22. Operation "Light Snail" (光のカタツムリ)
■ 2.22.1
「オペレーション『ライトスネイル』について作戦概要説明を行う。」
アウ・ズオン中佐が皆を見回しながら近々実行されるであろう作戦名を口にすると、詰所の空気が一変した。
それまでどことなくのんびりと構えて聞いていた者、背もたれに斜めにもたれかかって肘を突いていた者、遙か上の階級の左官がパイロット詰所に姿を現した事をニヤニヤと嗤って眺めていた者。
それら全てのパイロット達が顔からのんびりとした雰囲気を消し去り、皆がまるで敵を射貫くような目付きに変わり、そして彼等に向き合って一人立っている上官に全ての意識を集中した。
それはまるで一陣の風が吹き抜けた後に、地を覆っていた落ち葉や枯れ草が全て一瞬で吹き払われ、黒く湿った生命力に満ちる生の地面が突然露出したような、そんな印象を達也に与えた。
「本作戦の最大目的は、フィリピン・ミンダナオ島からオーストラリア大陸のダーウィンまで、新規の大容量海底光ケーブルを敷設し、現在孤立しているオーストラリア大陸との間の通信ラインを確保する事にある。
「この目的を達成するために最大の障害になると予想される、カリマンタン島中央部カピト付近に降下し地上施設を設置したファラゾアに気付かれない様、作業中の要所において敵の眼を敷設作業から完全に逸らすのが我々に要求された役割だ。」
アウ・ズオン中佐は再び言葉を切った。
一連の文章とその意味するところが、皆の頭の中に染み込むのを待っているようにも見えた。
ツァイ少佐とホット少佐が、東南アジアからオーストラリア大陸北端を表示した地図を、アウ・ズオン中佐の左後方の壁に掲示した。
「この為、インドシナ半島、マレー半島に駐留する全航空戦力の約70%を充てて、ファラゾアの眼をカリマンタン島以西に向けるための陽動を行う。
「陽動の手順は、従来のカリマンタン島攻略作戦と類似の方法となる。詳細は各TFSリーダーから指示する。」
そこでアウ・ズオン中佐は地図の方を向いた。
「我が国連航空部隊、サイゴン基地の4285TFS、4286TFS、およびバクリウ基地の4287TFS、4288TFSはそれぞれの基地の各国駐留部隊と協力し、南シナ海南部においてカリマンタン島に向け直線的に侵攻し、初期陽動作戦を実施する。」
アウ・ズオン中佐は青色の磁石を四つ、インドシナ半島とカリマンタン島の中間辺りに並べた。
それに対してツァイ少佐が、カリマンタン島の上に赤色の磁石を幾つか貼り付けた。
「これに対して、カリマンタン島周辺に常駐しているファラゾア機は、最小1500機、最大で7000機、期待値として3000機前後が見込まれている。
「我々インドシナ半島方面からの侵攻部隊の仕事は、島に降りてのんびりしているファラゾアどもの頭をはたき、その首を無理矢理こちらに向けさせる事にある。ここまでが作戦の第一段階だ。」
アウ・ズオン中佐が、カリマンタン島上の赤い磁石を四つ、南シナ海上の青色の磁石に打ち合わせる様に移動した。
「南シナ海南部空域の戦闘に参加したファラゾア機の数が1500を超えた時点、或いはカリマンタン島上のファラゾア機の半数が南シナ海上に出撃したと判断された時点で、マレー半島からの部隊がカリマンタン島に向けて侵攻を開始する。」
中佐がシンガポールの辺りに青い磁石を二つ置き、カリマンタン島との中間に進めた。
「当然ファラゾアはこれに呼応する。この作戦ステージでの我々の役割は、ファラゾアどものハートを掴んで放さず、連中がマレー半島の方に浮気をしない様にしっかりと魅力的な客引きをする事にある。サイゴン基地、バクリウ基地共に総力での出撃となる。」
中佐は南シナ海上の赤い磁石を一つ、マレー半島側に動かした。
さらにカリマンタン島上に残る赤い磁石をさらに二つ、先に動かしたものの横に貼り付けた。
