28. 第666戦術戦闘航空団空挺航空機隊 (666th TFW-AAC)
■ 12.28.1
シャワーと着替えを済ませた四人を連れて、達也はST司令部ビルの四階にあるキャンティーン(食堂)でかなり遅めの昼食を摂っていた。
既に時刻は午後と云うよりも夕方と言っても良いほどであったが、緯度の高いヨーロッパでは太陽の位置は未だ高く、日差しの色もまだ黄色みを帯びるほどでは無かった。
「随分良いところねえ。戦争してるっての、忘れるんじゃ無いの?」
六つ切りの大きなマルゲリータを半分に折って右手で持ち、次々と腹の中に収めながらジェインが言った。
事実、明るい五月の午後の日差しが降り注ぐ、南ドイツ特有のなだらかな起伏の続く丘陵地帯に、森と畑と、所々に点在する小さな街を眺めることが出来る様に、窓を大きく取った地上四階のこのキャンティーンは、明るく落ち着いた雰囲気が漂っており、とてもここが地球連邦軍きっての突撃部隊の本拠地であるとは思えない佇まいであった。
「いいじゃないの。私達も使えるんだから。」
と、こちらはドイツ名物カリーブルストをナイフで切りながら沙美。
「料理も最近まともに戻って来たわよね。毎日毎日煮込み過ぎのポロンカリストゥス(Poronkaristys:トナカイ肉のシチュー)と山盛りマッシュポテトだけとか、もう沢山。」
と文句を言っているナーシャは、フィッシュ&チップスというトナカイ肉のシチューと較べてどっちがどうなのか疑問に思う様なものに、大量のケチャップを掛けてかぶりついている。
達也の記憶にその様な食事を連日出す基地は存在しなかった。
多分彼女は、まだ自分と会う前のことを言っているのだろうと達也は彼女の話を聞きながら想像した。
初めて彼女達に会ったとき、それまでナリヤンマル降下点周辺の戦線で長く戦っていたと言っていたと記憶している。
「実は南アジアの方は、ファラゾア来襲後も余り食生活変わらなかったのよ。元々家の周りに生えてるもの食べてたから。」
マリニーは鶏肉のゲーン・マッサマンをライスに掛けて掻き混ぜている。
そう言えば、と、戦いが最も過酷で混乱していた時期であったにもかかわらず、バクリウ基地では食い物に不自由したという経験は無かった事を思い出す。
勿論東南アジア独特のやたらと香辛料の効いた料理が口に合えば、という話だが。
そもそも基地の周りは見渡す限りの稲田で、基地周辺の住人は敵襲に怯えつつも田植えに稲刈りにと、従来と余り変わらない生活を送っていた様だった。
それは危機感が足りないのではなく、命を脅かす危険を認識しつつもどの様な状況でも生き延びようとする彼等の強かさであったという印象の方が強い。
「羨ましいわね。NYCとかもう最悪。食べ物が欲しけりゃ、以前の50倍の値段を払うか、誰かから奪うか、或いは放射能汚染覚悟でハドソン川で釣りをするかしか無かったからね。まあ、だいたい主に奪うんだけど。」
NYC生まれのジェインが、ディストピア化したNYCでたくましく生き延びていた話は、部隊内では誰もが知っている。
いつも三名で行動している沙美、ジェイン、ナーシャのうち、一番最初に手が出るのはナーシャだが、キレたらジェインの方が恐ろしいのでは、というのが隊内でのもっぱらの噂だった。
その場合沙美の立ち位置がよく分からないことになるのだが、実はキレたときに一番恐ろしいのは沙美、という話もあるにはある。
勿論その噂の真偽を確かめた勇者はいない。
そういう意味では、今回の攻撃機隊乗っ取り騒ぎの首謀者は沙美なのではないかと疑っている達也だったが、自分も生還し、彼女達の刑罰も驚くほど軽いもので終わり、色々と収まるところに収まった話をわざわざ蒸し返してまで真相を追究しようとするほど達也も真面目な軍人ではなかった。
詰まるところST部隊とは―――少なくとも、戦闘機隊は―――達也を筆頭にそういう連中の集まった集団だった。
「タツヤじゃない。火星攻撃作戦で死にかけた、って聞いたけど、元気そうね。アンタもこっち来たの?」
ラムチョップを切り分けていた達也の後ろから、不意に声がかかる。
聞き覚えのある声に振り向くと、黒い航空機用のフライトスーツに身を包み、ミラーのサングラスを掛けた女が軽く手を振りながら近付いてくるのが視野に入った。
久しぶりに会うジャッキーは髪を伸ばし、以前よりも落ち着いた雰囲気を纏って見えた。
落ち着いた、というよりもヴェテランパイロットの醸し出す風格と表現する方が正しいかも知れない。
