29. アフダル山脈
■ 10.29.1
「空域の全機。こちらネプチューン01。敵駆逐艦隊、アジュダービヤー降下点上空、高度50km、1km/sにて降下中。Zone04で敵艦砲射撃有効射程内に入る可能性がある。注意せよ。」
地中海を渡り、アジュダービヤー降下点Zone04に到達する頃、イタリア南岸を管制エリアとするAWACSから通信が入った。
地上からの攻撃であれば、400kmの空など地平線の遥か下に隠れてしまうが、大気圏外から降下中の駆逐艦であれば、充分に射線が確保出来るという意味だろう。
「全機間隔取れ。ランダム機動開始。別命あるまで維持。」
AWACSからの通信を聞いて間髪を入れずにレイラからの指示が飛んだ。
新たに配属された者もいるとは言え、ベテランパイロットばかりのこの部隊は、先ほどのAWACS情報を聞いたならレイラの指示を待たずとも自分達の判断で勝手にやり始めるだろう。
そもそもソロで戦い抜ける様な腕前の者ばかり集まっているのだ。
しかしその様な、ともすると個人技に走り、誇張では無く本当に勝手にどこかに行ってしまう自己中心的なヴェテラン中のヴェテラン達に、部隊としてまとまって行動せねばならない事を思い出させ、その為には誰の指示に従わねばならないのかを自覚させるために、事あるごとにレイラから指示を出すという事に意味があった。
「敵艦隊、アジュダービヤー降下点上空高度4000mにて停止。空域の全k・・・」
しばらく経って再び敵駆逐艦隊の動向を知らせるAWACSからの通信が入ってきたが、それは不自然に途絶した。
「・・・墜とされたか?」
「いや、強烈なバラージジャミングだ。降下点のヤツより遙かに強力な。高度1000mまで下げる。全機続け。」
666th TFW全機が、レイラの号令によって急降下し、海上1000mまで高度を下げた。
ギリシャ方面から出撃した他部隊も皆同様の判断をしたらしく、達也達に前後して全ての部隊が高度を下げて、まるで数百機の戦闘機が横に広がり海面を這って進む様にして目標であるアフリカ大陸北岸を目指す。
地球大気圏内で数百km以上の彼方に情報を届ける手段を、地球人類はまだ電波を媒体としたものしか持っていない。
地球という球体表面に沿って湾曲した大気圏内で、しかも雲が多く浮いており、大気の透明度もさほど高くないこの地中海地方では、100km以上の距離でレーザー通信が通じるとは期待しない方が良かった。
電波の発信は敵に位置を特定される危険性を大きく孕んでおり、基本的に電波通信は厳しく制限されているのだが、既に自機位置が敵に特定されている場合はその様な気遣いなど必要は無く、またAWACSに関して言えば電波発信位置を特定され撃墜されることまでを想定して、電波を発する無人機であるAWACS子機と、オペレータが乗機し、レーザー通信しか行わないAWACS親機というシステムを構築しているのだった。
編隊内でのやりとりはレーザー通信によって問題無く行う事が出来るのだが、濃密な雲の中に突入してしまったときや、激しい格闘戦の最中で機体の位置や向きが激しく変化する場合など、レーザー通信には繋がりにくくなるという欠点があった。
もっとも格闘戦の最中であるならば、とうの昔に自機の存在は敵に露呈してしまっており、電波を用いる事に何の問題も無いのだが。
もともとイタリア半島南端エリア担当の沿岸哨戒担当であり、シロッコ作戦の最中は地中海側から突入する部隊全てを管制する役割を与えられていたAWACSネプチューンは、イタリア半島南端から地中海上空にまで進出してきていたが、降下点に近寄りすぎて戦闘に巻き込まれることの無いよう、Zone06より内側には近付かず、地中海上空から航空管制を行っていた。
アジュダービヤー降下点に存在した地上施設の殆どが、橘花による対地攻撃で消滅した後は、もともと地上施設からのジャミングをパワーで打ち破れる電波通信機を装備したAWACSからの通信は非常にクリアに聞こえていたのだが、敵駆逐艦隊降下と共に完全に聞こえなくなってしまった。
所詮は首刈り集積基地でしかない地上施設に対して、攻撃的な能力を多数有しているであろう敵艦が、遙かに強力なジャミング手段を持っていたとしても何ら不思議ではなかった。
AWACSからの管制指示無く、各部隊間の連携が難しい状態で、未知の敵大型戦闘機械である駆逐艦に向けて突入し攻撃を加えることは不安でしか無いが、思い返せばこのファラゾアとの戦いが始まったばかりの頃は、その様な管制などまるで無い中で作戦を行っていたことを思い出し、少しは気分が楽になる。
もちろん、攻撃目標がファラゾア駆逐艦三隻という強大な敵である事には変わりない。
