21. 秒速20万km
■ 11.21.1
地球人類とファラゾアとの間で行われた史上初めての宙航艦同士での戦闘は、2052年07月28日、地球側のコルベット艦一隻と、ファラゾア側の駆逐艦三隻という極めて限定的かつ小規模な状況下で発生した。
地球人類対ファラゾアの宇宙空間での戦闘自体はそれまでにも何度か発生していたが、地球人類側の戦闘機械がただ単に宇宙空間での行動も可能とした戦闘機であったり、戦闘機よりも僅かに大きいだけの「宙航艦」とはとても呼べない大きさの大気圏外用監視艇であったりするため、コルベット艦「オルペウス」による戦闘が公式に初めての宇宙空間での宙航艦による戦闘であるとする見方が大勢を占める。
公式な記録に依れば、地球連邦宇宙軍所属の雷級コルベット艦VTSP-004「オルペウス」は2052年07月28日グリニッジ標準時(GMT)21時42分36秒に地球から10億3200万km、木星軌道よりも少しだけ外側、太陽系黄道面よりも南方(太陽のS極側)に約1億4000万km離れた場所で、地球-太陽L1ポイントを発したファラゾア駆逐艦三隻との間で交戦状態に入った。
このときオルペウスは、半月ほど前に太陽系内に侵入しファラゾア艦隊と交戦して殲滅された未知の異星人の艦隊の残骸を回収する任務を帯びて、約3000km/sという速度で地球から遠ざかりつつある目標を追跡して追い付き、その目標物を地球へと持ち帰るために重力プラットフォームなどを取り付ける作業中であった。
この宇宙空間での戦いが始まったと判断されるタイミングをどこに設定するかという点においては様々な見方が存在するが、ファラゾア駆逐艦隊がオルペウスの存在に気付き、当時ファラゾア艦艦隊が地球大気圏内或いは周辺空間の軍事的目標に対して攻撃を加えるための起点としており、半ば泊地化していた太陽L1ポイントを発してオルペウスの追跡を開始した07月28日21時42分の時点とするのが概ね通例である。
地球から遙か離れた場所で作業を続けるオルペウスを追跡し始めた600m級駆逐艦三隻からなるファラゾア駆逐艦隊は、太陽L1ポイントを離れはしたものの、当初オルペウスが存在する場所を特定できていなかったとされている。
そもそもオルペウスはファラゾアからの探知を避けるため、目標に接近するまでの殆どの行程を重力ジェネレータをカットし、プラズマジェットエンジンのみを使用することで重力波の発生を抑えて非常に慎重に行動しており、また実際にその間ファラゾア艦隊はオルペウスを追跡する様な行動をを一切見せていない。
一つには、重力波を全方位に拡散してしまう重力推進に対して、ジェットという指向性のある噴出であるため、エンジンから放出された放射線あるいは電磁波が、作戦実施条件の目論見通りファラゾアに探知されなかった可能性がある。
しかしながらオルペウスは高速で遠ざかる目標を追跡するため、地球から真っ直ぐに十億kmもの彼方まで航行しており、地球から僅か160万kmしか離れていない太陽L1ポイントに停泊するファラゾア艦がその電磁波放射錐の中に入って居なかった為に探知外であったとは考えにくい。
一方、ファラゾアはオルペウスのプラズマ放射を探知してはいたが、重要な情報ではないとして切り捨てていたのではないかとの見方があり、こちらの方が有力である。
プラズマジェット推進は、発生する加速度が乗務員を含めた艦体全てに直接作用するため、乗務する人間が耐えられない10Gを超えるような加速度を出すことが出来ず、また反応させた高温高圧のガスを直接艦外に放出してその物理的な反作用を推進力とするため燃料効率も非常に悪い。
地球周辺宙域でのごく近距離の行動を除いて、核融合プラズマジェット推進は太陽系あるいはそれ以上のスケールでの、宇宙空間を移動する為の現実的な推進方式ではない事は既に良く知られた事実である。
そのため例えこの時、地球から遠ざかるオルペウスのプラズマジェットエンジンから放出される電磁波がファラゾアに検知されていたとしても、その時点では特に注目を集めてはいなかったのではないかと推察されている。
では実際に、何が駆逐艦を三隻も向かわせるだけのファラゾアの注意を引いた行動であったのかというと、オルペウスが未知の異星人艦の残骸に追い付き、動力を取り付ける為に目標の回転を抑えようとただ一度だけ使用した重力プラットフォームの重力波が検知され、調査のための駆逐艦隊派遣と、延いては最終的にオルペウスの存在が特定される引き金になったものと考えられている。
