32. 桜花三式
■ 10.32.1
AWACSからのその通達を耳にした達也達は、まさに脱兎の如く逃げ出した。
各パイロット個人の判断で脱出を決定したのであるが、先ほどの駆逐艦からの大規模殲滅攻撃から退避した際に元々各小隊、或いは中隊ごとに緩く編隊を組んでいたため、結果的に小隊ごとにまとまって脱出することとなった。
大規模なミサイル攻撃が行われると聞いた達也は、一瞬で機体の向きを変え、未だ高度4000mに佇むファラゾア艦隊に背を向けてGPUスロットルを大きく開けた。
A1小隊機であるマリニーと優香里も達也と同時に、達也と全く同じ行動を取った。
それはA2小隊の三人についても全く同じだった。
多くの者にとって目覚ましい撃墜記録に目が行きがちなST部隊の彼らであったが、彼らの突出した技量はなにも攻撃のみにあるのではなく、戦場で生き残ることに関しても人並み外れた感性と技量を有しているのだ。
一瞬の判断が戦場での生死を分けるという事を骨の髄まで染み込んで良く理解している彼らは、下手に仲間を気遣ったり、編隊を整えようとする「無駄な」行動を一切取らない事が、全員が僅か一瞬でも速く退避する事が出来、結果的に全員が生き残る事に繋がるのだと実際の経験として良く知っていた。
マリニーや優香里にしても、またA2小隊の三人にしても、個人の判断で退避行動を取った時に偶々隊長機が視野に入ったため、同じ避難するなら隊長機と共に避難することを選択したに過ぎなかった。
それはその隊長機側も良く理解しており、自分の部下達はわざわざ声を掛けずとも自分の判断で正しい行動を選択することが出来、そして生き延びた後にまた合流できるであろうという、部下の能力に対する信頼の表れでもあった。
それは裏を返せば、生き残れないようであればそれまで、その程度の技量であったという適者生存の原理であり、危機に際したとき例え仲間を見捨てることになろうとも、自分を含めて一人でも多くST部隊のパイロットを生き残らせることが、結果的には継続的にファラゾアに打撃を与え続ける事に繋がるという、極めて冷徹な判断でもある。
一般の兵士達で構成された飛行隊の中ではとても受け入れられないであろう、一人一人が極めて高い技量を持つST部隊内のみで通用する苛烈な生存のルールであった。
そして、突然の攻撃宣言に対して運良く全てのいまだ飛行可能であった地球側戦闘機がファラゾア駆逐艦隊周辺から退避した直後、自らの母星の大気圏内で実行するとは正気を疑うほどの攻撃が始まった。
アジュダービヤー降下点の遙か上空の宇宙空間には、いまだ幾つかの菊花が存在していた。
それは、四十三基存在したアジュダービヤー降下点の地上施設に対して、オーバーキルにならない程度にミサイル量を調整した結果、余剰となった菊花であり、または降下点殲滅攻撃時には位置が悪く発射の対象とならなかったものが、時間が経ち地球の周りを回って攻撃好適位置に移動したものも含まれていた。
いずれの背景を持つものであったとしても、その時アジュダービヤー上空には十三機の発射可能な菊花が存在し、そのうち九機が高度1100kmを周回していたOSV-102「セントジョン(Saint John)」が中継した発射指示を受けて、地上に向けて加速を開始した。
敵地上施設に設置が予想されている大型の対空砲によって撃墜されないよう、全ての菊花は大気圏に突入するまでランダム機動を行うよう設定されている。
しかしながら、菊花の重力推進がアクティブ化したことを探知したものと思われる三隻の駆逐艦からの集中砲火により、三機の菊花が地球大気圏突入前に撃墜された。
そして残る六機の菊花はなおも加速し、指示された目標に向かって殺到する。
僅かな時間の加速で対地球相対速度100km/sにまで加速した残る六機の菊花は、地球表面を覆う薄い大気層に突き刺さるようにして飛び込んだ。
隕石よりも遙かに速い速度で大気圏に突入したミサイル六機は、大気層に着弾の衝撃による大穴を形成し、次第に気体濃度を増す大気層のさらに深部へと潜り込む。
