24. 地球周辺宙域
■ 11.24.1
地球から約1億5000万km。
コルベット艦オルペウスの艦橋正面に設置してあるメインモニタには艦が進行する前方の光学映像が投映されており、その中心に存在する青く光る惑星が徐々に光を増し、今では明らかに他の星々よりも明るく輝いて、その星がこの艦の目的地であることを主張していた。
オルペウスは今も太陽系の中心に近い空間を太陽系相対速度0.2光速、約60000km/sの速度で故郷である地球に向かって疾走しており、その後方約3000万kmの位置には同じく0.2光速でオルペウスを追跡し続けるファラゾア駆逐艦三隻からなる駆逐艦隊が追い縋り、攻撃目標である地球製の小型艦にどうにかして追い付き撃破しようとその隙を覗っていた。
もしオルペウスがただ地球に帰り着くことのみを考えて、相対速度を地球に合わせる為に単純に減速したならば、三隻のファラゾア駆逐艦はたちまち彼女に追い付き、圧倒的な火力をもって彼女を破壊し、生まれ故郷である星に帰還するという現在彼女が帯びている任務の最終目標の達成を永遠に不可能としてしまうことであろう。
勿論、オルペウスに乗る四名の乗組員のうち誰もそのような結末を望んでいる者はいない。
単艦にても火力から駆動力、艦の全長に至るまで全てが上の敵艦三隻に追われつつも、いかにして生き延び、地球へと帰還するかを考え抜き、そしてその策略を現在実行している最中であった。
「減速開始まであと30秒。地球まで1億3500万km。敵艦隊は後方2850万kmにて同航。」
希に電子音が聞こえるだけの静かな環境にウェイの声が響く。
艦長であるハインリヒから、敵駆逐艦隊の追跡を命じられており、ウェイはその命に従って常に敵駆逐艦との距離を把握し、そして頻繁に情報の更新を行っていた。
敵艦隊が停泊する太陽L1ポイントのある地球方面を除いて、周囲数億kmの範囲内に敵味方合わせてあらゆる艦船は存在していない。
即ち、索敵を担当するとは言えども、実質的に敵駆逐艦隊の監視のみを行って居る様なものだった。
「減速開始20秒前。」
「ジェラルド、耳タコだろうが、再確認だ。減速開始した後、825秒後に減速終了だ。いいな? 僅かな狂いで失敗するぞ。」
「アイアイ、キャプテン。タコがビッグに育ってるっす。」
「減速開始、10秒前・・・5秒前、3、2、1、減速開始。」
「減速開始。1500G。」
ウェイの秒読みがゼロになると同時に、ジェラルドがスロットルを操作して、0.2光速で航行していたオルペウスは最大の加速力1500Gにて減速を開始した。
重力推進であるので、どれ程強烈な加速をしようとも艦体にストレスが掛かるようなことは無く、また乗員が加速度を感じるようなことも無い。
しかしながらオルペウスは確かに14700メートル毎秒毎秒という凄まじい加速で減速を開始しており、そしてその分だけ後方を追跡してくるファラゾア艦との距離が縮まっていく。
敵艦隊とは3000万km近くも離れており、その位置関係を表示した手元のコンソール上ですぐにその減速が確認できるものではない。
しかし敵艦隊との距離は確実に減っていき、長い時間の後、その距離はさほど射程距離が長い訳でも無い敵駆逐艦の装備するレーザー砲の手が届く範囲内となる。
そして13分(780秒)後。
「減速加速終了まで30秒。地球まで9150万km。敵艦隊、距離2350万km。約12000km/sにて接近中。」
「ジェラルド、減速停止用意。ウェイ、減速停止後すぐに太陽系相対速度を確認。0.16光速。」
「減速終了まで20秒。コピー。0.16光速。」
ハインリヒはふと前方のスクリーンに目をやった。
そこには明らかに輝きを増して、他の星々よりも遙かに目立つ様になった淡い青色の光点が真正面にあった。
帰ってやる。
必ず。今回も。
生まれ故郷を眼の前にして、ここで敵に喰われてなるものか。
ハインリヒは奥歯を噛み締め、目を眇めてその青い光点を凝視する。
それは地球人類が初めて、暗い宇宙に浮かぶ淡く青い光を発する惑星を、「人類の生存圏」「呼吸可能な大気のある場所」と云った固い言葉で表される記号では無く、本当の意味で心から「生まれ故郷」として認識し、生きるものの無い虚空から望んだその惑星に強烈な郷愁を抱いた瞬間であった。
ある意味この瞬間こそが、地球を故郷とする地球人類が、遙か彼方まで広がる宇宙を「開拓すべき未知の場所」として認識し、本当に宇宙へと乗り出し始めた歴史的な瞬間であると言っても良かった。
ハインリヒの望郷の念を断ち切る様にウェイのカウントダウンが進む。
「減速終了10秒前・・・5秒前、3、2、1、減速終了。」