「久しぶりだな。生きていたか。」
「ご挨拶ね。まあ、こっちはアンタ達ほど命の危険が無い、ヌルい仕事なのは確かなんだけど。」
「まだ空挺団の運転手をやってるのか。」
「そうよ。今日も今からA中隊抱えて黒海まで行ってくるわ。」
「黒海?」
そんなところにST陸戦隊が出動する何かがあっただろうかと、達也は眼を少し眇めた。
「潰しちゃ居るんだけどね。まだまだ元気なチャーリーが住んでる所が残っててね。ラペリング強襲突入と上空支援。」
音を立てずに空中で静止できる重力推進式の輸送機は、ラペリング降下による急襲作戦にこの上なく適している。
「なるほどな。」
ファラゾアが地球上からほぼ一掃されたことで、指示系統を失ったチャーリー達は活動不能に陥るものと考えられていたのだが、予想に反して彼等は破壊活動を継続していた。
ただ指示系統が無い分、その活動は散発的であり、連携も取れておらず小規模なものばかりであったが。
そもそももうチャーリー達を供給するファラゾア降下点地上施設はこの地球上で稼働していない。
地道にチャーリー狩りを続けていれば、そのうちには根絶できるはずだった。
「なあ、ジャッキー。」
ふと思い出したように達也はナイフを置き、ジャッキーに向き直った。
「ん? 何? 昼はもう食べたわよ。」
「お前、戦闘機隊に来ないか?」
ジャッキーはサングラスで表情がわかりにくい顔に一瞬意表を突かれたような表情を浮かべると、少し皮肉な、しかし明るい笑みを浮かべながらゆっくりと首を横に振った。
「遠慮しておくわ。宇宙での戦闘がアタシの手に負えるとは思えない。ウデも相当鈍ってるだろうしね。アタシには輸送機で空挺団を運んでる運び屋の方が性に合ってる。」
「そうか。」
それもまた生き延びるためのひとつの選択だろうと達也は思い、特に残念そうな表情を浮かべるでも無く頷いた。
ちょうどその時キャンティーンの入り口から、黒一色の陸戦隊戦闘服に身を包んだフル装備の男が大声でジャッキーを呼ぶのが聞こえた。
「アタシの乗客が呼んでるわ。行くわね。一緒に上がることは出来ないけど、いつもアンタ達の武運と生存を祈ってるのよ。本当よ。死なないでね。」
「ああ。」
ジャッキーは達也達を思い遣る言葉を口にしながら達也の脇を通り過ぎる際、叩くでも無く撫でるでも無い強さで達也の肩に軽く触れると、振り返ること無く歩き去って、陸戦隊の男達と合流してキャンティーンを出て行った。
「振られちゃった。」
ジェインがにんまりと笑いながら達也をからかう。
「その様だな。もともとモテる方じゃ無い。」
「その性格でモテたらおかしい。」
と、ナーシャが追い打ちを掛ける。
「それにしても人が居ないのは問題よねえ。どこかに良いパイロット飛んでないかしらねえ。」
「誰でも良いならいくらでもその辺飛んでるんだがな。その辺飛んでる適当な奴じゃ、入れてもすぐに死んでしまう。時間の無駄だ。」
「そうよねえ。」
と、問題と言いつつ全く問題に思って居なさそうな口調の沙美に、一般のパイロットを時間の無駄とにべも無く切り捨てる達也。
時間の無駄で済むならまだマシな方で、ついでに巻き添えを食って元からのメンバーまでさらに減るようでは全くの本末転倒だと達也は思っていた。
いずれにしても補充兵を送り込まないのが上の方針であるならば、人を増やすのは簡単にできそうな事では無かった。
そのうち全員が食事を終え、達也達五人はキャンティーンを後にしてエレベータで地下六階へと向かった。
優に二十人は乗ることが出来そうな大型のエレベータの扉が開いた先には、30m近い高さの天井を備えた地下空間が広々と広がっており、その巨大な空間に中型の輸送機が二機駐機していた。
天井に多数取り付けられたLEDライトが寒々とした白い光でその空間を満たしており、少し暗めではあるが十分な明るさのあるその空間で視野の確保に困ることは無い。
普通であれば度肝を抜かれるようなその空間に達也は一瞥を投げた後、エレベータ脇に設置されたまるでプレハブ小屋のような簡便な作りの建物に入る。
昼夜も無く天候の変化も無いこの地下空間では、建物にはただの間仕切り以上の機能は必要とされていないのだ。
小屋、即ちこのフロアを利用している輸送隊のブリーフィングルームには、輸送機のクルー二名の他、四名の男女が達也を待っていた。
L小隊二番機のヴィルジニー・カリエール少尉は、レイラが編隊長であった頃からのL小隊員。
B小隊長であるウォルター・バーニッシュ中尉は、先日までB中隊長であったレイモンドと長く共に戦ってきた男だ。