超高速の弾体前部に発生した衝撃波による地球大気の断熱圧縮によって、眩いばかりに輝く六つの光球となったミサイルは、その高熱で自らを崩壊させつつ、そして高度を下げるごとに濃密になる大気の抵抗によって速度を大きく減じつつも、50km/sという高速を保ったままほぼ真上から、いまだアジュダービヤー降下点上空高度4000mに停止する三隻のファラゾア駆逐艦に襲いかかった。
ファラゾア駆逐艦は菊花が大気圏に突入した後もレーザー砲による迎撃を継続したが、ミサイル弾体の前面に形成された、可視光で視認できるほどにまで成長した衝撃波面によってレーザー光は散乱され、思うように有効な打撃を与えることが出来ない。
結局さらに二機の菊花が撃墜され、四機の菊花が三隻のファラゾア駆逐艦に襲いかかった。
地上に固定され、また宇宙船のような強力なシールドを持たないファラゾア降下点の地上施設とその周辺に駐留する小型戦闘機械群の殲滅攻撃において、菊花が極めて有効な攻撃手段であることはこれまでの降下点攻略戦の結果から明らかであった。
しかし目標が宇宙船であった場合、たかだか50km/sという相対速度、あるいは突入速度は、ファラゾア艦が展開している重力シールドを突破して艦体に命中するためには不十分であった。
地球上に構築されたGDDDS(Gravitational wave Displacement Detector Network to Deep Space : 対深宇宙重力波監視網)を用いて、地球人類は仇敵であるファラゾアの行動を常に監視している。
これまでの監視活動によって、ファラゾア艦が太陽系内を移動する際の動きもかなり明らかとなっており、惑星間移動を行う際のファラゾア艦の速度は最大で光速の10%以上にも達することが判明していた。
恒星間空間に較べて遙かにデブリの多い太陽系内空間でそれだけの速度を出すことが出来るという事は、ファラゾア艦のシールドは―――少なくとも正面からの衝突に関しては―――相対速度3万km/s以上の速度でのデブリとの衝突を回避可能な能力を持っているという事を示唆していた。
勿論、その様な途方もない速度での衝突を回避できるのは、高速航行中に主にデブリが飛んでくる方向、即ち艦正面方向にシールドを重点的に展開するからであり、常に全方向に同強度のシールドを展開している訳では無いことは、これまでファラゾア艦に対する桜花での攻撃が成功していることから明らかである。
しかしそれにしても、ファラゾア艦は最高でそれだけの能力を持つシールドを展開可能であるという事実に変わりは無かった。
そして今、大気圏外から突入してきた菊花が目標とする駆逐艦三隻は、当然のことながら戦闘中は常にそのシールドを展開していた。
眼にも止まらぬ速さでファラゾア駆逐艦に突撃した菊花であったが、その艦体から約300mほどの空間に展開されていた重力シールドに弾かれて、軌道をねじ曲げられた。
本来宙対地攻撃ミサイルであり、桜花のように敵艦を捕捉し追尾する機能や、敵艦が展開する重力シールドを予想して着弾寸前に加速方向を微調整するような機能が与えられていない菊花は、駆逐艦のシールドに弾かれて軌道をねじ曲げられ、惜しくも駆逐艦の艦体を掠めるようにしてすぐ脇を通過し、地面へと着弾した。
菊花の着弾によって新たに地表のクレーターが追加され、再び大量の土砂が空中に向けて吹き上がったが、駆逐艦のシールドは勿論その程度の土砂をものともせずに退け、大地が高熱で蒸発して巻き上がる岩石蒸気の煙と、吹き飛ばされた大量の土砂が飛び散る中、ぽっかりとまるでそこだけくり抜いたかのように隔絶した静かな空間が駆逐艦の周囲を取り巻いていた。
巻き上げられ再び雨の様に地上に降り注ぐ土砂がいまだ大量に空中に存在している中、地中海方面から接近してきた三機の桜花が駆逐艦それぞれに一発ずつ、舞い落ちる土砂を突き抜けて突撃した。
イタリア半島を発し、本来であれば遙か上空宇宙空間に現れるであろうファラゾア艦隊を迎撃するために、降下点から遠く離れた地中海上で待機していた桜護部隊から発射された桜花であった。
