17. 補充兵
■ 10.17.1
「この部隊の噂は聞こえてきてたわよ。」
煮詰まりすぎたチリビーンズを不味そうに顔を顰めながら口に運びつつ、優香里が言った。
優香里の向かいの席には達也が座っており、その両脇にマリニーとナーシャ、そして優香里の両脇に沙美とジェインが座っている。
皆、新参者である優香里の、というよりも「外の世界」からやって来た新しい情報に興味深く耳を傾けている。
機動艦隊の艦載機部隊として、潜水空母での運用訓練を行っていた期間を入れるとすでに一年半、666th TFWの兵士達は皆潜水艦の中に閉じ込められ、或いは絶海の孤島に近いハワイにある宇宙軍基地に缶詰となって、長く代わり映えのしない環境に置かれ続けてきた。
皆が身分を隠して「始末屋」として世界各地の最前線の基地に散っていた頃に比べると、外からやってくる情報は極めて限定的であり、それはまるで外界と隔絶された修行僧か或いは囚人かと云った状況であった。
勿論、命令に従い作戦をこなしていく事のみを考えるならば、その様な外界からのニュースや噂など特に必要性のない情報ではあるのだが、達也のように社会性が欠落しヒトとしてどこか壊れている者はともかくとして、一般的には最前線で戦う兵士達は自分達が戦う最前線の外からやってくる情報に飢えていると言って良かった。
例えばそれは故郷の様子や或いは被害状況であったり、他の降下点の敵に対峙する戦場の様子や戦況であったり、新たに開発された兵器や新鋭機の噂、信憑性に疑問符が付くような参謀本部の考えや今後の戦略的展開の噂であったりもする。
「何でも、世界中に散ってた『始末屋』を集めて最強部隊を作った、って。みんなアンタのバカな操縦は覚えてたから、『ああ、なるほど』って云う感じだったけどね。ただこの部隊の名前、いくら探しても見つからないのよね。ウラジオストクの方面司令部の端末使っても見つからなくてね。今回、配属されるに当たってのレクチャーでやっと納得できたわ。」
達也達の所属する666th TFW(第666戦術戦闘航空団)、通称ST(Shock Troops)部隊、或いは飛行隊名称フェニックス大隊は、公式に発表された地球連邦軍組織の中に記載されていない。
優香里が言ったとおり、連邦軍ネットワークを使用して検索しようともヒットすることは無く、一般兵士が666th TFWに所属する兵士に連絡を取ろうとしても不可能である。
これは666th TFW発足時の、所属するパイロット達の主な役割が、各ファラゾア降下点に対抗して設置されている前線基地に配属され、ファラゾア降下点を起点とした局所的超大規模攻勢発生時に、参謀本部からの直接指示によって特に配備された反応弾を用いてこれを足止めすることを目的とした特別攻撃任務、いわゆる「始末屋」であったことに起因する。
一万機を超える事も多いロストホライズンの、降下点から溢れ出る津波のような敵戦闘機群の流れを止めるために反応弾を使用する「始末屋」は、敵の勢いを止める立役者として感謝される可能性も高かったが、当時の地球連邦軍の部隊配置のポリシーとして多くが地元出身のパイロットにて構成された最前線の航空基地において、自分達の生まれ育った故郷で反応弾を使用して街や森を跡形も無く吹き飛ばし焼き尽くす様な使命を与えられた「始末屋」に対する悪感情が噴出することも予想されていた。
結果として「始末屋」達は、自分をも害する恐れのある反応弾ミサイルを抱えて敵の大部隊に向けて単機突撃する勇敢さから「カミカゼ」と呼ばれることもあったが、無差別に死と破壊をもたらす者として「死神」と呼ばれ一般兵士達から忌み嫌われることの方が圧倒的に多いという状況となった。
多くの部隊が戦闘に加わる戦場で単機突撃し反応弾を使用するなどと云う目立つ行動を一度でも取れば、現地の現場レベルでは誰が始末屋であるかなど丸分かりであるのだが、ロストホライズンによる敵部隊の奔流を駐める有効な手立てを他に持たない国連軍は、その様な極めて重要な使命を帯びたパイロットの存在を可能な限り隠して、始末屋パイロットに対する嫌がらせやその他諸々の不利益を与える様な、地上勤務の者を含めた周りの一般兵士達の行動を抑制して、あらゆる形での負担を少しでも軽減しようとした苦肉の策であった。
