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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第十一章 PARADISE LOST (失楽園)
309/405

19. 故郷まで十億km


 

 

■ 11.19.1

 

 

 時間に余裕がある様で実は無い。

 時間だけは余っているのに、やれる事が無い。

 何が起こるか分かっているのに、その瞬間まで成り行きを眺めている事しか出来ない。

 そしてその瞬間になれば、何が起こっているのか理解する前に全てが終わっている。

 それは、宇宙空間、あるいは太陽系という、これまで地球人類が経験した事の無い大きなスケールで戦う事で発生する、一種不思議な体験であった。

 

 変わらず3000km/sという高速で太陽系内を漂流する異星人の駆逐艦の残骸を、どうにか地球へと持ち帰ろうとするサルベージ作業は、あとほんの数時間もあれば完了する。

 それに対して、太陽L1ポイントからこちらに向かってくるファラゾア艦隊が、交戦出来る程度の相対速度を伴い、今彼等が作業を行っている宙域に到達するまでには七時間もかかる。

 一見充分すぎるほど余裕に見える状況であるが、実のところは、作業終了後にコルベット艦オルペウスは可能な限り早くこの場から離れて、折角サルベージ用の各種機材を取り付けて地球に持ち帰る事が出来る状態にしたその残骸が、ファラゾア艦隊の眼に止まって回収を妨害されるようなことのない様にせねばならなかった。

 オルペウス自身も、出来るだけ早く加速を開始して、ファラゾア艦隊に簡単に追い付かれる事の無い様な速度を稼いでおく必要があった。

 

 地球人類が建造した最新鋭のコルベット艦とは言えども、このオルペウスに出せる加速度はせいぜいが1500G出れば上出来であり、対してファラゾアの駆逐艦は最低でも2000Gの加速力を持つことがこれまでの経験から明らかとなっている。

 回収した敵の戦闘機械から多くの技術を吸収してきた地球人類であったが、ファラゾアとの技術力には未だ大きな隔たりが存在する。

 相手は何万年という単位でこの宇宙を縦横無尽に駆け巡ってきた者達であり、対する地球人類はいまやっと宇宙というひとつ上のステージに手が届くようになり、精一杯背伸びをしてそのステージに首を覗かせることが出来るようになったばかりなのだ。

 

 そして今、この全長僅か50m強程度しか無いコルベット艦オルペウスは、地球人類が建造した宙航艦として初めて、異星人の宇宙艦隊との戦闘という未知の領域に足を踏み入れようとしていた。

 それは、従来地球人類が経験してきた戦闘に較べると、なんとも不思議な戦いだった。

 存在をはっきりと探知できる敵はしかし何億kmという気が遠くなるほどの遠方におり、実際に刃を交えるのはまだ何時間も先の事となる。

 全てが数時間という単位で動いており、のんびりと余裕がある様な印象を受ける時間スケールでありつつも、実際の戦闘となった時に敵艦隊との間に発生するであろう攻防や、或いはその戦いの中で発生するであろう敵艦隊との交錯など、これらは僅か一瞬、ともすると数千数万分の一秒というすでに人間には知覚さえ出来ないレベルでの極短時間のアクションとなるのだ。

 秒速数千kmという途方もない速度で動いているのだが、それに対して宇宙空間は余りに広かった。

 

「GP(重力プラットフォーム)#4、固定完了だ。艦首側は全部終わった。トレイシー、そっちはどうだ?」

 

 プラズマジェトエンジンの固定を終えた後、地球に接近したときのブレーキ、或いは大気圏内にやんわりと残骸を下ろす役割を担う重力プラットフォームの固定作業もほぼ終了した。

 ハインリヒは自分の担当したもの全ての固定を終え、伸ばした自分の手で重力プラットフォームの外装を揺らしてその程度ではガタつかない事を確認しながら、残骸の反対側で作業しているトレイシーに進み具合を聞いた。

