4. フライング
■ 12.4.1
機首が向いている軸線上にほぼひとかたまりで表示されていた敵マーカが、距離5万kmを切った辺りから複数に分かれて、重なり合いつつも徐々に膨らんで見え始める。
しかし接触時の相対速度13000km/sとSAPCSに予想された超高速では、膨らみ始めた敵マーカの集団が、先ほどまでよりもさらにもう少し膨らんだかと思えた次の瞬間には、既にすれ違い後方に消えている。
例えば1万km先でファラゾア機群が200kmの範囲に散らばっていたとしても、その角度は約1度にしかならない。
一方、1万km先であろうと、今の相対速度では僅か1秒足らずですれ違ってしまう。
1万km以上先のファラゾア機群を、HMD上でどれ程ズームして個別に識別しようとも、パイロットの手動操作によってその僅かな角度差を調整して短時間で照準を合わせるなど不可能である。
全て自動照準に頼った上でパイロットが出来る事と云えば、攻撃の意志をシステムに伝えるためにトリガーを引き続けること、レーザー砲の光路がブレて狙いを外す事の無い様に、余計な動揺を機体に与えないこと、ターゲットセレクタを回して優先的に狙うべき敵を手動で選択する程度であった。
達也はHMD上の敵マーカを睨み付け、マーカのすぐ隣に表示されている距離を常に意識の中に入れて確認していた。
急速に縮まる距離の中、敵戦闘機群を示すマーカが徐々に膨らんでいく。
敵に撃墜が出ているのかどうか、ズーム画面の中でさえ重なり合っている敵マーカの数が減っているかなど、判りはしない。
ただ自動照準システムが、1万kmを越えてはるか先の目標でも精確に狙いを付けていることを信じてトリガーを引き続けるのみ。
増設された巨大な900mmx800MWレーザー砲は、その発熱量に見合った冷却機構と、これも巨大な放熱板を備えており、トリガーを引き続けても砲身が過熱するような事は無い。
直進してくる敵戦闘機群を真正面に置いて、そこに向かってこちらも直進するということは、すれ違いの瞬間に敵の群れの中を突っ切るという事であり、ごく低い確率ながらも敵と正面衝突する危険があるのは百も承知だった。
宇宙空間でこの相対速度で衝突するならば、機体は一瞬で爆散し、生きて帰れる可能性など万に一つもありはしないことは良く理解している。
しかしそれでも敵の針路を真っ直ぐ正面に捕らえることで、僅かであっても敵が横方向に動く速度を抑え、撃ったレーザーが敵に命中する確率を少しでも上げるために、達也は確率と幸運に身を任せて敵を正面から捉え続けた。
HMD視野の中で敵戦闘機群をズームしたウインドウの中、幾重にも重なる敵マーカが一気に大きくなりウインドウ全体に散らばって見えるようになったと思った次の瞬間、1万km/sを越える速度で敵とすれ違い、敵マーカが全て視野から消えた。
すぐに操縦桿を引き、機首を180度反転させて再び敵をガンサイト内に捉える。
今度は相対速度1万km/sで遠ざかっていく敵を追撃する形になるが、やることは同じだった。
狙いは自動照準に任せて、トリガーを引くだけ。
そのまま単純作業のように敵に向けてトリガーを引いていると、しばらく経ち敵との距離が20万kmにまで広がった頃に再びSAPCSからの通信が入った。
「フェニックス、こちらアヌマティ04。攻撃中止だ。もう届かん。二百五十三機中百八十六機を撃墜。残六十七機。上出来だ。そのまま加速を継続せよ。フェニックス月軌道再到達は980秒後の見込み。850秒後から再度砲撃を開始する。その間地球宙域の近接防衛システムで対処する。」
達也達スクランブル出動した機体は、既に地球から150万km近く離れており、まだ遠ざかりつつある。
現在1000Gで地球に向かって加速しているが、速度を殺しきり再び地球へ向かって飛行して、敵戦闘機群に再度攻撃を仕掛けるまで十五分近く時間がある。
「フェニックスリーダより各機。生存を確認する。点呼。」
編隊各機とさらにSAPCSは、レーザー通信のネットワークで繋がっているので、レイラのコンソール上には通信可否が一目で分かるリストが表示されているはずだった。
即ち、通信可能であればまだ生存しており、通信不可であれば撃墜されている可能性が高い、という判断になる。
しかし稀に、通信機は生きていてもパイロットは死んでいる、と云う様な事態が発生するので、特に撃墜されても機体が墜落する訳ではない宇宙空間の戦闘では、戦域離脱後の点呼は案外に重要な確認事項である。
「08、生存。」
「09、生存。」
「フェニックスA2、生存。問題無し。」
マリニーと優香里からそれぞれの生存が、沙美からA2小隊の無事が報告される。