月の向こう側まで出張して敵艦隊に攻撃を加えたことはあるが、それはただ単に高速ですれ違いざまの一瞬にミサイルを叩き込んだだけという、まるで中世の騎士のトーナメント戦か、或いはすれ違いざまの通り魔殺人のような攻撃方法でしかなく、地球人類は今までファラゾアの艦艇と正面切って殴り合うような戦闘をしたことがないのだ。
高度を下げた自機から見える水平線の彼方に佇む、これまで戦ったことの無い未知の敵との戦いに恐れを抱きつつも、しかし小型の戦闘機などとは比べものにならない有力なファラゾアの戦力をこの手で直接叩き潰す事ができる機会を得たことか、あるいはただ単に初めて直接刃を交える敵との邂逅に期待しているのか、訳も無く自分の心のどこかに沸き立つような感情があることに達也は気付いた。
恐れてはいるものの、早く闘いたい。
どちらも抑える事の出来ない己の中の感情のせめぎ合いに僅かに戸惑いつつ、遙か昔地球人が剣と肉体で闘っていた時代、戦いに際してはやる気持ちを持て余していた戦士達もこの様に感じていたのだろうかと、達也は急速に研ぎ澄まされていく感覚と共に、冷めた心で今の自分を俯瞰していた。
やがて前方遙か彼方にうっすらと霞む陸地が見え始める。
海岸線に到達する寸前にZone02へと突入する。
陸地が見えた時点でZone03の内側、敵の迎撃行動が急激に熾烈となる所謂ファラゾアの絶対防衛圏内部にすでに入り込んでいる。
もっとも今は、橘花による対地殲滅攻撃が行われた直後であり、降下点の地上施設と同時に多数の小型戦闘機械を失ったであろう敵が通常と同じ迎撃態勢を敷いているとは思えないが。
海岸線に迫るように立ち上がるアフダル山地を抜けて内陸の砂漠地帯へ突入すれば、アジュダービヤー降下点はもう目と鼻の先、Zone01に突入し、そしてすぐにZone00、敵駆逐艦隊が待つアジュダービヤー降下点跡地であるポイントゼロへと到達する。
モータージェットのほぼ最高速である800km/hまで増速して、高度をさらに落とし海面から500mの高さで陸地へと接近する。
とうにZone03深くへ入り込んでいるが、いまだ敵からの迎撃行動は探知されていない。
多くの深い涸れ谷が存在し隠れ易いアフダル山地の北斜面に潜み、こちらの接近を待ち伏せているのだろうか。
陸地まであと10km程度まで接近したとき、HMDに多数の反応が現れ、耳元のレシーバから鋭い電子警告音が鳴り響く。
GDDはアフダル山地北斜面の谷間などの地形に身を隠す敵機から射出された、大量のミサイルを捉えている。
「敵に探知された。AGG使用制限解除。」
耳元でレイラの声が聞こえ、同時に達也はコンソール上の「AGG ACTIVATE」のボタンを押す。
リアクタで生まれたパワーがAGGとGPUに流れて重力推進器が一瞬で立ち上がり、コンソール上に灰色で表示されていた重力推進器のシンボルが明るい緑色へと変化する。
多分数えるのも嫌になるほど大量のヘッジホッグが、山肌の凹凸に巧みに身を隠してこちらの接近を狙っていたに違いなかった。
山並みの向こう側遙か遠くで同様に湧き上がる白い点の集団は、待ち伏せていた大量のクイッカーだろうか。
煙の航跡を残すわけでも無くただ高速で飛び上がり、高度を下げて侵入している地球側戦闘機部隊の上空に覆い被さるように広がっていく大量の白い針のようにも見える敵のミサイル群は、まるで突然立ち上がった白い粒子の津波がこちらに向かってくるようにも見え、一発のミサイルが持つ威力と、今目の前に広がっていくミサイル群の数を合わせてその破壊力を想像すると、思わず向きを変えて逃げ出したくなる。
勿論そんな事をする訳にはいかない。
達也は冷静に機体の向きを変え進行方向をそのままに機首を上げると、上空から襲いかかろうとする白い津波の先頭辺りのミサイルに狙いを付けてトリガーを引く。
たかだか直径30cm程度のミサイルはなかなかレーザーで捉えにくく、二回目のレーザー照射でやっと撃破する。
狙ったミサイルは爆発し、そのすぐ後ろを飛んでいたミサイルを巻き込み誘爆させながら白い火球を空中に生じさせた。
誰もが同じ事を考えたらしく、覆い被さるように接近するミサイル群の先端付近に多数の火球が、まるで突然空中に大量の電球が湧いて出たかのように花開いた。
誘爆で消滅したミサイルも数多かったが、さらに多い数のミサイルが火球の間をすり抜けて、自分達を目指して突っ込んでくる。
そのミサイル群の先端を狙い、さらにレーザーを撃ち込んで再び火球を発生させる。
それを何度か繰り返す頃にはミサイル群との間の距離が無くなり、達也はミサイル迎撃をやめて急加速し、迫り来るミサイルを避けることに集中する。
他の僚機もほぼ同じタイミングで同じ判断をした様だった。
僅かに達也が突出しつつも、666th TFWの全機が加速し、覆い被さるミサイルの雲の下に突っ込んでいく。
ファラゾアのミサイルは追尾性が高くない。
