9. マニュアルアプローチ
■ 12.9.1
銀の砂を散らしたような漆黒の宇宙空間に、真円から少し欠けた青い地球が頭上に見える。
地球から約50万km離れたこの場所からでは、その青い星は夜空に掛かる月よりも少し大きい程度にしか見えず、今自分が母星を離れて彼方の宇宙空間を飛んでいるという事を意識する事による何とも言いようのない妙な心細さと、一方ではわずか二十年ほど前まではSF映画の空想の中でしか辿り着くことの出来なかった場所に毎日のように気軽にやって来る事が出来る様になった地球人類の科学技術の進歩を誇らしげに思い、またまさに自分がその場所にいることに対して素直に感動する心の動きもあり、もうすでに何度やって来たか分からないほどに宇宙空間の飛行経験を積んでなお、色々な感情の混ざり合った思いを込めて頭上にHMD投映される地球の外部光学センサ画像を達也は眺めていた。
「フェニックス02、こちらTDコントロール。マニュアルアプローチ。針路そのまま、距離2.5。50Gにて減速。」
「マニュアルアプローチ、距離2.5、減速50G。」
無数の星が散る宇宙という大海に浮かぶ青い星を見上げている時間を、宇宙空間のレーザー通信によるクリアな音声が断ち切った。
達也は頭上へと向けていた視線を正面に戻すと、緑色で表示されるドッキングモードの針路マーカが、はるか前方2500kmに浮かぶテラナードリームの青いマーカと重なっていることを確認した。
テラナードリームに接近するほどに、四角いリーダブロックがHMD映像の中でゆっくりと接近してきて、後方へと飛び去っていく。
宇宙空間では風が吹いているわけではないので、地球の大気圏内で給油機に接近するときのように不安定な気流を気にして小刻みに針路を微調整してやる必要も無い。
一度針路を正確に合わせたら、その後の微調整はスロットルや操縦桿を操作するよりも、コンソール下から引き出したキーボードから数値入力してやる方が上手くいくほどだ。
そもそもが、本来であればシステムに格納されている自動ドッキングシーケンスを走らせれば、人間が不器用な手でヨタヨタと機体を操縦するよりも遙かにスムースにドッキングできるようになっている。
とはいえ今日はそのシステムを使用せずにテラナードリームへと着艦する訓練を行っている。
緊急時に備えてシステムの自動ドッキング機能を凍結するようなことはなされていないが、ズルをして自動シーケンスを使ってドッキングすれば一発でバレる。
そんな事をすれば、同じ事を何度もやり直しさせられた上に、後で散々厭味を言われるのが目に見えている。
ファラゾアにあらゆる電子システムを蹂躙され、これまで散々に酷い目に遭ってきた地球連邦軍は、戦闘機械に対しては人間の手に一切頼らず自動で完璧にやってのけるシステムの搭載と、そしてその戦闘機械を操作する兵士には逆に自動システムに頼らず全てを手動で完璧にやり遂げる能力の、両方を必ず求める。
今日はその、ボタンひとつ自動で出来るシステムを搭載している機体を、わざわざ自動処理機能を全てOFFにして全て手動で機体を操作して、十万kmの彼方からテラナードリームに接近、着艦して補給を行い、再び飛び立つ訓練を行っていた。
「フェニックス02、針路加速度宜候。距離500km。」
「フェニックス02、コピー。」
テラナードリームを示す青いマーカの脇に表示される距離の数字が見る間に小さくなっていく。
距離が300kmを切る頃から、HMD映像の中であってもズームを使わずに白い点として表示される艦隊を認識できるようになってきた。
「フェニックス02、ファイナルアプローチ。フライトデッキ03、重力アレスタ起動。距離50km、速度5.0。針路維持。」
「フェニックス02、フライトデッキ03。Gアレスタ起動を確認。距離40、速度4.0。」
潜水空母に着艦するときと同じ様なリーダブロックの連なりがHMDに表示され、その四角の中心にフライトパスマーカを合わせてブロックの中をくぐり続ける。
重力アレスタが展開され、その有効範囲を示す紫色の小さな直方体がテラナードリームの脇に表示されている。
太陽光を受けて銀色に輝く巨大な艦体が、リーダブロックの脇を急速に接近して来る。
何度見ても、不格好な艦だと思う。
ファラゾア艦の洗練された直線的かつ、要所要所に無理の無い優美な曲線を組み合わせて、無駄を一切省いた様な美しいデザインに較べて、様々な配管や突起物、放熱板や突き出したアンテナ状のものなど、平滑さとはほど遠いテラナードリームの艦体外殻は、一昔前のSF映画で出てくる、継ぎ接ぎだらけで少しパンクなデザインの宇宙船を彷彿とさせる。
継ぎ接ぎだらけというのは言葉の綾では無い。
