16. サン・ディエゴ
■ 10.16.1
海を渡り、陸地が見えてきた。
内陸部、地平線の上には幾つかの積乱雲の立ち上がりを見ることが出来るが、すぐ眼の前に広がる沿岸部には一切の雲が無く、視界はスッキリと澄み渡っている。
進行方向すぐ目の前に横たわる海岸線には、巨大な都市が広がり、その手前に細く横たわるような湾がある。
本土とは湾で切り離され、半島化している陸地の先端部分が目的地だった。
数十km離れていても目視できるように作られている滑走路灯に向けて高度を下げていく。
スロットルを絞りエンジンの回転数を下げて、時々エアブレーキを開きながら、降下することで位置エネルギーが速度に変換され、放っておくと徐々に増速してしまう機速を500km/h以下に抑える。
作戦移動では無いので急ぐ必要も無く、重力推進はカットしてモータージェットだけで移動してきた。
今も推進力はモータージェットのみであり、背中の向こう側からモータージェット特有の、ジェット燃料燃焼に伴う低い爆音が抜けたヒステリックな甲高いタービン音が伝わってくる。
着陸に備えて重力推進をONにして、アイドル状態のままギラつく滑走路灯に向けてアプローチする。
ほぼ全ての航空機に重力推進が搭載され、滑走路への着陸規定が重力推進器に合わせて改訂されてから、アプローチ時のグライドスロープに細かく気を遣わなくて良くなり、着陸操作が随分と楽になった。
もっとも、着陸の瞬間だけに限って言うならば、重力推進の出力と空力の揚力を絶妙にバランスさせながら機体を着地させねばならないので、空力のみで飛んでいた頃に比べると操作は複雑化した。
操作は複雑化したが、例えアプローチや着陸に失敗しても、最悪重力推進の出力を上げて空に逃げれば良いだけなので、安全性自体は増している。
「North Island Control, this is Phonix 02. Approaching to Bravo 36. Touch down clearance rquested.」
(ノースアイランドコントロール、こちらフェニックス02。B滑走路方位36より進入する。着陸許可願う。)
「Phoenix 02, this is North Islad Control. Bravo 36 confirmed. Clear for landing. Wind 06 from 20. Approach follow to Phoenix 08.」
(フェニックス02、こちらノースアイランドコントロール。B滑走路方位36より進入を許可する。風速6m、方位20。フェニックス08に続き進入せよ。)
海岸近くの気流の乱れにより機体が振られ、下降気流により100m近く高度が落ちた。
内陸のだだっ広い平野に作られた空港ならばともかく、地形の変化が激しい場所に作られた空港では良くあることだ。
慌てず操縦桿を引き。グライドスロープ線をセンター近くにまで戻す。
機体が上昇したときの、下に押しつけるようなGが掛かる。
達也はこの感覚が好きだった。
自分が行った操縦桿操作に応じて、いかにも翼が空気を掴み機体を上に持ち上げているという動きと、それによって掛かるG。
まさに自分は今空を飛んでいるのだ、と実感する瞬間だった。
高度が下がりさらに増加する速度をエアブレーキで殺しながら、滑走路上空に到達する。
エアブレーキを全開にしてさらに速度を殺すと同時に、GPUのパワーを上げて引力の半分以上を打ち消す。
さらに減速して対地速度が200km/hを切る頃には、引力のほぼ全てを打ち消し、高度も30mを下回っている。
カナード翼とエレベータの微妙な調整によって、機体姿勢をほぼ水平に保ったまま高度を下げ続ける。
着陸脚が地面に触れるかどうかというところでGPUパワーを急激に落とし、接地した反動で機体が再び浮き上がるのを防ぐ。
100km/hほどの対地速度で接地した機体は、本来の強度を取り戻した地球の引力によって地面に張り付けられるように着陸した。
滑走路上で40km/h程度にまで減速し、誘導路に入る。
勝手知ったるエプロンを横断し、指定の駐機スポットに停止した。
キャノピを開けると、出発してきたハワイとはまた異なる潮の匂いをふんだんに含んだ風がコクピット内に吹き込んできた。
数ヶ月前にラパス降下点が殲滅され、すでに最前線基地では無くなったここノースアイランド基地は、最前線基地特有のピリピリとした雰囲気を徐々に失いつつあり、エプロンに並べられた航空機の数も少ない。
行き交う地上車も心なしか以前よりもゆったりとした雰囲気で走っているように見える。
