18. バレンツ海
■ 10.18.1
17 May 2052, United Nations of TERRA NAVY, 7th Under water Task Fleet, Aircraft Carrier Submarine 'Jolly Roger', at Barents Sea, near to 73°N, 45°E, under water.
A.D.2052年05月17日、バレンツ海、北緯73度、東経45度付近、海中、地球連邦海軍第七潜水機動艦隊空母ACSS-041「ジョリー・ロジャー」
全長400m、最大幅90m近くもあるニパビジミィ級潜水空母の黒い巨体が、深度200mの暗い海中に静かに横たわっている。
1kmほど離れた海中にも、同様の潜水空母が潜んでおり、その向こう側にもやはり同程度の間隔を取って別の潜水空母が同深度に身を潜める。
各潜水空母の左右後方を固めるようにして200mほど離れた場所、深度にして50mほど下方に、小柄な潜水駆逐艦が二隻ずつ存在しており、周囲に近づく者が無いか聞き耳を立てている。
海中では運動性が大きく削がれ、一昔前のスクリュー推進型の潜水艦にも劣る動きしか出来ないファラゾア戦闘機が、わざわざ不利な海中に飛び込んでくることなど有り得ない話であったが、これまでの戦いの中で、技術的に地球人類の遙か先を行くファラゾアという敵に対して、何事も先入観や決めつけで行動してはならないという思想が骨の髄まで染み込んでいる地球連邦軍の指揮官達は、例え海中であっても過剰なほど神経質に周りの索敵に気を遣っていた。
昨日まで敵が居なかったからと云って、今日もそうだとは限らない。
宇宙空間という過酷な環境の中、何千何万光年という距離を渡りやって来た敵が、海中で戦うことの出来る兵器をもっていても何ら不思議では無かった。
投入の調整に色々と長く時間のかかった海中用兵器が、今日から全面的に投入されてきて、今まで地球人類の安寧の地であった海中が突然激戦の死地へと変貌したとしても何らおかしくは無いのだ。
「作戦開始マイナス三十分。海中異常なし。ピケット艦からの異常連絡無し。」
光量の落とされたほの暗いCICにオペレータの声が響く。
他には時々聞こえる低く短い電子音のみ。
薄暗いCICの中では、各オペレータが向かうモニタの光があちこちで明るく光り、その明かりを受けたオペレータ達のモニタを凝視する真剣な眼差しの顔が、暗がりの中浮き上がるように見えている。
「定時ソナー発振。海面状態確認。頭上の氷塊位置変わらず。」
「ふむ。面倒だな。浮上の前に一仕事やらねばならんかな、これは。」
ジョリー・ロジャー艦長であるシルベストレ・カンデラス大佐が、自席に座ったまま報告を聞いてぼそりと呟く。
五月ともなれば北極海に面した高緯度地域であるこのあたりでも、明らかに春の兆しがあちこちに現れ、地上では土の地面も見え始める時期であるが、北極海と直接に繋がったバレンツ海にはまだ多くの氷塊が漂っている。
小さなものであれば浮上時に艦体で直接押し退けたり割ったりすることが出来るのだが、その様な事をすれば艦体の方が確実に破壊されそうな巨大な氷塊が希に存在する。
今、ジョリー・ロジャーの上方海面を漂う氷塊が、まさにその様な巨大なものであった。
もちろん海流は存在するが、氷塊がひしめき合う海面では、これから僅か三十分の間にその巨大な氷塊がどこかに流れていくことは望めそうに無かった。
「フォノン・メーザー砲は使用可能です。」
すぐ脇の席に座る副館長のクリスチャン・ガルシア中佐が、艦長の独り言のような呟きを聞きつけて言った。
三ヶ月前、カリフォルニア半島沖海上でファラゾア宇宙艦隊からの艦砲射撃を受けた際に負った傷は完全に癒えており、ジョリー・ロジャーの名物コンビは完全に復活している。
フォノン・メーザー砲はいわゆる音響兵器の一種であり、レーザー砲が使用できない海中での攻撃手段として備えられているものである。
艦体の前方と後方に二門ずつ、計四門備えられたフォノン・メーザー砲は、水中に指向性の強い高強度の超音波を放射し、複数の砲門から放射される超音波の共鳴効果で対象を破砕することを目的とする。
元々は希に水中に向けて打ち込まれることのあるファラゾア機のミサイルを破壊することを目的として搭載されたものであり、1000m先のファラゾアミサイルを破壊することを目的としている。
