18. 国連軍
■ 2.18.1
トラックに乗せられガムペーンセーン空軍基地を出た後、達也を乗せたトラックは首都バンコク近くのドンムアン空軍基地を経由して六人ほど追加の兵士を乗せ、さらに東へと向かった。
メーカーも型式も分からないその兵員輸送トラックの乗り心地は最悪だった。
それでも高速道路の整備状況の良いタイ国内を走っている間は、皆不平不満を漏らす余裕もあった。
舗装があちこち剥がれ、それどころか偶に道路のど真ん中に大穴が開いて水溜まりになっているようなカンボジアの道路に入った途端、「最悪の乗り心地」という言葉はまだ甘かった事を思い知らされた。
そのスクラップ一歩手前の車体の限界とも思える速度で舗装道路とは思えない悪路を疾走するトラックの荷台は、激しく振動し蛇行し時には尻が数十cmも浮き上がるほど跳ね回る状態の中で、幌の支柱やシートの鉄パイプなど、とにかく何でも良いからふき飛ばされないように掴まれる物を握り締めていなければ、荷台に投げ出され叩き付けられた上に、そのまま車外に放り出されそうな酷い状況だった。
輸送を担当しているカンボジア陸軍の兵士達はもちろん英語など喋れるはずもなく、マレー語も、僅かに覚えたタイ語でさえまるで通じなかった。
運転席との境に設けられた、多分元はガラスが嵌まっていたであろう鉄格子の覗き窓を殴りつけ、振り落とされて死にそうだ、少しスピードを落とせこのクソ野郎ども、ぶっ殺すぞテメエ等、などと最前部に座った男が英語で怒鳴りまくっているが、覗き窓の向こうの兵士達はニヤニヤと笑いながらこちらを見ているだけで、アクセルを緩めるつもりは全く無いらしかった。
出せる限りの最大ボリュームで悪態を撒き散らしていた最前列の男も、そのうち舌を噛んだのか、或いは叫び続けて疲れ果てたのか、歯を食いしばって荷台の支柱に捕まり、鬼のような形相で運転席を睨み付けるだけになってしまった。
二日間かかる移動の一日目は、丁度中間地点であるかのアンコールワットで有名なカンボジアのシェムリアップまで移動して宿泊となった。
太陽が西の地平線上で霞む頃、シェムリアップ市街地から少し外れた場所にあるカンボジア陸軍の営舎でトラックは止まる。
ボロいトラックに八時間も激しく揺られ続け、鉄パイプに擦り切れた布を貼っただけの腰掛けに座り身体中あちこち打ち付けた痛みで、達也はもう何もする気力も無くシャワーを浴びてすぐに寝た。
激しく揺られ続けたお陰で内臓の方もダメージを負っており、何を食べる気にもなれなかったのだ。
最前部に座っていた男はトラックを降りた途端よろけながらも兵士達の胸ぐらを掴んで詰め寄っていたが、ニヤけ顔の兵士達に銃を向けられて大人しくなっていたようだった。
翌日、夜が明けると同時に朝食を摂った後、達也達は再びトラックに詰め込まれて移動を開始した。
二日目は、カンボジアの首都プノンペンの近くを通る国道を通るからか、道路の状況は多少はマシだった。と思ったのは気のせいで、もしかするとただ単に酷い揺れのトラックに慣れただけかも知れなかった。
昼を過ぎた頃カンボジアとベトナムの国境を越え、数時間でホーチミン市に到着した。
市外の外れのベトナム陸軍基地でポンコツトラックを降りると、すぐにベトナム陸軍の兵員輸送トラックが回ってきて、再び荷台に詰め込まれる。
この頃にはもう皆ボロトラックに乗せられて引きずり回されるのに慣れており、誰も文句を言う事も無く黙々とトラックに乗り込んでいたのだが、ベトナム軍の兵員輸送トラックは錆が浮いたところや壊れた所も無く、ベンチシートにはちゃんとクッションが置かれており、市内は道路が綺麗に整備されている事もあって、先ほどまでのポンコツに較べてまるでリムジンのような乗り心地だと、半ば呆れながら達也は思った。
当然の事ではあるが、国力の差が道路や輸送トラックの質と云った細かな所に如実に表れているようだった。
「到着しました。国連軍事務所は空港施設内2Fにあります。この者が案内致しますので、パイロットの方は後に続いて下さい。」
資本主義勢力にバックアップされた南ベトナムの首都サイゴンという過去を持っているからなのか、ベトナム軍の兵士は流麗な英語を話した。
ホーチミン市の中央空港であるタンソンニャット空港のターミナルに横付けにされた軍用兵員輸送トラックから降りた十人の乗客の内、達也達パイロットの四人は、汚れ一つ無い戦闘服に磨き抜かれた小銃を吊った兵士に案内されて空港の建物の中に入った。
数年前であれば、到着した旅客機から降りてくる旅行客や、その旅行客を迎えに来た知人やホテルリムジンのベルボーイ達で賑やかであったであろう広い到着ロビーは、戦闘服を着た兵士や出入りの業者と思われる民間人がパラパラと歩いているだけで閑散としており、軍用のブーツを履いた自分達の足音が辺りに反響する音が妙に耳に付いた。
