10. 離着床
■ 12.10.1
06 April 2054, Aix-en-Provence, Bouches-du-Rhône, France, The day of Operation 'Red Storm'
A.D.2054年04月06日、フランス、ブローシュ・デュ・ローヌ、エクサン・プロヴァンス、作戦「レッドストーム(赤い嵐)」当日
春の穏やかな日差しが降り注ぐ中、達也は白いコンクリートが引かれた広い離着陸床を歩いていた。
ファラゾアとの戦いが航空機を中心としたものであった頃、航空機が基地を飛び立ち、そして戦いを終えて再び基地に戻ってくるその場所は滑走路(Run way)と呼ばれていた。
その戦いの場が宇宙空間に徐々に移り、その戦場で戦う戦闘機械が空力を不要とするいわゆる宇宙機へと替わっていくに従って、推進器がターボファンジェットエンジンから重力推進へと移り変わり、その推進器特性によりもたもたと地上を滑走する必要が無くなって、エプロンの駐機スポットから直接空に向かって舞い上がるのが普通の離陸方法となっていった。
旧来の空力のみで飛行する航空機がまだいくらか運用されている航空基地、空軍基地ではそういうわけにはいかなかったが、擁する戦闘機の殆どが宇宙機である宇宙軍基地では場所を取るばかりの滑走路を廃し、その代わりに大量の宇宙機を並べておくことが出来るように格納庫前のエプロンを拡張した。
やがてこの広大なエプロンは「離着床(Landing site)」という名称で呼ばれる様になり、格納庫から引き出された機体は離着床の駐機スポットに並べられ、駐機スポットから直接機体を浮かせて空に向かって飛び上がっていく、というスタイルへと替わっていった。
宇宙軍だけで無く空軍においても、ほぼ全ての機体が重力推進を搭載している戦闘機の離発着についてはこのスタイルがすでに主流となっている。
以前は重力推進を併用して滑走路から飛び上がるのが正式な離着陸方法であり、エプロンから直接飛び上がるのは緊急時の特例であった事を考えると、管制官の怒鳴り声を無視してエプロンから直接飛び上がっていたのが随分昔のことの様に思えてくる。
帰還した後に決まって飛行隊長から呼び出され、延々と続く説教に対して緊急時の措置であり必要だと思ったからそうしたのだと、屁理屈を並べ立てて正当性を主張した事も今となっては懐かしく思えるほどだった。
ただ、離着床から直接飛び立つ方式の最大の問題は、広大な離着床の端の方に自機が止められていた場合、そこに辿り着くまで多数の駐機スポットとそこに駐められた他の機体、その間を忙しなく走り回る整備兵達を避けつつ、風雪や暑さ寒さといった極限の天候に耐えながら延々と歩き続けねばならないというものだった。
ともすると機体全長が30mにもなる宇宙機を並べて駐めておく離着床は、当然の事ながらそれなりに広く作られており、反対側の端まで2kmも延々歩かされることなどザラだった。
そんな時には、腹を括ってクソ重いフル装備のまま風雨に耐えて遙か長い道のりを踏破する覚悟を決めるか、或いは自分の部隊の整備兵が乗っている装備品運搬車両を上手く見つけ出して便乗する、確実な方法としては指令棟近くの路上に駐められていることが多いお偉いさん移動用の電動カートをかっぱらってきて何人かのパイロットで分乗して行くという手もある。
勿論、基地にはその為のパイロット用の兵員輸送車も在るのだが、その数は充分とは言えず、上手く捕まえて乗車できるかどうかは運に大きく左右されるというのが実状であった。
出撃開始時刻まで未だかなりの時間があり、季候も良いので、これから何時間、事によると何十時間も続く真っ暗い宇宙空間での飛行に備えて、南仏の穏やかな春の気候の中で地球の空気を存分に楽しみながら自分の機体がある駐機スポットまで徒歩で向かうつもりであった達也に、後ろから声がかかる。
「ようタツヤ、乗ってけよ。」
振り返ると、レイラやレイモンドなど666th TFWのパイロットが数人、ミサイル搬送用車輌に便乗して近付いてくるのが見えた。
荷台に固定された艶消し黒灰色のグングニルミサイルに片手を掛け、斜めに荷台に腰掛けて何人ものパイロット達が脚をぶらつかせながらこちらを見て笑っていた。
もちろん、武器搬送車の荷台に、しかもあろうことか実弾が積載されている状態でそこに腰掛けて兵員が便乗移動することは、議論の余地無く基地内輸送安全管理規定違反である。
そんな事を気にする様な連中でないのは分かっていたことだが。
そもそもその様な行為を諫めるべき編隊長が、ミサイルのノーズコーンの上に座ってこちらを見てニヤニヤと笑っている。
何とも酷い話だった。
