライマーン達技術畑の兵士達もここに集められた。
そしてまた、特に頼んだわけでも無く、当然のようにしてスライマーンは達也の機体を専属のように担当してくれている。
その様な相手なので、達也の方も安心して整備を任せることが出来る。
「心配するな。AIはシステムのチェックは出来てもハードウェアの交換は出来ない。この先も頼りにしている。」
異常があればAIが音声で報告するのでそんな事をする必要など無いのだが、達也は次々と処理されていくチェック項目がコンソールウィンドウの中を流れていくのを目で追いながら、スライマーンのぼやきに答えた。
「そういえば。俺はプログラムとかソフトウェアにはそれほど詳しくないんだが、AIってのはこんな凄い勢いで学習していくもんなのかね。」
「何か不審な点でもあったか?」
初歩的なAIはファラゾア来襲前の第六世代ジェット戦闘機にも搭載されていた。
しかしこれほどまでの大がかりで緻密なAIを戦闘機に搭載するのは今回が初めてであるので、技術者たちだけでなく、パイロットである達也達もその挙動には充分に注意を払っていた。
当然だった。
AIがおかしな挙動をした場合、危険にさらされるのは自分の命なのだ。
「不審じゃ無いんだがね。システムのサイズが結構凄い勢いで大きくなっていってる。まあ、タカシマのエンジニアも、AIが学習すれば当然その分サイズはどんどんでかくなるつってたしな。お前の機体だけじゃなく、他の機体も似た様な勢いでシステムサイズがでかくなってるから、多分、これが正常なんだろうさ。問題は、成長著し過ぎてそう遠くないうちに格納してるハードウェアをアップグレードしなきゃならん事くらいか。実際、妙な動きは無いんだろう?」
達也もコンピュータやネットワークに弱い方では無かったが、しかしその方面の技術者では無かった。
スライマーンが、タカシマの技術者がそう言った、と言うなら、そんなものかと納得する他は無かった。
「無いな。少々融通が効かん所はあるが、今のところは良いことずくめだ。シーケンス化したステーションへのドッキングや発進など、今じゃあ殆ど口答の指示だけで自動でやってくれる。この基地への離発着もそうだ。攻撃の時の目標の選択の優先順位も、だんだんツボを押さえて良い感じになってきてる。便利すぎる。逆に、そのうちAI無しじゃ何も出来なくなるだろう。」
「ふん。そのうちAIだけで戦闘機が飛ばせるようになるな。そうなりゃ、誰も死なずに済む。AIがパイロットなら、コピーを乗せりゃ良いだけだ。
「ま、ハッキングされる恐れがあるから、絶対にそうはならないだろうが、な。」
スライマーンの言葉に、もしそうなったならば、その時自分はどうするだろうと、達也は思った。
ファラゾアを墜とすことを生きがいにして、まるで全てのアイデンティティの拠り所のようにして生きてきた。
だがもしAIだけで戦闘機が飛ばせるとなれば、そもそも地球上の人口が激減しており、さらに消耗品のようにパイロットを投入し磨り潰していくしかないこの戦いに辟易している軍は、喜んでそれを受け入れるだろう。
そして、それ以上の人口の減少を抑えるために。人間のパイロットを搭乗禁止にするだろうか。
その時自分は、生きる目的を奪われまるで屍のようになって、退役して消えていくしか無いのだろうか。
馬鹿馬鹿しい、と思った。
例え遠い将来そうなろうとも、今そうなっているわけでは無い。
そうなっていない事を恐れても意味は無い。
そんな事を考える意味さえ無い。
少なくとも今、考えるべき事では無い。
今から始まる戦いを、生き延びてこそ未来がある。
「ああそれから、レーザー通信機の修理しといたぞ。イマイチ渋いとか言ってただろう。」
物思いにふけるように黙り込んだ達也に、まるで強引に話題を変えて呼び戻そうとするかのようにスライマーンが言った。
「ああ、そうか。済まない。」
「不審っちゃあ、こっちのが不審だな。耐用時間が実使用時間で千五百時間もある筈のレーザー発振器がもうボロボロになってやがった。ここに居るシエン九機全部が同じ症状だった。新しい発振器に交換しておいたよ。多分、設計の問題だろう。何かの拍子に想定より高い電圧が掛かってるとか、そんな理由だと思う。フィードバックシートでタカシマに言っておく。」
「ああ、頼む。SPACSからのデータが来なくなるのは死活問題だ。」
