12. Σεληνόφωτο (月光)
■ 10.12.1
「衛星軌道管制ドゥルガー01より、軌道上で待機中の宙航機各機。戦艦四、駆逐艦八からなる有力な敵艦隊が、地球宙域に向けて急速接近中。約500秒後に迎撃行動に移るまで、現状維持待機。繰り返す。こちら衛星軌道管制ドゥルガー01。戦艦四、駆逐艦八からなる・・・」
熱を発して目立つことの無い様に反応炉の起動を禁止され、電波、レーザーを含めた一切の電磁波の放出も禁止された状態で、地球から高度500kmの低衛星軌道を周回している達也の元に、大気圏内上層部に配置されたAWACS子機からの電波通信が入る。
アクタウ降下点攻略作戦「ヴォズヴラシーニェ・ルナンシェラ」を実施するに当たり、予想される宇宙からの艦砲射撃への対抗策として敵艦隊攻撃作戦「セリノフォト」が補助作戦として計画された。
潜水機動艦隊が修理中であり、また至近に機動艦隊を展開する良条件の海面が無いためアクタウ降下点攻略に参加できない機動艦隊艦載機部隊と、数ヶ月も前から機種転換訓練を行ってようやく仕上がりの見えてきた連邦宙軍戦闘機隊がこの作戦に割り当てられた。
先に実施された独立作戦「ラグランジュ・ウェッジ」は、これらの戦闘機隊が使用する宇宙空間用戦闘機「ミョルニル」の実戦試験運用であり、今回の「セリノフォト」がこのミョルニルを使用する連邦宙軍戦闘機部隊の公式デビュー戦となる。
連邦空軍の艦載機隊と連邦宙軍の宇宙戦闘機隊の混成部隊は、地球大気という強酸化性の気体層による機体損傷を避けるため最大加速力を発揮できない大気圏を抜け出し、作戦開始前にあらかじめ地球の衛星軌道上に配置され、作戦開始に向けて待機状態にあった。
このとき問題となったのは、軌道上で待機する戦闘機部隊に対して作戦指示を伝達する手段であった。
戦闘機部隊の各機は軌道上でフルサイレント状態となるため、推進力無く衛星軌道を周回することとなる。
それは即ち、作戦指示を出す時点で戦闘機隊が世界中のどこの上空にいるか分からない、という事でもあった。
宇宙空間にAWACS子機に似た中継局を設置する方法や、同じく軌道上を多数周回しているOSVを経由する方法などが検討されたが、数百kmから数千km離れた戦闘機にレーザー通信を行うと、通信用レーザーの回折によって焦点が広がってしまい、戦闘機の機体全体にレーザー照射を浴びせかけてしまう危険性があった。
信号が乗ったレーザー光が機体表面で反射し、宇宙空間で拡散するのは酷く目立つことこの上なかった。
作戦開始前に、反射レーザー光で敵に戦闘機の位置を特定されてしまうのは非常に拙かった。
ファラゾア戦艦は数十万km彼方から、衛星軌道上を漂う戦闘機を狙撃し破壊する能力を持っているのだ。
結局、本来大気圏内で使用されるAWACS子機を大気圏上層部に配置し、電波による通信で指示を与えることに決着した。
大気圏内に大量のAWACS子機が常に飛行している事実は敵もすでに良く知って居るであろう事から、電波発信によって今更十や二十のAWACS子機の位置が特定される事が不利になるとは考えられなかった。
また電波による通信は、レーザー通信のように高い指向性を持たず、また通信用レーザーよりも高い回折性を持つことから、不特定の位置に存在する対象に向けての全球通信にうってつけであった。
最終的に、地球連邦軍参謀本部を頂点とした各方面司令部および航空基地の既存ネットワークを中心として、その末端に各航空基地から飛び立ったAWACSを接続することで全球ネットワークを形成し、GDDDSデータ或いはAWACSからのフィードバックデータをリアルタイムに解析し、その情報を元に参謀本部で意思決定を行い、ネットワークを通じてその指示を各担当AWACSに伝えて発信させることで、衛星軌道上に散らばる各戦闘機部隊に対してほぼ同時かつリアルタイムに指示を出すことを可能としたのだった。
「こちら衛星軌道管制シーティエン03。軌道上待機中各機。敵艦隊は地球から50万kmの位置にてなお接近中。フルサイレント継続。」
