26. 死の宣告
■ 12.26.1
United Nations of TERRA Forces 666th TFW Headquaters, Ruinen Steinbruch Dotternhausen, Dotternhausen, Deutschland
ドイツ、ドテルンハウゼン、ドテルンハウゼン採石場跡地、地球連邦軍第666戦術航空団司令部
達也は、連邦陸軍のかなり暗いオリーヴドラブの制服に身を包み、それでも肩からH&K MP13C2をショルダストラップで吊るした兵士に先導され、まだ素材の匂いが取れない真新しく汚れひとつ無い廊下を歩いていた。
落ち着いたアイボリーホワイトの壁と、それよりももう少し明度の落ちたライトグレーの床、埋め込み式のLED照明が灯る壁と同じ色の天井に囲まれた真っ直ぐな廊下の両脇には、戦闘機の塗装と似た様なダークグレイに塗られたドアが並ぶ。
達也を先導する警備兵は、迷い無く廊下を真っ直ぐに進んで行く。
廊下では様々な服を着た男女とすれ違う。
連邦宇宙軍の黒い上着を羽織り、濃紺のタイを着けてタイトスカートに身を包んだ事務官らしい女性兵士。
グレーを基調としたデジタル迷彩のいわゆる市街地迷彩の戦闘服に身を包んだ兵士達の一団。
濃紺の連邦空軍の制服を身に付けた、まだ年若い士官。
金色の金具が付いた大型の黒い革製のアタッシュケースを運びながらも、真っ直ぐに背を伸ばして歩く、白い連邦海軍の制服に身を包んだそれなりに高い地位に就いていそうな中年の男。
そうかと思えば、交差する通路から曲がりこんできた男女四人組は、いずれも連邦空軍の黒いパイロットスーツを着用しており、その上から耐GベストやMAASYS(耐G機械動作補助装置;Mechanical Assist Action SYStem)のガントレットなどの装備を身に付けて、ガチャガチャとうるさい金属音を立てながら、その騒音に負けない大きな声で馬鹿話を交わしながら達也の横を通り過ぎていく。
それがこの基地の特徴だった。
「第666戦術戦闘航空団(666th Tactical Fighters Wing)といういかにも空軍組織の名称を持ちながらも、その実麾下に空挺陸戦大隊や潜水空母戦隊、局地宇宙戦闘機隊など、軍団規模の様々な部隊を擁する摩訶不思議な組織。
それぞれが空軍や海軍からの出向部隊で構成されているのでは無く、666th TFWという単一の命令系統の下に創られた軍団であるため、海中から宇宙空間まであらゆる環境において、全ての部隊が統一された命令系統の下に有機的に連携して作戦行動を取る事が出来る。
そして極めつけは、これだけの規模の軍団を持ちながらも地球連邦軍の組織表のどこにもその名前が掲載されていないことだった。
そんな彼等を一言で言い表す名称が「SHOCK TROOPS (ST)」という、多元的機能を備えた軍団レベルの部隊に付けるには一風変わった名前であり、そして今達也が延々と歩かされている廊下がそのST部隊に与えられた新造の本拠地であった。
しばらく前から、連邦軍本部と、ST部隊に対する直接指揮権を持つ参謀本部のあるストラスブールにほど近く、また達也達航空隊の一応の本部が置かれていたシュツットガルト航空基地にほど近い場所に、666th TFW全てを統括する根拠地を作っているのだという話は聞いていた。
今や航空機の離発着に広大な滑走路は必要無く、それどころかサッカー用グラウンド一面分の広さがあれば、宇宙船から潜水艦までが「着陸」可能な時代である。
しかも昔のジェット機や化学ロケットのように、発着時に近所迷惑な轟音や有毒な化学物質を辺りに撒き散らしたりなどする事も無く、僅かな風切り音だけを残して巨大な輸送機が空に向かって駆け上がっていく。
そして家庭用の小さな井戸が一本あれば、巨大な空軍基地全ての電力を賄って有り余るだけの核融合燃料が手に入る。