機体の状況については、何か異常があれば報告することとなっているので、何も言わないという事は異常無しと取って良い。
「フェニックスA、生存。」
「フェニックスB、生存。」
達也が中隊の無事を伝えると同時に、レイモンドからもB中隊の無事がレイラに報告された。
「諒解。アヌマティ04。フェニックス、全機生存。問題無し。」
「オーケイ、フェニックス。無事で何よりだ。全体では八機の損害が確認されている。次の攻撃に備えて、一息入れてくれ。」
666th TFWと共に出撃したスクランブル機は五部隊六十八機であった。そのうち八機が撃墜された。
一回のスクランブル出撃で10%を越える損害の発生は、余り宜しくないな、と達也は感覚的に理解した。
ファラゾアの降下点からあふれ出す敵機を抑えるため、連日出撃していた頃の経験であった。
一回の出撃で10%の損害が出るのであれば、単純計算で十回出撃すれば戦力は半減する。
当時、各航空基地に十五から二十部隊、二百機前後の戦力を抱えて毎日のように出撃してファラゾアと戦っていた頃、十日で半減する戦力に対して失われた戦力、即ち百機の戦闘機と百人のパイロットを同じ期間のうちに補充することなど不可能だった。
さらに云うならば、半減した戦力に対して補充されるパイロットの半数かそれ以上は新兵だ。
当然だった。
他の基地も同様に消耗と補給の間のアンバランスに苦しんでおり、熟練兵を余所に回す余裕などないのだ。
そして補充された新兵の何割かが最初の戦闘で死ぬ。
次の戦闘でも、多少は改善しつつもほぼ同数の新兵が消える。
となれば、例え十日間で百人のパイロットが補充されたとしても、十一日目に残っている兵士の数は百五十人に満たない数となる。
そしてその半数が次の十日間で消えていく。
それを何度か繰り返した後、パイロットの数が戦線を支える基地を維持するには絶対的に不足するようになる。
その状態で出来ることと云えば、基地を放棄し、戦線を下げ、パイロット達を一つ後方の基地に合流させて数を揃える事のみ。
そしてその基地でもまた同じ事が繰り返される。
そうやってジリジリと、確実に人類の生存域は縮小され、その分だけファラゾアの支配地域が拡大し、そしてファラゾアの支配地域が拡大した分だけ人々の絶望も大きくなっていったのだ。
地球人類の本拠地である地球からどうにかファラゾアを追い出したものの、地球人類にとってはほぼ未知の領域、ファラゾアにとっては有利な宇宙空間で、また同じ事が起ころうとしている。
地上の航空基地からパイロットが続々と機種転換し、宇宙へ上がってきている今の内は補充も潤沢に行われるだろう。
しかしいずれ地球上に「ストックされた」パイロットの在庫も尽きる。
その時、地球人類はそれ以上ファラゾアを押し返すことが出来なくなり、押し戻された戦線はいわゆる限界点を迎え、完全な膠着状態を迎える。
或いは限界点を超え、再び押し戻されるかも知れない。
そうなれば、戦線は際限なく押し返されることとなり、地球人類は地球の外に出て行くことが出来なくなる。
戦闘が膠着し長期化したときに、地球という生産拠点しか持たない地球人類と、地球以外の全てを生産拠点、補給拠点として用いることが出来るファラゾアとの戦いで、どちらが有利であるのか、考えるまでも無い事だった。
「タツヤ、アンタ、フライングしたでしょ?」
自身の過去の経験に照らし合わせ、舞台を宇宙空間に移した現在の戦いの行く末を悲観していた達也の耳に、レシーバを通したレイラの声が届き、達也は意識を思考の海から現実へと戻した。
どうやら彼女は、敵との距離がSAPCS指示の15万kmよりも遠いうちから達也が砲撃を開始したことを咎めているらしかった。
確かにその通りなのだが、宇宙空間でレーザー光は見えないはずであり、とすると運良く命中が出て敵の数が減ったのを確認したのだろうが、砲撃開始をフライングしたのが自分だとなぜ分かったのか。
「そんな事するのはアンタくらいのもんよ。指示にはちゃんと従いなさいよ、ったく。」
考えを口に出したつもりは無かったが、まるで心を読んだかの様にレイラは達也の思考に対して返答を返した。
レイラがぶつくさと文句を言うのは当然だった。
達也が行ったフライング砲撃は、明らかな命令違反だった。
勿論、命令違反である事を理解した上で、達也はトリガーを引いたのだが。
「何か問題がある訳ではないだろう。運良く当たれば、敵に被害を出せる。無意味な指示に従う必要も無い。」
宇宙空間で直進するレーザー砲の射程とは、地上で撃つ大砲の射程とは少し意味が違う。
