13. Operation 'RED STORM' (赤い嵐)
■ 12.12.1
地球連邦宇宙軍大佐ヴィンセント・ハガードは、自席に設えられた三枚のコンソールモニタのうち、戦術システムと作戦プロシージャウインドウを表示させている右側のモニタを、肘掛けに右肘を突いて軽く握った右手の拳を口元に当てて顔を支えた様な恰好で、ずっと眺めていた。
戦術システムが表示する戦況概略図は、主に戦闘機によって構成される打撃部隊がすでに地球周辺宙域を大きく離れ、第一機動艦隊を大きく引き離して数百万kmの彼方の空間を、赤く輝く戦神の星を正面に見据えてまっしぐらに突き進んでいって居ることを示していた。
三次元の空間を無理に二次元のモニタに表示させているためかなり見づらいが、打撃部隊の南北それぞれ数百万kmの位置には、ある意味この作戦の要とも言える特別攻撃部隊(Special Attack Group )が大きく弧を描いたような航路を採ってやはり赤い星を目指してフル加速している。
地球人類の命運を大きく左右するこの作戦はすでに始まってしまった。
地球人類史上最もシリアスで、そして最も遠方で行われるこの作戦は、その深刻さの割には不確定要素が異常に大きい。
未知の戦場、新しい兵器、そして経験の浅い戦術。
対する敵は強大で、戦いに慣れており、そして何を考えているのか分からず不気味でしかも意思疎通が不可能。
できる限りの最大限に詳細な偵察を行い、今も短時間のうちに次々と最新情報が送られてきて戦況情報を頻繁に上書きしていくが、どれだけ過剰なほどに観測を行っても不十分という不安が拭い去れない。
その様な地球人類史上に確実に名を残す会戦に、最新鋭の艦を駆り、史上初めて宇宙空間に編成された機動艦隊を率いて臨む立場にあることを、この上ない名誉と胸を張るか、あるいは人生最大の不幸とやさぐれるか。
模範的な連邦宇宙軍人としては当然その輝かしい栄誉に胸を張るべきであろうが、実のところどちらかというと人生最大の不幸としてやさぐれてぼやきの一つでも口にしたい気分だった。
すぐ脇に副長であるヘンリッキ・コイヴランタ中佐の席があり、何か口にすれば確実にこの生真面目な副艦長の耳に届いて、氷の刃の様な横目をくれた上に何か辛辣な台詞の一つ二つももらってしまいそうなので、ヴィンセントはその欲求をどうにかして押し留めるほか無かった。
前職である第八潜水機動艦隊802潜水空母戦隊旗艦「レヴィヤタン」の艦長席に座っていた頃は、落ち着いた慇懃な雰囲気を漂わせつつその実真っ黒にブラックなユーモアのセンスに富んだ副長と、戦闘中であっても言いたい放題の会話を交わすことが出来ていた。
その頃と同じ様な気楽な関係とブリッジの雰囲気は今現在望むべくもないが、艦の持つ固有の雰囲気を形作っていくのは半ば艦長の仕事でもある。
長く共に任務をこなしていくうちに徐々にその様な関係性と雰囲気を構築していけば良いのだ。
・・・長く共に居られるだけ生き延びられれば良いが、な。
ヴィンセントは頬杖の拳の下で、他から見えないように唇を歪めて嗤った。
「第一機動艦隊、発進まで180秒。」
オペレータの声が、静かなノイズに満たされたブリッジに響いた。
このテラナー・ドリームもそうであるが、現在就役している連邦宇宙軍の艦船は全て、従来の海上艦艇とは異なり、艦橋とCIC(作戦司令室)が同一となって艦体の内部に設置されている。
CICを艦橋と呼んでいる、と言い換えても良い。
海上艦艇とは異なり、宙航艦ではブリッジから目視で周囲を確認する必要が無い。
というより、出来ない。
一千万km彼方の敵艦隊を目視で確認など出来るはずがないのだ。
艦外の様子を確認したければ外部光学センサ画像をモニタに投映すれば良く、遙か彼方の敵艦隊を眺めたければ、光学的な望遠機能の付いた光学センサ画像をモニタ上でズームすれば良い。
四角く切り取られた狭い視野では無く、360度見渡せる広い視野が欲しいなら、モニタを取り払ってHMDを頭に被れば良い。
戦闘中に被弾することが予想されるただでさえ艦体の気密の維持が重要となる戦闘用宙航艦で、外に張り出した艦橋や、目視で艦外を確認するための窓など、わざわざ脆弱性を悪化させるような構造を設置するなど愚の骨頂以外の何ものでもなく、それを作る意味など全く無いのだ。
ただ慣例的に、艦橋という名称は残っている。
「さて、そろそろお出かけの時間だ。皆、準備は万端か。忘れ物を取りに帰るのは骨が折れるぞ。」