「まさかとは思うがお前ら、宇宙に上がってずっと雑談して喋りまくってんじゃねえだろうな。それで部品消耗が激しいとか。そんなヘタレ具合だったぞ。お前らならやりかねん。」
「するかそんな事。」
「分かってる。通信ログはまともだった。耐用時間とのギャップを見るために、実際の通信時間を集計したんだ。おかしな通信は全く無かった。たまにお前らが下らんじゃれ合いをしてる以外は。いずれにしても、タカシマには言っておく。どのみちシステムのハードウエアアップグレードの話をせにゃならんのだ。」
あらぬ疑いを掛けられ、眉を顰めてスライマーンを睨んだ達也に、スライマーンは笑いながら発言を訂正した。
もとより本気で言っていたわけでは無かったのだろうが。
「出撃まであと五分。各機整備員は機体チェック結果を報告せよ。各機パイロットは機上で待機。」
その時、地下格納庫空間内にアナウンスが流れた。
広いとは言え閉ざされた空間の中では、音が反響して良く響く。
すでにシートに身体を沈めた達也と、コクピットの縁に腰掛けたスライマーンとが雑談とも整備情報確認ともつかない会話をしている間に、パイロット側のチェックは終わり、達也の目の前のコンソールにはチェック完了のサインがゆっくりと明滅していた。
スライマーンは身体を捻ってちらりとその表示に視線を走らせると、レシーバから延びるマイクに向かって話しかけ、機体の周囲でチェックを行っていた他の整備兵達に状況を確認した。
「こちらフェニックス01メンテナンス。オールグリーン。出撃可能。」
整備兵達から問題なしとの答えが返ってきて、スライマーンは基地管制に達也機が問題無く出撃可能であることを告げる。
他の機体からの報告を聞いているのだろう、スライマーンはレシーバのヘッドセットに軽く手を当てて耳に押しつけ、視線を斜め下に落として耳を澄ます様な仕草をした。
「オーケイ。タツヤ、他の機体も全て出撃可能だ。オールグリーン。こんなに数が減っちまったんだ。一機でも欠ける訳にはいかんからな。」
そう言ってスライマーンは地下空間に並んで駐機する紫焔に目をやった。
ヘルメットを被った達也の耳に、スライマーンの声はレシーバを通じて届いた。
機体は巨大化し、武装も機能も向上した。
今や地球の戦闘機一機当たりの戦闘力は、ファラゾアの戦闘機であるクイッカーのそれを完全に凌駕している。
もっとも、数では今でもファラゾアの圧倒的物量に軍配が上がり、群体として戦うクイッカーの物量は今でも十分すぎるほどに脅威である。
いまだ数千という数の戦闘機しか揃えることの出来ない地球人類に対して、ファラゾアの戦闘機群は数十万、ことによると数百万機という数の力で攻めてくる。
戦技レベルでいくら優勢に立とうとも、戦術、戦略レベルでは今も完全に劣勢であるのだ。
そして一時期は二十一機を数えた666th TFW戦闘機隊は、今や九機にまで減っている。
達也もスライマーンの視線に釣られて視線を横にやると、隣の駐機スポットの紫焔のコクピットで、ヴィルジニーが整備兵とやりとりをしているのが見える。
「いつも感謝してる。」
「よせやい。ガラにもねえ。あんまり妙なことするとフラグが立つぞ。」
「大丈夫だ。この戦いが終わっても結婚する予定は今のところ無い。相手もいない。」
「それはそれで問題だと思うがね。お前もいつまでも戦える訳じゃ無い。そろそろ引退した後のことを考えても良い頃だ。」
「この戦いが終わったら考えるさ。」
達也の台詞にスライマーンが呆れた苦笑いを浮かべる。
対する達也の表情は、天井のライトを反射するバイザーの向こうに覗うことは出来ない。
「出撃一分前。全整備員は機体を離れて安全地帯に退避せよ。パイロットはキャノピを閉じて、気密を確認せよ。」
再びアナウンスが反響する。
「いつもの奴だ。分の悪い戦いだが、必ず還って来いよ。」
そう言いながらスライマーンは、胸ポケットから取り出したステッカーをコンソールの脇に貼り付けた。
エメラルドグリーンの地に、達也には読めない金色のアラビア文字が飾り文字で並ぶ。
「今までも還ってきた。これからもそうだ。」
そういう達也に、スライマーンが右の拳を突き出す。
達也はスロットルの上に置いていた左手を握って伸ばし、拳を打ち付けた。
スライマーンが不敵な笑いを達也に向けて、素早く力強く敬礼する。
「グッドラック。」
そう言ってスライマーンが尻を置いていたコクピットの縁から立ち上がり、半ば飛び降りるようにしてラダーから地上に降りた。