実際に、破壊され回収されたファラゾア戦艦の船殻の一部など、再利用可能なものは例え敵のものであっても、強度向上や工期短縮のため僅かな加工を行った上でそのまま利用していると耳にしたことがあった。
それを技術力生産力の足りない未開種族の混沌と貧困と嗤うか、或いは形振り構わず文字通りあらゆるものを活用して強大な敵に立ち向かうバイタリティと呼ぶか。
その地球人のバイタリティの権化の様な艦が、正面から急速に接近して来る。
指定されたフライトデッキ03は、艦体左舷側面に「展開」されている。
達也は自機の下面をテラナードリームの艦体左舷に向けて、3km/sという速度で最終的な着艦アプローチに入った。
「フェニックス02、距離3km、速度0.3。GPU停止。アプローチ。」
「ミートボール、グリーン。Gアレスタ領域確認。アプローチ。GPUストップ。」
G(重力)アレスタとは、少し遠い将来「重力アンカー」と呼ばれるものの原型で、所定の空間に重力場を生成し、その空間内に存在する物体を固定する、或いは加速して打ち出す、または空間外から進入してきた物体の相対速度を急激に減速させ停止させる事を目的としたものであり、要は重力を利用したカタパルトである。
人工重力を操作する技術を手に入れた地球人類がまず最初に行った事は、従来空力で飛行していた航空機に重力推進を付与して、技術的に隔絶していたファラゾア戦闘機の機動性との間に横たわる巨大な溝を埋めようとする事であったが、その次に思い付いたのは重力を使って加速した物体を目標にぶつけること、即ち重力レールガンであった。
その結果、80mm砲弾を毎分1200発、初速15km/sで打ち出す80mmGRRG(Gravity Recoilless Rail Gun)、通称「スーパーボフォース」と呼ばれる傑作砲が生み出されるのであるが、一方で同技術は開放された空間で同じ様な使い方をすることで「重力カタパルト」という技術を生み出した。
要は上述の通り、所定の空間内の物体に対して運動エネルギーを与える重力場の事であるのだが、どんな空間であれどの様な形状であれ一定の運動エネルギーを与える事が出来るこの技術は汎用性が高く、色々な場所で利用されることとなる。
艦載機を発艦/着艦させる必要がある空母のフライトデッキも、まさにその様な場所であった。
達也の機体は相対速度2.9km/sで、テラナードリームの艦首側から左舷に沿ってすれ違う形で急速に接近した。
その達也の機体を左舷に展開された「フライトデッキ03」、即ち重力カタパルトが捉え、機体を急激に減速させる。
「フライトデッキ」とは慣例上付けられた名称であり、そこに航空甲板の様な長く平滑な面が存在する訳では無い。
重力カタパルトは1800Gもの加速度で達也の機体を僅か500mで相対的な静止状態にするが、カタパルトの重力場の中ではいわゆる自由落下状態であるので、機体にも達也自身にも一切負担がかかることは無い。
カタパルトの「場」の中は均一な重力場となっている為、妙な潮汐力が発生する事もない。
僅か0.3秒ほどでテラナードリーム左舷を掠めて飛び抜ける速度ですれ違う筈だった達也の機体は、ほぼ一瞬で減速し、テラナードリーム艦体の中央部よりやや後方辺りでピタリと静止した。
その後機体はゆっくりと艦体に接近し、5mの間隔を残したところで艦に機体の腹を向けて完全に静止した。
「フェニックス02、位置00、速度00。アレスティングアーム、アプローチ・・・キャッチ。ハンド、ロック。確認。フェニックス02、ハンガーイン。」
艦体に開いた開口部から折り畳まれていたロボットアームが伸びてきて、機体下面に設けられている把持用の突起を先端のハンドが掴む。
ゴトリという音が機体を伝って聞こえてきて、同時に僅かな衝撃がある。
その後、達也の機体を掴んだアレスティングアームは再び艦体開口部に畳み込まれ、同時に達也の機体を開口部の中に引き入れた。
「フェニックス02、ハンガーイン。ハンガークルーは爆装作業とB2レベル整備を実施せよ。」
開口部のカバーが閉まりきる前に、詰め所に待機していた整備兵に指示が飛ぶのが聞こえる。
この開口部は「補給用ハンガー」と呼ばれ、搭載武器を使い果たした戦闘機が作戦中に一時的に着艦して、短時間のうちに武装を再装填し軽整備を行って再びすぐに飛び立つための簡易的な格納庫であり、テラナードリーム艦体内部深くに設けられている、艦載機格納庫とは別物である。
要は、昔々4.5世代のジェット戦闘機に乗ってファラゾアと戦っている頃に、20mm機関砲の弾薬と燃料を使い果たした機体は基地に戻り、短時間のうちに弾薬の補充と軽整備だけを行ってすぐに再び基地を飛び立って戦線に復帰していた、あの頃の戦い方と同じと考えれば良い。
補給用ハンガーのカバーが閉じられ補給作業が始まっても、補給用ハンガーの内部は与圧されない。