この方式の唯一最大の欠点は、高度500kmにて約90分で地球を一周する各戦闘機に対して、特定のAWACSが常に同じ戦闘機隊に指示を出すことが出来ない、というものであった。
戦闘機隊はそのとき飛行しているエリア最近接のAWACSから情報を受け取るが、約十分ほどでそのAWACSが管轄するエリアから外れてしまう。
その隣のエリアを管轄するAWACSが、今現在自分の管制区域内に存在する飛行隊を全て把握した上で、各飛行隊に対して出されている現在有効な指示内容を同時に正確に引き継ぎ、引き続き矛盾の無い的確な指示を出すという高度で複雑な処理を行わねばならず、またその処理を次々と隣の管制区域を持つAWACSにリレーして行かねばならなかった。
地球連邦軍は「ギガントマキア」第二段階「キポス・ティス・アルテミドス」を実行するための、大気圏外戦闘機を含む各種戦闘機械を開発すると同時に並行して、それらを運用するための前述のような部隊運用システムも開発し、不足する開発時間の中でどうにか実運用にまでこぎ着けていた。
ファラゾア来襲以前からではあるが、この時代の兵器はただ単に高い性能を誇るだけで無く、その高い性能を遺憾なく発揮できるための運用システムをも同時に必要としているのだ。
特に戦場が、すでに人間の把握可能であるスケールを遙かに超えてしまっている宇宙空間へと移り行くに従い、その様な兵器或いは部隊を運用する為のシステムの必要性は以前にも増してより高くなっていると言って良かった。
前回の作戦に引き続き、青く煙る大気を纏った地球を背景に待機状態にある達也は、時間を持て余しながらもAWACSから送信されてきてコンソール上に表示されるデータを眺めていた。
コンソール上には、月を含んだ地球周辺宙域の簡易マップが二次元で模式的に表示されており、月軌道の遙か彼方から突入してくる敵艦隊のマーカと、予想される航路を示す曲線が表示されている。
敵艦隊の方角へ顔を向ければ、HMD上に敵艦隊が3D表示されるが、50万kmも彼方の敵艦隊が立体的に表示されても今のところは余り意味が無かった。
達也は自機の周りを見回した。
自機の周りには、立体的に僅かずつ異なる周回軌道を取り、時に上になり下になりと位置を少しずつ入れ替えながらも、常に互いの間隔を10km以上確保しつつ、全体的にはひとかたまりとなって衛星軌道を回る666th TFWの十七機のマーカが表示される。
こちらは互いの距離が近いこともあり、3Dで遠近を付けて表示されるマーカで互いの位置関係がよく分かる。
突撃準備指示がまだ出ず、他にやることも無い達也は、刻々と位置関係を変えつつも一定の距離以上離れることなく地球を回る、自分を含めた666th TFWの各機によって織りなされる立体的なマスゲームの様なショーを眺め続けていた。
前線のパイロット達が待機命令の下暇を持て余していると同時刻、作戦全体を直接コントロールする地球連邦軍参謀本部作戦部と、連邦宇宙軍司令部は、予想と異なる敵の動きによる根本的な戦術の変更の決断を迫られていた
連邦軍参謀本部は、これまでに七回行われた敵降下点攻略作戦実行時の敵艦隊の行動履歴から、今回敵艦隊は攻撃を受けるアクタウ降下点のほぼ直上である北緯50度ほどの仰角、かつ月公転軌道の外側、地球から約40万km離れた宙域に占位し、アクタウ降下点周辺に残るファラゾア戦闘機を殲滅しようと突撃する地球側戦闘機部隊に対して、超遠距離からの艦砲射撃を加えてくるものと予想していた。
現在衛星軌道上で待機状態にある戦闘機部隊の突撃軌道も、出現した敵艦隊を迎撃する為に最適な位置となるよう敵艦隊出現予想宙域周辺に設置された百発近い桜花R3も、その予想を元に配置が決定されたのだった。
しかし今現在、150万kmの彼方から急速に接近してきているファラゾア艦隊の航路は、このまま進めば月公転軌道の内側1万kmで月公転面上の位置を敵艦隊が目指していることを示していた。