兵士は「NO ENTRY」と書かれた到着ゲート脇のドアを躊躇う事無く開け、達也を含めた四人のパイロット達はその後に続いてドアをくぐる。
ドアの向こう側にはコンクリートの床と白いスチールの壁が延々と続いており、兵士は脇目も振らずにその廊下を歩いて行く。
幾つものドアを通り過ぎ、突然兵士が立ち止まって左側のドアをノックした。
「入れ。」
「国連軍補充パイロット四名、お連れ致しました。」
ドアを開け、兵士は廊下で室内に向けて敬礼する。
「ご苦労。四人とも、中に入ってくれ。長旅ご苦労だった。酷い道だっただろう。私も一度通った事がある。二度と通るもんかと思ったね。」
ドアから奥に続く縦長の部屋の中では、フランス語訛りの英語を喋る白人の男が一人、執務机から立ち上がって入口に向かって歩いてくる所だった。
達也達四人を案内した兵士は、部屋の外の廊下でドアを押さえて待機していたが、四人が部屋の中に入るとドアを閉めて立ち去っていった。
部屋の中に入った達也達四人は横一列に並んで敬礼し、それぞれ自分の名前を名乗る。
「デヴィッド・ウォン少尉、着任致しました。」
「マイケル・チャン少尉、着任致しました。」
「アミール・ビン・ハキム准尉、着任致しました。」
「タツヤ・ミズサワ准尉、着任致しました。」
「遠路ご苦労だった。ナゼール・コルトー大佐だ。国連軍ベトナム駐在部隊司令兼在タンソンニャット航空部隊長だ。まあ、座ってくれ。」
コルトー大佐に着席を勧められ、達也達四人は壁際に寄せてある六人掛けの会議テーブルの椅子に素直に座った。
今や達也の身分は、国連軍航空隊の准尉であった。難民キャンプの国連難民救済事務所で僅かな給料を貰いながらいつも腹を空かせていた頃と比べて世界がまるで違っていた。
タイ湾に面する有名な保養地であったホアヒンの海沿いに建つ、倒産したローカルビーチリゾートホテルを買い取ったシンガポール軍新兵訓練所にて一通りの教育課程を終えた後、戦闘機パイロットのコースに進んだ達也は、二十名ほどの同機の訓練兵達と共にタイ王国空軍のガムペーンセーン空軍基地へと移動した。
本来タイ空軍の訓練兵用施設であるその空港は、今やほぼ国土を失ったと同じ状態のシンガポール空軍が間借りする基地のひとつでもあった。
タイ空軍の施設に半ば間借りしつつ、達也達はシンガポール空軍の戦時パイロット養成課程のカリキュラムを受講した。
ホアヒンのビーチリゾートホテルで受けた新兵とパイロット候補生の一般教育課程と異なり、戦闘機パイロットの教育に特化したパイロット養成課程は、その名の通り戦時の特別措置として成績の良い訓練生に飛び級を認めていた。
達也はその多くの課程でまたもや群を抜く成績を記録し、飛び級で進めるほぼ限界の速度をマークしながら次々と訓練過程を突破していった。
最初の内は達也の説明通り、小さな頃から飛行機が大好きで家庭用ゲーム機やコンピュータのフライトシミュレーションをプレイし慣れているから、という理由で納得していた訓練教官達であったが、飛び級の最短記録を次々と塗り替え、当然の如く課程修了の最短記録と、実技訓練の最高成績をも塗り替えて訓練終了となった達也には、戦闘機乗りとしての天性の才能があるのだとの結論に達していた。
共にガムペーンセーン空軍基地に来た同期入隊の仲間達がやっとジェット訓練機での実習過程を始める頃には、達也はほぼ全ての訓練過程を修了した上で、F16Dを使用した修了確認試験も極めて良好な成績を残して終えていた。
「本来なら最低でも500時間、出来る事なら800時間は飛んでから部隊配備するべきなんだが、こんなご時世だから済まないな。」
ガムペーンセーン空軍基地でシンガポール空軍教育隊長をしているファリシャ少佐は、達也に金色のシンガポール空軍パイロットバッジを渡しながら言った。
本来なら皆と一緒に横一列に並んで誇らしげにパイロットバッジを胸に付けてもらう課程修了式でもらうものだが、他のパイロット達とは少々事情が異なった達也は一人教育隊長室に呼びつけられていた。
「はい、少佐殿。理解しております。」
「まあどのみち貴官は、飛び級の結果もっと短い時間で配備されていたとは思うが。
「さて、わざわざ呼びつけたのは貴官の配属についてだ。日本国籍を持ちつつシンガポール空軍に入隊した貴官には、シンガポール国籍を取得する権利がある。もちろんその場合、日本国籍は手放す事になる。我が国は二重国籍を認めていないのでな。確か日本もそうだったか。
「シンガポール国籍を取得した場合、KLに配属され、我が軍の主力部隊に合流する事となる。」