自分の声が薄暗い艦橋に響くのを聞いた。
だが、その軽口に応える声は無い。
しらけた雰囲気とまでは云わないが、誰かが言った軽口やジョークなど無視して皆自分の作業に没頭するという空気が艦橋を支配している。
「艦長。出撃にあたり、皆の士気を高めるべく一言お話戴けますか。」
と、先ほどのヴィンセントの言葉など存在しなかったかのように、ヘンリッキが顔を正面に向けたまま目線だけでこちらを見ながら、抑揚の無い口調で言った。
つまり、真面目に話をしろと圧を掛けて来ているのだった。
ヴィンセントは溜息を吐きながらヘッドセットのマイクの位置を確かめつつ、コンソールに表示されているシステムメニューを操作して、音声を全艦隊対象に切り替えた。
「諸君。テラナー・ドリーム艦長のハガード大佐だ。作業を続けながら聞いてほしい。我々第一機動艦隊は間もなく地球宙域を離れ、目標の火星に向けて出発する。火星には、諸君等も知ってのとおりファラゾア艦隊が駐留している。我々の目的は、このファラゾア艦隊を撃破殲滅し、彼等が火星に設置した地上施設、小型戦闘機械製造工場を破壊することにある。我が連邦宇宙軍第一機動艦隊創設にあたり、約二年前に駆逐艦ドラグーンが就航して以来次々と新造艦が就航して、今やこれだけの全容を誇るまでになった。そして皆、これらの最新鋭艦に配属された後、長く厳しい訓練によくぞ耐えきってくれた。それら全ては今日この戦いのためにある。強大な力を有する敵に立ち向かう我々の戦力は未だ十分であるとは言えないものであるが、しかし決して敵に劣っているわけでは無い。我らの肉親や友人達を奪っていった奴等を、この太陽系から叩き出し一掃するための決定的な戦いに臨むにあたり、諸君の奮迅たる働きを期待する。全力をもって奴等を叩き潰せ。皆の武運長久なることと、向かう戦いでの戦果を祈念する。我ら地球人類に勝利と栄光あれ。以上。」
一字一句という訳では無いが、出撃に際して何を言うかくらいは考えてあった。
ヴィンセントは先ほど艦橋に詰めるクルー達に軽口を叩いたときとは打って変わって、感情の動きが読めない表情と、前方の主モニタに投映された火星を睨み付け僅かに眇められた力強い眼差しで、一度も言い淀むこと無く最後まで一気に言い切った。
コンソール上のマイクボタンをOFFにし、軽く息を吐いてシートの背もたれに身体を預ける。
隣の副長席のヘンリッキが、今度は視線だけで無く顔をこちらに向け、先ほどまでの触れれば切り刻まれそうに細められた鋭い眼差しから少しだけ目を見開き、そのヴィンセントの動作を追っていた。
どうせこんな不真面目で威厳の無い無能な男にはまともなスピーチなどできはしない、とか思われていたのだろうな、とヴィンセントはヘンリッキのその表情を横目で眺めながら思い、微妙に腹が立ったのでニッコリと胡散臭そうな満面の笑みを返してやった。
その笑みを向けられた事に気付いたヘンリッキは、慌てたように前を向いて視線を自席のコンソールモニタに戻した。
因みに、当然のことではあるがこの艦隊内通信はSPACSや地球上の多くの基地局でも受信されていた。
話をした当人であるヴィンセントが考えていたよりも多くの人々に予想以上の共感と感動を与えたこのスピーチは長く語り継がれる事となり、特に彼が話の締め括りに用いた「我ら地球人類に勝利と栄光あれ(May victory and glory be to us Terran)」という言葉は、この後地球連邦宇宙軍、後に四軍が統合再編された地球連邦軍(Terra Federation Forces)に於いても、艦長あるいは艦隊司令官が麾下の部隊に対して演説を行う場合の締め括りの言葉として伝統的に長く用いられるものとなった。
「第一機動艦隊、発進30秒前。」
(STF1 (Space Task Fleet) 30 seconds to launch.)
ヴィンセントが艦長席に深く身体を沈めた後、少し間をおいて再び艦橋にオペレータの声が響いた。
「最終確認。」
(Final check.)
「完了しています。オールグリーン。」
(Completed, Sir. All-green, Sir.)
「周辺の補助艦艇。」
(Assist vessels.)
「全補助艦艇退避完了しています。」
(All moved out, Sir.)
「艦隊各艦は?」
(Other fleet vessels?)