点在する森と緩くうねりながら続く丘に囲まれたのどかな田園風景が広がるドイツ南部の片田舎に、周囲に何の補助的施設も無く、ある日突然正体不明な軍事組織の本拠地たる半地下式の巨大基地が稼働開始しても何ら不思議ではないのだった。
だが元来様々な航空基地を転々とする使命を帯びており、果ては潜水機動艦隊や地球周辺宙域の迎撃部隊にまで配属されることとなった達也達にとって、その様な固定された666th TFWの本部基地というものは全く馴染みが無く、実は達也がこの石灰岩の採石場跡地を利用して建造された半地下式の本部施設を訪れたのは、これが初めてのことだった。
自分が所属する組織の本拠地と言えども、初めての訪問では何も分かろう筈も無かった。
輸送機を使ってこのドッテルンハウゼン基地に降り立った後、達也は手近な警備兵を捕まえて身分を明かし、そして目的の場所に案内してもらっているのだった。
窓も無い、白いLED光で照らされた廊下を延々と歩かされた挙げ句、警備兵はひとつのドアを指し示して振り返った。
ここに到達するまでに何十と見かけた、廊下に並ぶ他のドアとまるで差の無いそのドアを達也は開けた。
中は小さな会議室というよりも、普通の会議室よりも少々質の良いテーブルと椅子が並び、応接室と呼ぶ方がしっくりくるような落ち着いた雰囲気の部屋だった。
今達也が入ってきたのとは反対側にもう一つドアがあって、別の部屋に続いているようだった。
部屋に入った達也はドアを閉め、誰も居らず、絵画のひとつも壁に掛かっているわけでも無い、中途半端な応接室の中で手持ち無沙汰に立ち尽くした。
一通り会議室の中を見回した達也が、どうやって時間を潰そうかと考え始めるとほぼ同時に奥のドアが開いて、一人の女が姿を現した。
「ミズサワ大尉。遠いところをご苦労様。輸送機での旅は疲れたでしょう。」
天井のLED光を眼鏡に反射させながら、達也をねぎらう言葉とはまるで逆の、いつも通り全く感情のこもらない平滑なアクセントの声で、ST部隊の実質的No.2であるサンディー・フィラレンシア中佐が表情を変えずに言った。
そのちぐはぐな慰労に、達也はわずかに右の眉を上げて応えただけだった。
「さて、先にやることを済ませましょう。ミズサワ大尉。貴官を第666戦術戦闘航空団戦術航空戦闘機隊長に任命する。同時に階級を少佐とする。おめで・・・」
「断る。」
手に持った紙片に視線を落とし内容を読み上げるフィラレンシア中佐の言葉を半ば遮り、達也も彼女に負けない程に感情の籠もらない声で返答を返した。
予想もしなかったか、或いはもしかすると予想通りだったか、いずれにしても軍という組織の中にあっては極めて非常識な達也の返答に、中佐は相変わらずまるで感情というものを感じられない冷たい視線を上げて、達也の顔を見て口を噤む。
「前隊長であったジェブロフスカヤ大佐はMIAとなった。B中隊長であったシェリンガム中佐もだ。現在の階級とこれまでの実績から考えて、飛行隊長は貴官しかいない。」
冷たさにさらに硬さが加わり平滑さに磨きの掛かった口調でフィラレンシア中佐が再び口を開いた。
中佐はレイラとレイモンドを二階級特進した階級で呼んだ。
宇宙空間の戦闘では慣例的に、MIAになった後、リアクタ燃料がゼロになる時刻を以て推定死亡扱いになる。
先の作戦でMIAとなった二人の機体の残存燃料量は、とうの昔に尽きたものと判断されていた。
達也自身も危うくその仲間入りをするところであった。
帰還できたのはただ単に運が良かったからだと、達也は認識していた。
「余計な仕事を振るな。飛行隊長なんてやってられるか。ウォルターにやらせろ。」
自分の後を必死で付いてくる二人の面倒を見る程度の小隊長ならばやっても良いかと思っていた。
しっかりとした小隊長が中隊の半数を率いてくれる中隊長くらいまでなら、まだ許容範囲内だった。
常に十人以上の部下の動きに気をつけていなければならない飛行隊長など、御免被る話だった。
部下の動きを気にしながら、存分にファラゾアと戦えるはずなど無かった。
