32. 旧友
■ 12.32.1
「どうだ、新型機に乗った感想は?」
ロッカールームに装備品を置き、一日ぶっ続けで訓練飛行を繰り返させられた退屈さによる精神的疲労を感じながら引き上げてきた達也達を出迎えたのは、大下だった。
「あんたまた日本に戻ったのか?」
元々高島重工業の航空機設計技師であった大下は、高島重工で重力推進航空機を設計した後MONECへと出向していたはずだった。
出向が解けて高島に戻ったのか、或いはMONEC協賛企業でありMONECと技術提携している高島に出張してきただけなのかも知れなかった。
ファラゾアが地球上から一掃された今、昔のようにとまではいかずとも、ヨーロッパと東アジアの間の移動は可能となっていた。
達也達がドテルンハウゼンから邑楽試験飛行場へ移動して来た時の様に、大気圏外を飛ぶ軍用機を利用するならば、むしろ昔よりも気軽に出張が可能になったとさえ言えるかも知れなかった。
今やその気になれば、ヨーロッパと日本の間で日帰り出張も可能であるのだ。
日本で夕方まで働いた後にヨーロッパに移動し、まだ午前中のヨーロッパでもうひと働き、といった前代未聞の超ハードスケジュールで働くことも可能である。
やりたいと思う者は居ないであろうが。
「ああ。そろそろいい歳なのでね。ガリガリ開発をやっているのもしんどくなったのさ。」
達也の問いにそう言って笑う大下の顔は、年齢を感じさせないほどの活力を湛えており、今口にした言葉が本心ではないことを雄弁に物語っていた。
「で? 本当のところは?」
大下の言葉を全く信じていない表情で達也が訊いた。
「光速の数十%で飛び回って、敵艦を直接攻撃できる宇宙機の開発なんて、そんな心躍る話を逃す手はない。」
「だろうな。アンタはそういう奴だよ。」
ニヤリと笑って言い放った大下の言葉に達也は苦笑いを浮かべた。
「で、どうだった? 拙いところは無いか? AIとの連携は上手くいっているか?」
大下が再び冒頭の質問を繰り返す。
開発者としては、新たに搭載した機能が要求通りに動いているかどうか当然気になるところだろう。
「今のところ問題無いな。人間が対応できないところを上手く補佐してくれるだろう。先読みの機能はいつ付ける?」
実際に戦場に出るパイロットとしては、AIがやりたいことを確実に的確に実行してくれるのであれば、さらにもう一歩進んで自分の要求を先回りして実行してくれる機能が欲しくなるのは当然だった。
長く共に戦ってきたガンナーやコパイロットのように、何も言わずとも次にやるべき事を先回りしてくれるならば、それは本当にありがたい機能となる。
訓練に入る前に行われた新機体の説明で、今紫焔に搭載されているAIにはその様な学習をもとに先回りする機能は実装されていないと、高島の技術者から説明を受けていた。
「今のところその予定は無い。先読み機能を搭載すること自体は簡単だ。明日からでも搭載できる。だが、機長の許可無く行動する機能は危険すぎる。ファラゾアの電子戦機からハッキングを受けた時のことを考えると、とても搭載する気にはなれん。」
機体管制システムを乗っ取られ、戦闘中に機体が制御不能になるのも恐ろしい話だが、一見まともに動作している様に見える機体管制システムが実はとっくに敵の手に落ちており、味方と合流した後、或いは基地に戻ってきたときに突然周囲の味方に向かって牙を剥く様な事態に陥った時、どれほどの損害が発生するか考えたくも無い話だった。
その様な事態になればそもそも、どのシステムが味方でどのシステムが敵に変わってしまったのか、自分の乗る機体は本当に自分の味方なのか、横を飛ぶ僚機は信用して良いのか、さらに言うなら基地や母艦のシステムさえも信用して良いのかどうか分からない、全てを疑う無限の疑心暗鬼に陥ることとなる。
それは地球人類がずっと恐れてきた最悪の事態だった。
突破口が一箇所開かれれば、そこから侵入された後、論理的に接続されているあらゆるシステムの深部にまでワーム型のハッキングプログラムが潜り込む。
ファラゾア来襲初日に、アメリカ大陸を中心としてありとあらゆるシステムが攻撃され、地球全球に張り巡らされていたネットワークは一瞬の内に壊滅した。
地球上で真っ先に攻撃を受けた南北アメリカ大陸は、ファラゾアによるこの電子攻撃で文字通りありとあらゆるシステムが無差別かつ徹底的に破壊され、世界最強だったはずの米軍はあらゆる情報を遮断されて盲目状態となり、右往左往しているところを次々と殲滅されるだけの七面鳥以下の存在へと成り果て、通信連絡手段を失った政府はやたらと口が回る五月蠅い人間が集まっただけの、何も出来ない烏合の衆が囀る集団へと変わり果てた。