「オールグリーン。」
(All vessels all green, Sir.)
「オーケイ。第一機動艦隊、目標火星、加速1500G。全艦発進。」
(Okay. STF1 heading to Mars, accel 1500G. All vessels, Go ahead.)
「アイアイキャプテン。テラナー・ドリーム発進。加速1500G。」
(Aye-aye Captain. TERRANNER DREAM go ahead, Sir. Accel 1500G(fifteen-hundreds), Sir.)
ヴィンセントの指示に従い、航海長がスロットルレバーを押し込み、HMDに表示されている加速度を1500Gに合わせる。
地球から約二十万kmの宇宙空間に展開している第一機動艦隊の中央に位置していたテラナー・ドリームの姿が、一瞬で掻き消す様に消える。
ほぼ同時に、テラナー・ドリームの両脇を挟む様にして二つのダイアモンド編隊を作って停泊していた第一、第三駆逐戦隊の八隻も、先頭の艦からそれぞれ一瞬の間を置きつつ僅かな時間の間に全ての艦が姿を消した。
「第一、第三駆逐戦隊、加速開始を確認。1500G。針路本艦と同じ。」
地球人類の持てる全戦力である九隻の宇宙船が、2億7000万km彼方の赤い星を目指して全力で加速していく。
事前の打ち合わせでは、火星周回軌道には八隻の3000m級戦艦が停泊しており、駆逐艦三十二隻も同時に観察されている。
この敵戦力と艦隊戦を行うには、現在の第一機動艦隊は余りに貧弱すぎることは誰の目にも明らかだった。
その大きな戦力差は、従来対ファラゾア戦の主力であった戦闘機と攻撃機によって埋められるものと考えられている。
第一機動艦隊の「直援」に入る戦闘機部隊はただの戦闘機によって構成されている訳では無く、最新型の重力推進式対艦反応弾であるグングニルMk-2ミサイルを搭載した、敵艦隊に対しても充分に脅威となり得る戦力である。
攻撃機については言うに及ばず、二百機もの攻撃機に一万を超えるミサイルを満載して、戦闘開始と同時に敵艦隊に襲いかかることとなっている。
ただヴィンセントが不満に思っているのは、前述の通り今の第一機動艦隊は充分な艦艇数が揃えられておらず、また余りに打撃力に不足しているため、本来であれば戦闘艦が担うべき役割である、前面に出て敵艦隊と殴り合うという戦い方が出来ない事だった。
勿論、第一機動艦隊の中で最大の艦であるテラナー・ドリームでさえ、ファラゾアの3000m級戦艦と一対一で真正面から殴り合えば、確実に負けてしまうのは明らかだ。
そして地球人類にとって、今すぐファラゾアの3000m級戦艦と同等の戦闘能力を持つ艦を建造するのは無理だった。
しかしその辺りについては、幾らでも戦い方があるというものだ。
それが戦術であり、そして計略であり、それを考えるために指揮官というものは存在するのだ。
真正面からの殴り合いでは無くとも、しかし少なくとも主力艦隊が戦闘機隊と攻撃機隊の後ろにコソコソと隠れる様にして戦場を逃げ回り、彼等が敵に痛手を負わせた後においしいところだけかっ攫っていく、「打撃戦隊」「駆逐戦隊」の名に悖るような情けない戦い方をするなど在ってはならない事だとヴィンセントは思っていた。
余りに情けなくて、自分がその艦隊を率いているのだなどと、知り合いの誰かに知られることさえ嫌だった。
しかしそれが、艦隊司令部、延いては連邦軍参謀本部からの指示だった。
滅亡するか生き延びるかの瀬戸際の戦いを長く続けてきて、例え地を這い泥水を啜ってでさえも、生き延びるためには手段を選ばずあらゆる方法を用いて生を勝ち取るのだと藻掻いていた。
アメリカの空母機動艦隊が一瞬で海の藻屑と消え果て、その後長く無用の長物、或いは波止場の飾りでしか無かった海軍艦艇と、それを動かすための船乗り達。
戦い方を選り好みし、自分の好みに合わないからと不平を言うなど、随分贅沢になったもんじゃないか。ヴィンセントは皮肉な嗤いを口の端に浮かべた
やっぱりこの席に座っているのは、俺の人生最大の不幸で間違いないな、とヴィンセントは人知れず嗤いを浮かべたまま、艦橋正面の大型モニタに投映されている赤い星を睨み続けた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
小型艇は空軍パイロットからの転向組で運営されていますが、大型艦は海軍の艦隊勤務からの転向組で主に構成されています。
なので大型艦の艦内ではあらゆる事柄が海軍式となります。