「マレー半島からの部隊も、本気でカリマンタン島を落としに掛かる。マレーシア空軍、シンガポール空軍、タイ空軍、インドネシア空軍からなる混成部隊だ。
「ここまでが作戦の第二段階だ。以上全て陽動作戦となるが、もちろん陽動であると見抜かれない様に、全ていつも通り本気でやる。あわよくばカリマンタン島を落とすつもりで、な。」
そう言いながらアウ・ズオン中佐はカリマンタン島を拳で叩いた。
「そしてこちらが作戦の主目的だ。ミンダナオ島からダーウィンまで海底通信ケーブルを敷設するが、この二点間の距離は2000kmある。もちろん、そんなに長いケーブルなど存在しないので、短いケーブルを途中何度も継ぎ足しながら2000kmを接続する。今回の作戦で接続するのは、ミンダナオ島ブツランからセラム島タマン・ジャヤまでの約1000kmだ。
「潜水敷設艇により、この1000kmのケーブルの敷設は既に殆どが終わっている。あとは沈めたケーブルを接続するだけだが、この接続作業は技術的問題により海中では出来ない。必ず洋上に浮上する必要がある。18箇所の接続ポイントを同時に接続する予定ではあるが、その接続作業の間、ファラゾアの眼を絶対にそちらに向けてはならない。
「接続作業は、先ほどの作戦第二段階、即ちマレー半島からカリマンタン島への侵攻開始後三時間で開始される。接続作業に必要な時間は約一時間。この間、マレー半島およびインドシナ半島からの攻撃隊は、最大限の戦力を持ってカリマンタン島に猛攻を加え、ファラゾアの注意を全てカリマンタン島西側に向ける必要がある。」
中佐が再び言葉を切り、室内を見回す。
「本作戦で、フィリピン諸島、ニューギニア島、オーストラリア大陸方面からの航空支援は一切期待できない。敵の眼がそちらに向かないように、最低限の部隊がスクランブル配置に着くだけとなっている。
「また水上艦艇が使用できないため、ケーブル敷設作業潜水船団には護衛が殆ど存在しない。僅かなファラゾア部隊がそちらに向かっただけで、船団は壊滅するだろう。
「ケーブル敷設作業潜水船団は、民間からの志願者で構成されている。高い命の危険があるにも関わらず、この任務に志願してくれた崇高な精神を持つ彼等を絶対に死なせるな。そして、現在孤立状態になっているオーストラリア大陸に必ず通信ケーブルを手渡すのだ。」
そう言ってアウ・ズオン中佐は壁に貼り付けられた地図を拳で強く叩いた。
私語を発するものなど居らず、皆今にも戦場に飛び出していきそうな鋭い目付きで、作戦説明をする中佐を見ていた。
「作戦概要を時系列を追って確認する。作戦開始は四日後、八月十三日。0300時、バクリウ基地から第一次カリマンタン島攻撃隊発進開始。0500時、第二次攻撃隊発進。0700時、作戦第二段階へ移行。1000時、敷設ケーブルの接続作業開始。1100時、ケーブル接続作業終了。同時点でのカリマンタン島攻撃隊の状態によりその後の継戦を判断する。以上だ。諸君の健闘を祈る。詳細は各飛行隊長から説明する。」
そう言ってアウ・ズオン中佐はもう一度地図を強く叩いた。
「4287TFS、ブリーフィングルームだ。4288はこのまま詰所に残れ。」
ツァイ少佐が相変わらず必要な事だけを言って階段を上っていく。
椅子に座っていた4287TFSの十五人が立ち上がり、ぞろぞろとその後に続いて階段を上る。
3Fのブリーフィングルームは、1Fの詰所の小型版と言った所だ。違いと言えば、部屋の広さと、置いてある椅子が全て同じ物に統一されている事くらいか。
「各自着席。詳細説明を開始する。」
そう言ってツァイ少佐は、元々壁に掲示してある東南アジアエリアの地図の前に立った。