それだけならまだしも、飛行隊長ともなると地上に降りてからも様々な雑事が降り掛かってくる。
その手の雑務に忙殺されているレイラを見て、こんな役目などまっぴら御免だと思っていた。
基地に戻れば戻ったで、自分の機体の整備や状態の把握など、次の戦いに備えてやっておかねばならないことは山のようにあるのだ。
「ヴァーニシュ中尉は編隊長を務めた経験に乏しい。階級も達していない。さらに言うなら、イリオ中尉も同様だ。貴官しかいない。誰かが飛行隊長を務めねばならない。諦めなさい。」
「そもそも俺達の部隊に編隊長など要らない。全員が個人技特化の部隊だ。必要なのは地上に降りた後、雑用を引き受けてくれる誰かだけだ。そんなのは佐官である必要も無い。事務屋を一人連れてくれば良いだけだ。」
冷たさに硬さを加え、さらには鋭さも追加で装備し始めたフィラレンシア中佐の眼は、達也を真っ直ぐに射貫くように捉えて放さない。
しかし達也も簡単には諦めるつもりは無かった。
「軍という組織はそれでは動かない。貴官らは傭兵部隊では無い。指揮する上官がいて初めて軍という組織が成り立つ。貴官なら、実力実績共に申し分ない。そもそも他に選択肢など無い。」
中尉の氷のような視線を受け止め、達也もまるで刃物のような視線でそれを切り返す。
締め切ってエアコンがかかっている筈の部屋の温度が徐々に下がっていっているようにも思えた。
「・・・補充はいつ来る。補充してすぐに実戦投入じゃ、補充した分だけ死んで終わりだ。本格的な作戦に投入する前に、何度か実戦を経験させてこの部隊での戦い方を覚え込ませなければ使い物にならん。」
しばらく無言で睨み合った後、部屋の温度が絶対零度に達するより前に結局達也が折れた。
どれだけ抵抗しようと、結局この女は思ったようにやり始めるだろう。
こちらが同意の意思を示すより前に面倒な仕事を無茶振りしてくるのはこの女の常套手段だった。
それならば受け入れるところは受け入れ、こちらからの要求も通して、しっかりと準備して戦いに臨む方がまだマシだった。
「補充の予定は無い。」
「・・・は? 何を言っている?」
意味不明な中佐の言葉に、達也は思わず聞き返した。
潜水空母の艦載機部隊として配属された時には二十機を越える機数があった部隊だったが、補充が無いまま何度かの作戦に投入されてさらに消耗し、今では僅か九機が残るのみだった。
確かに大人数の部下を抱えるなど御免だと言った達也だったが、それとこれとは全く別の話だった。
このまま戦いを重ねれば、さらに消耗する。部隊を維持するために補充兵は絶対に必要だった。
そもそもこの少人数で一部隊としてカウントされ、戦いに投入されて一部隊としての働きを期待されても困る。
「ひとつには、今や主戦場となった宇宙空間での戦闘に投入できるパイロット数が慢性的に不足している現状がある。航空戦闘機隊のパイロットを宇宙戦闘機隊に転換しようと訓練を重ねているが、思うように計画が進んでいない。逆に、敵のホームグラウンドであり、且つ慣れない宇宙空間の戦闘での兵士の消耗率は従来よりも遙かに高い。そんな中でST部隊に補充兵を送り込む事は難しい。ST部隊で生き残れる兵を見付けるのはもっと難しい。」
達也達666th TFWの中でも優劣が発生するほどであったが、空気も何も無い無限の空間で、人間の感覚がまるで追い付かない超高速で行われる僅か一瞬の戦闘という極限的な戦闘環境にどうやっても対応できず、機種転換や配置転換から脱落する空軍パイロットが大量に発生していた。
地球大気圏の外、空気も何も無い、上も下も無い無限に広がる虚無の空間という心理的な圧迫は、多くの兵士達にとって耐えがたい重圧であるらしく、戦闘機に乗って宇宙空間に出るということ自体にどうしても馴染めず、何割もの兵士がここで脱落する。