「減速終了。ゼロ加速。」
「太陽系相対速度、算出中・・・47832.7km/s、0.1596光速。月軌道突入時の予想敵艦隊距離・・・378000km。予定と誤差範囲内。減速成功。現在の敵艦隊距離、2300万km。地球まで9100万km。32分後に月軌道を通過予定。」
「艦長、ちょうど地球からの返信だ。『貴艦の予定通り帰投されたし』。大歓迎してくれそうだぜ?」
「オーケイ。今のところ全て順調だな。予定通り、このままの航路で地球宙域へ突入する。ジェラルド、敵艦隊との距離100万を切ったところでランダム機動開始。トレイシー、同じく100万で艦尾対レーザーシールド展開。同時に全砲門を開き、敵駆逐艦BとCに攻撃を集中。ウェイ、引き続き敵艦隊を追跡。更新頻度を高くしろ。」
「アイアイ。」
「コピー。」
「距離100万や50万で撃ったって殆ど効果無いぞ? 上手く当たったところで、奴等にしてみりゃかすり傷程度にもならん。」
「構わん。撃破なんて狙っていない。運良く敵の光学センサーを歪ませてくれでもすれば十分だ。砲塔が遊んでいるんだ。何もしないよりはマシだろう?」
「なるほどね。諒解だ。」
トレイシーは納得したという表情で頷いた。
「詳細な計算出ました。30分後、地球到達の約1分前、地球からの距離248万kmの時点で敵駆逐艦隊との距離100万kmとなります。」
「オーケイ。計画通り。完璧だ。
「最初に話したとおり、本艦は0.16光速を保ったまま地球へと接近する。敵艦隊との距離が100万kmを切るのが、地球到達の約1分前。そして地球到達時の敵艦隊との距離は40万kmを切っている。駆逐艦のレーザー砲でも十分にこちらを撃破できる距離だ。
「このまま地球圏まで本艦を追いかけてくればレーザーが届く。だから思わず追いかけてしまう。追いかけざるを得ない。そういう絶妙な距離を保った状態で、本艦は敵艦隊を引き連れたまま月軌道の内側を0.16光速で通過する。敵艦隊が本艦を追いかけて月軌道の内側に入り込んだところで、地球周辺宙域に山のように布設されている桜花ミサイルによる飽和攻撃と、同じく月軌道の内側に多数設置されている移動砲台による包囲攻撃を行い、敵艦隊を殲滅する。0.2光速等という超高速で通り過ぎる駆逐艦を迎撃するのは初めての筈だが、まあ、数撃てば一発くらいは当たるだろう。
「そして敵艦隊殲滅の後本艦は速度を殺し、ゆっくりとUターンして地球へと帰還する。
「作戦計画は以上だ。何か質問は?」
「迎撃に失敗した場合は?」
トレイシーが不敵な笑みを浮かべながら聞いた。
聞かずとも分かっている。
敵艦の方が加速に勝るのだ。
どの様な航路を取ろうと、二度と地球に戻る事は叶わない。
或いは一気に追い付かれ、故郷を眼の前にして沈められるか、のどちらかしかない。
「上手く行く様祈っておけ。」
「ふん。地球の外でも、地球の神に祈るのは有効なのかねえ?」
そう言ってトレイシーが皮肉な笑みを深くする。
「太陽系内くらいなら、デリバリーOKじゃないすか?」
「ふむ。時間的にも丁度良さそうだ。あと三十分か。今すぐ祈れば届きそうだぞ。」
「アツアツなのが届くんじゃないですか。レーザーと反応弾頭の。」
死を覚悟する戦いに突入する直前のジョーク合戦に、珍しくウェイの参戦があり、艦橋は一瞬の沈黙の後に笑いに包まれる。
「冗談はともかく、ジェラルド、済まないがまたお前に負担をかける。僅か半径40万kmの球状の空間に5万km/sもの速度で突っ込まねばならん。配備はまだ完了していないとは言え、ミサイルと移動砲台は1万kmメッシュで設置されている。
「そのスケールで考えるなら、本艦も設置兵器群も芥子粒みたいな大きさだ。そうそう衝突する様な事は無いと思うが、地球周辺宙域はデブリだらけの空間だ。レーダーを全開で使って良い。上手く避けてくれ。」
「俺っちのウデの見せ所っすね。任せて下さい。的を外させたら、俺っちの右に出る奴は居ないすよ?」
「お前、動体射撃下手っ糞だもんな。バカ。自慢出来ねえよ。」
再び艦橋に笑いが起こる。
そして2052年07月29日、グリニッジ標準時(GMT)午前03時56分09秒、地球連邦軍所属コルベット艦オルペウスは0.16光速で航行を続け、地球から248万kmの地点にて、追跡する三隻の駆逐艦からなるファラゾア艦隊に、100万kmの距離にまで追い付かれた。
ファラゾア艦隊とオルペウスとの間には約12000km/sの速度差があり、ファラゾア駆逐艦隊はその後も急速に距離を縮める。
そしてオルペウスは敵駆逐艦のレーザー砲撃を躱すためのランダム機動を開始した。
僅か44秒後の、同GMT03時56分53秒、オルペウスは月軌道へと到達した。