本来桜花は大気圏外に存在する艦艇を攻撃する事を目的として設計されており、この様な大気圏内での使用は想定されていなかった。
桜護に必ず搭乗している技術兵は、連邦軍参謀本部からの突然の指示を受けて、桜花の航法システムに格納されているシーケンスを急遽全面的に書き換え、大気圏内で発射された桜花がそのまま大気圏内を航行し、これもまた大気圏内に存在する敵艦を攻撃できるように対応したのだった。
蛇足ながら、大気圏内に降下してきた敵駆逐艦という、明らかに手に余るであろう敵に対して達也達戦闘機隊が無謀な攻撃を指示されたのは、桜花のシーケンスを書き換えて大気圏内で使用を可能にする時間を稼ぐ為であった。
いつ突然現れるか分からない敵艦に対して即応性を高めるため、桜花にはあらかじめ決められた何種類かのパターンの攻撃シーケンスが、ボタンひとつでいつでもロード出来るように用意されている。
しかし敵艦が大気圏内に突入してくる事は想定外であり、駆逐艦隊を攻撃するためには新たなシーケンスを組み上げる必要があったのだ。
そのシーケンスの組み上げに必要な時間、戦闘機隊は敵艦隊に張り付き、可能な限り敵艦隊をその場に足止めして、可能であるならば僅かでも損害を与えて桜花の突入を少しでも容易にすること。
そして戦闘機隊は、内容は知らされておらずともその任務を見事全うした。
大気圏内の敵を攻撃することを指示された桜花が、遙か地中海上でリリースされて音速の十倍にも迫る速度で戦場へと接近し、今舞い上がる濃密な岩石蒸気をくぐって敵艦へと突入しようとしていた。
土砂と岩石蒸気によって視界を遮られ、駆逐艦はこの桜花を迎撃することが出来なかった。
三機の桜花はそれぞれ目標とする駆逐艦に急速に接近し、そして敵艦を捉えてその原子の炎を燃え上がらせることが・・・できなかった。
三機の桜花はそれぞれが目標とした敵駆逐艦が展開する重力シールドにたやすく弾かれてしまい、シールドに突入した瞬間、シールド内に突っ込んだ先端部分と、未だシールドの外にある尾部の間に生じた強烈な潮汐力により引き裂かれ機体を崩壊させながら、独楽のように回転させられ、あらぬ方向へとふき飛ばされた。
敵艦との相対速度が100km/sにも達する宇宙空間での攻撃では、艦正面に較べて強度が大きく劣る側面部分のシールドを高い相対速度に任せて強引に突破して敵艦本体に到達することも可能なのであるが、僅か数km/s程度の速度しか出すことが出来ない大気圏内では、強度の弱い側面部分であっても、桜花はシールドを突破することが出来なかった。
攻撃の失敗は、軌道上からの弾着観測のような役割を与えられていたOSVによって確認され、軌道上のOSVから直接地中海上の桜護部隊にレーザー通信によって知らされた。
当然同じ情報が連邦軍参謀本部にも送られたが、洋上の桜護部隊は参謀本部からの新たな指示を待つことなく、新たなシーケンスを機体内に抱えている桜花に流し込んだ。
シーケンスをロードされた桜花が各機四発、計十二発発射され、初夏の陽光に煌めく地中海を渡っていく。
桜花の弾頭には地球環境に与える影響の大きい反応弾が使用されているため、本来桜花を発射するためには参謀本部あるいは方面司令部からの許可や指示が必要である。
しかし司令部からの許可を待っていては、刻々と移りゆく戦場の状況について行くことが出来ず、それが原因で大きなチャンスを逃す、或いは友軍が避けられたはずの甚大な損害を被る様な事態が発生する可能性があることは想像に難くない。
その為、全ての桜護部隊の部隊長には、副官と協議の上で独自の決定を下して桜花を発射する権限が与えられているのだ。
特殊な教育と訓練を受けた、ST部隊の前身である「始末屋」達が、ロストホライズン時にファラゾアの大群に向けて独自の判断で反応弾を発射出来たのと似たような規定であった。
第二波の桜花も母機を離れてすぐに音速を遙かに超え、300kmの距離を僅か二分ほどで駆け抜ける。
重力推進で飛行する桜花を探知しているはずであるが、ファラゾアの駆逐艦三隻はその間殆どアジュダービヤー降下点上空から動くことなく、それはまるで降下点をあらゆる攻撃から死守するように命じられているかのようにも見えた。
