26. ジブラルタル海峡
■ 10.26.1
05 June 2052, United Nations of Terra NAVY 4th Under water Task Fleet Flag Ship 'Hok ciu-ua', Approx. 150 km South from Gulf of Cadiz, Atlantic Ocean
A.D.2052年06月05日、大西洋、カディス湾南方約150km海中、地球連邦海軍第四潜水機動艦隊旗艦「福州」
所謂大陸棚が終わり、海底が深海に向けて緩やかに下っていく海域で、海面から200mほど下方、海底からであれば高度600mほどの位置に、漆黒の艦体を持つ大小二十二隻の潜水艦が集合していた。
彼女達は地球連邦軍によって画策された戦略レベルのプロジェクト「ボレロ(Borelo)」の第九段階に当たる作戦「シロッコ(Scirocco)」に参加するに当たり、作戦開始地点として指定されたリビア沖の地中海に向かう途上にある。
僅か一月足らず前に実施されたナリヤンマル降下点殲滅作戦「アルクティチェスカヤ・ミテル」を遂行した後、北極海からスカンジナヴィア半島を迂回し、北海を南下しながら作戦を終えた艦載機部隊と合流し、その後イベリア半島の西海域に到達したのだ。
次の作戦領域である地中海に至るためには、約100kmほど前方に横たわる海峡を通過せねばならなかった。
世界史の中で何度も熾烈な戦いの舞台となったその海峡は、古代ギリシャ人に「ヘラクレスの柱」と呼ばれた岩山が両岸に聳え、そしてその時代から現代まで常に地中海と大西洋を区切る交通の要衝であった。
海峡部は海の幅が最も狭いところで僅か14km、海峡内の平均水深は僅か350m足らずという、地球人類史上潜水艦が初めて本格的に活躍した二度目の世界大戦以来この方ずっと、潜水艦にとっては交通の難所であり続けている。
地球連邦海軍第四潜水機動艦隊に属する各種潜水艦計二十二隻は、適当な間隔を取って戦隊ごとにまとまり、長さ10kmほどの縦列を形成して、まさに今からその潜水艦の難所を通過しようとしていた。
航行計画では、縦列の機動艦隊は水深200mを常に保持し、方位265から針路85にて50ktの高速で海峡に接近する。
縦列艦隊の先頭を進む401潜水戦隊のピケット艦「赤峰」が海峡から20kmの位置に達したところで速度を20ktに落とし、縦列艦隊のまま約二時間程掛けて海峡を抜け、アルボラン海に到達したところで再び艦隊を整えてから、目的地のある西に向かって進む予定であった。
海上を我が物顔で走り回る水上船に見つからないよう、暗い海中で息を潜めて気配を絶ち、僅かな音を立てることにも神経質になっていた一昔前とは異なり、敵が空中或いはそのさらに上方の宇宙空間に存在する今、潜水艦は静粛性の呪縛から解き放たれていた。
ジブラルタル海峡に向けて急速に接近する艦隊は、その高速航行によって艦体から絶え間なく発生するキャビテーションノイズに気を遣う必要など無く、また航行の安全を確保するために海底の地形や周囲の状況に関する情報を得ようと、頻繁にアクティヴ・ソナーを打ち続けている。
第四潜水機動艦隊の艦隊旗艦である潜水巡洋艦「福州」を含む401潜水戦隊がタリファ島沖を通過し、ジブラルタル海峡でも最も海峡の幅が狭いエリアにさしかかった時、それは起こった。
地球上に多数設置されたGDDをネットワークすることで、その大量のデータを積算することで探知精度と探知距離を飛躍的に向上した重力波探知システムであるGDDDS(Gravitational wave Displacement Detector Network to Deep Space : 対深宇宙重力波監視網)は、最近では半ばファラゾア艦隊の泊地と成り果てている太陽L1ポイントからの複数のファラゾア艦の移動を示す重力波を探知した。
その重力波はすぐさま解析され、僅か数秒後には、太陽L1ポイントから地球方向へ向けて600m級駆逐艦が六隻移動しているものと同定された。
さらにその二秒後には、駆逐艦の加速度が2500G程度であり、ヨーロッパから西アジアにかけての範囲の上空に到達するものとの推測が弾き出された。
僅か二日後に予定されている大作戦「シロッコ」に参加するために、第四から第八の潜水機動艦隊がまさに今地中海へ向けて移動中であることは当然重要事項としてマークされており、その六隻のファラゾア駆逐艦の進行方向と、地球連邦軍の虎の子部隊である潜水機動艦隊の針路が重なることが注目された。