「ソナー、直上の氷塊の形状は出ているか?」
「映像化完了しています。六番モニタに投影します。」
シルベストレの問いに対するソナーオペレータの返答とほぼ同時に、CICの右側の壁に接地されたモニタのひとつが切り替わり、等高線によって表現された氷塊の形状が3D画像として画面の中でゆっくりと回転し始めた。
まるで地上の山脈を逆さにぶら下げたかのような形状で、幾つもの山が連なる氷塊の底部構造であるが、明らかに大きな深い谷間となっている構造が氷塊の中央辺りに存在した。
「あそこですね。」
「ああ。叩き割って温水を流し込めば浮上に十分な空間を確保できそうだ。案外楽そうだな。数分もあれば割れそうだ。」
「あれだけの氷の塊を全部粉砕するのはホネでしょうからね。」
「砲手、氷塊中央部の谷間部分にメーザーを集中させて氷を叩き割れ。作戦指示に従い、マイナス二十分の定時ソナーで形状再確認後、メーザー投射開始だ。」
「イエス、サー。メーザー砲ハッチオープン。」
艦長からの直接指示に従い、砲手はメーザー砲を格納したハッチを開けて砲身を外部に露出させる作業に入った。
「・・・風情がねえな。」
「は? 風情、ですか?」
砲手からの返答を聞いたシルベストレが低い声で再びぼそりと呟く。
それを聞きとがめたクリスチャンが、その意を測りきれず問い返した。
「おうよ。海の漢だったらそこは『アイアイ・サー』とか、『アイアイ・キャプテン』とかよ。最近の若ぇのはシステムのオペレーションばかり上手くなって、潮気が抜けてスマートになりやがってよ。まったく。」
続くシルベストレの言葉を聞いてクリスチャンはあきれ果てた表情になる。
「アホですか。カリブ海の海賊じゃあるまいし。連邦海軍最新鋭の潜水空母ですよ。」
二人の会話は当然近くの席のオペレータ達には聞こえている。
オペレータ達はその会話に巻き込まれることを回避するため、聞こえないふりをして自分の前のモニタに集中している風を装う。
「よし決めた。この作戦が終わったら、俺の艦での返答は『アイアイ』に統一する。俺を呼ぶときは『ボス』な。じゃねえとなんか気合いが入らねえ。」
「何言ってるんですか。連邦軍人業務管理規定にも『上官に対する返答には、敬意を込めて「Sir」を付けること』と書いてあるでしょうが。『カシラ』とか、どこの小汚い海賊ですか。私は嫌ですからね。絶対。そもそもナニ変なフラグ立てようとしてんですか。縁起でも無い。」
クリスチャンが畳み掛けるように反論するが、シルベストレの方は聞いているのかいないのか、満足げな表情で笑ったままCICの壁面モニタに映し出されている作戦までのカウントダウン表示を見ている。
クリスチャンがなおもガミガミと先ほどのシルベストレの思いつきに対する反論を言いつのっているが、当のシルベストレの方がどこ吹く風と言った様子である。
「作戦開始マイナス二十分。周囲異常なし。ピケット艦からの異常連絡無し。」
ややあって、再びオペレータの声がCIC内部に響き、作戦開始時間が迫っていることを告げる。
「定時ソナー発振。海面の氷塊位置を再確認。」
船殻を伝ってピンガー音が艦内に響く。
「海面状態確認しました。マッピング、六番モニタに出します。」
先ほど氷塊の外形が表示されていたモニタ画像が更新され、氷塊を含んだ頭上の海面の状況がマッピング表示される。
話題となっていた巨大な氷塊は、変わらず頭上に存在しているようだった。
「砲手、メーザー砲発射用意。」
「メーザー砲準備完了。」
「目標、頭上の氷塊中央部のクレバス。粉砕して氷塊を叩き割れ。メーザー投射。」
「目標、氷塊中央部クレバス。メーザー砲投射開始。」
巨体の四方から突き出すように船殻外に飛び出たメーザー砲塔の音響放射管から指向性を持たせた超音波が放射され、氷塊の中央部分に集まる。
共鳴した超音波が氷を削り、破砕して、氷塊を穿ち内部に侵入していく。
ソナーにより氷塊の破砕の状態を確認しつつ、砲手は氷塊のクレバスに沿ってメーザーの焦点を動かし、破壊を広範囲に広げる。
僅か数分で氷塊の中央部は大きく抉れたようにシャーベット状に粉砕され、氷塊の底部から上部まで貫通するほどの深く大きな窪みとなる。
「氷塊の破砕を確認。氷塊中央部に貫通孔発生。」
「タンクブロー。深度40。スチーム排出開始。」
「タンクブロー。深度40。」