達也は、敵艦を一発で屠る威力を誇る反応弾頭ミサイルに馬乗りになってご機嫌な上官を見てため息を一つ吐くと、ミサイルの尾部近く、目立たない場所にちゃっかり座っている優香里の隣によじ登って荷台に腰掛けた。
「あんた、歩いて行く気だったの? 物好きね。」
「今日は天気も良い。狭いコクピットに何時間も押し込められる前に、南フランスの空気を楽しむのも悪くない。」
そう言って達也は空を見上げる。
南仏特有の淡い水色の空に、羊の毛の様な柔らかな形をした雲が幾つも浮いている。
優香里からの反応が無い事を不審に思って、視線を隣の優香里に戻した。
彼女が何か不可思議な物を見たかの様に、僅かに眉を顰め険しい視線で達也を見ているのと視線が合った。
なぜその様な表情でこちらを凝視しているのかと、今度は達也が眉を顰める番だった。
「あんたがそんな気の利いた人間らしい台詞を吐けるなんて。ヤバい。火星に雪が降るかも。」
「失礼なヤツだ。お前、俺を何だと思ってる。」
「未来からやってきたキリングマシーン。パイロット特化型の。」
と、後ろから笑いを含んだジェインの声で合いの手が入った。
「概ね同意。弾が当たっても融けて元に戻りそう。」
と、ジェインの向こう側のナーシャ。
「あたしはちゃんと人間だと思ってるわよ。ただし頭の中の99%が『ファラゾアコロス』で埋まってるだけよね。残り1%であたし達と会話してる。」
後ろに座るジェインとナーシャに視線をやった達也に、優香里がさらに追い打ちをかける。
という馬鹿な会話をしている間もミサイル搬送車は他の部隊の機体が並ぶ離着床を進んでいく。
分かっている。
この部隊に集まってきているトップエース達でも、今日これから行われる作戦に対してナーバスになっているのだ。
人類史上初めての、宇宙艦隊同士での会戦。
人類史上で最も遠く地球から離れた場所で行われる大規模な戦闘。
初めて他の惑星まで移動して、その周辺宙域で行われる大規模な戦い。
不安を感じない者など居ないだろう。
ST部隊だけで無く、現在宇宙軍で戦闘機のパイロットとなっているものは皆、空軍時代に世界中に数多く存在する航空基地でそれぞれエースと見なされた者が殆どだった。
戦いの舞台が地球大気圏内から宇宙空間へと移り、それに伴って腕の良いパイロット達を宇宙軍へと転籍させ、来るべきファラゾアとの決戦に向けて宇宙機のパイロットへと転換させたのだ。
そんな腕っこきばかりのパイロット達も、地球人類が、そしてもちろん自分自身もこれまで経験したことの無い戦いに不安を感じている。
ここエクサン・プロヴァンス宇宙軍基地においても、出撃に向けて準備する数百人のパイロット達の間に、いつもと違う硬くピリピリとした雰囲気が漂っているのが感じられる。
ヒッカム、嘉手納、エドワーズ、ヤル・スプなど、数ある他の世界中の宇宙軍基地においても、似た様なものだろう。
エースパイロット達の中のさらにトップばかりを集めたこの666th TFWでさえ、やはり同じように何もかもが初めての戦いに向けて、皆の表情が心なしかいつもより硬い気がする。
それを、ミサイル運搬車の上に鈴なりになって隊長以下部隊のほぼ全員で規則違反をするという馬鹿をやり、くだらない話題で無理に盛り上がってその不安を誤魔化そうとしている。
運搬車の荷台の前方では、レイモンドとウォルターがいつも通りの掛け合い漫才をやっている。
曰く、俺この戦いから帰ったら売店のニコレットちゃんに告白するんだ、何が帰ったらだ先週末部屋に連れ込んでただろうがバカモノ。
馬鹿お前やめろそんな事を言っていると還って来れないぞ、とミサイルの上からレイラがレイモンドの頭を蹴り飛ばす。
良いんだよこうやって徹底的に色々やらかしてりゃ、却って逆に還って来れそうじゃねえか、とレイモンドが笑う。
バカお前周り見てみろ、今の発言でニコレット隠れファン全員敵に回したぞ、と冷ややかな声でウォルター。
何言ってんだヤったのバラしたのオメエだろが、とレイモンドが自爆して笑いを誘う。
ぎゃあぎゃあと大騒ぎする馬鹿を山盛りにして、ミサイル運搬車が離着床に駐まる出撃準備中の戦闘機の群れの中を進んでいく。
そのバカ騒ぎが通り過ぎていくのを、周囲の戦闘機に取り付いている整備員やパイロット達が顔を上げ、ミサイル運搬車に鈴なりになって騒ぐST達に目をやると、またいつもの馬鹿どもが緊張感無く大騒ぎしていると、呆れたような苦笑いを浮かべて互いに顔を見合わせている。
本人達にそこまでの意識があったかどうかは分からないが、離着床の中をゆっくりと抜けていくこの馬鹿騒ぎの山車は、その周囲で戦闘準備を進める兵士達の過度な緊張を緩和する役割を果たしたのも確かであった。
やがて達也達を載せたミサイル運搬車は、666th TFWの機体が駐まる駐機スポットへと辿り着き、便乗していたST達は荷台から降りてそれぞれ自機へと向かう。