地球連邦軍参謀本部は勿論のこと、地中海北岸に存在する軍事拠点と、地中海に向けて移動中の潜水機動艦隊五個艦隊に向けてすぐさま警報が発せられた。
潜航中の潜水機動艦隊は地上と通信する手段を持たない訳では無かったが、その為には速度を20kt以下に落とした上で、ピケット艦或いは一部の潜水巡洋艦が持つ特殊装備である遠距離通信用ドローン、或いはAWACS子機を艦隊上空に射出した上で、それらの装備を持つ艦から長くたなびくように牽引される通信用牽引アンテナを海面近くに展開する必要があった。
電波が非常に通りにくく、また音波を用いた通信ではノイズが酷いために、長距離のデータ通信など望むべくもない海中では、2050年を超えた現在でもその様な通信の制約が存在するのだった。
その為、参謀本部や艦隊司令部を発し潜水機動艦隊に向けた通信はいつでも双方向に行える様なものでは無く、基本的に通信は艦隊が存在する近くの基地局にある程度蓄積され、定時連絡などで通信が確立された時にまとめてやりとりされるという手法を採っていた。
この長距離通信の困難さ、或いはその通信の困難さを僅かでも改善するために次善的に選択された通信方法、あるいはただ単純に各艦隊に割り振られた艦隊番号が、この日ジブラルタル海峡を抜けようとしていた五つの潜水機動艦隊の命運を、或いはそこに乗務していた多くの兵士達の運命を決定することとなったのだ。
ジブラルタル海峡という水中交通の難所に向かって隊列を組んだは良いものの、各艦隊および戦隊が非常に長い縦列を作って海峡を抜けていっているために、その難所にアプローチする順番がなかなか回ってこない第八および第七潜水機動艦隊は、未だ大西洋にて暇を持て余していた。
他のどこかに行ってしまう訳にも行かず、かといって作戦前の隠密行動時に艦載機を発進させる様な目立つ訓練を行う訳にもいかず、それぞれの艦隊に所属する旗艦である潜水巡洋艦とピケット艦は、今現在の世界情勢がどの様に推移しているか、暗闇に閉ざされた海の外の情報を欲して、それぞれが装備する通信用牽引アンテナを長く伸ばしていた。
その情報収集行動が功を奏し、スペイン南岸を管制区とする沿岸哨戒AWACSからの通信を傍受することに成功し、第七潜水機動艦隊旗艦ミルウォーキーと、第八潜水機動艦隊旗艦ベイオウルフは、他の機動艦隊旗艦に先んじて頭上遙か彼方で生じた異変に気付くことが出来た。
両旗艦ともすぐさまファラゾア駆逐艦隊の動きについて、それぞれの艦隊内の各艦に情報共有を行ったが、いずれの旗艦も自身が率いる艦隊以外の他の四艦隊との距離は百kmかそれ以上離れており、また不幸にも全ての艦隊の現在位置が様々な騒音の多い大陸棚海域であったことから、同じくジブラルタル海峡を目指して進む他の艦隊が同じ情報を受け取っているか否か確認することが出来なかった。
50秒後、ファラゾア駆逐艦隊の六隻はその航路を変えること無く直進し続け、そして艦隊進行方向に対するプラス加速を終了してマイナス加速、即ち減速に移る。
その頃にはこの駆逐艦隊の航路と加速度から、その推定目的地がかなり絞れてきており、警戒システムは駆逐艦隊の目的地を地中海西部、アルジェリア北岸から西ヨーロッパ南岸の地域であると予想した。
その予想地域において、ファラゾアの興味を引くと思われる重要目標は主に三つ存在し、一つ目は少し位置が外れるものの彼らの重要拠点であるアジュダービヤー降下点、二つ目は二日後に予定されているアジュダービヤー降下点攻略作戦のために続々と戦闘機が集結しつつあるイタリア南端、シチリア島からサルディーニャ島、またはスペイン南岸バレンシア地方に渡る領域に存在する各航空基地、そして三つめは今まさにジブラルタル海峡を抜け始め、地中海に進入する航路を採っている潜水機動艦隊であった。
警戒システムはファラゾア駆逐艦隊の目的地が、作戦「シロッコ」の実施地域と完全に重なることを重く見て同地域の警戒態勢を最高に設定するよう警告を発し、該当地域に存在する航空基地の防空システムとそのオペレータ、参謀本部中央司令室オペレータとその関連部署に通知した。
警告を受けとった参謀本部、この時点ではまだファラゾア駆逐艦隊の目的はアジュダービヤー降下点上空にて、当該降下点を防衛するものである可能性が高い、と判断していた。
