20. バクリウ基地
■ 2.20.1
自分の意志に反してバルカン砲が反応しなかった事で我に返った達也は、バクリウ基地までの移動のみを指示された為、自機のバルカン砲に弾丸が装填されていない事を思い出した。
20mm砲弾どころか、あらゆる武装を全く搭載していない丸腰で、そもそも燃料も僅かな量しか補給されていなかった。
出発前に整備兵に言われ自分でも確認をした筈なのに、死の恐怖と敵に喰らい付く高揚で完全に忘れていた。
操縦桿を強く左に倒し一瞬で180度ロールした達也の機体は、ファラゾアの接近を避けるように再び急激にターンする。
ファラゾア機も、達也の機体に攻撃機動を取られた事に気付いたらしく、高加速により一瞬で移動して消えた。
「もう一機はどこだ!?」
視界確保に優れたF16Vのキャノピーとは言え、後方や下方まで全て見えるわけでは無い。
「お前の後だ!」
「クソ!」
左旋回しようとした動きをキャンセルし、右にバレルロールから上昇。
「振り切れていない! まだいるぞ!」
背面から急降下。
地面が急激に迫ってきて引き起こし。
引き起こした先に、先ほどのファラゾア機がいるのが見えた。
こちらに向かってくる。
ダメだ。どう避けようとも、二機に挟み撃ちにされる。
ベイルアウトするか?
いや、まだいける。
左に急旋回。
身体中の血液が下がっていくのが分かる。
視野が暗くなり、思考が混濁する。
高度が落ち、地面が迫る。
数十mの高度を音速を超える速度で飛び、超音速衝撃波で吹き飛ばされて地表のあらゆるものが巻き上げられる。
水しぶきと泥と吹き飛ばされた水稲の葉が、達也の機体が飛んだ航跡のように大量に空中に舞う。
しかし達也の視野に再び白銀色をした異星人の戦闘機械が現れる。
近い。
数百mの位置をこちらを向いて同航している。
クソ。弾さえあれば、コイツはとっくに墜とせていたのに。
機体がこちらを向いているという事は、敵のレーザーもこちらを向いているという事だった。
達也が死を覚悟した瞬間、眼を見開いてファラゾア機を凝視する達也の視野の中、そのファラゾア機は突然爆発して地面に叩き落とされた。
地上に落ちたファラゾア機は、部品を撒き散らしさながら稲をなぎ倒して地上を滑り、さながら海上を行く船のように水田に航跡を残した。
「よく頑張った、新兵ども。もう大丈夫だ。」
突然の通信と共に淡いグレイの機体が達也のすぐ近くに急降下してきて、あわや地上にぶつからんとする曲線を描き、アフターバーナーの炎を撒き散らしながら再び空に駆け上がっていった。
「新兵、上昇しろ。まだ稲刈りの季節にゃ早ぇえ。俺達が食う米が無くなっちまう。」
突然黒い影に覆われ、達也は上を見上げる。
超低空で飛行する達也のF16Vの数十m上に、一機のF15が同航していた。
コクピットの中からパイロットがこちらを見下ろしており、見上げる達也と眼が合うとキャノピー越しに軽い敬礼を寄越した。
達也は我に返り、スロットルを握り力一杯押し付けていた強張った左手から力を抜く。
スロットルを戻してアフターバーナーを切り、同時に操縦桿を引いて上昇する。
達也のすぐ後に続いて、そのF15も上昇してくる。
「エルボー03、04。そのサイコーに不幸な新兵どもをエスコートだ。無事にお家まで連れて行ってやってくれ。チムン隊はサイゴンツアーだ。ホーおじさんのツラぁ拝むついでに、ナメた真似をしてくれやがったクソどもをぶっ殺す。」
「エルボー03、コピー。」
「04。」
「チムン、全機続け。バーナーMax。針路05。」
「02、諒解。」
「05、コピー。」
「08。」
1500m辺りまで上昇した達也達の上空を、四機のF16Vがアフターバーナーの炎を引いて北に向かって通過する。
その四機は、達也達新兵が乗っている廉価版のF16Vとは違い、コンフォーマルフュエルタンクを装備した正規版とも云うべき本来の外見を持ったF16Vだった。
敵に追い立てられて逃げ回り、散り散りになっていた僚機が、二機のF15に挟むように守られた達也の後ろに合流してきた。
「タツヤ、大丈夫か?」
アミール准尉がレシーバ越しにも心配そうな声で尋ねてくる。
「Gが掛かる分、シミュレータよりキッツいぜ。惜しいな、弾が入ってりゃ初日で撃墜1だったのに。」
荒く浅い息を吐きながら強がりを言ってみるものの、喋っている自分の声が震えているのが分かる。
明らかにこちらを殺しに来ている敵に、殺そうという意識をむき出しにして武器を向けられ追い回されるのは、勿論初めての経験だった。