実際に、ファラゾア駆逐艦隊が停泊していた太陽L1ポイントを離れたのは、オルペウスが重力プラットフォームを使用した後である事がこの考えを支持する。
目標の回転を抑えるために重力プラットフォームを使用したことについて、画竜点睛を欠いた行動であると批判する意見もあるが、記録に依ればその目標は約三回転/分という速度で回転しながら漂流しており、そのような速度で回転する物体に対して推進器を固定する作業を行うのは非常に困難であり、また作業失敗の危険性も高い。
高速で地球から遠ざかりつつある目標に対して推進器取り付け作業を急ぎ行うためには、回転を抑える目的での重力プラットフォーム使用は不可避であったものと考えられる。
この重力波を探知したことで不審な重力波源の探索を開始したものと思われるファラゾア駆逐艦隊は、赤外線放射を含めた光学的観察或いはオルペウスから発せられるごく微弱な電磁波の集中的探知によって程なくオルペウスの位置を特定した。
ファラゾア駆逐艦隊が航路を修正した後に全速に近い2000G弱の加速で、未だ目標に対する推進器固定作業を行っている最中であったオルペウスに向かい始めたのが、同日21時58分14秒の事である。
オルペウスの位置を特定し、そこに何らかの敵性の存在が潜んでいる事を確信したものと思われるファラゾア駆逐艦隊は、22時02分36秒に各艦十発ずつ、計三十発の対艦準光速ミサイルを発射した。
この時点でオルペウスは地球から10億3600万kmの位置におり、彼女とファラゾア艦隊の間の距離は10億2100万kmであった。
発射された三十発のミサイルは一万kmほどの広がりで分散しつつ、いずれも約5000Gの加速度でオルペウスを目標として飛行開始し、約50分後の22時58分には最高速度である0.5光速に達した。
600m級駆逐艦三隻からなるファラゾア駆逐艦隊がミサイルを発射した時点で、オルペウスの乗員らは、通信を中継していたOSVからの連絡によって自分達を追跡してくるファラゾア駆逐艦隊の存在を把握していた。
この時点で彼等は回収作戦の目標に推進器を取り付ける作業を終えていなかったが、急ぎ作業を終えたオルペウスは同日22時26分、重力推進を使用して1500Gで地球に向けて直線的に加速を開始した。
オルペウスが地球に向けて帰還を開始した約十分後の22時35分、オルペウスによって捕獲され、プラズマジェットエンジン三機と、重力プラットフォーム十基を取り付けられた未知の異星人艦の残骸は、プラズマジェット推進を使用して地球に向かって加速を開始した。
オルペウスが重力推進で地球に帰還する陰で、そのオルペウスを囮として目立たぬ様にする為のプラズマジェット推進である。
目標の地球到達予定は約130時間後、8月4日00時33分に高度10000kmの地球周回軌道に入る事となっていた。
コルベット艦オルペウスは、目標への工作を完了した後1500Gの加速で地球に向けて帰還を開始したが、07月28日23時37分35秒に地球人類が建造した艦船として初めて、太陽系に対して0.2光速(59,958 km/s)に達した。
その後もオルペウスは0.2光速を維持して地球を目指したが、先のファラゾア駆逐艦隊が発射した準光ミサイル三十発が同日23時58分に着弾する軌道をもって、相対速度209,869 km/s(0.7光速 )もの高速で急速に接近しつつあった。
この時オルペウスは、地球から8億4700万kmの宙域を航行中であった。
「マジか。完全に包囲されてねえか、これ。」
COSDAR画面で、前方から急速に接近して来るミサイルを確認しながらトレイシーがぼやいた声が、あと数分で0.7光速もの凄まじい相対速度で敵ミサイルと交錯する緊張感で、静かながらも張り詰めた空気が満ちた艦橋に響いた。
トレイシーが眺めているモニタのCOSDARウィンドウには、前方遙か6000万kmの彼方で縦横約一万kmの円盤状に広がって、こちらに向かって突進してくる三十発のミサイルを示す赤色のマーカーが三十個表示されている。
6000万kmといえば、月と地球の間の距離の百倍以上も離れている遠方であるが、太陽系に対して0.2光速を出しているオルペウスの正面から、同じく0.5光速を出している敵ミサイルが真っ直ぐ突っ込んでくる形になっており、太陽系標準時空間 で0.7光速にも達する合成速度では、同標準時空間で僅か五分ほど後にオルペウスに着弾する見込である。
秒速20万kmという前代未聞の相対速度は余りに速過ぎて想像の埒外であったが、ただ万が一ミサイルがオルペウスに着弾するようなことがあれば、その炸薬の種類或いは爆発力の如何に関わらず、着弾の運動エネルギーだけで欠片も残らぬほどに爆発飛散するであろう事は想像に難くなかった。
