3. GNSFAPG-81D Mjolnir type D (ミョルニルD型)
■ 12.3.1
「忙中閑あり」という日本語を昔何かの小説で読んだことがあるな、と達也は軽い苦笑いとともに思い出していた。
宇宙空間での戦闘はまさにその言葉の示すとおりで、秒刻みのスケジュールで行動している筈のスクランブル出撃であっても、出撃した後、数千万km彼方の敵と接触するまでには数十分もの時間が必要となる。
出撃後の機体再チェックなど、どれ程ゆっくりやっても十分もあれば終わってしまう。
そうなると残り数十分、ジリジリと焦れながら、遙か彼方から来襲する敵との距離カウンターが減っていくのを睨み付ける以外、何もすることが無くなる。
忙中閑あり、どころではなくとことん暇になる。
地球の大気圏内の戦闘であれば、敵勢力圏に接近していく間も、ともすると200kmもの彼方から長距離狙撃を狙ってくる敵からの攻撃を警戒し、時には頭上遙か数十万km彼方の敵艦隊からの艦砲射撃にも注意せねばならない。
滑走路を離れ敵勢力圏に近づき警戒態勢に入った後には、或いはことによると滑走路の上に居るときからすでに、目に見えない敵からの攻撃を警戒して常に気を張っていなければならなかった。
ところが宇宙空間の戦闘では、遙か一億km彼方からでも敵を探知することが可能であるにもかかわらず、地球側戦闘機の攻撃はもちろんのこと、さしものファラゾア戦闘機のレーザー砲であってもそれほどの距離を届く事は無く、遮るものが何も無い宇宙空間で余りに離れすぎていてなかなか交戦距離に入ってこない敵を、他に何が出来るでも無く焦れながら待ち続けねばならない。
そもそもが、大気圏内にあってはメートル単位、或いはキロメートル単位であったHMDに表示される敵マーカとの距離が、宇宙空間に出た途端1000km単位での表示となる。
HMDマーカの脇に距離150と表示されればそれは、150kmではなく、15万kmという意味であるのだ。
さらに云うならば、HMDには1000万kmより遠い敵が表示されることも多い。
その場合は、距離の桁数が多くなって見間違いを防ぐために、距離の数字の右側にアルファベットの「M」を反転塗りつぶし表示して、百万km単位での距離表示となる。
ちなみに目標との距離が近く、単位がkmであるときは数字自体が反転塗りつぶし表示となり、さらに接近してメートル単位であるときには反転塗りつぶしの上に赤色で表示される。
宇宙空間で目標物との距離をメートル単位で表す事など、ステーション等とのドッキングの時以外は有り得ないのだが。
同時に、通信上口頭で距離を伝える場合、km単位の場合は数字の後ろに「k」、千km単位の場合は「kk」、百万km単位の場合は「Mk」、普段使用しないが、十億km単位の場合は「Bk」を付けることとなっていた。
例えば270kmは「270k (トゥセヴンゼロケイ)」、38万kmは「380kk (トゥリーアイトゼロケイケイ)」、1900万kmは「19Mk (ワンナイナエムケイ)」と云った具合である。
数字の後ろのアルファベットはそのまま発音される事が殆どであるが、誤認防止の為フォネティックコードによる繰り返しを追加する事も許容されている。
例えば、「19Mk」を「ワンナイナエムケイ、マイク、キロ」などである。
ちなみにフォネティックコードであるが、対ファラゾア戦の中心となった国連軍の主導的立場であったEUが伝統的にNATOコードを用いていた為、それがそのまま引き継がれ、連邦軍全体でNATOコードが利用されている。
今達也が睨み付けているHMDスクリーン上に表示されている敵マーカの横には、まさにその様な距離表示が並んでいる。
38という数字の横に反転塗りつぶしのM。
即ち、敵戦闘機部隊との距離3800万km。
更に加速し、2000G近い急減速をしながら急速に接近してくる敵とすれ違うのは、地球から100万km以上離れた、月軌道の遙か外側の宇宙空間。
敵との距離や、月や地球との位置関係を気にしていると、余りの数字の大きさに感覚が付いて行かず混乱することになる。
接近してくる敵を迎撃するという戦闘行為のみに集中するならば、距離の大きさなどと云ったその様なものは無用であるのでもう気にしないことにしていた。
SAPCSから指示されたとおりに飛び、HMDマーカの距離表示が15万kmを切ったらトリガーを引く。
必要なものは、HMDに表示される数字のみ。
余計なことを考えて混乱すれば、それだけ隙を生み、そして墜とされる可能性が上がる。
突き詰めれば、やらなければならないことはそれだけであり、ファラゾアを墜とすという目的は今までと何も変わりはしない。