「八月十三日、0300時までに全機出撃準備を終え、パイロットは各自の機上で待機。4287TFSは最初の出撃順になる。地上管制指示にて離陸開始。離陸後、高度3000mにて基地上空旋回待機。4287TFS、4288TFS全機揃ったところで南進する。会敵予想地点はバクリウ基地南東約500kmの海上。同海域で敵を牽制しつつ第二次攻撃隊の合流を待つ。敵と接触後の補給等の対応については現地での状況に応じて判断するが、本作戦は戦線を六時間維持しなければならない長丁場である事、主目的はケーブル敷設であり、敵機撃破は主目的を達成するための手段である事を各自忘れるな。以上だ。質問を受け付ける。」
「給油機は出るのか?」
「出ない。補給は全て基地に着陸して行う事になる。状況に応じてコンソン基地の使用が認められている。」
隊員の一人が座ったまま質問し、ツァイ少佐がそれに答えた。
その隊員の口調に驚かされた達也だったが、この基地に到着した後の整備兵との会話や、アランとの会話を思い出して納得した。
最前線だからか、国連軍だからか、或いはこの部隊の特徴なのか、上官に対する口の利き方についてかなり規律が緩いようだった。
アランは確かツァイ少佐の前では気をつけろと言っていたような気もするが。
「ブンタウとカムランのベトナム軍は出てくるのか? プノンペンは?」
「ベトナム軍は出る。が、いずれの基地も機体稼働率が上がっていない。サイゴン以外では、ベトナム軍の出撃は期待しない方が良い。カンボジア軍は言うに及ばずだ。いつも通り、バクリウとサイゴンの二基地からの作戦になる可能性が高い。」
「ケーブル敷設完了まで戦線が維持できなかった場合は?」
「認められない。ベトナム側、シンガポール側の何れかの攻撃隊の戦線が崩壊した場合、もう片方に皺寄せが行き、結果的に双方とも甚大な被害を被る事が予想される。両方の攻撃隊が全滅した場合にのみ、ケーブル敷設作業を中断する。」
「マジか。全滅も推測のウチってか? 俺、お家帰って良いか?」
「言っただろう。彼等民間人を絶対に死なせるな。軍人の本懐は民間人を守る事にある。我々が全滅するより先に敷設作業潜水船団に被害を出す事があってはならない。そして今後の作戦展開を考えるならば、我が隊の全滅などあってはならない。」
「うはー。」
「最初に言ってあるはずだ。本作戦はケーブル敷設作業を成功させるための陽動作戦だ。最初から飛ばすな。十分に力を温存しつつ、敵に気取られないように本気で攻撃しろ。簡単な話だ。墜とされるな。それだけの事だ。」
「それが出来りゃ苦労はしねえよ・・・諒解。本気で殴れ。でも殴られるな。手を抜いてるのを悟られるな、と。」
「その通りだ。他に質問は。」
ツァイ少佐が再び全員を見回す。
手を上げる者も、口を開く者も居ないようだった。
「無ければ、必要に応じて中隊ごとに作戦内容の確認を行え。全体ブリーフィング解散。中隊ブリーフィングを行った場合、各中隊長はブリーフィング後の内容報告を忘れるな。以上。」
そう言うと、ツァイ少佐は一度全員を見回した後に踵を返した。
彼のオフィスはブリーフィングルームのすぐ隣にある。
「じゃあ、打合せ続きで悪いけれど。B中隊で簡単に情報の共有を行う。B中隊、こっちに集まって。」
ほぼ最前列に座っていたパナウィー大尉が、椅子を回転させ、皆の方に向けて言った。
達也を含め、パナウィー大尉の麾下にある六機がB中隊、昨日スクランブルで達也達を救った後にホーチミン市まで敵を追撃したのがA中隊となる。
「まずは二日後のスクランブル当番。本来なら我々B中隊が当番だったところを、ルーキーを二人抱えての大規模作戦の直前なので、A中隊に代わってもらった。その代わり、作戦翌日の当番は我々B中隊になる。翌日当番が回ってくるので、全員死なずにちゃんと帰ってくる事。」
パナウィー大尉を除いたB中隊の残りの五人から失笑が漏れた。
「つまり、撃墜されたら当番をサボれるわけだな。」