オルペウスは減速する事無く0.16光速という非常識な速度で月軌道を通過し、所謂地球周辺宙域へと踏み込んだ。
8秒後、同GMT03時57分01秒、オルペウスは地球から僅か59000kmの位置を、相対速度47833km/sにて、まるで地球を掠める様にして飛び抜けた。
それはまさにSF映画のワンシーンの様な光景だった。
僅か6万kmしか離れていない青い惑星が、前方モニタの中で徐々に巨大化し、モニタの半分ほどを埋めるほどに大きくなったかと思えば、その勢いのままモニタの左側を後方に向かって一気に通過して見えなくなった。
僅か数秒の出来事だった。
その間、オルペウスは前方レーダーを最大強度で照射し、衝突の可能性があるデブリ、或いは兵器を探査し続ける。
実際のところ、ハインリヒが心配するほどに宇宙空間は狭くなく、地球周辺宙域の様々な物とオルペウスが衝突する様な事は無かった。
ただ一度だけ、HMDを装着して航海士席に座るジェラルドが凄まじい勢いで、思わず動いた、と云った風に身体ごと操縦桿を左に力一杯倒した以外には。
オルペウスが地球のすぐ脇を飛び去った31秒後、同GMT03時57分32秒、三隻のファラゾア駆逐艦が、相対速度6万km/sで月軌道の内側に突入した。
先のオルペウスとのすれ違い時に彼女を仕留め損ねた事に対する修正か、再びオルペウスを射程内に捉えた三隻は、砲撃を密集するためか、あるいは二度と包囲網からオルペウスを逃がさないためか、各艦の間隔を約20万km程度にまで縮めていた。
その為、三隻の駆逐艦からなるファラゾア駆逐艦隊はその全てが、地球を中心とした半径四十万kmの、所謂地球周辺宙域へと突入する事となった。
地球周辺宙域には、度重なるファラゾア艦隊の接近と、ファラゾア艦隊から地上基地、或いは大気圏内を航行する航空機に対する大火力艦砲射撃による殲滅攻撃を繰り返し受けて、何度も苦渋を嘗めさせられ続けた地球連邦軍が設置した、対ファラゾア艦隊用迎撃兵器が多数存在した。
それら防衛用兵器は、地球周回軌道上では1000km間隔、また高度約3万6千kmの静止衛星軌道以遠では、相互に1万kmの間隔を開けて設置される様に計画され、そして2052年07月末の時点でその約半分ほどが既に設置を終えていた。
地球周辺宙域に突入したファラゾア駆逐艦三隻は、この「防空システム」による手荒い歓迎を受ける事となった。
三隻のファラゾア艦に対して、八十四発もの宇宙空間設置型桜花R3ミサイル、或いは六連装ポッドに装填された桜花R4ミサイルが発射された。
同時にファラゾア駆逐艦隊は、900mmx1400MW単装光学砲四門を装備した所謂無人砲台、MONEC GNSTPG-05-JeR8c「Τρυπάνια(Trypania:錐・ドリル)」六二基による数百回のレーザー照射を受ける事となった。
結果的にファラゾア駆逐艦Aは三発の桜花ミサイルの爆発プラズマの中に突入して大破、その後トリパニアからの集中砲火と、追加の桜花ミサイル直撃を受けて爆沈した。
ファラゾア駆逐艦Bは、ほぼ正面から突入した桜花ミサイルの直撃を受けて大破、その後斜め方向からの桜花ミサイル二発の直撃を受けてこれも爆沈した。
ファラゾア駆逐艦Cは、爆発直後の核融合プラズマに突っ込んで大破し、トリパニアからのレーザー砲直撃多数と、さらに一発の桜花ミサイルの直撃を受けて爆沈した。
なお、ファラゾア駆逐艦Bに最初に直撃した桜花R3ミサイルは、不発弾と判定された。
これは、目標の速度が余りに高速であり、反応弾頭が激発する時間も無いままに衝突の衝撃と熱でミサイル全体が消滅したためであると推定されている。
2052年07月29日、GMT04時51分15秒、コルベット艦オルペウスは地球から7千700万kmほどオーバーランしたところで太陽系相対速度をゼロとし、地球に向けて帰還を開始した。
同日GMT05時45分29秒、オルペウスは出発地である月L1ポイントへと帰還した。
なお、2052年08月04日、GMT00時37分32秒、コルベット艦オルペウスの今回の作戦目標であった未知の異星人艦の残骸が、ほぼ当初の予定通り高度1万kmの地球周回軌道へと到着し、地球連邦軍によって無事回収された。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
コルベット艦オルペウスのお話はこれで終わりです。
やっと終わったー。
これで表計算シートとにらめっこしながら書くという苦行から解放されました。w
最後は激しい戦闘シーン描写にするか、冷徹な記録調にするかかなり迷いましたが、結局こうしました。