遮るものの無い宇宙で、減衰すること無くレーザー光は直進する。だから、目標がどれだけ遠かろうが、命中は出る。
波の性質を持つ光の回折による拡散で、遠距離になればなる程レーザー光の径は広がってしまい、それに応じて単位面積当たりの投射エネルギー量が低下するので、例え命中したとしても目標を破壊できなくなる。
現在地球連邦宇宙軍が、戦闘機に搭載されたレーザー砲に対して与える「射程」という指標は、0.5秒の照射で確実にクイッカーを破壊できること、というものだった。
勿論実際にはその指標は数値化され、テストが行われた上で「射程」という数字が導き出されているのだが、達也を含め兵士達にとって「一撃でクイッカーを墜とせる距離」と理解する方が簡単かつ現実的だった。
何よりも、射程圏外だからといって砲弾が地面に落下したり直進性が損なわれたりする訳ではないのだ。
砲弾数に限りが有る訳でもない。
上手く当たって敵に損害を与えられればラッキー、むしろ射程外からでも撃たなければ損、ただの機会喪失というのが達也の考えだった。
「いや、そうなんだけど。指示は指示でしょ。従いなさいよ。軍人として。
「・・・まさか、アンタ達もやったんじゃ無いでしょうね?」
見える訳ではないが、遙か彼方の閉ざされたコクピットの中でレイラが頭を抱えて諦め声と溜息の混ざったぼやきを呟いている姿が想像できた。
そして彼女の矛先は、他のST部隊員にも波及した。
「へ? やるでしょ、ふつー。むしろ何でやらないの? 当たればラッキー。誰がやったか分かる訳じゃなし。」
「遠いとなかなか当たらないんだけどねー。」
「近付くまで撃つなとか言う方が意味不明。ほぼ利敵行為。敵を墜とせるチャンスは最大限活用しないと。」
A2小隊の三人の笑い声が宇宙空間にこだまする。
ある意味予想通りの答えを返してきて、レイラの眉間に刻まれる皺の数と深さが更に増加する。
「まさかとは思うけど、ユカリ?」
「え? いやー、部下は上官の背中を見て育つ、って言うし?」
「・・・マリニー?」
「え? 何の話かしら? 聞いて無かったわ?」
部隊内オープンでこれだけ喋っていてそんな筈があるか、と喚きたくなるレイラの耳に、レイモンドが大笑いする声が届く。
「まあ、こういう奴等だよ。アンタもいい加減諦めろよ。」
「なに他人事みたいに言ってんのよ。アンタはどうなのよ。」
「俺か? んなもん、言わなくたって分かるだろ?」
レイモンドが笑いながら返す。
それを聞いたA中隊の面々の笑い声が響く。
「まさかB中隊も全員そうだ、ってんじゃないでしょうね?」
「中隊長の教育はちゃんと行き届いてるぜ?」
徐々に疲労の度合いを増していくレイラの問いに対して、レイモンドの代わりに低く落ち着いたウォルターの声が応えた。
「・・・L小隊、アンタ達はアタシを裏切らないよねえ?」
もうほぼ怨嗟の籠もった様な声色で、レイラ自らが直接指揮するL小隊の二人に尋ねた。
「え、えーと。あたし常々物事は民主主義的に判断されるべきだと思ってて?」
とポリーナ。
「・・・ヴィルジニー。」
「はっはっは。愚問だね。」
既に諦めきった声色へと変わったレイラの問いに、とどめの一撃の様な答えが返った。
「ホント、アンタ達って。アンタ達って。」
レイラが今まで以上に深く大きな溜息を吐きながら、諦めきった口調で言った。
そこにSAPCSからの通信が入る。
「フェニックス、こちらアヌマティ04。攻撃再開まで300秒。各機敵位置を再確認せよ。地球を射線に入れるな。
「それと、良い事を教えてやる。編隊長が編隊内クローズ回線で喋ってても、誰かがオープンにしてるとそこから漏れるぞ。」
「げ。」
「あーあ、バレちゃった。」
「いいんじゃないの? 今更だし。」
「アンタ達~。基地に戻って飛行隊長に呼び出されるアタシの身にもなってみなさいよ。罰としてアンタ達全員晩飯抜き。」
「メシ抜きだって。ユカリ~。明日非番だし街に呑みに行こっか。こないだの店良かったし。」
「だから聞こえてると言っとるだろうが、バカモンが。」
戦場がどこであろうが、真面目にやる気がないというか、締まらない奴等である。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
投稿一回飛ばしてしまいました。申し訳ない。
ですが、来週もちょっとリアルが忙しくて、一回投稿できるかどうか、という所だと思われます。
なんとか最低でも一回の投稿はしたいと考えてます。
途中までストイックだった話が、なんか途中からグダグダなことに。
真面目な話の連続に、作者の精神が耐えられなかった、とも言います。
次の話はちょっと気を取り直して、シャキッとした話をば。