整備兵に機体を引き渡した達也は、夏に向けて強さを増しつつある陽光の下を、白いコンクリートからの照り返しに眼を細めながら、666th TFWにあてがわれた八番格納庫に向けて歩く。
途中、同じ666th TFWの機体が次から次へと着陸してくる音を聞きながら、銀色の地肌むき出しで塗装もされていない壁面の格納庫に辿り着き、開け放たれた大扉の隅を通り抜けて、奥の方に何機かの機体が駐まっているのみの閑散とした格納庫の中を入り口脇に設けられた飛行隊詰め所へと近づいていった。
扉を開け飛行隊詰め所に入ると、先に着陸したL小隊のポリーナが部屋の中央付近の椅子に腰を下ろしているのが見えた。
L小隊長であるレイラは、同時に666th TFW飛行隊長でもあるので、着陸順は一番最後となるためまだ降りてきていない。
L小隊3番機の位置は、月の向こう側で行われたラグランジュ・ウェッジ作戦でセリアがMIAとなって以来空白のままだった。
それは達也の指揮するA1小隊も同様であり、同じ作戦でMIAとなった武藤が居た2番機の補充は未だに成されていなかった。
達也はポリーナのすぐ脇にあった椅子に腰を下ろした。
降機してそのまま詰所にやってきたので、ハーネスやその他身に付けた金属の装備品がジャラジャラと耳障りな音を立てる。
その音にポリーナがこちらを向いたが、お互い特に言葉を交わすでも無く、軽く頷きあったのみだ。
やることも無く、椅子に腰掛けたまま手持ち無沙汰に他の兵士達の到着を待つ。
ここノースアイランド基地で補充兵との合流があるため、到着後に飛行隊詰め所で待機するよう、ヒッカム基地を飛び立つ前にレイラからの指示があったのだった。
ヒッカムから4000km強、約六時間ほどの飛行であったが、飛行の殆どはオートパイロット任せであった上に戦闘があるわけでも無く、ましてや戦闘空域で何時間もの待機や戦闘を繰り返してきた達也達にとって、たかだか六時間程度の移動飛行はなんの苦にもなりはしなかった。
何もすることが無く、椅子に座って腕組みをして眼を閉じて時間を過ごす達也の耳に、扉を開けて室内に入ってくるゴム底のブーツの音と、装備品の立てるジャラジャラという音が定期的に聞こえる。
比較的自分の近くの椅子に座ったのは、多分自分の部下達、A中隊の連中だろうと予想する。
ポリーナの向こう側に座っているのは、レイモンド率いるB中隊だろう。
編隊長で有り、まとめ役のレイラが部屋に入ってくるのは一番最後だ。
そんな中で、一つの足音が横を通り過ぎ、達也のすぐ前に置いてあった椅子に腰を下ろした。
タイミング的にC中隊の誰かだろうと思い、特に気にもしていなかった。
「相変わらずね。多少はまともな人間に戻った?」
前の席に座った兵士が声を発した。
女の声であり、声の大きさから自分に向けて話しかけたのだろうと、達也は目を開けた。
見覚えのある黒髪の女が、僅かに悪戯っぽい笑みを浮かべて達也を見ているのと視線が合った。
昔ともに戦った部下が元気な顔を見せるというのは悪いものではなかった。
「・・・何よ? まさかとは思うけど、私のこと忘れたってんじゃないでしょうね?」
言葉を発さず表情も変えることなく、感情の抜け落ちたような視線を投げかける達也の態度にどうやら不安になった様だった。
「お前も相変わらずだな、優香里。」
達也は久しぶりに日本語を使った。
「覚えてたみたいね。良かった。人間性と一緒に記憶もなくしたのかと思ったわ。」
相変わらず失礼な奴だ、と達也は軽く苦笑いする。
「お前が補充兵か。」
現在666th TFWには三人の空きがあり、宇宙軍への出向から戻って元の第七潜水機動艦隊に原隊復帰する際に、ここノースアイランド基地で補充兵と合流した後に艦隊へと移動すると、ヒッカムを出発する前に飛行隊長であるレイラから説明を受けた。
自分達用にあてがわれた格納庫の飛行隊詰め所で、それなりに腕の良いパイロットである優香里が姿を見せたという事は、彼女が補充兵であると推定するに十分な状況だった。
「ええ。私の他にあと二人。『死神』部隊もそれで定員に戻るんでしょ?」
「そうだな。」
その時、詰め所に二カ所あるドアの内、プロジェクタスクリーンが掛けてある前方と思しき壁に近い側のドアが勢いよく開いて、自機から降りて直接詰め所にやって来たと思しきフル装備でヘルメットを抱えたままのレイラが部屋に入ってきて、いつも通り大股の力強い歩みで部屋の前方中央に向かい、椅子に座る達也達パイロットの方を向いて立った。
「全員傾注。ヒッカムから移動してきた十八人、全員居るか。」
自分のすぐ後ろにマリニーが、その横にA2小隊の三人が居ることは、彼女達が部屋に入ってきた後の話し声で把握していた。
