26. ビラヴァハウス
■ 11.26.1
09 August 2052, Transport fluvial et aerien sur le Rhin, Strasbourg, France
A.D.2052年08月09日、フランス、ストラスブール、ライン河川航空運送
毎度の事ながら、新しいおもちゃを手に入れて執務机の向こう側でうるさく騒ぐトゥオマスを、ヘンドリックは迷惑そうな表情を隠すこともなく眺めていた。
新しいおもちゃとは勿論、特殊任務を帯びたコルベット艦が前人未踏の深宇宙にまで足を伸ばして命がけで追跡し捕獲してきた、未知の異星人の駆逐艦の残骸に他ならない。
トゥオマスが報告にやって来ると、仕事が手に付かない。
ただ騒いでいるだけならば追い払ってしまえば良いのだが、話のあちこちに有用な情報や、SF作家特有の、或いは変人に分類されるトゥオマス特有の嗅覚で嗅ぎつけた重要な案件が散りばめられているのが始末に負えない。
残骸の解析を行っているシュツットガルトの工房からトゥオマスと同じ情報を受け取っているヘンドリックが気付けず見過ごしていた様な事柄や、或いは理解できなかった内容について、往々にしてトゥオマスはその情報の指し示す意味を類推し、正鵠を射たコメントを差し挟んだ上でその情報や技術をどの様に扱うべきかの具体的な方針を披露する。
三日と置かず連邦軍参謀本部を訪れ、参謀総長達との会談を行っているヘンドリックにとって、トゥオマスから怒濤の勢いでもたらされる最新の情報を押さえておくことは他の幾つかの仕事を犠牲にするに足る重要度を有していることは間違いが無かった。
問題は、話題が頻繁に脱線し、或いは暴走し、有頂天となったトゥオマスの意味の無い賛辞や妄想が大量に含まれており、それらにかかる時間が無視できないほどの割合を占めることだった。
一度頭が冷えて冷静に話をするときのトゥオマスは、理路整然とした構成で極めて論理的な話をする。
しかし新たな大発見がもたらされた時などの興奮状態のトゥオマスは、今まさにデスクの向こう側で披露しているように、手の付けられない暴走で余人の追随できない論理的な飛躍を次々に行い、次から次へと思いつく新たなアイデアを機関銃のように撃ち出し続ける、迷惑極まりないただの変人であると言っても過言ではなかった。
「トゥオマス、少し落ち着け。一度自分のオフィスに戻って、考えを整理してみたらどうだ。」
この程度で落ち着くはずがないと知りつつも、言わずにはおれない。
「これが落ち着いていられるかね? レーザー反射コーティングだよ。ファラゾア艦が装備している重力シールドでさえどうやったって防御できないレーザーを、完全には無効化できないにしても七割方減衰させてしまう画期的な塗装膜だ。これはすぐにでも解析に取りかからなければならない案件だよ。すぐに取りかかれば、来年進水予定の三号艦の進水に間に合うかもしれないではないか。この表面コーティングがあると無いとでは、戦闘艦の継戦能力に大きな差があると思わないかね? そもそもすでにX線分析でコーティング層の大まかな元素分析と構造解析は出来ているのだ。あとは実際に作ってみて、同じ物とは言わないまでも、せめて八割の性能を持つものを早急に開発せねばならないだろう。
「いいかね、大事なことだからもう一度言うが、このコーティングがあるかないかで我々の艦の耐久力が大きく変わってくるというのは、君も分かっているだろう。本音を言うならば三号艦と言わず、一号艦のドラグーン、二号艦のラーンにもすぐにでもこのコーティングを施したいくらいなのだよ。そこは君も同意して・・・」
「トゥオマス。良いから落ち着け。この駆逐艦の残骸だけに拘っているわけには行かないのは君も知っているだろう。明日にでも『楽園の終焉』作戦(Operation 'To télos tou Elysium')が実施される予定であるのは君も良く知っているだろう。君自身が名付け親になったほどに入れ込んでいた作戦だ。異星人の艦の残骸にばかり感けて、こちらを疎かにするわけにはいかんぞ。そうだろう?」
ヘンドリックは、この話題ならばトゥオマスが我に返るであろうという最終兵器を持ち出した。
勿論実際にその話題について議論しなければならないのは、嘘でもはったりでも無い。
「楽園の終焉」作戦とは、「始まりの十日間」以降に設置されたファラゾアの降下点としても、そして他の全ての降下点に較べても、異常に多数の地上構造物が設置されていること、さらには地球上最大のファラゾア地上構造物が設置されていることにおいても特異的な降下点であると言える、アフリカ大陸ルワンダとコンゴ共和国の国境であるキヴ湖近傍に存在するキヴ降下点に対する攻略作戦である。
本作戦は、地球上最大規模の降下点に対する攻略作戦であり、また十二箇所の降下点を僅か一年ほどで次々と電撃的に攻略したプロジェクト「ボレロ」の最後の作戦でもある。