後に彼ら始末屋パイロット達が一所に集められ、666th TFWと云う名称で飛行隊として行動し始めた頃には、ファラゾアの手による生体プロセサを脳に埋め込まれたいわゆる「チャーリー」の存在が明らかとなっていた。
外見上普通の地球人類と全く見分けが付かない彼らは主にファラゾア勢力圏に近い地域で多く発見されており、将来的にファラゾアが潜入破壊工作員として利用し始める可能性を考慮すると、活動地域が完全に重なり合うため真っ先に重要攻撃目標のひとつとして挙げられる可能性が高いこのトップエースを集めた特殊航空隊の存在は、情報を極力秘匿することでその存在と現在の活動地域をファラゾアに知られることの無い様に最大限の注意が払われることとなった。
電子的攻撃手段では未だ地球人類が足元にも及ばないだけの高度な技術を持つファラゾアに対して細心の注意を払って隠匿するために、その名前は国連軍、或いは地球連邦軍の電子的ネットワーク上から完全に消去され、またいつ地球連邦軍深部にまで潜り込まれるとも知れないチャーリーへの対策として、電子的媒体だけで無く、紙媒体による記録にも666th TFWの名前が残ることの無い様に、その部隊名と部隊に関する情報は非常に注意深く取り扱われる事となった。
勿論現地戦場では、誰もが666th TFWが戦う姿を実際に眼にすることが出来、AWACSなどの管制機もその部隊名あるいはコールサインを使用して作戦中の指示を出すのであるが、その作戦のログや記録などに残された666th TFWの名称は全て人力をもって丁寧に消去されるか、或いは必要に応じて「ST」の二文字へと置き換えられたのであった。
最前線で命を賭して戦っている兵士達は、彼等666th TFWに何度も助けられその活躍を実際に目にして、ことあるごとにその心強い味方部隊の戦いざまを話題にするが、しかしその噂話を聞きつけた者が彼等について調べようと思っても、それらしい何かが存在したようだという痕跡だけは見つかれども、明確な記録を見つけ出すことが出来ない。
これが遠い未来に、666th TFWが実在しない部隊、或いはあり得ないほどに強く勇敢すぎる架空の英雄達を描いたお伽噺として認識される事となる最大の原因のひとつであった。
優香里の話を聞いていた、元からST部隊に所属するマリニー達が、困ったような照れたような苦笑いを浮かべる。
人類史上その存在を秘匿された特殊部隊は数あれど、自分達はそのさらに上を行く正体不明な幽霊部隊である事を皆自覚していた。
もとより後方の家族と連絡を取りにくく、休暇を取って会いに行くことも難しいこの戦いであるが、666th TFWに配属された者はあらゆる例外なく、後方に連絡を取ることを禁じられていた。
また情報漏洩防止のため、一度666th TFWに配属されれば、死亡するか或いはとことん生き延びてこの戦いを終えて退役するかしかこの部隊を抜ける方法は無かった。
戦闘の結果身体に損傷が残り、戦闘行動に耐えることが出来なくなった者は、スライマーンやオットーのような整備兵になるか、或いは事実上ST部隊専用艦となっているジョリー・ロジャーの様な部署に配属されるか、或いは小さいながらも一応存在する666th TFWの飛行隊オフィスで地上勤務になるか、いずれにしても666th TFW(第666戦術戦闘航空団)という枠組みの外に抜け出すことは無いのだった。
「で、アンタまだ大尉なのよね。とっくに少佐やそのはるか上に行ってておかしくないだけの戦果を残してるってのに。」
と、顔を顰めながらショルダーベーコンを呑み込んだ優香里が、達也に向けたフォークの先を小さく回しながら言う。
宇宙空間で行われた作戦「セリノフォト」の後、これまでもずっと666th TFWのA中隊長を務めてきた達也は、やっとその地位相当の階級へと昇進していた。
2044年に中尉に昇進して以来、八年振りの昇進となる。
達也の戦績からすると、絶対にあり得ない昇進の遅さだった。
当然この事についても、ST部隊へ配属される際に優香里は説明を受けているはずだった。
ST部隊に所属する兵士達は、ほとんど昇進することは無い。
これは、最高の戦力であるエースパイロット達がその凄まじい戦果に応じて瞬く間に昇進し、佐官以上の管理職となり、飛行隊から抜けて事務職となってしまって戦力低下を起こすことを防止するための措置である。