オフィスビルのエアコンを制御するプログラムから航空機の運行を管理するシステムまで、ネットワークに接続されていた膨大な数のシステムが全て瞬く間に破壊され尽くし、システムダウンにより電気も水も全てのライフラインが止まった上に、その電気を作っていた原子力発電所が次から次へとシステムダウンで暴走し、状況を確認するための、或いは助けを呼ぶための通信手段を失った原子力発電所はとことんまで暴走しきってメルトダウンを発生した後に爆発し、広大だった北アメリカ大陸の半分を大量の放射性物質で汚染された、人の住めない食用作物を育てられない不毛の大地へと塗り替えた。
人類は未だあの悪夢の様な一日を忘れてはいなかった。
敵を討つ戦闘機に搭載された管制システムだけでは無く、今や基地で購入する一般資材の購買管理や在庫管理、或いは索敵システムからランドリーサービスの納品記録まで、あらゆるものがネットワーク上のシステムで管理されるところまで電子化は復活している。
ネットワークやシステムは、ファラゾアに付け入る隙を与えない様以前に比べて遙かに厳重にシールドされ防御されているが、汚染された端末、即ち戦闘機械が多数帰還してきてネットワークに直接物理的に接続するのは脅威度が雲泥の差であった。
勿論その様な事態を想定して、帰還した戦闘機械が電子的に汚染されているか否かを診断する機能や、万が一汚染された端末が接続した場合には、想定される攻撃に対抗する手段や場合によってはネットワークを物理的に切断する機構なども備えている。
しかし似た様なセキュリティを持っていてさえ、それらを易々と突破し一瞬でネットワークを崩壊させたのがファラゾアの電子攻撃だったのだ。
敵の電子的攻撃に汚染された僚機に後ろから撃たれる脅威だけで無く、機体が基地に戻ってからもその危機は継続する。
自分の機体が汚染されてしまった場合、パイロットさえ居れば、絶対的上位に設定された人間の判断と命令によって、自機が味方に損害を与える前に機体を放棄する、或いは破壊する事が出来る。
全自動のAI制御無人機では、AIそのものが既に汚染され正常な判断を下せなくなっているので、それは難しい。
大下に言わせれば、パイロットは戦闘機の機動能力を低下させる脆弱な部品、であるのだが、その強度的に問題のある部品が最後の判断を握っているので、ファラゾアの電子的侵攻とその二次的被害を未然に抑えているのは間違いの無い事実であった。
達也もその辺りは肌で理解しているので、それ以上は追求しない。
「加速力はもっと上げられるのか? 推進器を付ければ付けるだけ加速力は上がるのだろう?」
戦闘機の機動力はより大柄の船体を持ち、より多くの推進器を搭載した駆逐艦に劣る。
その駆逐艦の機動力も、さらに大きな艦体を持つ戦艦のものには劣る。
この度その序列を覆し、ファラゾアの駆逐艦よりも高い加速力を手に入れたのが、今目の前にある紫焔だった。
その理屈でいけば、推進器をさらに増設すれば、この全長100mにも満たない戦闘機は、戦艦並の加速力を得ることさえ可能なはずだった。
「そう簡単な話じゃ無い。この小さな機体にAIやそれを支える管制システムを走らせるMPUや、大口径砲やらリアクタやら推進器やら、詰め込めるだけ詰め込んでいるんだ。居住性や航続距離などの色々なものを犠牲にして。これ以上の加速力を求めるなら、それを支えるリアクタや燃料タンク、制御するシステムと、様々なものを追加で搭載しなければならん。結局機体がどんどん大型化する。お前達パイロットや機体を一瞬で押し潰してしまわないように、複数ある重力推進器の同期制御は凄まじいシステムリソースを喰う。リアクタや推進器から発生する熱を、空気の無い宇宙空間でどうやって逃がすかという問題もある。この大きさにこれだけのものをまとめているのは、結構奇跡に近いバランスの上で成り立っているんだ。」
「じゃあ、全長が100mもあれば詰め込めるのか?」
「ああ、可能だ。だが、全長100mの機体にそれだけのものを盛り込んで、駆逐艦並にコストが跳ね上がって、その割には搭載する武装は貧弱で、長期間の作戦実行能力も無く、機能も制限されたものになる。それならばいっそ全長を300mにして、十分な機能と武装を持たせた駆逐艦にした方が良い。この紫焔は、半ば実験機的な意味合いの強い、色々無理矢理詰め込んだ特殊仕様の機体だ。
「地球上とは違って、宇宙空間では戦闘機と船の境界が曖昧になる。どんな形のものが効率が良いのか、性能からコストまで様々なもののバランスを見ながら色々と試行錯誤している状態だ。」
「成る程ね。」
とにかく性能が高い機体があればそれで良い自分達パイロットとは違って、戦闘機を設計するには色々複雑な事情が絡むのだろうと云うのは理解できた。