またキヴ降下点は、他の降下点には無い特徴として、過去に何度も600から1500m級のファラゾア艦の降下が確認されており、ファラゾアが地球上で収穫した地球人類の生体脳の大規模な保管と出荷を担っているものと推測されていた。
また、このキヴ降下点攻略作戦の作戦名「楽園の終焉(Tο τέλος του Ἠλύσιον / The end of Elysion)」は、先ほどヘンドリックが言ったとおり、トゥオマスが考え出したものである。
死後の楽園を終わらせる、という作戦名はまさに、肉体的には既に死を迎えており、摘出された脳だけで生かされ微睡む地球人生体脳を大量に保管しているであろうキヴ降下点と、そこに存在する地球上最大のファラゾア地上施設を攻略する作戦名として適当であろうと、かの連邦軍参謀本部トップ定例会でも全員の支持を得て採用されたのだった。
「楽園の終焉。そうだ。その通りだよ、ヘンドリック。
「済まない。彼等が持ち帰ってきた余りにエキサイティングな拾得物に興奮して、珍しく取り乱してしまった様だね。私とした事が、面目ない。」
熱核融合炉並に熱くて飛んでいたトゥオマスの脳内温度は急速に下がっている様だった。
珍しくなど無い、いつもの事だがな、と思いながらも顔には出さず、ヘンドリックはトゥオマスに新たな話題について水を向ける。
「構わないさ。アレは確かに最高にエキサイティングな調査対象だ。だがその前に調査せねばならないのが、作戦後のビラヴァハウスの調査だ。」
ビラヴァハウスとは、キヴ降下点に存在する最大のファラゾア地上施設である。
キヴ降下点は、至近の街の名前を取って別名「ビラヴァポイント」と呼ばれる事があり、そのビラヴァポイント最大の建造物に付いた名前がビラヴァハウスである。
幅5km、奥行き8km、高さ1500mにも達する、白亜の巨大地上構造物であった。
「ああ、そうだ。そのビラヴァハウスだがね。中でとんでもない物が見つかる可能性があるのだが、気付いているかね?」
トゥオマスがいつもの教授口調に戻ってデスクの向かい側から、椅子に座ったヘンドリックを見下ろす様に言った。
その口調と話し方に少々苛つきを覚えながら、ヘンドリックは応えた。
「地球人の生体脳が何億と保管されているかも知れん、と言うのだろう? その話は前にも話し合ったはずだが? 連邦政府や連邦軍としても結論が出ている。」
「ビラヴァハウスで不良在庫になっている脳ミソの話では無いよ。そんな物は驚くに値しないね。いや、勿論その話も非常に重要な案件なのだがね。」
地球上最大の建造物であり、地球人の生体脳を遙か宇宙の彼方に向けて出荷する為の施設であると云うならば、出荷を待つ地球人の脳がビラヴァハウスの中に大量に保管されているのは当然の事だった。
彼等が以前話し合ったと言うのは、その発見された地球人生体脳の取扱いについてだ。
生体脳であるからして、勿論まだ死んでいるわけでは無く、脳は生きている。
この脳の取扱いが大問題であった。
脳だけ取り出してあるので、養分を与えなければ死んでしまう。
その養分は、ファラゾアの施設内に存在する。
しかし、地球人の調査隊がファラゾア施設内に入ったときには、勿論ファラゾア施設は既に動作していない。
そして有機物の混合物である為、時間が経てば腐敗する。
生体脳に与えるべき養分の成分は既に分析されて既知であるが、地球人側で製造しようとも、調製に手間が掛かる上に量を調達出来ない。
ましてや、生体脳数億個を長期間生かしておく量など。
ただの人間の脳ではなく、ファラゾアに弄り回された後の脳であるので、ただ人間の血液を循環させれば良いというわけでは無いのだ。
つまり、地球人類を救うためにファラゾア最大の降下点へと攻撃をかける事は、即ち生体脳とされてかろうじて生き続けている同胞数億あるいは数十億の命を完全に断ち切る行為に他ならないのだった。
勿論その問題に関しては、地球連邦政府トップを交えて既に答えが出ている。
優先すべきは、まだ生きて、自分の足で地球上を歩いている地球人類であるべきだ、と。
当たり前の話だった。
だが、世論はそれを「当たり前」としないだろう。
数億、或いは十億を越える同胞の命に止めを刺す行為なのだ。
軍を含めた、連邦政府首脳陣は所謂政治家であり、一般大衆がこの様なときにどの様な反応を示すか良く知っていた。
感情に流され、論理性など完全に失われた意見を述べる扇動者が必ず現れ、そして大多数の民衆がその意見に迎合する。
意見の多様性など失われ、社会のほぼ全てが同じ意見一色に塗り潰され、金を稼ぎたいマスコミや自称ジャーナリスト達が考え無しにその火に油を注ぎ、そして完全に収拾が付かなくなる。
議論するまでも無く、彼等の眼には未来が見えていた。
結論として、作戦終了後のビラヴァハウスの調査探索は、その様なデリケートな問題に当たる為に特化した部隊のみを投入する事と決定した。
「ビラヴァハウスの探索には、例の参謀本部直轄部隊を投入する。情報部とウチの調査員がそれに同行する。それで決定しただろう?