同時に他の整備員が二人、足場の様に大きなラダーを担いでスライマーンの後を追う。
それを目で追いながら達也はキャノピ開閉ボタンを押す。
重い棺桶の蓋のようなキャノピが降りてきて、達也を外界から隔絶した。
同時にHMDに外部光学センサ映像が投映され、ヘルメットの動きに連動して違和感の無い周囲の映像を達也に届ける。
コンソールがある場所は、そこだけ外部映像がくり抜かれたように表示されず、HUDやその他の表示を邪魔しないように気が配られている。
「定刻だ。フェニックス、メインシャフトに向かってタキシング開始。」
「こちらフェニックスリーダ。諒解。タキシング開始。」
基地管制の声に応え、達也がスロットルをわずかに開けると機体がゆっくりと浮き上がる。
地上3mまで浮き上がったところで高度を一定にして、機体の向きを変えつつゆっくりと前進する。
HMDの外部映像が横に流れ、フライトパスマーカが地上に描かれた誘導線と一致したところでラダーを戻し旋回をやめて、そのままシャフト入り口に向けて前進する。
視野の左右の端に入るようにまるでサイドミラーがあるかの様にHMDに投映された後方映像で、ヴィルジニーとマリニーがすぐ後ろに付いてくるのを確認できる。
「シヴァンシカ、離陸シーケンス準備。パターンA、メインシャフトから離陸する。」
通信に乗らないようにマイク音声を切り替え、達也はAIを呼び出した。
「諒解。離陸シーケンス、パターンA。準備完了。いつでもどうぞ。」
「DTTコントロール、こちらフェニックス01。紫焔九機、シャフト利用許可、離陸許可を請う。」
「フェニックス、こちらDTTコントロール。シエン九機、離陸を許可する。シャフト利用を許可する。」
基地管制とのやりとりの間も機体は進み、両脇で緑色の明かりが点滅するメインシャフトの入り口が迫ってくる。
「シヴァンシカ、離陸シーケンス、パターンA、開始。」
「諒解。離陸シーケンス、パターンA、開始します。」
AIの声が自動操縦での離陸を宣言すると同時に、HMDに「AUTO PILOT」の文字が表示されて点滅をはじめ、フライトパスマーカが黄色い菱形へと変わった。
達也の機体がそのままゆっくりとメインシャフト入り口へと侵入すると、入り口脇のライトが赤に変わり、メインシャフト内部の明かりも緑から赤に変わってメインシャフト使用中の機体があることを表示する。
機体はシャフトの中で徐々に増速しながら地上に向かって上昇していく。
十秒程度で地上の開口部から吐き出されるように空中に躍り出た機体は、そのままの勢いで上昇し続ける。
「離陸シーケンス終了。手動操縦へと切り替えます。タツヤ、ユーハヴ。」
高度100mを越えたところで、AIの落ち着いた声が基地からの発進作業の終了を伝えてきた。
「アイハヴ。
「DTTコントロール、こちらフェニックス01。離陸完了。出撃する。」
「フェニックス01、離陸完了を確認。高度5000kmで待機、編隊を整えた後にL1ポイントへ向かえ。これより管制はユグドラシルへ引き継ぐ。
「フェニックス、貴隊の武勇を祈る。グッドラック。」
感情のこもらない落ち着いた声で幸運を祈る地上の基地管制の声に送られながら、達也は操縦桿を引いて機首を真上に向け、そしてスロットルを大きく開けた。
まるで天に向かって放たれた矢のように、達也の機体は急激に増速し、初秋の柔らかな水色の空の中へと吸い込まれていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
なんとか週二回の更新に戻そうと足掻いているのですが、そのたびに押し寄せる仕事の並に打ちのめされてます。
まあ、週一回でも更新できるだけまだマシなのですが。
ちなみに毎度の如くスライマーンが達也のコクピットに張り付けるアラビア語のステッカーですが、実際にイスラム寺院で売ってます。
イスラム教はアラビア語が標準語なので、日本のモスクでも売ってるかも知れません。
街中で時々鹿島神宮や成田山のお守りステッカーを貼った車を見かけますが、あんなノリだと思われます。
因みに私は旅行用スーツケースに貼ってます。無神論者ですが。
特に御利益は感じたことはないのですが・・・貼ってからこっちスーツケースの傷の増え方が少なくなったかも知れません。
物理攻撃防御力上昇の効果があるのかも?