殆どのミサイルを後ろに置き去りにし、しかしそれでも上方から雨のように降り注ぐミサイルを巧みに避けながら陸地に接近する。
重力推進の制限が解除されたことで地球側の戦闘機はその機動性を十全に発揮し、上下左右に、時には加速と減速を織り交ぜながら、海上に着弾するミサイルの火球と吹き上がる水柱を回避しつつも、音の壁を遙かに超えた速度で陸地に向けて突っ込んでいく。
海岸線の向こうには東西に長く続くアフダル山脈が存在する。
陸地の縁のように僅かに存在する平坦な土地の向こうは、山脈に向かって斜面が続き、その斜面には深さが百mを越えるような深い峡谷が無数に刻み込まれている。
ヘッジホッグが身を隠すには最高の地形だった。
僅かに人間の営みの痕跡が残る海岸線を一瞬で飛び抜け、斜面に向かって突っ込んでいく達也は高度をさらに下げ、その峡谷のひとつを選び敢えてその深い谷間の中に突入した。
A中隊の五機がその後に続いて谷間に飛び込んだ。
賭けではあった。
なだらかな平野部分を飛べば操縦も回避行動も楽ではあるが、そのぶん全方向から狙い撃ちにされる可能性がある。
遙か彼方に姿を隠し狙撃してくるヘッジホッグにまで気を回している余裕など無い。
逆に、深い谷間の中を駆け抜ければ、操縦もタイトで回避行動も厳しいものになる。
しかし前方に存在する敵にのみ注意を払えば良いだけだ。
遠く内陸部で迎撃に上がっているように見えたクイッカーの群れからも狙いにくくなるだろう。
峡谷の中を駆け抜けるという選択肢は、操縦に絶対の自信がある達也達であるから取れる選択肢であるとも言えた。
左右にぐねぐねと曲がる峡谷の中を、機体を右へ左へと大きく傾け切り返しながら飛ぶ。
希にCOSDARが潜伏する敵を探知し、警告を発しながらHMDにマーカを表示する。
敵の姿が岩陰から露わになって、レーザーの射線が通る瞬間を狙ってトリガーを引く。
或いは、狭い峡谷の中であるにもかかわらず、機体姿勢のみを変化させ、機首を大きく左右に振って隠れた敵を狙い撃つ。
今また耳元で警告の電子音が鳴り、前方に敵のマーカが現れた。
起伏の向こう側に巧妙に姿を隠しており、どうやっても手前から狙えない。
達也はGPUスロットルを進行方向に動かしつつ操縦桿を押し、思いきって機首を下げる。
機体が縦にロールして真下を向き、背中を前方に見せて飛ぶ形で敵のマーカ上空を飛び抜ける。
岩陰に銀色の敵が見えた瞬間トリガーを引く。
地上で小さな爆発が起こる。
機体をそのまま縦回転させ、逆回転のクルビットの様にして機体姿勢を正常に戻す。
そしてまるで何事も無かったかのように、曲がりくねった谷間を減速もせず再び突き進み始めた。
重力推進があるからこそ出来る技だった。
そうで無ければ、峡谷の壁面に接触していたか、或いは後続の僚機と衝突していただろう。
アフダル山脈は海岸線からそれほど離れているわけでは無い。
短いところで海から50km、長いところでも100kmほどで山脈の最も高度がある地域に到達する。
長年の風雨にさらされて、丸く削られた山並みの間を抜ける狭い隘路のような峡谷を駆け抜けて、達也と追従したA中隊はアフダル山脈の内陸側に突き抜けた。
眼前になだらかに続く赤茶けた色の乾燥した丘陵地帯が遙かに続く。
遠く霞んでまだ見えはしないが、この向こうに遙か数千あるいは数万光年の宇宙を踏破してこの地球にやってきて、地球人類をまるで家畜か工業用原料であるかのように扱う異星人どもの船が三隻、我が物顔で地球上に設置した地上施設を家畜扱いしている地球人に破壊され、多分怒り狂ってこちらを撃退しようと待ち構えている。
それがどうした。
怒りにはらわたの煮えくり返るような思いをしているのはこちらも同じ、いや、こちらが先で、そしてこちらの方が遙かに強烈な怒りと怨みを感じているのだ。
大切なものを奪われ、大切な者を殺され、知性体としての矜持を踏み躙られ、泥にまみれて逃げ惑い絶望し殺されていった。
例え奴等が本当に地球人という種族の誕生に関わっていたのだとしても、今意志を持ち生きている地球人を家畜扱いして切り刻み命を奪った報いは必ず受けさせる。
アフダル山脈を抜け、遮蔽体として利用していた峡谷から出て、遙か地平線の彼方に広がって行くアフリカの大地を背景に迫り来る、ターゲットマーカに囲まれた無数のクイッカーの白銀の機体をバイザーの下から睨み付けながら、達也はスロットルを思い切り押し込んだ。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
なんだか久しぶりに戦闘を書いたような気がします。
AWACSの通信や、俯瞰的に眺める戦場の描写も勿論戦闘場面なのですが、やっぱり達也を中心においてFPSあるいはTPSの様に書くのが、一番「戦闘を書いてる」という気になりますね。
戦闘回、まだまだ続きます。