手の震えが止まらなかった。
まるで髪の毛がヘルメットの中で逆立っているように感じ、全身汗でぐっしょりと濡れて気持ち悪かった。
革製のグローブをはめて操縦桿を握る掌が、大量の汗でぬるりと滑る。
ファラゾア戦闘機から追い回されている間中、全身の体毛が逆立つ程に怖かった。
その恐怖からやっと解放されたが、しかし今はまともにものが考えられない。
「わはは! それくらい言えりゃ充分だ。たいしたモンだ、新兵。バクリウ基地にオートパイロットを設定しろ。そんなに震える手でスティック握ってちゃ、ランダム機動みたいで危なくて近寄れねえ。」
なぜか達也を頂点としたデルタ編隊を組んだ僚機二機を合わせて、二機のイーグルは新兵が駆る三機のヴァイパーを左右から挟むようにしてエスコートしている。
初陣のパニックから徐々に回復しつつある達也は、自分達の両脇を護衛する二機のイーグルの翼に、小さな赤い丸が描いてある事にそこで初めて気付いた。
今彼等の両脇を固めるヴェテランのエスコートは、もう一つの祖国である日本の部隊だった。
ファラゾアの降下地点を国内、および領土の近くに持たない日本は、その世界有数の空軍力を輸出していた。
もちろんその名目は、周辺国に支援を送り共にファラゾアの侵攻に対抗することであったが、その支援の見返りとして周辺国から多くの資源を受け取っているため、それは実質的な貿易であった。
受け取った資源は加工され、日本国内で戦闘機へと変わり、戦闘機単体、或いは場合によってはパイロット付きで輸出される。
ファラゾア降下点を持つロシアや東南アジアの各国で、輸出された日本製の戦闘機或いは、支援として送り出された日本空軍の部隊が活躍している事は、今や誰もが知っている事実だった。
しかし達也はその日本空軍のイーグルを凝視する。
日本空軍色であるライトグレーに塗られたその機体は、確かにF15イーグルではあったが、しかし達也の良く知るイーグルでは無かった。
操縦席両脇のインテイク横に角度を付けて取り付けられたカナード翼、主翼下で存在感を放つコンフォーマルフュエルタンク、本来の垂直から角度を変え、形状まで変わって取り付けられた垂直尾翼、斜めの垂直尾翼から流れるような曲線で繋がる、下方に垂れ下がったような角度の水平尾翼。
その四枚の尾翼のさらに後方には、推力偏向パドルが取り付けられた大口径のジェットノズルが覗く。
そのF15は一目見た所ではイーグルではあるが、よく見ればイーグルとは全く異なる機体だった。
よく似た機体をゲームの中で見かけた事がある。
戦闘機に強烈な格闘戦能力が求められた時代に開発された、その一つの頂点とも言えるF15の格闘戦能力をさらに向上させた実験機を元に考え出された架空の機体だったはずだ。
ゲームの中ではただ単にF15にカナード翼を付けただけ程度の形状変更であったが、今自分の機体と翼を並べて飛ぶ現実の機体は、元のイーグルとはまるで異なる、獰猛さと妖しさと鋭利さを見事に調和させたような美しさを持っていた。
やがて、霞む地平線上にバクリウ基地が見えてきた。
一目で未だ拡張中であると分かるその基地は、しかしすでにタンソンニャット空港よりも広い敷地を持ち、まるで緑一面の水田地帯の真ん中に浮かぶ巨大空母のように堂々たる存在感を放っていた。
「UN3841, This is BKR control. Runway B3, clear for landing.」
もうかなり時間も経ち、流石に手の震えも収まった達也は、管制塔からの指示に従い危なげなく着陸する。
タクシーウェイを回り、管制塔前のエプロンに停機してキャノピーを上げ、整備員が持って来たラダーがコクピット脇に掛かるゴトリという重い音を聞いて初めて、丸腰のままファラゾアに追い回され、味方の到着が一瞬遅ければ撃墜され死んでいたという危機的状況から脱したのだという実感が湧いてきて、深い溜息を吐いてシートの中に身を埋める。
「お疲れさん。いきなり酷い目に遭ったらしいじゃないか。知らせじゃ四機って話だったが、一機は墜とされたのか?」
ラダーを上がってきた整備兵が、コクピットの中で脱力する達也に話しかける。
二十代前半位の歳に見える若い整備兵だった。
「ええ。いきなり遠距離から撃たれて。脱出する暇も無く。」
「そうか。そいつは運が無かったな。アンタもそうならないように気をつけろよ。」