しかし眼で見て肌で感じた敵を追い立てる熱く直感的な航空機での戦い方とは全く異なる、冷たく無機的とも言えるその宇宙空間特有の戦い方に、達也は物足りなさに似た違和感を感じているのも確かだった。
「フェニックス、針路修正、33,00、加速そのまま。敵戦闘機隊まで60万km(600kk)。接触まで約60秒。」
「こちらフェニックス01、諒解。針路33,00。」
敵は見えているのに何もすることが無い、永遠とも感じる苦痛の時間を過ごした後、SAPCSから針路微調整の指示が入り、それにレイラが応えているのが聞こえた。
「フェニックスリーダより各機。カウント3で針路を33,00へと変更する。3、2、1、ナウ。」
レイラの指示により、十六機のミョルニルD型が一斉に針路を変更する。
宇宙空間では、密な編隊を組んでいると言っても互いの機体の間隔は数十から数百km離れている。
連邦宇宙軍戦闘機制式色であるほぼ黒に近いダークグレーに塗装された、たかだか30m程度の大きさの戦闘機など、100kmも離れてしまえばまともに視認など出来る筈もない。
ところがそれに引き換え、1000Gもの高加速度で飛行していれば、速度ゼロからでも僅か5秒で250kmも移動してしまう。
HMDに互いの機体のマーカは表示されているとは言え、万が一の接触事故を避けるために、進路変更などでのタイミング合わせは案外に重要な問題となってくるのだ。
広大な宇宙空間で接触事故などまず起こる筈は無いのだが、可能性はゼロでは無く、またその手の事故は油断していると得てして発生するという半ば法則化したような経験則、そして万が一接触した場合には確実に機体は大破しパイロットは死亡する凄惨な結果になるという深刻さから、接触事故に対する対策を疎かにしてはならないとされている。
「フェニックス接触まで40秒。ヘッドオン。相対速度13500km/s。距離15万(150kk)にて射撃開始。」
SAPCSからの通信がファラゾア戦闘機群との位置関係を知らせてくるが、既に達也は聞いていなかった。
意識は全て急速にカウントダウンしていくHMD上の敵マーカとの距離表示に注ぎ込まれており、視線もそこに固定されて動かない。
距離表示の千kmの桁はとても眼で追うことは出来ない速度で変化しており、万の桁でさえも1秒以下の間隔でカウントダウンされていく。
双方の距離が急速に縮まっていく。
30万kmを切ったところで、達也はふと思い付いた。
SAPCSは、15万kmから攻撃を開始しろと言ったが、別に30万kmから撃ち始めても構わないじゃないか。
レーザーなら、「弾薬」に限りが有る訳でも無く、撃ったところでそれが誰かから見える訳でも無く、誰かにばれる訳でも無い。
帰還した後、機体のログを調べられるとバレる訳だが、だからといって遠くから撃って何か拙いことになる訳でも無い。
ならば少しでも早く撃ち始め、運良く一発でも命中弾が出て、僅かでも敵にダメージを与えられる方が良いに決まっている。
尤も、命中弾が出ればフライングしたことはバレてしまうのだろうが、僅かでも敵を減らせたならそんな事はどうでも良い。
ファラゾアの戦闘機群との距離が20万kmを切ったところで、達也はトリガーを引いた。
従来のミョルニルは、コクピット下両舷に240mmx300MWレーザー砲を二門備えていた。
ミョルニル登場以前に活躍していた航空戦闘機、或いは初期世代の宇宙戦闘機に較べれば、ひとクラス上の威力を持つ強力なレーザー砲を備えているのが売りであった。
しかしそのミョルニルの強力なレーザー砲でさえ、広大な宇宙空間を相対速度10000km/sを越える高速で接近しすれ違うファラゾア機を迎撃するには物足りなかった。
射程外から一瞬で近づき、そして追い縋る地球側の戦闘機を嘲笑うかのように一瞬で振り切って射程外に逃れていく。
全ての地球人パイロットは、未だ大きく存在する隔絶した技術力の差と、想像以上に困難な宇宙空間での戦闘を目の当たりにして、己の余りの非力さに皆戦慄した。
艦砲かと見まごうばかりの大口径且つ大パワーのレーザー砲を外付けで搭載し、全く足りない電力供給を、これも外付けで追加のリアクタを使用して強引に補う。
射程を長くし、パワーを向上させることで、少しでも長く敵を射程内に捉え続け、一瞬で射程外に逃れていく敵機に追い縋り、当たりさえすれば確実に一撃で撃破できる。
800mmx900MWレーザーを機体上面に二門、外付けで強引に固定し、さらにその後ろにレーザー砲にパワーを供給する為だけの増設リアクタを設置した。