ファリシャは一旦言葉を切って、テーブルの上に置かれたグラスの水を一口飲んで口を湿した。
「もちろん、日本国籍を持ったままでいる事も出来る。ただその場合は、色々と不利になるだろう。今時の事だから、スパイの容疑を掛けられるような事は無いと思うが、シンガポール人で無い分、装備品の支給などが後回しにされてしまったりする様な事は起こるだろう。本来あってはならん事だが、兵士も人間だ。同胞を優先して外国人を後回しにする様な事もするだろう。
「命を削るギリギリの闘いの中で、劣悪な装備は生存率を下げる原因となり得る。貴官にとって余り嬉しい事では、無いだろうな。」
達也は黙ったままだった。
住んだ事もない国の国籍にこだわるつもりは無かったのだが、しかしいざ国籍の選択を迫られると、まるで最後に残った両親との繋がりさえも絶ち切ってしまうような、そんな思いに囚われていた。
「もう一つ選択肢がある。シンガポール軍人として国連軍に出向する事が出来る。戦っている相手が相手だ。国ごとで対応するのは難しい。特に軍事に金を割けない小国は、まともな装備を揃える事さえ難しい。そこで国連の出番だ。
「国内にファラゾアの降下ポイントが無く、軍備的に余裕のあるEU諸国や日本などが中心となって、国連軍を急速に増強している。その戦力は南米や西アジア、中央アジアなどの充分な航空戦力を持たないエリアを中心に投入されている。
「国連だけに、兵士の国籍は問わない。その代わり、どのエリアに配属されるかも分からない。生粋のシンガポール人であれば、祖国を取り戻すためマレー半島で戦いたいと言うのだろうが、貴官はそうでは無い。国連軍が一番合うのかも知れんな。」
ファリシャは再びグラスを持ち上げて水を飲んだ。
グラスをコースターに戻したファリシャは、再び口を開く事無く達也を見ている。
「一つ質問があります。」
「良いだろう。」
「シンガポール軍人として教育を受けました。新人とは言え、そんな私が国連軍に行ってしまっては、シンガポール軍としては丸損になるのでは?」
パイロット一人を育て上げるの数百万米ドルの金が必要と言われている。
それだけの金を自分に投入して、挙げ句国連軍に逃げられたのでは割に合わないのではないか、と思った。
日本よりも、生まれ育ったシンガポールの方が祖国という意識は強かった。祖国に金と時間を使わせ、その分の役務を返せていないと感じたのだった。
「そこは問題無いし、貴官が気にするような事でも無い。我が国から国連にパイロットを出向させれば、その分ポイントを稼げるような仕組みになっている。事実上国土を失った我が国は、いつか国連に助けを求める事となるだろう。その時に、国連に兵士や装備を供出してきたという実績が効いてくる。貴官が国連軍に行ったとて、我が軍は丸損したりはせんよ。そこは安心して良い。」
「理解しました。私にも条件が有利で、かつ祖国にも貢献できる。日本国籍を維持したまま国連軍への出向を希望します。」
その達也の結論を聞いて、ファリシャ少佐は満足そうに笑った。
それは少しでも条件の良い配属先を希望して生き足掻こうとする自分の選択に対してなのか、勧められた進路を自分が素直に選択したからなのか、或いはシンガポールを「祖国」と呼んだからなのか、達也にはファリシャ少佐の考えまでは分からなかった。
そして達也は再び国境を越え、国連軍が部隊を展開するホーチミン市、タンソンニャット空港へと降り立った。
コルトー司令への着任挨拶が終わると、既に陽が西に大きく傾く時間であったので四人ともが空港近くのこぢんまりとしたホテルに案内された。
翌朝、指示されたとおり朝0700時にホテル前に集合し、ピックアップにやって来た兵員輸送トラックに乗り込む。
トラックは空港ターミナル正面では無く、資材搬入用の通用門に向かい、達也達を乗せたまま空港の敷地内に入った。
ベトナム空軍と国連軍が同居し、雑多に積み上げられたコンテナや資材の山の間を縫って走ったトラックは格納庫の前で停車した。
達也達四人はトラックを降りて格納庫の中に入った。
そこには真新しいF16が四機翼を並べていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
シンガポール軍が外国籍の人間の入隊を実際に認めているかどうかは不明です。
ただ、シンガポールには外国人が多数居住しており、本作の中では、ファラゾア襲撃により国土から追い出されてしまったシンガポール軍は、とにかく兵士の数を揃えたいので外国籍の者の入隊を認め、兵士としての一般教育課程を終えた者に対してシンガポール国籍を崇徳する権利を与える、こととしました。
これでやっとタツヤ君がちゃんと仕事を出来る環境が整いました。