「問題は、その調査隊の投入タイミングだ。万が一にも、調査隊がビラヴァハウスの奥深くに入り込んでいるときに、報復攻撃に訪れた敵艦隊がキヴ降下点上空に陣取った、等という事態になるわけにはいかん。まあ、参謀本部が決める事だがね。
「いずれにしても、プロジェクト『ボレロ』最終作戦は、最大の降下点攻略作戦でもある。何が起こるか予想も付かん。作戦部の連中には同情するよ。彼等は就航したばかりの駆逐艦二隻を投入するかどうか、本気で悩んでいたよ。」
「駆逐艦? まるで意味が無い。全くの無駄だよ。前回のカア=イヤでさえ二十五隻もの敵駆逐艦が現れたのだよ。次はより多くの戦力を投入してくると云うのが、従来のファラゾアの行動パターンじゃないかね。そこに地球製の駆逐艦を二隻投入したとて、射的の的にしかならないだろうね。何も出来ないうちに一瞬で沈められて終わりだよ。彼等はその辺りを理解しているのかね?」
「大丈夫だ。流石に本気で投入する様なことはしないだろうさ。あの二隻は火星を攻めるための戦力だ。こんな使い方で失うわけにはいかんよ。」
「当然だよ。何年も掛けたプロジェクトでやっと産み落とした二隻なのだよ。つまらない潰し方をして欲しくは無いね。」
トゥオマスは、すでに進水している駆逐艦ドラグーン、ラーンを筆頭に、ファラゾアに占領され彼らの兵器工場となっている火星を攻め落とす為の宇宙艦隊を開発し建造するプロジェクトであった「アンタレス」の主要メンバーであった。
言わば我が子のような新造艦を、無意味に磨り潰すような使われ方をされるのが我慢ならないのは当然であろう。
「さて、話を戻そう。ビラヴァハウスの調査隊についてだが。我がファラゾア情報局からは八名から十二名の技術者を参加させて欲しい旨打診があった。十名送り込もうと思っている。いつも通り機械と冶金から半分ずつだな。それで問題無いか?」
「いや、今回は生体からも送り込んだ方が良いね。機械、冶金、生体でそれぞれ三名だ。なんなら各四名でも構わないが。」
当然のことであるが、ファラゾア情報局はその内部が幾つもの部署に分かれている。
大まかに言うならば、管理部門、情報解析部門、工学解析部門である。
いわゆる組織の庶務的な仕事を管轄している管理部門は別として、情報系の解析部門と工学系の解析部門は、さらに細かく様々な分野の部署に分かれる。
大まかに言ってしまえば、ファラゾアが採る戦術や行動原理などの解析から、ファラゾア戦闘機械内部のシステムなどのいわゆるソフトウエア的な分野の解析を行うのが情報系であり、戦闘機械そのもの、兵器や推進機関、その他ありとあらゆるハードウエアを解析するのが工学系の解析部門であると分類できる。
今トゥオマスが言った三つの部門は全てこの工学系解析部門に属する。
「生体? 脳ミソの不良在庫には興味なかったんじゃないのか?」
「何を言っているんだね、君は。先ほども言ったじゃないか。そんなものより面白そうなものが見つかるかもしれない、と。」
トゥオマスはこの後延々と持論を披露し、そして最終的にファラゾア情報局、すなわち「倉庫」からトゥオマスの提案通りに三分野十二名の技術者が派遣されることに決まった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
毎度のトゥオマスオーバードライヴです。w