従来型のミョルニルでは、せいぜい8万kmも届けば上出来であったレーザー砲を、強引な方法で有効射程15万kmにまで伸ばし、そして敵に手が届くようにした。
自分達にとっては未知の領域、敵にとってはホームグラウンドである宇宙空間で、好きなように暴れ回るファラゾア機になんとか対抗しようとして生み出された不格好で歪なこの機体が、強大な敵と未知の領域に挟み撃ちにされ藻掻き続ける地球人類の、今できる最大の回答であった。
達也が出来る事は、ガンレティクルが敵マーカのどれかに合っていることを確認し、トリガーを引き続けるだけ。
互いに減速加速しながら、20万kmの距離をすれ違うまで僅か12秒。
すれ違った後、敵が再び20万km以上離れるまで18秒。
一回目の接敵はその僅か30秒で、その間にどれだけの敵を墜とす事が出来るかが、地球周辺宙域から月軌道内部に潜り込む敵をどれだけ減らせるか、にかかっている。
HMDのズーム機能を使わない限り、20万km彼方で数百kmの範囲に散っている敵機の個体識別などできはしない。
たとえ出来たとしても、そんな僅かな角度をパイロットの操作で調整するなど不可能だ。
全てを自動照準に任せ、「AIMED」の表示が出ていることを確認してトリガーを引く。
追跡機能のある自動照準であっても、光の速度で往復1秒以上ある距離の敵に命中させることは非常に難しい。
当然それは相手側にも言える。
狙いを付けレーザーを撃つ。
それをランダム機動を行って外す。
移動先を予測して狙いを付け直す。
それをまた外す。
距離が縮まって直接照準可能となるか、或いは確率によって命中するか。
とにかくそれを繰り返す。
そして敵を攻撃している間も、当然こちらもランダム機動を繰り返す。
光が届くのに時間のかかる遠距離であろうが、数を打ち込めば、偶然でも命中する確率は上がる。
こちらも自動照準で狙いを補正しているが、当然ファラゾア側もこちら以上の性能のレーザー砲と照準機能を持っているだろう。
そこに地球人の優位性である、反応速度の速さによる格闘戦能力の高さは殆ど関与しない。
中世の騎士のトーナメント戦の様に、互いに高速ですれ違いながら撃ち合うことが多い宇宙空間の戦闘では、ドッグファイトの様な格闘戦はあまり発生しない。
つまり宇宙空間の戦闘では、数を揃えられるファラゾア側が圧倒的に有利であり、地球人はその優位性の殆どを封じられた状態にあるのだ。
逆にファラゾア機は、そもそもが宇宙空間で戦う事を目的とした戦闘機であり、高酸化性の地球大気という邪魔な存在から解き放たれてその性能を十全に発揮出来る。
これが宇宙を「ファラゾアのホームグラウンド」と呼ぶ理由の一つでもあり、そして戦場が宇宙空間に移ってから地球人側の損耗率が再び跳ね上がる事になった理由でもある。
逆の言い方をすれば、いかに自分達の得意とする状況へと敵を引きずり込めるか、が勝敗の鍵を握っていると言っても過言ではない。
格闘戦が成立するのは、敵側も速度を落とさざるを得ない地球周辺宙域のみである。
個別の戦闘の優位性のみを考えるのであれば、地球人側としては月軌道の内側にだけ引き籠もって、有利な状況でのみ戦闘を行いたいところではあるのだが、物量を揃えてくるファラゾアに対してそうも言っておられず、地球に接近して来る敵を漸減する為に数百万kmの彼方まで飛び出していってインターセプトを行っているのだった。
距離20万kmを僅かに切ったところで、「AIMED」の文字が一瞬消え、再び表示された。
どうやら運良く命中が出て、一機撃墜できたらしい。
達也はトリガーを引き続ける。
その達也の視界、左上方で何かが一瞬光った。
反射的にそちらに視線をやると、被弾した味方機であろう、白く鋭く光る何かが急速に光を失いつつ、まるで流れ星の様に前方に向かって流れ消えていくのが一瞬見えた。
この距離なら他の隊の機体だろうか。
また一人、誰かがこの暗く冷たい宇宙空間でMIAとなった。
感情を動かすこと無く達也はその消えていった光の先から視線を外し、再び敵マーカを睨み付けながらトリガーを引き続ける。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
本格的に宇宙空間での戦闘なのですが・・・やっぱり有視界でドッグファイトする地球大気圏内に較べると、緊迫感が出づらいですねえ。
やっぱり宇宙空間では、物量のぶつかり合う艦隊戦の方が華がありますね。
スター○ォーズみたいに、有視界飛行での戦闘機格闘戦でもあれば手に汗も握るのでしょうけど・・・あまりに非現実的で、流石にそれは出来ない・・・