 ちなみにであるが、光速の20%もの速度を出す宇宙船であれば、デブリとの衝突や、ほぼ真空の宇宙空間に存在する水素等の原子との衝突抵抗が無視出来ないものであろう ((*1))と推測して、船殻が細くなっている方を便宜的に艦首と呼称している。

 

「こっちももうすぐ終わる。あとパイル二本だ。それで全て上がりだ。」

 

「手伝おうか?」

 

「大丈夫だ。先に戻っておいてくれ。俺もすぐ戻る。戻ったときに手伝ってくれ。」

 

「諒解。」

 

 船外作業を終えて船内に戻るには色々な作業や後始末をせねばならず、時間がかかる。

 EPAFの着脱などの片付け作業を一人でやるよりも、先に作業を終えた者と二人で行う方が、僅かではあっても結果的に早く船外活動全体を終了出来る。

 敵に対してこちらの加速力が明らかに劣っている事が分かっているので、一秒でも早く艦を動かして加速状態に入りたいのだ。

 

「艦長。どうやら敵さん、ここで俺達が何かやってるのに気付いたみたいっすよ。針路と加速度が変わって、明らかにここを目指してます。状況はよりヤバメになったすね。」

 

 艦内で敵の動きを警戒しているジェラルドが、まるで他人事の様な口調で報告する。

 ジェラルドは航海士であるが、緊急で艦を動かさねばならない事態が発生したときの事を考えて常に艦内で待機状態となっており、繰艦する時以外は索敵を担当する事となっている。

 本来の索敵担当のウェイは、現在艦の脇で撤収作業中だ。

 

「距離と加速度は?」

 

「加速度1800G、距離は・・・ざっくり8億km。接触は、通過ならだいたい2時間後、同航ならだいたい3時間45分後。まだ遠すぎてGDDも光学も精度出ないっすよ。まあいずれにしても、余り余裕無いすね。」

 

「諒解した。トレイシー、急げ。」

 

 彼我の距離が8億kmあって接敵が4時間後であるにもかかわらず、余り余裕が無いと云われるのはまるで実感が湧かんな、と思いながらもハインリヒはまだ作業を終えていないトレイシーを急かす。

 

「わあってるよ。これが最後の一本だ。」

 

 トレイシーはハインリヒからの要求に一声返すと、ことさら慎重にパイルガンの位置を合わせ、船体に対して垂直に保持する。

 パイルガンの接地部分が三カ所とも正しく船体表面に当たっていることを確認して、トリガーを引いた。

 機械式動作でパイルが撃ち込まれる音がローダーの骨格を通して耳に届き、パイルガンのボルトが所定位置まで下がってパイルが正しく撃ち込まれたことを確認すると、トレイシーはパイルガンを脇にどかして漂うに任せた。

 ローダーにくくりつけてある固定ナットをパイルの頭に合わせて填めてねじ込む。

 ローダーの力を使ってナットが動かなくなるまで締め込むと、ひとつ息をつく。

 

「オーケイ、固定完了だ。」

 

「大尉、可及的速やかに慌てて駆け足マックスで戻って来て欲しいっす。こっちの加速力が全然負けてる事を考えると、時間的余裕殆ど無いすよ。」

 

「ち。一息くらいつかせろや。ったく。」

 

 長時間気を張り詰めていた作業を終え、EASが無ければ背伸びでもしそうな雰囲気のトレイシーに、艦内で敵の動きを追跡しているジェラルドから早く戻れと要求が飛ぶ。

 トレイシーは自分よりも下の階級のジェラルドからの突っ込みに、ぶつくさと文句を言いながらも、状況は理解しているので手早く撤収作業を始めた。

 