自機の速度が数千km/sという狂った桁数の速度を出し、敵を目視することさえ叶わない文字通り僅か一瞬の敵との交錯で全てが決まり、遙か百万kmの彼方から一切目視できず襲いかかる敵の攻撃がいつ命中するとも知れない恐怖の中で、音を立てるようにして精神を削り取っていくカウントダウン表示を睨み付けながら、システムの指示に従い僅か一瞬の極めて正確な機体操作と、すでに人間の手に負えるレベルでは無い瞬間の判断を求められる戦闘のスタイルに馴染めず、さらに多くの兵士が脱落する。
ただでさえ損耗率が簡単に50%を越える宇宙空間での戦闘に、その様な「落ちこぼれた」兵士を無理に投入すると、損耗率は目も当てられないほどに悲惨な数字に達する。
一回の戦闘の中で発生する僅か数度の敵との交錯で一部隊が綺麗に全滅するなどという事態が、嘘でも冗談でも誇張でも無く、簡単に起こってしまっていた。
「もう一つには、ST部隊の優位性が薄れているという点だ。人間の感覚で対応できる地球大気圏内の戦闘では、ST部隊の戦闘能力の高さが際だって発揮されていた。しかし宇宙空間のシステム指示を正確に実行する事が求められる戦闘様式では、ST部隊の優位性は大きく目減りする。高い戦闘能力を持つ少数精鋭よりも、正確に指示に従う一般兵を大量に投入する方が遙かに効率が良い。
「人道的な理由もあって、宇宙空間で使用される全ての兵器は機械制御で自動化されるべきだと軍も政府も結論している。その方が戦いも有利に進められるだろう。ただそんな事をすれば、自動化兵器のシステムがファラゾアにハッキングされた時に目も当てられないことになる。奴等の電子戦能力に較べて、地球人類のそれは未だ大きく劣っている。だから人間は必要だ。ファラゾア機がCLPU(生体脳演算ユニット)とCEPU(電子演算ユニット)を持っているように。ただその人間は別にSTでなくてもいい。CLPUの代わりの人間は兵士のものである必要は無い。花屋の店員から取り出した脳で十分なのだ。この点においても彼等の兵器は実に合理的だ。
「話を戻そう。貴官もすでに感じているのでは? 宇宙空間の戦闘に、人間の感覚はついていけない。秒速数千km、百万分の一秒という世界の戦いでは、一般兵士とST部隊の戦闘能力の差など僅かなものでしかない。事実、主戦場が宇宙に移ってからというもの、ST部隊の損耗率はこれまでに無いほどに高くなっている。流石に一般兵のそれに較べればまだ低く抑えられてはいるが。逆にST部隊の敵の撃破数は以前ほど目覚ましい数字とはなっていない。」
「つまり、俺達はもう要らない、用無しだ、と。」
怒りの感情が湧いてくる訳でも無かった。
悲しみや恐怖も感じなかった。
達也にとってST部隊とは、ただ単に効率の良い戦闘をお膳立てをしてくれる組織でしかなかった。
生きている限り自分が行うべき事に変わりなどなかった。
ファラゾアを墜とす。奴等を殺す。
ST部隊であるかないかなど、何の関係も無いのだ。
「そうだ。積極的に解体することは無い。一般兵よりも損耗率が低く、撃破数が多いのは確かだから。しかし補充することも無い。
「自然消滅に任せる、というわけか。」
今度は達也が冷たく感情のこもらない声と眼差しでフィラレンシア中佐を射貫く番だった。
力及ばず墜とされてしまうのは仕方のないことだった。納得のいく死に方と言えた。
しかし、故意に生存に不利な状況に陥れられるのは我慢のならない話だった。
そして表情を変えない彼女が、一瞬の間の後に言った。
「その通りだ。使える間は使わせてもらう。」
達也は本気で、上官である目の前の女を力一杯殴り倒すのと、その女との間に存在する木製の会議テーブルを叩き割るのと、どちらの方が気分が良いだろうなどと考えていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
フィラレンシアさん、中佐に昇進しています。
口調がブレているように感じてしまうのは、全体会議用の余所行きの言葉遣いと、部下と対面したときの口調を切り替えているためです。