「とうとう、決戦ね。」
達也と並んで歩くレイラがポツリと呟く。
その表情からは先ほどまでの馬鹿騒ぎの余韻はまるで消え失せ、少し切れ長の目が見上げる空を切り裂くかのように鋭さを帯びている。
「これが決戦だというコメントは無かったが?」
パイロット達や多くの兵士達を集めて昨日行われた作戦説明会では、敵の本拠地と主力に痛烈な一撃を与えるための重要な作戦であるとの説明はあったが、この戦いが決戦であるという言葉は無かった。
しかし、地球から引き上げていったファラゾア達が太陽系内で半ば本拠地のようにして占領し、続々と戦闘機を製造している火星へと攻め込むこの戦いが、決戦と言っても誤りでは無い極めて重要な戦いであることは、誰もが理解していた。
この戦いがファラゾアを打ち負かし太陽系から蹴り出すための最も重要な戦いであると、説明を受けた全ての兵士達が信じていた。
「勝てば敵の主力に大きなダメージを与えることが出来る。負ければ大量のエースパイロットや最新鋭の戦闘艦を失って、戦況は大きく後退する。決戦と言わずしてなんて言うの。」
「確かに決戦、だな。だがやることはいつもと変わらない。突っ込んでいって、手当たり次第敵を墜として、還ってくる。それだけだ。負ければ後が無いのも、これまでと同じだ。」
と、レイラと並んで歩きながら達也が言い放つ。
それを聞いたレイラが横目で達也を見て、そして下を向いてクツクツと笑いを漏らした。
「アンタ、ホントに変わらないわね。99%が『ファラゾアコロス』だっけ? 確かにそれだと、いつもと変わらないわ。」
「だから言っているだろう。やることはいつもと変わらない、と。」
いつの間にか達也の機体の脇にまで歩いてきいた二人だったが、レイラが拳で達也の右肩を殴りつける。
「上がる前にあんたと話せて良かった。これでも結構ビビってたのよ? お陰で少し楽になった。」
「編隊長がビビってるとか言って良いのか。」
「アンタぐらいにしか言わないわよ。」
そう言って後ろ向きに手を振りながらレイラは達也から離れ、自機に向かって歩き去っていった。
その後ろ姿を見送る達也は、軽い溜息を吐き、そしておもむろに自分の機体へと身体を向けた。
搭乗用のステップの下にはスライマーンが待機しており、笑いながらこちらを見ている。
なんだかんだと、スライマーンとの付き合いも長い。
反応弾頭を抱えて「死神」と呼ばれていた頃には、ストラスブールにある666th TFWの飛行隊本部との繋ぎ役として。
その後も、半ば達也の専属整備兵として、潜水機動艦隊を始め行く先々で顔を合わせてきた。
「整備は完璧だぜ、エースの大尉殿。」
「いつも済まないな。」
「なに、こっちゃそれが仕事だ。敵を自分の手で直接殴りつける快感も無い代わりに、敵に墜とされる危険も無い。自分が整備した機体が前線で大活躍した噂話を聞くのも、それもまた良いもんだ。」
そう言いながら、達也がよじ登る搭乗用ステップに脚を掛けて固定していたスライマーンが、達也がコクピットに潜り込むと同時に自分もステップの上に上がってくる。
「ファラゾアだけじゃ無くて、とうとう編隊長まで撃墜か? やるねえ、色男。」
と、コクピット脇に置かれた搭乗用ステップの上からコクピットに首を突き出したスライマーンが、ハーネスを固定する達也にヘルメットを差し出しながら笑う。
「女は戦争が終わるまで作る気は無い。」
そのヘルメットを受け取りながら、達也が仏頂面で言う。
その受け取ったヘルメットの後頭部に、エメラルドグリーン色のステッカーが貼られているのに気付いた。
囲みの飾りの中に、アラビア語が並んでいるのが分かる。
「そこの方がもっと御利益ありそうだろ? 死ぬなよ?」
シンガポールで生まれ育ち、西アジアでの任務もそれなりに長くとも結局アラビア語が読めるようにはならなかった達也だったが、昔スライマーンがコンソールに貼ってくれた、クルアーンの一説を抜き出した「幸福の言葉(Lucky Words)」であることは分かる。
スライマーンなりの心づくしと云ったところか。
「ああ。ありがとう。還ってくる。必ず。」
そう言って突き出されたスライマーンの拳にに右手の拳を打ち付ける。
ヘルメットをかぶり、左から右に1/4回してガチンと音がしたところでヘルメットがロックされた。
ヘルメット後頭部のコネクタにスライマーンがプラグを差し込むゴツゴツという音を聞きながら、まだ電源の入っていないHMDヘルメットの中で達也はぼそりと呟いた。
「これ以上目の前で自分の女が死ぬところなど見たくもないからな。」
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
やっと火星に攻め込みます。
ふー。ここまで長かった。