与減圧の時にどうしてもロスする空気は宇宙空間では血の一滴にも等しく貴重なものであり、そもそも戦闘中には与減圧する時間が惜しい。
無重力の中、様々に色分けされた船外作業服を着た整備兵が機体の周りを漂い、機体各所のチェックと、スタブ翼に取り付けられていたダミーミサイルを取り外して再度取り付ける再爆装作業を行う。
船外作業服を着ての作業は作業効率を低下させるが、その分整備兵の数を投入した上で、船外作業服には金属板が取り付けられており不慮のトラブルによる作業服の損傷を防いでいる。
補給作業の間、達也はキャノピーを開けることさえ無くコクピットから離れずに、チェックリストを使って行われる整備兵からの確認作業に受け答えする。
「B2整備完了。オールグリーン。チェックリスト、コンプリート。」
「再爆装完了。グングニルMk-2四発。チェック願います。」
ものの数分で補給整備作業は終わり、機長である達也の確認を求める声が聞こえた。
「爆装チェック。グングニルMk-2四発確認。ピンガーチェック。完了。問題なし。フェニックス02、再出撃可能。」
「こちらTDコントロール。フェニックス02、再出撃可能。フライトデッキ03、発艦シーケンスに入る。作業員はピットへ退避。急げ。ハンガードア、オープン。」
テラナードリームの管制オペレータの声が聞こえると共に、機体の周りを漂っていた整備兵が皆壁面に貼り付き、ある者は壁を蹴って、別の者はハンガー壁面に設置してある手摺りを伝って詰め所に戻っていく。
整備兵達が詰め所に戻りきらないうちに補給用ハンガーの扉が開き始め、その隙間からちょうど地球を見ることが出来た。
扉が開ききると、折り畳まれてハンガーの中で機体を固定していたアレスティングアームが展開し始め、達也の機体は艦体の開口部から徐々に宇宙空間へとせり出していき、機体の向きを180度変えられて機首がテラナードリームの艦首方向を向く。
再びゴトリという音が機体を伝わり、アレスティングアームが機体を放したのが分かった。
ふわりとした浮遊感。
「アレスティングアーム、イジェクト。フェニックス02、セパレート。Gカタパルト作動、5秒前、3、2、1、ゴー。フェニックス02、射出完了。グッドラック、フェニックス。」
オペレータの秒読みが終わると共に重力カタパルトが作動し、足元に見えていたテラナードリームが一瞬で後方に消えた。
達也は重力推進器を作動させ、テラナードリームの軸線から機体を外して上昇する。
「TDコントロール、こちらフェニックス02。補給完了。世話になった。」
達也はテラナードリームの管制オペレータに礼を言いながら機体の周囲を見回す。
左舷前方にPHOENIXとキャプションが付いた青色のマーカが三つ浮いている。
先に補給訓練を終えて待機状態となっている、レイラ達L小隊の三機だった。
グングニルミサイル四発の再装填作業を終えて発艦を終えるまで僅か十分足らず。
戦闘機に大型のミサイルを四発も取り付けることを考えれば、この時間で補給が完了することは驚異的に早いのだという事は理解している。
重いミサイルでも整備兵一人で持ち運びできる無重力空間での作業であることが有利に働いているのだ。
しかし実際の戦闘になったとき、その十分間を確保するだけの余裕があるだろうかと思いながら、達也は再び操縦桿を捻り、針路をL小隊のマーカに合わせた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
勝手ながら夏休み取ってました。更新遅くなり申し訳ありません。
リアルの方がまだまだ予断を許さない状況ですが、できるだけ元のペースに近くなる様、ペースを上げて更新していきたいと思います。
しかし、重力カタパルトがあるとは言っても、3.0km/sでアプローチするってどうなん?
現代の空母に対して音速で着艦アプローチする様なもんで、止まる止まらない以前に、僅かな操作ミスで大惨事になるだろ、と。
80mmGRRG(80mm重力無反動レールガン)の名称を変えました。
もとは80mmGRG(80mm重力レールガン)でした。
AGGによる加速は、AGGとの作用反作用の関係が無いので、例え弾速の初速が15km/sという無茶な速度でも、砲本体への反動は基本的にありません。それを名前に反映しました。
実際は、砲弾がバレルを通過する際、真空になるバレル内部での空気の流れや、砲弾が砲口から飛び出す瞬間の衝撃波などで、幾らかの衝撃は発生するとは思いますが。
というか、15km/sの80mm砲弾(推定500gくらい?)を1200発/分でぶっ放したら、付近に人間居たら死ぬでしょうね。超音速衝撃波が1200BPMで襲ってくるとか、地獄。