通常であればその様な非常識な措置に同意する兵士など居よう筈も無いのだが、ファラゾアを一機でも多く墜とす事に対して多かれ少なかれ偏執的な拘りを有するST部隊のパイロット達は、何の不満も無く、むしろ自ら進んでその措置に同意した。
昇進という「ご褒美」をもらう事が出来ないST部隊兵士達であるが、その代償として同位階の兵士士官とは比べものにならないほどの高い給与を与えられている。
しかしながら実際のところ、その様な高給も最前線で戦い続けほとんど基地から出ることのないST部隊員達にとっては使い所の無いものであり、連邦軍銀行の給与口座の桁数がただ増加していくだけの無意味なものとなってしまっているのが実状である。
休みらしい休みも無い激務の連続で、尚且つ凄まじい戦果を挙げ続ける事に対する報酬を、実質的に受け取る事が出来ない彼等が望んだのは、生き残るため或いはより多くの敵を墜とすための万全なサポート態勢であった。
それは、他の部隊よりも優先的に回される補給補充物資であったり、潜水空母ジョリー・ロジャーや、地上基地での専用格納庫などの様な、ほぼST部隊専用と言えるバックアップ部隊の存在による、損傷した機体を待ち時間無く優先的に修理整備できる態勢の保証などである。
例えば実際にST部隊に優先的に配備されることの多い、新たに開発された兵器や機体を優先的に使用する権利は、ともすると実戦投入実績の無い信頼性の低い兵器を評価試験する事と同義となる。
しかし彼等ST部隊のパイロット達は敢えてその危険を冒した上での新兵器の使用に同意した。
新しい兵器を投入する事でより多くの敵を斃すという、軍部の目的と、彼等ST部隊パイロット達の個人的欲求が完全に一致した形で。
但しこの時、ST部隊パイロット達は「完全なサポートを得る権利」を行使する事で、汎用性がゼロと言って良い、新兵器に使用する新部品であるにも関わらず潤沢な補給体勢を得る事が出来、不具合を発見した場合の迅速なフィードバックを受ける事が出来るのだった。
例えば彼等がブレーメンにあるMONEC本部研究工場で受け取ったワイヴァーンMk-2であったり、達也達が青島で受け取ったAGG/GPU装備のスーパーワイヴァーン、ST部隊専用に用意された最新鋭の潜水空母ジョリー・ロジャーとその艦載機銀雷、先に使用したミョルニルなどの最新鋭の兵器と、そしてそれを運用するためのバックアップ態勢である。
要するに彼等は、一般の兵士達であれば当然受け取る事の出来る報償を投げ捨て、その代わりに一機でも多く敵を墜とすための力と、一日でも長く生き残ることの出来る態勢を整えることを望み、その希望が軍の思惑とほぼ完全に一致したため、それらを代償として受け取る事となったのだった。
なお、ST部隊の享受する特別措置はそれだけで無く、多くの特殊作戦を実行するに当たっての情報開示権限の高さや、戦地特例での一時的昇進などの、幾つもの特例措置をも含んでいる。
「はあ。これで私も万年中尉の仲間入りか。」
「楽で良いわよ。面倒なことは全部上に押しつけていれば済む。」
とナーシャが、事実だが口にしてはいけない本音をサラリと言う。
「ムチャやっても、大概うやむやに出来るしね。」
と、こちらも他には聞かせられない本音が、満足げに氷の音をさせながらアイスレモンティーを飲むジェインから発せられた。
「レイラの胃がいつまで持つか心配だけどねえ。」
と、沙美。
「墜とされるか、先に胃がやられるかの競争ね。案外先に胃が潰れるに一口。」
「あら。この間チタン製の高張力高強度に入れ替えたって話よ?」
こいつら他人事だと思って好きに言っていやがるな、と達也は口許を歪める。
流石の優香里も、先ほどから先輩達の口から発せられる非常識な暴言の連続に苦笑いをしている。
「賑やかで良いねえ。」
と、足音と共に後から声がした。
足音は達也の後で止まると、両肩にドサリと重い物が載る。
「なあ、A中隊とB中隊の男女比率の偏在に不公平があると思わねえか?」
と、頭の上でレイモンドの声がする。
ああ、またカオスなことになってきた、と達也は溜息を吐いた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
色々特別扱いされているらしい、ST部隊の不思議な生態についてちょっと説明回を設けてみました。