 一方ハインリヒはEPAFのスラスタをひと噴かしすると、残骸を離れてオルペウスに向かって移動を開始した。

 オルペウスに到達するまでの僅かな時間、残骸に取り付いて今まで余りの忙しさにじっくりと眺める暇もなかった太陽に目をやる。

 回収目標である残骸とそのすぐ脇に停泊するオルペウスは、共にとうに火星軌道を越え、木星軌道まで半ば程の位置に到達していた。

 地球から眺める太陽に較べて相当小さく見えるはずなのだが、何も遮るものの無い宇宙空間であるからか、ヘルメットの遮光バイザー越しでもなお眩しく感じるその輝きは、言われるほど弱まったようには感じなかった。

 

 しかしここは、人が生きていく場所では無かった。

 人類の住処である地球から遙か十億km以上も離れ、そして周囲十億kmの範囲には、人も、船も星も、空気さえも存在しない文字通りの虚空。

 足を着けて歩くための場所など無く、足の下には遙か無限の彼方まで何も無く広がる宇宙。

 その虚空に浮かんでいる自分。

 何も無い無限の空間が広がる中に漂う自分を意識して、ハインリヒは畏れを含んだ目眩のような感覚を覚える。

 恐慌にも似たその感覚は、前方のオルペウスの艦体が大きくなりそこに到着することで、急ぎこなさねばならない作業を思い出して断ち切られた。

 

 ハインリヒはスラスタを噴かして減速すると、オルペウスの艦体表面にやんわりとEPAFを着地させ、ハッチが開いたままのローダー格納庫に向けてゆっくりと移動する。

 エアロックの中からウェイが投げ渡してきた命綱の金具をEASの固定具に引っかけ、EPAF格納庫の前で静止すると、イジェクトボタンを押してEPAFを分離した。

 分離の反動で漂い始めたEPAFを、手伝いに出てきたウェイと共に捕まえて格納庫の中に押し込もうとし始めた時だった。

 

「なんだ、畜生! は、うぐっ。」

 

「トレイシー?」

 

 突然耳に飛び込んできたトレイシーの妙な声に、何事が起こったかと振り向く。

 数百m先に浮かぶ残骸の、自分が作業していた艦首とは反対側の端の近くにトレイシーのEPAFが浮いている。

 まるで独楽のように凄まじい勢いで回転するその姿は、何か異常事態が起こった事を明白に示していた。

 

「トレイシー! どうした? トレイシー!?」

 

 思わず飛び出して行きそうになる衝動をこらえ、ハインリヒは叫ぶようにして呼びかける。

 飛び出していったところで、宇宙空間で、そしてEASを着た状態で、何か出来る筈も無かった。

 

「右の、スラスタ、が。止まら、ねえ。う、ぐっ・・・く、そ。」

 

 しばらく前に行ったスラスタ燃料カートリッジ交換の際、右側のスラスタの調子が悪いとトレイシーがぼやいていたことを思い出した。

 右側のスラスタの噴射が止まらず、トレイシーの身体はEPAFごと凄まじ勢いで回転している。回転が速すぎて既にEPAFやEASの細かな部分が判別出来ない。

 ハインリヒとウェイが注視する中、回転を続けるトレイシーの身体が、小刻みにブレながら小さな円を描くような動きに変わった。

 右側の噴射が止まらないのに対抗して、回転を止めようと左側のスラスタを噴射したのだろう。

 しかし一度回転し始めた身体が宇宙空間で回転を緩めることなど無く、その試みは単純な一軸回転を小刻みで高速な螺旋回転へと変わっただけだった。

 スラスタ噴射を制御出来ないトレイシーの身体は残骸から離れ、オルペウスに近づくでも無く、高速で回転しながら虚空に向かって漂い続ける。

 

「トレイシー! 緊急(エマージェンシー)停止(ストップ)しろ! 全機能カットだ! 頭の右側のボタンを押せ! トレイシー! 緊急停止だ!」

 

 不測の事態に陥った時のことを想定して、EPAFには全機能をカットオフする緊急停止ボタンがあり、それはEASのヘルメットの右側に存在する。

 何か起こったときに押し易いように、かといって誤操作で簡単に押してしまわないように、頭のすぐ右側に配置されたそのボタンを押せば、EPAFの動力はカットされ、スラスタのガス供給も強制遮断される。

