27. 朱に交われば赤くなる
■ 12.27.1
エレベータに乗った達也は言われたとおりに地下二階のボタンを押した。
内部の人間が利用することしか想定していないエレベータの行き先ボタンに、その階に何があるかなどの案内表示がある筈も無い。
ボタンは地上が四階までであるのに対して、地下は十階までが存在した。
地下一階は職員の駐車場で、地下三階より下は全て格納庫であると教わっていた。
達也も一応は内部の人間であるので、基地の構造は特に包み隠すこともなく訊けば教えてもらえたのだ。
音も無く静かに動くエレベータの操作パネルの上に表示されている数字がB2を表示して、扉が滑るようになめらかに開いた。
ファラゾア来襲の後約十年ほど、世界中のどこでも電気が足りず、建物の中を移動したければ階段を利用するしかなかった頃を思うと隔世の感がある。
エレベータの前は小さなホールになっており、左右に通路が続いている。
これもまた教わったとおりに右の通路に足を向けた達也は、ドアのひとつも設けられていない長い通路を突き当たりまで歩いた。
突き当たりには小部屋が設けられており、その前に濃い緑の陸軍の戦闘服を着てSMGを胸ホルスタに装着した兵士が二名立って近付いてくる達也を真っ直ぐに見ている。
「TFS(戦闘機隊)長のミズサワ少佐だ。ウチのじゃじゃ馬どもを四人、受け取りに来た。」
軽く敬礼しながら用件を述べた達也に対して、一人の兵士は直立不動で答礼を行い、もう一人は軽く敬礼してすぐに小部屋に駆け込んだ。
「承っております、少佐殿。こちらへどうぞ。」
ブーツの音を響かせてすぐに小部屋から飛び出してきた兵士が再び敬礼し、左方向に直角に曲がって続く通路を指し示して自分も歩き始めた。
自分よりも遙か上の階級の佐官に対する二人の兵士の緊張感漲る敬礼を思い出し、いつの間にか俺も随分無駄に偉そうになってしまったものだと、前を行く兵士の背中で軽く苦笑いを漏らした。
左に曲がった通路の先、僅か10mほどのところに、頑丈そうな黒い鉄格子が通路一面を塞いでいた。
前を行く兵士が鉄格子の前に立つと、先ほどのもう一人の兵士が操作しているのか、或いはどこか別のところでモニタしているのか、ロックが外れる硬く重い金属音が通路に響き渡った後、鉄格子の一部がゆっくりと横にスライドして開いた。
「中へどうぞ。」
兵士はキビキビとした動きで開口部の脇に寄って、身体をこちらに向けて敬礼したまま中空を見つめている。
達也はその前を通って、鉄格子の開口部をくぐった。
そのすぐ先に、同じ恰好をした兵士がもう一人立って、同じように直立不動で中空を睨んで敬礼をしていた。
「ご案内いたします、少佐殿。」
鮮やかな回れ右を決めた兵士が歩いて行く後ろを達也は歩きながら、兵士に気付かれない程度に溜息を吐いた。
無駄に偉くなってしまった。
周りの兵士達の慇懃な反応がいちいち鬱陶しかった。
生粋の職業軍人の将官どもはこれを見て満足そうに頷きでもするところなのだろうが、あいにくとこちらは生き延びて敵を墜とすことが何よりも最優先され、礼儀や儀礼は二の次である最前線を渡り歩いてきた身だ。
そんな慇懃な反応など、見せられているこっちの肩が凝ってくる。
「なあ、ウチのバカ共は大人しくしていたか? メシが不味いだ、煙草を吸わせろだのと我が侭を言って迷惑掛けてなかったか、割と本気で心配して来たんだが。」
達也がわざと砕けた口調で斜め前を行く兵士に声を掛けると、その身に纏う雰囲気から明らかに緊張感が抜けていくのが分かった。
「いえ、特にそういう我が侭はなかったのですが・・・」
先ほどとは違い、かなり砕けた口調で兵士が答える。
相対する上官が砕けた対応を求めているのか、それを許す上官なのかそうでないのかを一瞬で見抜き適切に対応するのも、ある意味兵士に求められる重要な能力のひとつだと言える。
前を行く兵士はその能力を見事に発揮して見せた。
「『が』?」
言い淀んだ兵士の語尾を繰り返し、先を促す。
「四人とも密室独房が全然堪えていないらしくて、暗い独房の中でまるでホテル住まいのように寛いでいました。四日間も。」
兵士が苦笑いを交えながら顔を僅かに振り向かせて答えた。
密室独房とは多くの場合、窓も何もない床も壁も天井も全て同色のダークグレイで一面のっぺりと塗られた大体数m四方くらいの明かりさえ無い部屋で、部屋の隅に便器だけが設えてある。
暗闇に近い部屋の中、ろくに何も見えず何も聞こえない状態で強い精神的な圧迫を与える事が目的の独房営倉だった。