岩石蒸気と巻き上げられた土埃でいまだ濃くもやが掛かったようなポイントゼロに向けて十二機の桜花が高速で突入する。
霞んだ大気に遮られ、ファラゾア駆逐艦は桜花を上手く迎撃できていないが、大気中の浮遊物によって可視化された銀色のレーザー光跡が何条も空間を切り裂く。
ランダム機動により駆逐艦の迎撃を回避しつつ、桜花は急速に目標に接近する。
二機の桜花が撃墜され、十機となった桜花の集団が一斉に三隻の駆逐艦に襲いかかった。
そして再び重力シールドに弾き飛ばされるのかと思われた瞬間、全ての桜花が目も眩む巨大な光球へと変わった。
十発の反応弾による超高温のプラズマは、三隻の駆逐艦それぞれを包み込むように発生した。
M10近い速度で突入した桜花三式により生み出されたプラズマ球は、急速に速度を減じつつも、大きく膨れ上がりながら大量の熱線を周囲に撒き散らしつつ駆逐艦を飲み込もうとするかの様に接近する。
プラズマ化した原子もファラゾア艦が展開する重力シールドの影響を受けて艦体後方に向けて流されるが、反応弾の爆発により生じた熱線は重力の影響を受けることなく、至近距離からファラゾア艦の表面を灼いた。
いかなファラゾアン・チタニウム合金とは言え、艦のすぐ脇での反応弾の爆発により発生した大量の熱線を凌ぎきることは出来ず、高温に熱された外殻は半ば溶け、歪みを発生し、レーザー砲塔を含む様々な構造物やセンサー類が破壊される。
同時に十発もの反応弾がごく近距離で爆発したことにより、アジュダービヤー降下点上空には幾つものいびつな形状のキノコ雲が打ち立てられ、菊花の対地攻撃によって散々痛めつけられた大地をさらに焼き尽くした。
熱と衝撃波で大気がグチャグチャにかき混ぜられ、金属蒸気を多分に含んだキノコ雲が薄れて辺りの見通しが効くようになった時、三隻のファラゾア駆逐艦は反応弾攻撃前と変わりなく依然アジュダービヤー降下点上空に位置も変えずに浮かび続けていた。
OSVから送られてきた、ノイズ混じりで酷く歪みの多い超望遠で撮影されたその映像がモニタに映し出されたとき、地球連邦軍参謀本部の中央司令室は、暗がりの中に響く驚嘆の声とも絶望の溜息ともつかないざわめきで埋め尽くされた。
常識的に考えられる現在の手持ちの中で、最大の破壊力を持つ兵器を幾重にも叩き付けてまだなお、微動だにせず平然と浮かび続けるモニタの中の白銀色の美しい艦を、皆憎々しげに睨みつつもどこか畏れを含んだ視線で見つめる。
次の瞬間、圧力差による大気の揺らぎを残して、三隻の駆逐艦はアジュダービヤー降下点上空から消えた。
軌道上のOSV135「フェルニヒター」が、多数の反応弾爆発で擾乱された大気を突き抜け、大きく方向転換して深宇宙方向へと急加速していく三隻の駆逐艦の姿を映像で捉えていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
済みません。また一回飛ばししました。
ただでさえ忙しいところに、とうとうチームの中で病院送りが出てしまい、仕事の負荷がさらに増加。
・・・俺も病院に担ぎ込まれたら楽になるのかなあ・・・などと考える今日この頃。
タイトルの「桜花三式」は、シーケンスを自由に入れ替えられるようになった現在の桜花では、余り意味のある呼び名ではありませんが、着弾前に爆発してから目標に到達するシーケンスが組まれているものを伝統的に「桜花三式」と呼んでいます。
関係ない話なのですが。
TVとかでウクライナの人達に同情する発言をする人達を見かけますが。
なんか他人事みたいに言ってるけど、五年以内に中国が台湾に戦争を仕掛けて、日本もそれに巻き込まれる可能性が高い、という事分かってんのかなこのヒト達、とか思ってしまいます。
長く平和な時が続きましたが、そろそろ次の戦争なのかも知れない、と。
願わくば、本作の中のように反応弾をポコポコ使いまくる戦争にならないことを。
中国、「同胞」である台湾には使わずとも、日本には使ってくる可能性ある、と個人的に思ってます。