アミールの上官であるスマルソノ中尉が笑いながら言った。
「そういう事を言う奴には捜索機を回さない。」
パナウィーはスマルソノを横目で睨むとぴしゃりと言った。
スマルソノは両手のひらを前に向けて、おどけた顔をしている。
そのやりとりを眺めていて、仲の良い上官と部下のじゃれ合いという所か、と達也は思った。
「最短でも七時間の長い作戦となる。当然何度かの補給が必要となるが、補給は基本的に4287TFSと4288TFS合わせて中隊ごとに交替で行う。もちろん状況により変わる可能性は十分ある。指示に従うように。」
パナウィーは言葉を切って、一度五人全員の顔を見回した。
「今回も作戦指揮のためAWACSが上がるが、いつも通りAWACSはサイゴン上空を旋回する。海岸線以南には進出しない。戦線が上がったときには通信障害が予想される。」
強いレーダー波と通信用の電波を発し続けるAWACSは、赤色灯を回してサイレンを鳴らしながら真夜中の道路を走るパトカー並みに目立つ。
ファラゾアからの攻撃を受けないように、戦線から十分に離れた場所で行動するという事だろうと、達也は理解した。
「それと、知っているだろうが、新人二人の機体がヴァニラ・ヴァイパーだ。機体のやりくりがつかなかったらしい。ベムじゃないだけマシだが。後ろが見えないのと、装弾数も少ない。十分に注意してやって欲しい。折角やっと回ってきた新兵だ。すぐに失う様な事にしたくない。」
「ヴァニラ?」
思わず口を突いて出た。
本来の愛称がファイティング・ファルコンであり、余りに長ったらしい名前なのでヴァイパーという名前の方が定着したF16シリーズではあったが、ヴァニラという呼び方を達也は聞いた事が無かった。
「お前え、アイスクリーム好きか? このクソ暑い基地だと、だいたい皆好きなんだが。」
横の椅子に座っているアランが達也の方を見て言った。
「アイスクリーム? 好きだが、意味が分からない。」
「ふふん。何にもフレーバーの付いてない基本のアイスクリームの味は何だ?」
「ヴァニラ・・・ああ、成る程。」
どうやら、コンフォーマルフュエルタンクなどの追加装備が付いていないF16A/Cシリーズの事を指しているらしい。
達也達新兵の機体は、F16Vとは言えども殆どの追加装備が取り払われていて、F16Cと殆ど変わらない状態だった。
ちなみに他の隊員が乗機にしているのは、F16V2と呼ばれ、コンフォーマルフュエルタンク内部を改造して全周レーダーや光学センサーを装備し、バルカン砲を追加したタイプである。
「今回、新人はとにかく生き延びる事を優先しろ。余計な色気を出さなくて良い。新人はとにかく小隊長の尻にぴったり貼り付いてはぐれるな。」
パナウィーが達也とアミールを交互に見た。二人とも強く頷く。
アランが達也の脇腹を肘打ちしてきた。
「美人のケツ追っかけてりゃ良いんだ。サイコーだなおい。」
パナウィーから睨まれて、アランが両手を胸の前に上げる。
「いつも通り、作戦中の状況は流動的に激しく変化する事が予想される。上官からの通信を聞き落とすな。そしていつも通り、まずは墜とされない事を考えろ。無理な追撃は隙を生み、狙われやすくなる。絶対に避けるように。以上だが、質問は?」
質問を発するものは居なかった。
「よし。解散。」
全員が椅子から立ち上がり、パナウィー大尉に敬礼した。
すぐ脇でほぼ同時に中隊ブリーフィングを終えたA中隊の全員が、同じ様に敬礼していた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
作戦名の「光のカタツムリ」ですが。
既にお気づきの方もおられるかと思いますが、光ケーブルを巻き付けているリールのことです。
形状がカタツムリに似ていることと、カタツムリが這った跡が光って見えることを光ケーブルに掛けています。