11. 生存の確率
■ 12.10.1
Same day, Special service ship 'ORPHEUS', in mission.
同日、任務遂行中の特務艦「オルペウス」
2億kmも離れた母なる青い星は、ともすると他の星々の光に紛れて見失ってしまうほどに頼りなく小さく光り、しかしその一方で目標とする赤い戦いの神の星もまた1億km彼方にあって肉眼では簡単に判別できない。
なによりも地球の地表で見上げる夜空と違い、星が散りばめられた全球を見ることが出来る宇宙空間では、地平線などの基準物が何もない為「この星はこの辺りにあるはず」という見当を付けることが難しい。
北半球では頭上にある筈のカシオペア座が足元に見えたり、北半球では馴染みの薄い南の星々が見えたりして、その混乱の度合いをさらに深める。
気付いてしまえば明らかに他の星よりも明るく見える筈の地球や火星をなかなか見付けられないのは、そういった理由もある。
その地球から遠く離れた宇宙空間に、重力推進を切り動力を最低まで落として身を潜める小型船が一隻。
明灰色に塗装されたその船体には、「UNITED NATIONS OF TERRA SPACEFORCE VTSP-004 ORPHEUS」の文字が黒々と書き込まれている。
全長僅か50mほどしかないその船体には、いざというときの為の自衛用グングニルMk-2ミサイルが八発と、船底にはまるで巨大な砲身の様にも見える光学望遠鏡が固定されている。
明るいグレイの船体にまるでコバンザメのように貼り付く八発のグングニルが、重心の偏りも考慮せずに不自然に一カ所にまとまって搭載されているのは、出撃時にそれ以外の場所に搭載されていた偵察用SPACS子機を放出し終えているためだ。
オルペウスから放出された八機のSPACS子機エフェメールは、それぞれ母艦であるオルペウスから10万kmほど離れて放射状に広がり、連邦宇宙軍の大部隊がこれから突入しようとする火星をじっと観察している。
直径20万kmもの広がりを持ったオルペウスの「受信器」は、地球周辺宙域に展開されているGDDDSにも比類する探知精度を持つこととなり、オルペウスにて得られた情報はすぐさま地球へと送信され、GDDDSのデータと合わせて火星周辺宙域でのファラゾアの動きを探る探知精度を大きく向上させている。
「なんか俺ら、こんな仕事ばっかりじゃねえ?」
地球からのポジションレーザーの受信状態を調整しながら、副長席に座るトレイシー・ファッブリ少佐がぼやく。
「仕方がないだろう。この艦はろくな武装を持っていない。ファラゾアの駆逐艦と追いかけっこするなどと、あんな寿命の縮まりそうな真似は二度としたくないな。」
と、収集したデータを眺めながら艦長のハインリヒ・ヴィルデンブルッホ中佐。
「俺ら昇進してんすから、他の艦に移っても良いんじゃないすか? 本来中佐だったら駆逐艦の艦長でしょ。」
展開したSPACS子機からのデータ受信状態を確認しながら、航海士のジェラルド・ミハルチーク大尉。
搭乗員数が少ないので、全員で様々な仕事を分担するのは相変わらずだった。
「艦の数が少ないぜ。それに対して宇宙軍中佐は山ほど居る。」
展開したSPACS子機ネットワークが収集する情報の中で、自艦の周囲の索敵情報を確認するのは、四人の中でも新参のウェイ・リュウ中尉。
新参とは言え、共に死線をくぐり抜け、長く同じ艦に乗っているので、新参だなどとはもう誰も思っていない。
「いやいや、十分な功績あんだから、他を押し退けて行けるっしょ・・・あー。やっぱり在るなこれ。」
「どうした? 何か見付けたのか?」
ジェラルドが発した気になる言葉に、自分の前のモニタから視線を外してハインリヒが振り返る。
「んー、何すかねコレ。気になってるんすよ。火星の周回軌道上にちょっとした重力場異常があるんすよね。軌道上の戦艦と一緒になって火星の周りを回ってるんすけどね。」
「・・・ああ、なるほど。これか。何か問題があるのか?」
それは火星そのものの重力や、火星の周りを飛び回っているファラゾアの艦艇や小型戦闘機械群の推進器が発する重力波に紛れてしまい、ともすると見過ごしてしまいそうな小さな空間の歪みであったが、SPACS子機を大きく展開して仮想的に巨大なパラボラを展開しているに等しい状態となっているオルペウスのGDDSはその僅かな歪みを確実に捉えていた。
その様な規模の重力波は上述のとおり、火星の周回軌道を多数回っているファラゾア艦艇や戦闘機群から数多く発生しており、ジェラルドが何を問題としているのかハインリヒはすぐには分からなかった。