「スチーム排出開始。」
ジョリー・ロジャーの巨体は、まさに今破壊した氷塊に向けて真っ直ぐに浮き上がり、深度40mでピタリ止まった。
その深度は、巨大氷塊の下部に山脈のように突き出た山の間に入るか入らないかの絶妙な位置。
そして巨大な艦体の数カ所に設けられた、反応炉の熱を逃がすための冷却水排水口から、数百度に熱せられた水蒸気が大量に放出される。
ニパビジミィ級潜水空母はその巨体を運用するために熱核融合炉を二機備え、主推進器としてH-Jet推進器を二基搭載している。
高温の水蒸気を推進用チャンバー内で水中に噴出し、その噴流にインテイクから導入された海水を巻き込みながら後方に勢いよく排出して、その反作用で推進力を得るのがH-Jet推進器の構造であるが、今はこの反応炉の熱をふんだんに吸収した高温水蒸気を艦体の各部に設置された排熱口、即ち温水排出口から直接排出している。
放出された高温水蒸気は、早春のバレンツ海の氷点に近い温度の海水に触れて一気に冷却され、急速に液体に戻る。
が、その熱量を含んだ大量の高温の海水は艦体から陽炎のように立ち上って、氷塊の底部に溜まり接触し、メーザー砲で粉砕された部分を急速に溶かしていく。
勿論その熱水の量は、氷塊を全て融かすには全く足りないのであるが、メーザー砲で破壊された穴を大きく広げ、巨艦がその身を海面まで浮上させるだけの大穴を確保するには十分な量であった。
「貫通孔発生。長さ450m、幅200m。」
「スチーム排出停止。」
「スチーム排出停止。」
「作戦開始マイナス五分。周囲異常なし変わらず。ピケット艦からの異常連絡無し。」
「ソナー発振停止。フルサイレント。」
「ソナー発振停止しました。」
「推進器停止。フルサイレント。」
「フライトオフィサー。飛行隊発進準備はどうか。」
「飛行隊発進準備完了。全パイロット搭乗済み。」
「対空火器準備。」
「対空火器準備完了。浮上と共に展開します。」
「作戦開始マイナス200秒。」
「随伴艦『ユキカゼ』、『イッレクイエート』、離れていきます。氷塊を迂回して浮上する模様。」
「聴音手、作戦開始信号に注意。」
そしてCICに訪れる静寂。
ただ時々電子音が響くのみの静かなその空間に、張り詰めた空気が流れる。
普段は気にすることの無い、放熱ファンの排気音と、エアコンの音が妙に耳障りに聞こえる。
「短信三発・・・繰り返し三回。来ました。作戦開始信号です。」
「パルスソナー発振。氷塊形状確認の後、タンクブロー。氷塊破砕口に浮上の後、航空甲板展開。飛行隊発艦準備開始。GDD洋上警戒。」
「氷塊破砕口直上。」
「タンクブロー。」
「GDD感無し。上空クリア。」
巨大な黒い艦体が氷塊の間を縫うようにして浮上する。
氷塊の破砕口周りの氷を艦体で直接削り、叩き割り、巨大な氷塊にぽっかりと空いた破壊孔から黒光りするその姿を表した。
「艦体浮上。」
「風速04、風向12。曇り。降雪無し。視界10km以上。発艦条件良好。」
「対空火器展開。450mmLTA準備完了。」
「航空甲板展開開始。」
「飛行隊発艦シーケンス開始。」
「随伴艦『ユキカゼ』『イッレクイエート』浮上を確認。ユキカゼ、四時の方向距離1200。イッレクイエート九時の方向、距離1500。両艦とも対空火器展開中。データリンク・・・完了。」
「旗艦ミルウォーキー浮上確認。通信レーザー確認。ゲイン良好。データリンク開始。」
「航空甲板展開完了。甲板固定。オールグリーン。発艦可能。」
「フライトオフィサー。飛行隊発艦開始。」
「艦載機搬送を開始します。」
「急げ。敵に嗅ぎつけられる前に全部出す。」
「諒解。艦載機発艦完了予定まで二十分。」
巨大な艦体の中では、艦載機を乗せたシャトルパレットが次々とエレベータに向けて搬送される。
航空甲板の前後二カ所に設置してあるエレベータの開口部が開き、艦内の暖かい空気が立ち上って白い蒸気となって風にながれていく。
その白い蒸気の中、連邦軍気色である暗灰色の連邦空軍機色に塗られた機体がせり上がってきて航空甲板上に姿を現し、そして僅かな時間航空甲板上にとどまったかと思うと、低く雲が垂れ込めた空へと音も無く飛び立っていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
艦長を「カシラ」と呼ぶのはジョリー・ロジャーの伝統ということにしてしまおうか。w