 

 回転するトレイシーの身体の周りを雲の様に包んでいた燃焼後のスラスタガスが薄れ始めた様に見える。

 どうやら緊急カットオフには成功した様だった。

 

「トレイシー。次はローダーをイジェクトだ。落ち着いてやれ。頭の上のトラ(セーフティー)(ストライプ)バーを思いっきり引くんだ。引いたらすぐにバーを放せ。身体の力を抜け。」

 

 ハインリヒがゆっくりと落ち着いた声でトレイシーに指示を出す。

 今トレイシーに指示している内容など、勿論トレイシーも全て知っている筈だった。

 だが、異常事態に直面しているトレイシーを落ち着かせ、確実に正しい対処を行わせるために、ハインリヒはあえてゆっくりと全て教え諭す様に指示している。

 

 EASのヘルメットのすぐ上には、これもまた緊急時にEPAFを強制分離(イジェクト)する為のバーが設けられている。

 黄色と黒の危険色のストライプで塗装された、正式名称緊急強制(エマージェンシー)分離(イジェクト)ハンドルは、両手で持って力一杯引き下げることでスイッチが入り、EPAFのパワーOn/Offにかかわらず、機械的な動作で二秒後に火薬ボルトを使ってEAS固定具ごとEPAFから分離する機構となっている。

 

 EPAF格納庫内部の手摺りに掴まり、開け放った外扉から身を乗り出した二人が見守る中、トレイシーのEASとEPAFが分離して、それぞれ反対の方向に漂い始めた。

 運の悪い事にトレイシーのEASはオルペウスとはほぼ反対方向に投げ出されてしまい、ゆっくりと回転しながらかなりの速度で遠ざかっていく。

 

「トレイシー! 大丈夫か、トレイシー! 返事をしろ!」

 

 ハインリヒの必死の呼びかけに、しばらく経ってやっと応答が返ってきた。

 

「・・・ああ(Yea, )、クソ(holy s**t)。一応生きてるぜ。最低の気分だ。まだ目が回る。」

 

 トレイシーの生存が確認できて、とりあえず胸をなで下ろしたのも束の間、聞きたくもない悪い知らせをジェラルドがいつも通りまるで他人事の様な口調で報告した。

 

「敵艦がミサイルを発射。多分、三十発位? 約5000Gで加速中。対艦ミサイル、かな? 着弾まで一時間ちょい。これマジヤバいすわ。今すぐ逃げないと。」

 

 星々が煌めく漆黒の彼方へ向かってゆっくりと回転しながら小さくなっていくトレイシーの白いEASを見ながら、ハインリヒは他人にはとても聞かせられないほどに汚い言葉を心の中で並べ立てて毒づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ((*1)) これはハインリヒ達が適当な感覚でそう思っているだけであり、実際には地球大気中の気体分子数を標準状態・理想気体の 2.68E+25個/m^3 とし、恒星間空間の水素原子密度を 2個/m^3 とするならば、1.0光速で航行する宇宙船が受ける「風」は、地球上で60km/hの速度で走る車の 1.34E-18 倍となり、全く気にする必要がないレベルである(水素が単原子で存在せず、二原子分子で存在する場合はさらにその半分となる)。

 但しこれは宇宙空間の気体原子(分子)による「風」の問題であり、デブリ衝突に対して投影面積が小さいほど有利、先細りの艦体形状の方が多少有利、というのは変わらない。この点については、ハインリヒ達の考えが正しい。

 

 

 

 

 


 いつも拙作お読み戴きありがとうございます。


 パイルガンですが、ローダーの腕に装着していたり、肩に乗ってたりしません。

 完全に別ユニットを取り回しています。

 ダンジョン最下層で吸血鬼嫁を発見する某有名異世界アニメで、主人公が使う厨二ロマン全開ブッチギリな類似名の武器に似た形状と運用を想像して戴ければ。


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