B小隊二番機のジョージ・オウミ少尉はビラヴァハウス攻略の後にST部隊に加わった比較的新しいメンバー。
B小隊三番機のファルナーズ・ソレイマーニ少尉は、達也が西アジア方面で戦っていた頃の部下であり、ST部隊がまだ水中機動艦隊の艦載機部隊として戦っていた頃に合流した。
この四人に、今このフロアに降りてきた達也を含め五人を足した計九人が、現在の666th TFW戦闘機隊のメンバー全てであった。
達也達が合流すると、挨拶もそこそこに全員が再び小屋を出て、地下空間に駐機している輸送機に向かって移動を開始した。
輸送機に乗り込むと、当然のことながらクルー二名はコクピットに着席して発進準備に入る。
達也達九名は、カーゴルームに設置された簡易シートに座り、ガチャガチャと音を立てながらシートベルトで身体を固定した。
二十人以上の乗客を乗せた上でさらに物資を積み込むことが出来る構造となっている広いカーゴルームを僅か九名で占領するのは、輸送機の能力を無駄遣いしているようで、微妙な居心地の悪さを感じる。
「こちら機長のクルトシュ・レニヤナン中尉だ。離陸許可が下りた。出発する。離陸後すぐに高度1000kmまで上昇して大気圏外を東に向かう。日本まで約10000km、40分ほどの短い旅だが、その間寛いでいてくれ。以上。」
輸送機に乗っての移動でこのようなアナウンスが入ることは珍しいが、どうやら機長は達也達に気を遣ってくれている様だった。
同じ飛行機乗りとしてか、或いは飛行隊長である達也の階級に配慮してかまでは分からなかったが、いずれにしてもそんな気の回る男が機長であるなら全て任せてしまえば良いと、達也は腕を組んでアルミパイプに布を張っただけの粗末な背もたれに深く背中を預けて目を瞑った。
周りでは女達が中心となって色々な話題が飛び交い会話が弾んでいるようだったが、その様な騒がしさなどどこ吹く風といった風に、いつしか達也は眠りに落ちていた。
熱核融合炉の出力を上げ、重力推進の出力を絞るように少しずつ上げていった輸送機は、やがてその大きな機体をゆっくりと地面から浮かび上がらせた。
着陸脚が地面から数m浮いたところで輸送機は機体をゆっくりと回し、機首をブリーフィングルームとほぼ反対の方向へと向けた。
ゆっくりと前に進み始めた輸送機は、格納庫内に張り巡らされた誘導用レーザーを捕まえ、自動タキシングシーケンスに沿ってゆっくりと移動する。
移動する機体の前方に、通称「メインシャフト(出入用縦坑)」と呼ばれる一辺100m弱のほぼ正方形の断面を持った巨大な縦坑が見える。
このメインシャフトはその名の通り、地下格納庫に格納されたあらゆる全ての航空機、或いは宇宙機がこの縦坑を通って地上へと出て行く為の主通路である。
輸送機が縦坑の入口へと近付いていくと、縦坑内部に上下に向かって帯状の緑色の明かりが灯っているのが外から見ることが出来る。
また縦坑に進入する入口の両脇にも、先ほどから緑色の回転灯が灯り眩しげな光を発している。
輸送機は回転灯の緑色の明かりを受けながらそのまま躊躇いも無く縦坑内部に進入していく。
輸送機の機体が縦坑入口に差し掛かったところで縦坑内部の明かりが緑から赤へと変わる。
やがて輸送機の機体はすっぽりと縦坑の中に入り込み、何も支えるものが無い空間に浮かんでいた機体が徐々に上に、即ち地上に向かって上昇し始めた。
輸送機の機体がメインシャフトの中で上昇に転じた頃、地上では建物にほど近い高さ5mほどのコンクリート壁に囲まれた100m四方のシャフト開口部を覆っていたカバーが、一辺50mの四つの正方形に分割され、地中に引き込まれるようにして横にスライドして開口部を露わにしていく。
地中を100m近くせり上がってきた輸送機の機体が地上に姿を現し、そのまま空に向かってゆっくりと浮き上がり続け、地上50mほどの位置で静止した。
しばらくその姿勢で静止していた輸送機の機体は、一瞬ふわりと揺れると、今度は明らかに増速しながら、そろそろ太陽も西に傾き始めた春のドイツの空に向けて巨体に似合わない速度で上昇を始め、淡いブルー一面の中の小さな黒い点となって消えていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
何処かに連れ去られてそのまま消えていくかと思われていたジャッキーですが、案外とチョコチョコ顔を出す息の長いキャラになってしまいました。