「増設の光学望遠鏡画像を重ねると、こうなるっすよ。」
と言って、ジェラルドはGDDS探知データに、船底に取り付けられている光学望遠鏡の画像を合成した。
GDDSによって探知された重力波発生源マーカは、光学的に観察された艦艇や戦闘機群の姿と重なる。
唯一、先ほどジェラルドが指摘した発生源のみ、光学的にはそこになにも存在しなかった。
「ああ。一致しないのか。こんな微妙な差異、よく気付いたな。」
「微妙つっても幅10km弱位あるっすけどね。リスト作ってマッチングさせてたんすよ。何回やってもこの発生源だけアンマッチなんすよ。」
「そこに何もないのか? 何か小さいけれど出力の大きい発生源があるとかは?」
「うーん、ズームするとこうなるんすけどね・・・」
そう言ってジェラルドはCOSDAR画面の問題の部分を拡大する。
途端に光学映像が荒くなって、逆によく分からない画像となった。
画像の荒さを補正する画像処理フィルタが当然掛かっているのだが、その様な補正にも限界がある。
「急ごしらえの口径1m程度の望遠鏡じゃ、コレが限界で、はっきり言ってこれ以上よく分からないんすよねえ。」
「ふむん・・・かと言って、火星に余り近づくわけにもいかんしな。何度確認しても在るんだな?」
「コレで三回目のチェックすね。」
ハインリヒは無精髭の伸びた顎を左手の人差し指と親指で摘まむように擦りながら、COSDAR画面を眺めつつ呻くような声をあげる。
「無い筈だ、とか言われてた転送装置かも知れないぜ? そこから突然ファラゾア艦隊がわんさか湧き出してくるとかな。」
と、トレイシーがおどけた口調で縁起でもないことを言う。
「未知の兵器という可能性もある。決めつけるのはどうかとは思うが・・・無視するにはちょっと気味が悪いな。トレイシー、地球にデータ送るときにコメント入れておいてくれるか。連中のGDDDSと光学望遠鏡じゃ、距離がありすぎて多分これに気付いてないだろう。攻撃隊が突っ込んでいったら、未知の大量破壊兵器で全滅しました、とかシャレにもならん。」
「オーケイ。タグ付け『注意。未知の重力波発生源。光学データでは対象物認められず』っと。 ブラックホール兵器とかな。近づいてったら急激に重力強くなってみんな吸い込まれるんだぜ?」
「洒落んなんないっすよ。変なフラグ立てんの勘弁してくださいっす。」
そもそもがファラゾアという敵自体が、地球人類よりも遙か先を行く超高度な科学技術を持ち、ある日いきなり襲いかかってきて、どれだけ呼びかけようと一切の応答を返すことのない不気味な存在なのだ。
そんな不気味な敵が抱えている正体不明の「物体」とも言えない重力場など、どう考えてもろくでもないものであるとしか思えなかった。
嫌な予感どおりの妙な兵器でなければ良いのだが、とハインリヒはCOSDAR画面の件のマーカを睨み付けるように注視し、ああこれをもし口に出してしまえば、縁起でもないフラグ立てるなとジェラルドが嫌な顔をするのだろうなと、少しだけ口の端を歪めた。
■ 12.10.2
殆ど黑に近い連邦軍戦闘機色であるダークグレイに塗られた機体が、離着床の向こう側の端からひとつ、またひとつと地面を離れてふわりと浮き上がるとそのままゆっくりと高度を上げ、高度50mに達したところで地球重力の軛を断ち切って急加速し、青い空の中へと消えていく。
その離陸する間隔は、空力ジェット戦闘機が滑走路を利用して離陸していた頃の何分の一でしかなく、黒い機体が一機空に向かって急激な加速で消えた後、五つ数える間もなく次の機体がその後を追って空を駆け上がっていく。
南北から僅かに20度ほどずれ、方位34から方位16に向かって長辺約2400m、方位07から方位25に向けて短辺1600mほどの長方形に近い広がりを持つエクサン・プロヴァンス宇宙軍基地の離着床であるが、充分な安全距離が確保出来るため、離着床南部、中央部、北部にそれぞれ駐機している三グループ同時に行っている。
即ち、約5秒ごとに三機の戦闘機が離陸していっており、ジェット戦闘機が滑走路を利用して離陸していた頃の数倍の速さで部隊が離陸していく。
とはいえ全体で二百機以上の戦闘機が配備されているこの基地に於いては、全ての機体が離陸を終えるまで十分近い時間が必要となる。
離陸の順番が回ってくるまでまだ五分近い待ち時間がある達也は、自機のキャノピを開けたまま空に向けて真っ直ぐに上昇して行く戦闘機達の姿を眺めていた。
「レイラも言っていたが。今日が正念場だな。」
キャノピを開けたコクピットの縁に斜めに腰掛けて、達也と共に空を見上げていたスライマーンがぼそりと言った。