実は人の心を壊すことが目的なのではないかとさえ思われるこの部屋は、通常の兵士でも二十四時間以内、精神的に不安定な者であれば数時間でパニック状態となり、大概の場合は助けを求めて喚き散らし暴れ始めるか、或いは逆に丸まって動かなくなり自分の心の殻の中に閉じ籠もる。
勿論その兆候が見え始めたところで独房懲罰は充分とみなされて、通常の営倉に移されるのだが。
さもありなん、と達也は思った。
ろくに身動きも取れないまるで棺桶のようなコクピットの中で何時間も、ことによると何十時間もの間、待機と戦闘の繰り返しに耐えられるのがパイロットという生き物だ。
とりわけ宇宙戦闘機は、全く外の見えない鉄の蓋の様なキャノピに塞がれた棺桶のように狭い空間の中で、密閉されたパイロットスーツのヘルメットを取る事も出来ず、何か不測の事態が発生すればすぐに死に直結し、助けも来ないか、来たとしても間に合わないという死の恐怖に怯えつつ、目視できる数百kmの空間内には友軍機はおろかどの様な物質も存在しない孤独な状況で、さらに孤独感を精神的外傷レベルにまで強める惑星間空間に飛び出していき、何も見えない心細い闇の中システム表示のみを頼りに何億kmという距離を踏破した後に、生還率が50%を割る過酷な戦いの中に飛び込んでいかねばならないのだ。
その様な絶望的な作戦行動など、並の神経では一発で擦り切れてしまい気が狂う。
事実、主戦場が宇宙空間に移ってからその様にして心を徹底的に破壊されて使い物にならなくなった兵士が大量生産されている。
そんな発狂レベルの出撃を朝飯前のようにこなして生き残り、平気な顔をして帰還してくるようなタフな奴等だ。
真っ暗とは言え何の危険も無い密室独房に閉じ込められるなど、居心地の良い高級ホテルの客室で休暇を過ごしている程度にしか感じないだろう。
宇宙軍のパイロットに懲罰を与えるなら、その様な伝統的なやり方はとっとと止めて何か別の有効な方法を考えなければならないだろうな、と達也は思った。
幾分緊張が取れた様子で右斜め前を歩いていた兵士が、幾つも並ぶドアの内、覗き窓さえ無い黒いドアの前で立ち止まった。
「少佐殿。こちらになります。ここから連続して四部屋で、この部屋はイリオ中尉殿です。」
「ああ。開けてくれ。」
諒解しましたと言いながら兵士は振り返り、黒いドアの脇の壁に設置してあるカードリーダに手に持っていたカードをスライドさせる。
ドアノブの脇に灯っていた小さな緑色のLEDランプが赤に変わると同時に、カチリと小さなロック解除音が聞こえた。
兵士はドアノブを捻りドアを開けると、真っ暗で何も見えない部屋の中に向けて、部屋から出てくるようにと声を掛けた。
部屋の中でゴソゴソと動く音がした後、暗闇の中から沙美が姿を現した。
「案外早かったわね。達也、お帰りなさい。無事なようで安心したわ。」
「お疲れさん。お陰様でな。」
眩しそうに目を眇めながら部屋から出てきた沙美は、達也の姿を認めると大きく笑みを浮かべた。
彼女達は先の火星侵攻作戦「RED STORM」にて、被弾しあわやMIAになりかけた達也が地球に帰還する際、火星軌道から外れて達也機を追跡したファラゾア駆逐艦を迎撃して殲滅し、達也の帰還を助けたのだ。
問題は、このファラゾア駆逐艦を迎撃するために使用した攻撃機「炎龍」四部隊十二機が、正規の手続きを経て出撃したものでは無く、彼女達四名によって乗っ取られる形で、且つ地上管制からのあらゆる指示を無視して出撃したことにあった。
達也を追跡する三隻の敵駆逐艦を、地球周辺宙域に設置された移動砲台と設置型ミサイルによって自動迎撃する計画が上手く行かなかった場合の予備選力として、エクサン・プロヴァンス宇宙基地にフル装備で待機状態にあった攻撃機炎龍を彼女達は乗っ取った。
乗っ取り方もマズかった。
ST部隊司令部から特命を受けていると虚偽の連絡で強引に各部隊長機に乗り込んだ彼女達は、各機長、即ち各部隊長にSMGを突き付け、外部からの指示と、離陸の際に守らねばならないありとあらゆる安全上、管理上の規定を全て無視させて、最短時間、最大加速で攻撃機十二機を離陸させた。
例え、事情を知った各攻撃機隊長達が皆、実は途中からノリノリで、彼女達に乗っ取られたことを口実にして殆ど自らの意志でファラゾア駆逐艦隊迎撃に向かったという知られざる事実があろうとも、公式には「命令無視で飛び立った、見つけ次第即時帰還を命じなければならない」筈の攻撃機隊に、地上、衛星軌道上、月軌道上の各管制が緩く帰還指示を出しつつも敵艦隊の位置情報を延々と流し続けたという事実があろうとも、命令無視で勝手に飛び立った攻撃機隊が敵艦隊を殲滅した瞬間、連邦軍参謀本部地下の司令室が拍手と喝采で湧いたという事実があろうとも、彼女達が味方兵士に小銃を突き付け、十二機もの攻撃機を乗っ取って個人的要求で動かした、という事実が消え去ることは無い。