今回の作戦のために周到に準備してきた多くの迎撃用の罠を放棄することになってしまうが、その現実から目をそらす訳にはいかなかった。
「現在の敵艦隊航路から予想される月公転軌道内側が敵艦隊の目標宙域であると断定する。各所、速やかに迎撃態勢を整えよ。」
地球連邦軍参謀総長フェリシアン・デルヴァンクールの声が、ストラスブール郊外にある地球連邦軍参謀本部の地下に設けられた統合司令室に響く。
誰もが敵出現宙域の予想が外れてしまったことをすでに理解していた。
しかしこれまでに積み重ねてきた多くの準備を考えると、その誤りを認めて目標を更新する具体的な行動を誰もが取れないでいた。
フェリシアンの一声が、皆のその葛藤に終止符を打った。
更新された敵出現予想宙域の座標に対して、見当違いの場所に準備してしまった罠のなかで使えそうなものを探し、周辺宙域で使用可能な桜花R3をピックアップし、今や遅しと出番を待つ軌道上の戦闘機部隊の突撃経路の再計算を開始する。
予想を外されてしまったこと自体は、戦場ではよくある話だった。
敵がこちらの思惑通り動いてくれる事の方が、幸運と言って良いほどに珍しい。
その為、作戦の運用や、作戦を支えるシステムなど全て予想外の事態に対して柔軟に対応できるように組み上げられている。
組織やシステムと云ったソフトウェアはいくらでもその様に組み上げることが出来るが、実際の兵器はそういうわけにはいかなかった。
旧来の能力を取り戻したとはとても言えないこの地球上の生産能力をフル稼働させても、地球周辺宙域を全てカバーするだけの迎撃態勢を整えるにはまだ多くの時間が必要であった。
せめてあと5万km内側、月L1ポイントに近い宙域であれば、L1ポイント周辺に多数設置した桜花R3がそのまま使えたものを。
それがこの作戦に関わっている殆どのスタッフが、現実の敵艦隊目標宙域について聞いたときに抱いた思いであった。
いずれにしても、現状に即して全てが見直され再計算される。
それは迎撃用の桜花ミサイルに限った事では無く、衛星軌道上で待機している達也達戦闘機隊についても同じであった。
予想出現地点、或いは月L1ポイント近傍に敵が出現するのであれば、罠として敷設してある多くの桜花R3が利用できたのであるが、それらの思惑を外されてしまった現在、桜花を搭載しており柔軟に運用できる彼ら戦闘機隊の重要性がより高くなるのはある意味当然と言える。
「フェニックス、こちらハクロン03。敵艦隊の予想攻撃位置が出た。敵艦隊攻撃コースの航法データをフェニックス01へレーザー送信する。フェニックス各機へは01から配信せよ。」
高度500kmの衛星軌道を無推力で周回し、もうすぐインドシナ半島上空に到達しようかと言う頃に、別のAWACSからの通信が入った。
通常の通信であれば電波を用いることが出来るが、航法データは流石にレーザー通信でなければ、送信出来ない。
幾ら収束させようとも全方位に拡散していく電波通信では、ファラゾアに航法データを簡単に傍受されてしまう。
暗号化によるスクランブルなど、ファラゾアの解析能力の前では紙に等しい防御力しか持たないという事は、地球人類全てがファラゾア侵攻初日に身を以て体験していた。
AWACSからの通信が終わってから数分も経つことなく、レイラ機からデータを受信している事を示すログがコンソールに表示される。
データ送信自体は一瞬で終了する。
数値データの羅列でしかない航法データなど、レーザーのバースト通信に載せてしまえば僅か一瞬のデータ長しかない。
送られてきた航法データは暗号化圧縮されている。
紙に等しい防御力の地球製暗号であったとしても、重要な戦術データを一切暗号化せずに送信するなどあり得なかった。
例えそれがただの気休めに過ぎなくとも。
コクピットのコンソール下に差し込まれたハードウェアキーによって予め配付されていた暗号化キーを利用して、暗号化圧縮された航法データはデコードされ、ファラゾアの電子的攻撃によって汚染されていないことを確認された後、機体の航法管制システムにアップロードされて格納された。