「その包囲網をこじ開ける手を今から打とうと言うんだ。グングニル#1~#4、リリース三十秒前。慌ててタイミング間違えるなよ。結構シビアだぞ。」
ハインリヒがトレイシーのぼやきに答え、ミサイルの発射タイミングを告げた。
「グングニル#1~#4、シーケンスロード完了。いずれもこちらからのワンタイムPINコードでマニュアル激発します。オートマチックは本艦前方90万kmで激発に設定。現在デフォルトはオートマチック設定。マニュアルとの切り替えも別のワンタイムPINを使用するので、一回きりです。」
ハインリヒの言葉を追う様にして、ミサイルにシーケンスのロードを終えたウェイが設定を報告する。
四発のグングニルミサイルはオルペウスを離れた後、1500Gで真正面のファラゾアミサイルに向かって跳んでいく予定となっている。
約250秒後、オルペウスから90万kmの場所でグングニルは爆発し、高速で突っ込んで来るファラゾアのミサイルの前方に核融合のプラズマ雲を展開する。
ファラゾアミサイルがそれを避けきれず突っ込めばそれも良し、また迎撃の爆発を回避しようと軌道を変えれてしまえば、オルペウスに着弾するコースを大きく外れてしまうこととなる。
三十発ものミサイルで飽和攻撃のように迫ってくるミサイル群の包囲網に穴を開け、タイミング良くそこに艦を滑り込ませてミサイルを躱そうとしているのだった。
最大の問題は、敵のミサイルと自艦の速度が余りに高速すぎ、光学観察による情報の伝達に通常では考えられない様な異常な事態が発生する事にある。
90万km彼方で爆発したグングニルの情報がオルペウスに到達するまでに約3秒を必要とする。
同様に、90万km先で爆発を避けたファラゾアミサイルの情報も、約3秒経ってオルペウスに到達する。
ところが、この3秒の間に敵ミサイルは60万kmも接近しており、着弾まであと1.5秒の猶予しか残されていない。
自艦とミサイルの速度が余りに速すぎ、光による情報が届いた頃には、その情報は既に過去のものとなってしまっているのだ。
敵ミサイルの軌道変更を確認し、空いた穴を突く様に操艦して包囲網を突破せねばならないジェラルドは、敵ミサイルの動きの僅かな兆候から、常に数秒先の未来を予想しながら判断をし、操艦せねばならない。
光が届ける敵の動きを確認してから動いたのでは、その時には既に敵はもう目の前に迫っている事となる。
遠い未来、地球人類が宇宙空間に於ける亜光速での戦闘を多く経験した後には、過去事例から経験を積んだシステムがその様な戦闘の補助を行ってくれる様になるのであろうが、人類史上初の亜光速戦闘をまさに今から行おうとしている彼等は、全てを自分達の手で行う必要があり、そして予想もしなかった様な事態にその場で瞬時に対応せねばならないのだった。
「グングニル#1~#4、リリース十秒前。5、4、3、2、1、リリース。」
艦体外殻のハードポイントに固定されている十発のグングニルミサイルの内四発が、パイロンから機械的にイジェクトされ虚空に放り出される。
ミサイルはすぐに重力推進を動かし、1500Gの加速を開始した。
僅か一秒で相対速度14.7km/sにまで加速したミサイルの姿を光学センサを通した肉眼では捉える事が出来ず、ただ前方に表示される青色のマーカが徐々に遠ざかっていくのを眼で追うのみ。
「グングニル、リリース完了。ミサイルに問題無し。敵ミサイル航路変わらず。」
すぐさまウェイが状況を読み上げる。
もっとも、敵ミサイルが何か反応するとしても、こちらがミサイルを発射したという光か或いは重力波が向こうに届き、敵ミサイルがそれに反応した光や重力波が再びこちらに届くまで数十秒の時間が必要なのであるが。
しばらくの後。
「敵ミサイル、航路僅かに変更。こちらのミサイルの航路から逃げて、包囲網を広げてます。敵ミサイル本艦に着弾まであと・・・150秒。」
敵ミサイルの動きを読み上げるウェイの声が、他に声を発する者の無い艦橋に響く。
HMDバイザーを被り、顔が隠れているジェラルドの表情はバイザーの外からでは窺い知れない。
トレイシーはCOSDAR情報から計算された戦術マップを自席のコンソールモニタ一杯に表示し、平面的に投影された戦場の動きを凝視している。
ハインリヒはまだ艦長席に深く腰掛けて背もたれにもたれ掛かり、眼を閉じて腕を組み、ウェイの読み上げを聞いている。
「ミサイル着弾まで120秒。敵ミサイル、大きく逃げます。距離2400万。グングニル問題無し。距離14万7000。直進中。」