その声は、気密が保持されているHMDヘルメットを通して達也が直接聞くことは出来なかったが、整備兵が着けているヘッドセットのマイクに拾われてレシーバを通じて達也の耳に届いた。
「酷い戦いになるだろう。そんな気がする。これまでも節目節目の戦いはいつも、大量の戦死者を出す酷い戦いをしてきた。今回は場所が場所だ。いつも以上に悲惨な事になる上に、戦死者の殆どが地球に戻ってくる事さえ出来ないだろう。中身が空の墓が山ほど立つな。」
スライマーンが上に向けていた視線を達也に戻す。マイクを通して少し歪んだ溜息の音がレシーバから聞こえた。
「死ぬなよ。クソの様なイカレた戦場を幾つもくぐり抜けて、折角ここまで生き延びてきたんだ。ゴールが見え隠れし始めてんのに、こんなところですっ転んじまったんじゃ泣くに泣けねえぞ。」
いつもどこか冷笑めいた色を湛えているスライマーンの眼が、今はまるで嗤っていなかった。
「戦闘中に生きるか死ぬかはな、確率で決まるんだ。特に宇宙空間ではそうだ。遠すぎて敵の姿なんて見えない。だから、敵が何をしようとしているのか分からない。敵の撃つ弾も見えない。そもそも光の速さで飛んでくるレーザーなんざ避けようも無い。自分が居る場所を、たまたま運悪く敵のレーザーが通過すれば、死ぬ。俺達が出来る事は、その確率を少しでも下げようと藻掻くことだけだ。そしてその確率は、どんなに頑張っても、絶対にゼロにはならない。」
ヘルメットバイザー越しにスライマーンと眼が合った。
スライマーンは楽しさや喜びと云ったものが一切含まれていない嗤い顔を顔に浮かべて達也の眼の前に右手の拳を突き出した。
「それでも、だ。生きて帰って来い。帰ってきたら、たまには祝杯でも挙げるか。」
そう言って今度は普通の笑顔を見せた。
「お前ムスリムだろうが。」
「ここはフランスだ。中東じゃ無い。大丈夫だ。」
「言ってろ。」
そう言って笑いながら達也は、突き出されたスライマーンの拳を右手で殴り飛ばした。
「さ。そろそろ時間だ。キャノピを閉じろ。俺も降りる。」
スライマーンがコクピットの縁から腰を上げた。
達也がコンソール上に表示されているコクピット開閉ボタンを押すと、金属とセラミックと炭素繊維を何層にも重ねた重く分厚いキャノピがゆっくりと降りてくる。
「グッドラック。」
キャノピが閉じきる前、狭くなるキャノピの隙間からスライマーンが指先まできちんと伸びた敬礼をしているのが見えた。
キャノピが閉まり、コクピットの中が闇に包まれる。
眼が慣れてくると、コンソールやボタン類の明かりがぼんやりと見え始める。
外部光学センサ映像の中で、スライマーンがヘッドセットのジャックを抜いてパネルを閉じ、コクピット脇のステップを畳み地面に寝かせるのが見えた。
他の整備兵達と共に、スライマーンが駆け足で機体から離れて行く。
「こちらLFMX(エクサン・プロヴァンス宇宙軍基地)コントロール。フェニックス、離陸を許可する。隣のアシーナ(9140TFS)に続いて離陸。隊長機から、五秒間隔。」
達也達666th TFWの隣に駐機していた9140TFSの機体が次々と浮き上がり、ゆっくりと上昇して行く。
やがて達也達の機体が列を為している666th TFWの先頭のレイラ機が同様に機体を浮上させ、徐々に高度を上げていった。
L小隊のポリーナ、ヴィルジニーと続く。
斜め前のヴィルジニー機が上昇を始めた五秒後、達也もスロットルを開けて重力推進器の出力を上げ、機体の周りに地球の引力とは逆向きの重力場を発生させてゆっくりと機体を持ち上げた。
高度50mに達したところで、斜め上に浮いているヴィルジニー機が加速度を上げ、掻き消す様に青空に向かって吸い込まれていった。
同じく達也も、高度計が50mを指したところでスロットルを開け、加速度を100Gに設定する。
足元に広がっていた基地の離着床が一瞬で遠ざかり、ふわふわと漂う雲の層を一瞬で突き抜けて更に高空へと駆け上がる。
「フェニックス、こちらLFMXコントロール。大気圏離脱後はSPACSニケの指示に従え。諸君の武運と戦果を祈る。暴れてこい。グッドラック。」
大気圏を駆け上がり、朧気に青く霞む地球を離れ、星々の輝く大海へと突き進む達也の機体を追いかける様に基地管制官の声が聞こえた。
もしかするとこれが地球の見納めになるのかも知れないと思いつつも、しかし達也は振り返ることをしなかった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
うーん、離陸シーン引っ張りすぎかなあ。
ここで美少女キャラを使わずに、ひげ面ムスリムのオッサンを使うから、この小説は人気が出ないのですね。わかります。w