そう言いながら整備兵は達也の身体をシートに縛り付けているハーネスを取り外していく。
ウォン少尉が撃たれ爆散したときの映像が記憶の中で蘇る。
ここは戦場、最前線だった。シミュレータの中の仮想空間では無い。
ちょっとした気の緩みや、無用な戸惑いが元で命を落とす。
実際、ウォン少尉が墜とされたのは、すぐに退避行動をとらずまごついたからだった。
達也達新兵は皆、教育課程の中で何度も繰り返し教わっていたのだが、今初めて実感として納得できた気がした。
ハーネスのバックルが立てるガチャリという音で我に返る。
「ああ、すみません。自分でやります。」
そう言って達也はシートの上で身を起こし、ハーネスを外す。
整備兵が自分を見ているのに気付いた。
「・・・? 何か?」
「いや。普通は初めて敵に襲われると、余りの恐怖に降りて来た後も手が震えてしばらく動けなかったりするパイロットが多いんだが。」
「あ、それ、上で済ましてきました。降りてくるまでしばらく時間があったので。」
そう言って達也は苦笑した。
実際、オートパイロットに変更するように指示されるほど手が震えて、機体を真っ直ぐ維持する事も出来ないほどだったのだ。
「それでもだ。ククク。アンタなかなか肝が据わってんな。いいね。長生きできそうだぜ。死ぬなよ。」
「有難うございます。」
そう言いながら、達也は汗で蒸れたヘルメットを取った。
南国の太陽がジリジリと照りつけるが、水田を渡り海から吹き込んでくる風が涼しい。
達也は再び整備兵が言葉を失ったように自分を凝視しているのに気付いた。
「? どうしました?」
「・・・あんた、何歳だ?」
ああ、成る程、と達也は思った。
元々十六歳の誕生日に志願した上に、教育課程を激しく飛び級している。
他にも、成績が良かったり、国籍の問題があったりと、色々な要素が絡み合って一般的な新兵とは随分異なったコースを進んだのだろうという自覚はあった。
「もうすぐ十七です。」
「こりゃまた若いのがやってきたな。死ぬなよ。本当に。自分より若い奴が消えていくのは、これで案外堪えるんだ。」
「有難うございます。気をつけます。」
「ま、アンタは運がありそうだ。整備の方は任せろ。」
そう言って整備兵は親指を立ててニイと笑うと、ラダーを蹴り、地上に飛び降りた。
コクピットの中で立ち上がった達也は、ラダーに脚を掛け、地上に降りる。
「お疲れさまでした!」
先ほどの整備兵が機体の下で敬礼をしていた。
階級章を見ると伍長だった。
准 尉である達也の4つ下の階級になる。
どうやら最前線では階級と人間関係について本音と建前があるようだ、と達也は思いながら、整備兵に答礼して踵を返した。
着任の申告をするためにエプロンを横切ろうとする達也にアミールが近寄ってきた。
「どうかしたのか?」
どうやら停機した後、機上でしばらく整備兵と話し込んでいて時間がかかったのを心配しているようだった。
「いや、何でも無い。整備兵と話していただけだ。問題無い。」
「そうか。ならいい。小便でもチビって降りて来れなくなってんじゃないかと心配したぞ。」
「お前こそ、尻に茶色い染みとか作って無いか?」
「ねえよ。しかし助かった。礼を言う。あのまま飛んでたら、今頃生きてない。」
ウォン少尉が爆散した後の行動の事を言っているのだろうと達也は思った。
「お互い様だろ・・・そう言えば、チャン少尉はどうした?」
司令室があると思われる最大の建物に向かう達也は、もう一人足りない事に気付いた。
達也とアミールが振り返る。
キャノピーが開いたコクピットの中から、ラダー下にいる整備兵に対してあっちに行けと喚いているチャン少尉の姿を二人は見た。
整備兵は無茶な指示を出されて、明らかに困惑している。
いや、困惑している振りをしているだけで、面白がっているのかも知れない。
「・・・チビったな。」
「・・・だな。」
二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
超低空超音速飛行は、地上の水や泥などを巻き上げて、後に煙幕を張ったような効果を期待したものです。
ホントにそこまで上手く行くのか? というのはありますが。
それより何より、その近くに住んでる人が居るわけで。
簡単な作りの家なんか吹き飛ばされて大迷惑です。
GoogleEarthとか見て貰えれば分かりますが、バクリウ基地というのは架空の基地です。
徐々に架空のものが増えてきてちょっとずつSFっぽくなっていきます。たぶん。その筈。