ファラゾア艦隊がその様な行動を取ったことはかつて無かったが、地球人類側が宇宙空間での戦闘を可能とする戦闘機械を次々と開発投入し、それに対して桜花ミサイルなどの迎撃によって高度数百kmの低軌道はファラゾア艦隊にとって安全な場所では無くなったこと、そして彼らが地球上に設置した降下点が次々と破壊されていくことなど、大きく状況が変化している現在、ファラゾア艦隊がこれまで知られていない予想も付かない様な行動を取ったとしても不思議では無い、と考えていた。
ただし、今まさにジブラルタル海峡に進入しようとしている潜水機動艦隊については、経験的にファラゾアは海中の目標に対して余り興味を示さない、或いは探知能力が低い事が分かっているため、現在空中で哨戒任務に当たっている多くのAWACSや、ファラゾアにその位置を確実に把握されており、またシロッコの出撃拠点として多くの戦闘機が続々と集結していっている周辺の各航空基地に比べて、目標優先順位が低いものと判断された。
さらに15秒が経過し、ファラゾア駆逐艦隊が地球に対する相対速度を数十km/sまで減速する頃には、駆逐艦隊の推定目標宙域はさらに絞り込まれて、地中海西端地域、すなわちジブラルタル海峡周辺域の上空であることを警戒システムが弾き出した。
この時点で参謀本部のファラゾア駆逐艦隊の推定攻撃目標評価は逆転し、スペイン南岸の各航空基地が攻撃目標である可能性は引き続き高いものの、ジブラルタル海峡を通過中の潜水機動艦隊の方がより高い確率で駆逐艦隊の攻撃目標となっているものと判断された。
参謀本部中央司令室はその旨の警告を五つの潜水機動艦隊に与えようとしたが、前述の理由によりその警告が全ての艦隊に完全に通知されることは無かった。
警告を受けとった第七、第八潜水機動艦隊のみが、艦隊司令の迅速な判断によって、一切の作業を緊急中止しジブラルタル海峡から離れる方角へと緊急で転針する行動を実施した。
第四、第五、第六機動艦隊については、リアルタイムで警告を受けとることが出来ず、引き続きジブラルタル海峡に向けて整然と並んで進行中であり、第四艦隊に至ってはジブラルタル海峡通過の真っ最中であった。
しかし第六潜水機動艦隊旗艦インコンパラブルと、彼女に率いられた第六潜水機動艦隊所属の艦は幸運であった。
インコンパラブルと彼女の旗下の艦隊は、現在ジブラルタル海峡を通過中の第四潜水機動艦隊、海峡の出口でお行儀良く整列して次の自分達の順番を待っている第五潜水機動艦隊に続いて海峡を通過する予定であったが、自分達の順番が回ってくるまでにはまだしばらく掛かるものと認識して、海峡から少し距離を取った海域でゆっくりと戦隊ごとに整列しつつある状態であった。
艦速がさほど高くなかったことと、雑音の酷い陸地近傍から少し離れていたことから、彼女は第七潜水機動艦隊旗艦であるミルウォーキーが、相互通信手段に乏しい味方の安全を案じて半ばヤケ気味に放った、アクティブソナーによるモールス信号を捉えることが出来たのだった。
そのモールスはただ単に「逃げろ」と何度も繰り返すのみであった。
勘の良い聴音手と、目端の利く探知システムは、特徴的な強弱を繰り返すアクティブソナー音が、第七潜水機動艦隊が存在するはずの海域から発せられたモールス信号であることに気付いた。
聴音手はすぐさまその奇妙な通信を艦長に報告し、艦長と艦隊司令は、今まさに自分達が向かおうとしている海中交通の難所ジブラルタル海峡に何らかの問題が発生したものと瞬時に判断し、短距離であれば問題無く意思疎通可能な通信手段として用いられる超音波通信を用いて、第六潜水機動艦隊全艦に即時回頭、全速離脱を命じた。
大西洋側の海峡の入り口で第五潜水機動艦隊が待機し、長く列を成した第四潜水機動艦隊が通過中のジブラルタル海峡にむけて、六隻のファラゾア駆逐艦からあらん限りのレーザー砲照射と、反応弾同等の爆発力を持つミサイルが二十発発射されたのは、そのすぐ直後のことであった。
いつも拙作お読み戴きありがと翁ございます。
リアルの仕事の都合でどうしても執筆時間が取れず、投稿を一回飛ばしました。申し訳ありません。
ちなみに第四潜水機動艦隊の艦名は福建語です。
中華連邦となり、第一公用語(北京語)の締め付けが無くなった中国(China Union)では、以前よりもおおらかに方言や各民族の言語を使用することが出来ます。
北京語が第一言語であることには変わりないのですが。