B中隊長のレイモンドと、C中隊長のアスヤが肯定の意思を示して片手を軽く挙げるのを真似て、達也も右手を軽く挙げた。
三人の中隊長の肯定の返答を見て、レイラが軽く頷く。
「良し。先に知らせたとおり、ここノースアイランドで補充兵三名と合流した後、第七潜水機動艦隊へと合流、母艦ジョリー・ロジャーへと帰還する。補充兵三名はすでにこの場に居る。紹介する。ユカリ・ナンバ中尉、起立。A1小隊三番機。タツヤの下に付く。ジョージ・オウミ少尉。B2小隊三番機。ゲイリーの下だ。ヴィルジニー・カリエール中尉、L小隊三番機。私の下だ。以上三名の補充となる。三名とも当部隊に編入されるに足る
熟練パイロットだ。これで我ら666th TFWも定数の二十一機の編成へと戻る。各員一層の奮闘を期待する。本日はこれにて解散する。営舎は以前と同じ場所だ。各小隊長は新人の面倒を見てやれ。明日の朝は0800時出発。0730時には装備着用の上でここに集合。以上。質問は? 無ければ解散。」
レイラの解散の号令と共に、パイロット達は皆ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がり、めいめいに部屋を出て行く。
新人が補充された小隊はそれぞれこの場に残って、自己紹介や小隊や中隊内での面通しなどを始める。
A1小隊は達也とマリニーがこの場に残っているほかに、A2小隊の三人も残って面通しを済ませていくつもりのようだった。
補充兵が女性兵士ということで、女三人で構成されるA2小隊も補充兵に興味があるのだろうと達也は思った。
「聞いていたな。ユカリ・ナンバ中尉だ。A1小隊の3番機になる。以前ハバロフスクで一年半ほど俺の部下だった事がある。ユカリ、A1小隊2番機のマリニー、A2小隊長のサミ、2番機ジェイン、3番機ナーシャだ。マリニー、営舎の部屋の案内をしてやってくれ。」
その場で女達五人が互いに自己紹介を始める。
優香里の面倒を見る仕事をマリニーに押しつけた達也は、後のことを女同士に任せ、部屋を出て営舎へと引き上げる。
これでA中隊は自分以外全て女性パイロットになってしまったと、歩きながら軽く苦笑いを浮かべる。
男だらけのB中隊を率いる女好きのレイモンドから、また何か言われることになるだろう。
営舎に辿り着き、受付窓口に座る管理人に自分の部屋を尋ねれば、以前使用していたのと同じ部屋をあてがわれた。
それほど長く滞在していたわけではなかったが、管理人は達也を含め666th TFWのメンバーのことを覚えていた様だった。
部屋のカギを受け取り、一度部屋に入ってヘルメットバッグに突っ込んだだけの私物をベッドの上に放り投げると、着替えの下着だけを持ってシャワールームに向かった。
シャワーを浴びた後、キャンティーンに向かう。
一枚の大きなステンレス板に窪みを付けて区分けをしただけの食器に盛られるのは、すでに元の形を失うまで煮込まれた魚と思しき物体のトマト煮、半ばペースト化し始めているチリビーンズ、雑にブツ切られ焦げ目の目立つショルダーベーコンのブロックと、雑にもられたサラダの上に山盛りになった冷えたライス、そしていかにも食感の悪そうな丸パン。
大型のサーバに大量に用意されている甘いアイスレモンティーを氷と共に陶器製のジョッキに注ぎ込む。。
そう言えば、ここのキャンティーンで出される食事のことをパトリシアがよく食物あるいは配合飼料などとぼろくそにけなしていたな、と思い出しながらゴロゴロと切り分けられたショルダーベーコンのソテーをフォークで突き刺す。
口に入れたベーコンのブロックは、豚肉なのか紙屑なのか区別の付かない食感で、喉に詰まりそうなその物体を冷えすぎた甘いレモンティーで無理矢理流し込む。
こんな妙な飲み物を食事時に飲みたがるのはアメリカ人だけだ、と辟易しながら、配合飼料と評したパトリシアの意見に全面的に同意しながら、黙々と栄養摂取を続けた。
パトリシア達には、遠くともまともな料理を出すカフェテリアという逃げ道があったが、自分にはその様な選択肢が用意されていないことを恨みながらトマトソースにつかったよく分からない物体をフォークで掬って口に入れる。
「ここ、良い?」
突然呼びかけられた女の声に視線を上げると、同じ様に食用可能物を盛ったステンレストレイを優香里がテーブルの上に置くところだった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
ここのところ投稿遅くなりがちで申し訳ありません。
ボロクソに書きましたが、少なくともステーキは日本のよりアメリカの方が美味いと思う。
質量の六割以上が脂身の物体はイヤです。