幸いにも、結果的に敵駆逐艦三隻撃破という大戦果を残したこと、個人的要求とは言え、あくまで友軍兵士を救援しようという意志にて行動したこと、利敵行為が一切無かったことから彼女達の処分は大きく軽減されて飛行団長扱いとなり、そしてその飛行団長は彼女達にとって殆ど無意味だという事を知りつつも、対外的な体面を整えるためだけに四人に密室独房入りの懲罰を言い渡したのだった。
「案外早かったわね。何日経ったの?」
「四日と七時間です。」
沙美の質問に対して達也が目線で問うと、入り口の脇に立ったままの兵士が、彼女が独房に入れられていた時間を告げた。
「あらら。もうそんなに経っちゃったのね。もっとのんびりしてられると思ったのだけれど。」
その台詞に、沙美の向こう側の兵士の顔が苦笑いへと変わる。
「いつまでも寝かせているわけにもいかん。休暇は終わりだ。仕事の時間だ。」
「そうねえ。そろそろ働かないと、身体が鈍っちゃうかもねえ。」
「隣を開けてくれ。その向こうも、全部だ。」
達也の台詞に敬礼を返した兵士は足早に隣のドアに近付くと、同じようにしてロックを解除し、ドアを開け放った。
「何? 何か用なの? ああ、タツヤ。戻ってきたのね。じゃあ安心して寝られる。」
廊下の明るさに眼をしばたかせながら部屋を出てきたナーシャは、達也の顔を見ると軽く頷き、回れ右をして再び独房の中に戻ろうとした。
達也が手を伸ばし、ナーシャのフライトスーツの後ろ襟を掴んで引き戻す。
「何? あたしまだ寝足りないんだけど?」
「仕事だ。」
「なによ。気に入らなければ独房に押し込んでおいて、都合の良いときは引きずり出しに来るとか。身勝手過ぎない?」
「諦めろ。軍隊とはそういうところだ。」
なおもぶつくさ言っているナーシャを沙美に押しつけ、達也は隣のドアに近付く。
ドアの前に立つやいなや、部屋の暗闇の中から飛び出してきた何かに強烈なタックルを受ける。
「タツヤー! 良かったあ。レイラもユカリもレイもみんな死んじゃって、どうしようかと思った。生きてたよお。」
達也の首に腕を回し、真正面から抱き付いたジェインが喜色満面で耳元で騒ぐ。
放っておけばそのまま抱き付きっ放しになりそうだったジェインを引き剥がして、これもまた沙美に押しつける。
「タツヤ。良かった。戻ってきた。無茶をして助けに行った甲斐があったわ。」
そう言って笑みを浮かべ、慇懃にならない程度で指先まで伸びた綺麗な敬礼をしたのはマリニーだった。
この場で唯一軍人らしいまともな対応をしたのはコイツだけか、と達也は思ったが、よく考えれば一般の兵士なら発狂しかねない密室独房に四日も入れられ、出てきた途端に笑みを浮かべながら美しい敬礼が出来るマリニーも、大概と言えば大概だった。
そもそもマリニーも、沙美達と共謀してハイジャックをしたからここに入れられていたのだ。
四人を先導して達也はもと来た方向に向かって戻り始める。
後ろで四人が、この四日間どうやって過ごしていたかを互いに笑い合っている。
「飛行隊のブリーフィングルームに行くぞ。着替えを受け取って、シャワーを浴びてこい。お前ら、かなり臭うぞ。」
パイロットスーツの四人とも、戦闘を終えて地上に戻ってすぐに憲兵隊に拉致されたのだろう。
着替える暇もなければ、汗だくになる戦闘の後シャワーを浴びることも出来なかったはずだった。
犯罪者を連行する憲兵隊がその様な事を許すはずはなかった。
次の瞬間、後ろから衝撃を受けて前方に吹っ飛ばされた。
「最っ低ー。女に『臭い』とか言う? ふつー。」
跳び蹴りを食らわして両足で着地したジェインが、ゴミを見るような眼で達也を見下ろす。
「誰のためにそんな事になってると思ってんの? バカじゃないの、アンタ。」
「デリカシーの無い男は嫌われるわよ?」
「この人にデリカシーとか、そんな芸当無理よ。」
蹴り倒され膝を突いていた達也が立ち上がりながら振り返る。
「デリカシー? そんなものは要らん。それで敵に勝てるならいくらでも装備してやる。」
と、これまでも好きな様に言われていた達也がとうとう開き直る。
それを聞いた四人が盛大に溜息を吐きながら言った。
「だめだこのファラゾアキリングマシン。」
そのいつものじゃれ合いを後ろから眺めて、部下も部下なら上官も上官だったと、こちらも溜息を吐きながら何度も頭を横に振りつつ、警備兵がその後を歩いて行く。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
にんげんだもの。