単純に性能を追求し、これもまた単純に死ぬか生きるかの戦いをするのとは違い、命のやりとりをしなくて良い代わりに、その分色々とややこしい事を考えねばならない、という訳だ。
達也はそこに妙なバランスを感じて納得した。
「AIとのインターフェイスなんだが、音声じゃなくて思考入力にならないのか? 考えるだけで伝わる方が、喋るよりも遙かに速い。宇宙じゃその僅かな差が命取りになりかねない。」
まるでSF映画のような話だが、実際達也はAIに指示する時にいちいち口頭で説明せねばならない事にもどかしさを感じていた。
考えるだけで伝わるなら、その方が速いし便利だった。
「可能だ。その研究も進んでいる。しかし敵にブレインブレーカーという機体があるのを忘れるな。飛行中前後不覚に陥ってAIに指示が出せなくなる、という意味だけじゃ無い。地球人の脳波に外部から干渉する機能を持つなら、思考制御のシステムに干渉する事も出来るはずだ。危険すぎる。逆に、ファラゾアがどんなに頑張ろうともパイロットのヘルメットの中に直接音声を投射することは出来ない。システムセキュリティ的にも、今は音声入力の方が有利だ。」
「諒解。ああそうだ。ガンレティクルの表示はもう少し分かりやすくならないか? 複数の砲で同一の目標を狙う場合、何番と何番が同じ目標に照準しているのか、イマイチ分かりづらい。折角駆逐艦と殴り合いが出来るレーザー砲を持ってるんだ。火力の集中と分散が感覚的に瞬時に出来る方がありがたい。」
「ふむ。言いたい事は分からんでも無い。検討してみよう。直感的に分かるように、だな。」
なおも達也と大下が新鋭機について色々と情報交換していると、青い高島の作業着に身を包んだ社員が一人近付いてきて大下に話しかけた。
「社長。山野さんから連絡ありました。軍令部との会食会忘れるな、と。車を回すそうです。十五分位でこっちに着くそうです。」
「ん、ああ、もうそんな時間か。時間が経つのが早いな。分かった。すぐ行く。」
「社長? アンタが?」
近付いてきた社員の台詞から大下の現在の役職を知った達也が、驚いたような顔をして大下を見た。
「ふん。カフェテリアの皿洗いをやっていたクソガキが少佐サマになって編隊長やってるんだ。俺も社長なんて面倒なものになっちまう訳だよ。」
「社長が何を格納庫までやって来て兵士にインタヴューしてるんだ。社長は社長らしくオフィスに座っとけよ。」
「高島航空宇宙開発って会社はな、宇宙機の設計開発をする会社なんだよ。実際の製造は高島重工で行う。技術者だらけの会社だ。社長就任の条件として、俺が直接開発チームを担当する事を認めさせた。まあ、そうでもしないと人手が足りんのだがね。」
そう言って大下は達也との会話の中で得られた情報を書き留めていた手帳を閉じ、ペンホルダにボールペンを刺した。
「つまり、アンタにとってはやりたい放題の楽園みたいな所、って訳か。成る程。秘書から小言が入るわけだな。」
「彼女には世話になりっ放しだよ。社会生活不適格な飛行機バカと、毎日小言を言われてる。」
珍しくおどけたような態度の大下の台詞に、こちらも珍しく達也が笑い声を漏らす。
「お互い円くなったもんだ・・・いや、お前の場合は鋭さが増しているのか。」
そこまで言って不意に大下が言葉を切り、真剣な表情になって達也を見る。
「知っているだろうが、数ヶ月の内にもう一度火星攻略戦が実施される筈だ。これだけの機体を与えられた意味を考えろ。間違いなく、一番面倒な仕事を押しつけられるぞ、お前ら。ST部隊も随分数が減った。死ぬなよ、達也。」
「死ぬつもりで飛んだことは一度も無いさ。」
手を伸ばし、そう答える達也の右肩を叩きながら大下は立ち上がった。
一番面倒な仕事を押しつけられるのは、今に始まったことでは無かった。
「では、『社長らしい仕事』とやらをやって来る。軍の高官を接待だ。おっと、『接待』と言っちゃ駄目なんだったか。夕食を共にしながらの研究会だ。」
そう言って大下は皮肉そうな笑顔を見せると、軽く右手を挙げて別れの挨拶とすると踵を返して詰め所を出て行った。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
作中で無人機の被害ばかりを強調して書きましたが、有人機であろうとシステムが汚染されて、気付かず基地に戻ってしまい、基地のシステムが汚染されるなんてことはザラにあったはずです。(書きませんでしたが)
ゴーストやヒュドラと云ったファラゾア電子戦機が実際に作中に出てきたのは数えるほどで、戦闘に加わったのはさらに少ないと思います。
特にまだ4.5世代ジェット機で飛んでいる頃、もう少し電子戦機との厳しい戦いの話を書けば良かったかなと今になって思ったり。
(外伝、という荒技もアリ。w)