フルサイレント状態の下、機載のバッテリのみで駆動している航法管制システムは、新たに得た航法データを元にして指示された航路をコンソール上に簡単な図と共に表示した。
666th TFWはあと230秒後に地球の衛星軌道を離れ、ほぼフル加速で大きく弧を描くようにして敵艦隊攻撃コースに乗る。
トップスピード1500km/s程度で敵艦隊から1000kmほどの近傍を通過し、すれ違いざまに桜花を四発発射した後に、月をかすめるようにして反対側に突き抜け、さらに大きな弧を描いて徐々に減速しつつ地球に帰還する軌道が指示されていた。
達也はその指示された航路を眺めて溜息を吐く。
これでは前回とほとんど変わりないではないか。
月の向こう側を通り抜けるか、こちら側をかすめて抜けるか程度の差しか無い。
という事は、自分達にも、一緒に宇宙軍に出向してきている艦載機隊にも、前回同様の大きな被害が発生する可能性がある、という事だった。
しかしコンソール上では、無情にも作戦開始のカウントダウンが進み始めた。
もうすぐ200秒を切ろうとしているこのデジタル表示が、ゼロになると同時に再び虚空へ向けて飛びだし、機体性能の限りの最大加速で、ミサイルを抱えて敵艦隊に向けて突撃を行わねばならないのだ。
今回は何人死ぬか。
それが自分で無い事を祈って。
死ぬのは嫌だった。
死ぬのが怖いのではなく、死ぬのが嫌だった。
死んでしまって、それ以上ファラゾアを破壊できなくなるのが、たまらなく嫌だった。
航法データと共に送られてきて、コンソール上でカウントダウンを進めているシーケンスが、カウント200を切ったところで自動的に機体のシステムをアクティブ化し始める。
リアクタイグニッションコントロール、アクティヴ。 (Reactor Ignition Control System: ACTV)
フュエルマネジメントシステム、アクティヴ。 (Fuel Management System: ACTV)
フュエルトランスファモータ、ラニング。 (Fuel Transfer Motor: RUN)
フュエルインジェクタプレッシャコントロール、アクティヴ (Fuel Injector Pressure Control System: ACTV)
リアクタエレクトロマグネティックコイルコントロール、アクティヴ。 (Reactor Electro Magnetic Coil Control System: ACTV)
フュエルインジェクタ、ラニング。 (Fuel Injector: RUN)
フュエルイグナイタ、ラニング。 (Fuel Ignitor: RUN)
熱核融合プラズマ生成。リアクタ内温度圧力上昇。臨界点突破。プラズマ温度圧力安定。
リアクタ、ラニング。 (TNF Reactor: RUN)
ベッテルハイム素子内温度勾配上昇。
機体管制システム起動。
文字通り機体が息を吹き返し、必要最低限のモニタやLEDが点灯しているのみであった真っ暗なコクピットに、次々と明かりが灯り、文字が表示されて賑やかになっていく。
666th TFW; ON ASSAULT
200秒などあっという間に過ぎ、機体管制システムは突撃に向けて機体を加速し始めた。
身体にGが掛かる訳でもなく、コクピット外の風景が流れていく訳でもない、静かで現実味のない攻撃開始だった。
熱く血が滾るような高揚感に包まれ、編隊長やAWACSからの怒鳴り叫ぶような号令で一斉に行われる航空機での全機突撃に較べて、冷たい宇宙空間での突撃開始はこんなものかと、達也は冷めた眼でコンソールに表示される数値が減っていくのを眺めていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
実は、連邦軍上層部パートで出てくるフェリシアンと、最前線のパートで出てくる達也が、同じ話の中で同時に出てくるのはこれが初めてだったりします。 (・・・だよね? 確か)
なんか長く引っ張ってしまいましたが、次回は戦闘回です。