艦橋には静まりかえって張り詰めた空気が満ちている。
静寂の中、何よりも自分の心臓の音と呼吸の音だけが大きく聞こえる。
「ミサイル着弾まで90秒。敵ミサイル、回避行動をやめました。広がりそのまま。距離1800万。グングニル、距離37万6000。」
操縦桿とスロットルを握る手が汗でじっとりと濡れて、ぬるりとした感触を伝えてくる事にジェラルドは気付いた。
かなり深く滑り止めのパターンが刻まれているので、革グローブを取って素手で操縦桿を握っている。
緊張でその手が大量の汗をかき、まるで革手袋の中で汗をかいたときの様にぬるりとした感触を伝えてくる。
思わず手を放してズボンで掌を拭きたくなるが、その動きが艦に余計な挙動を与える事になる為、気持ち悪さと手を滑らせてしまう恐怖を我慢する。
「ミサイル着弾まで30秒。敵ミサイル航路そのまま。距離600万。グングニル、距離71万1000。」
敵のミサイルがいつまで経っても広がったままである事に、少し不安げな色を滲ませたウェイの声が響く。
「敵ミサイルは着弾直前に一気に収束してくる気だ。一番面倒な航路を取りやがった。ジェラルド、気をつけろ。急激に進路を変えてくるぞ。」
「アイアイ、キャプテン。」
緊張を少しでも和らげようと、ふざけて海軍式に返事をしてみたが、口の中がパサパサに乾いている事に気付いただけに終わった。
操縦桿とスロットルを握る腕の、脇の下に大量の汗をかいているのが分かる。
無意識に力を入れてラダーを踏みつけ踏ん張ってしまう両足から、意識して力を抜く。
「ミサイル着弾まで10秒。距離200万。動き無し。グングニル、距離84万6000。」
「ジェラルド、敵ミサイルは動いているはずだ。5000G、10秒で5000km動く。」
ハインリヒが固い声でジェラルドに呼びかける。
「グングニル爆破。」
「着弾、5秒前、4、3・・・」
トレイシーは打ち合わせ通り、着弾9秒前にグングニルのコントロールをマニュアルに切り替え、本来の予定よりも僅かに早く、着弾3.5秒前に爆発する様、7秒前に激発のボタンを叩く様にして押し込んだ。
ジェラルドは目を見開いてHMD画像を凝視する。
真っ直ぐ遠ざかるグングニルを示している青色のマーカーが・・・消えた。
インジケータのレイヤと重ねて表示させている、外部光学センサ画像に、白く眩しい点が四つ、現れた。
赤色の敵ミサイルマーカが、動いた。
正面第一象限に突っ込んで爆発したグングニルを避けるため、第一象限のミサイル六機が、僅かではあるが再度外側に向けて加速した。
ジェラルドは瞬時に僅かに操縦桿を右に倒し、第一象限をy軸に合わせたところで操縦桿を力一杯手前に引き、すぐに戻した。
HMD画面一杯に広がる様に存在していた青色のマーカに動きがあり、明らかにこちらに向かってくる航路へと変わった。
だが、所詮5000G。
1秒で8000kmは動けまい。
大量のマーカが、一瞬でHMD画面の外側へ消えた。
艦体が僅かに震えた様な気がした。
艦橋を静寂が包む。
皆が、自分が息を止めていた事に気付き、そして目が見えて耳が聞こえる事に気付く。
「いよっしゃあ!! 抜けたぞ!!」
トレイシーの歓喜に溢れる大声が艦橋に響いた。
実際には、オルペウスからの主観的相対速度は0.636cとなるのは、前話末尾の脚注で計算したとおり。相対性理論による時間の遅れが発生する為。
太陽系の中心(≒太陽)を標準点とし、標準点における時間のの流れと、それに対する相対速度、移動中の物体上の時間の流れの事を言っている。
この場合、外部の観察者(=標準点)から見たオルペウスとミサイルの合成速度(変な言い方だが)は0.7cとなる。オルペウスからの主観的合成速度は0.636cとなるのは前述の通り。
特殊相対論に沿って計算すれば、厳密にはここに挙げた数字は全て誤り。計算が面倒くなったので、ニュートン先生の一般物理の加減算でやってます。すまぬ。今後もこの方針で。気が向いたらちゃんと計算するかも。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
面倒臭くて途中で投げ出していた、オルペウス、準光ミサイル、ファラゾア駆逐艦隊の位置関係を計算したgoogleスプレッドシートを再び呼び出し、ガンバッテ計算を完結させました。
のは良かったんだけれど、以前の話の中の数字に、適当に書いて辻褄が合わないところが・・・(汗
修正します。
やっぱ、適当に書いちゃダメですね。ちゃんと計算しておかないと。後で苦しむ事に・・・w