6. Kamikaze in Moonlight (月影の突撃)
■ 10.6.1
機体は暗黒の空間を切り裂いて進む。
達也は、機体が予定されていた航路を進むに連れて徐々に月の地平線に向かって浮き上がってくるように動く、月の向こう側L2ポイントに停泊する敵艦隊を示す赤いマーカを睨み付けている。
振り返れば、数kmほど離れたところに左舷に武藤機の、右舷にマリニー機のマーカが見える。
いつもならば、マーカと重なって二人の機体が見えるところであるが、宇宙空間であるため編隊飛行といえども数十kmの間隔を取っている上に、機体が視認しにくいダークグレーで塗装されているため、カメラ画像の明度を上げてズームアップでもしない限りは二人の機体そのものを視認することは出来ない。
前方下方にある月は刻々と大きくなっており、今や明らかに自分が月に近いところを飛行している事が自覚できるほどの大きさとなっている。
月までの距離が残り80000km余りとなったところで、ファラゾア艦隊を示す赤色のマーカが月地平線の向こう側から昇ってきた。
敵艦隊と自機との間に存在した月という遮蔽物がなくなり、これでレーザー砲の射線が通ったことになる。
即ち、ここから後は常に敵艦隊から砲撃を受けているものと認識せねばならない。
勿論達也を始めA1小隊の三機、さらには遙か数千kmの彼方で様々な方角から同じように月という遮蔽物の陰から飛び出した666th TFWの全ての機体は、敵艦隊が地平線の上に昇り来る前から敵の艦砲射撃を回避するためのランダム機動を開始しており、射線が通ったからといってすぐに撃墜されてしまうわけではない。
ランダム機動を開始するに当たって、ニアミス防止のために武藤もマリニーも互いの間隔を50km程度に開いている。
しかし8万kmもの彼方から一方的に敵艦に攻撃されているという認識と、その敵の攻撃手段が目には見えないレーザー砲であり、まさに今一体どれだけの至近弾を自分が受けているのか、或いはいないのかまるで分からないという事実は、さしもの666Th TFWのパイロット達をして恐怖を感じさせ、その精神を徐々に締め上げ追い詰めていくに十分であった。
8万kmの彼方の敵に自分の情報が届くのに0.25秒。
それを認識して敵が照準に修正を行い次弾を発射するのに例えば0.50秒。
そしてその敵のレーザーがこちらに届くのに0.25秒。
理論的には、一秒以下の間隔でランダム機動を繰り返せば、この距離であっても被弾することはない。
が、それは敵がたった一門のみのレーザーをこちらに向けていた場合の話だ。
複数のレーザー砲で周辺の空間も併せて薙ぎ払うように撃たれた場合、ランダム機動で動いた先にレーザーがあった、或いは偶々レーザーのうちの一本が自機の位置を上手く捕らえた、などと云った偶然の結果で被弾する確率は、向けられた砲門の数に比例して跳ね上がる。
全ては偶然。
ランダム機動を含めた敵の攻撃を回避する為の行動は、あくまでその確率を低下させるための行動でしかない。
即ちそれは裏を返せば、つまり何をやろうと確率の問題でしかなく、新兵であろうが熟練のエースであろうが確率で被弾は必ず発生する、と云うことに他ならなかった。
熟練のパイロットとは、被弾の確率を下げる行動を取り、被弾した場合に追加の被弾をもらわないような行動を取れるパイロットの事であった。
敵が撃つレーザーを見る事は出来ないが、地球を発して月を大きく回り込む軌道を取ったこちらの動きに対応して、敵戦艦が艦載機を多数発進させた事は機載GDDで探知できた。
全長29mという大型のボディを持つミョルニルは、地球大気圏内で活動するAWACS以上の感度と精度を誇るGDDを搭載していた。
宇宙空間という、距離感覚が全く異なるこの戦場では、各戦闘機が十万km以上彼方の敵戦闘機を探知する能力を持たねばまともに戦う事さえ出来ないのだ。
敵戦艦をまるで包み込むように一斉に発艦した敵戦闘機が、針路をこちらに向けて加速し始める状況をズーム画像で確認した達也は、敵機を自動的にロックオンする照準システムにレーザー砲の狙いを任せ、トリガーを引いた。
出撃前に整備員のオットーはああ言っていたが、敵との距離が5万km以上あろうとも、上手く敵を撃墜できればラッキーだ。
桜花発射までまだあと数十秒ある。
それまでやる事がなくて暇すぎる。
そしてガトリングガンと違って弾数に制限のないレーザー砲なのだ。
レーザーを敵に当てる事に固執するつもりはなかったが、しかしレーザー砲を撃たないという選択肢は無かった。
敵との間に射線が通り、実際に撃ち合いを始めた事で機体統合管制システムは交戦が開始されたものと判断し、「通信可能」の表示がHMD上の視野の隅で点滅した。
ファラゾアの戦艦の多くは、百機前後の艦載機を搭載している。
全長3000m、最大幅100m以上という巨大な艦体を持つ戦艦は、反応炉や推進器、巨大な燃料タンク、制御用のシステムやミサイルなどの物理兵器などを格納してもまだ十分なスペースがあり、様々な場面における作戦遂行能力を保持するために、選択できる兵器のバリエーションの一つとして艦載機を多数搭載しているものと、連邦軍情報部などは分析していた。
空母のように数千機単位の艦載機を放出するわけではなかったが、それでも戦艦三隻から出撃してきた三百機もの敵戦闘機は十分な脅威だった。 もともと数十門もの大口径レーザー砲でハリネズミの様に武装した敵戦艦の攻撃力が、艦載機を放出することで、戦艦の艦砲に比べて口径が小さいとはいえども、艦載機の数だけの砲門が増加するのだ。
直撃を受ければ戦闘機など一瞬で蒸発する艦砲に比べて威力は小さいものの、直撃弾の一撃で地球製のの戦闘機を爆散させる、或いは大破させる力を持った敵戦闘機のレーザー砲は十分な脅威であった。
敵艦隊に最接近するまでの僅か40秒程度が、まるで永遠のように長く感じられた。
達也はレーザー砲の照準を自動照準に完全に任せて、短い間隔で定期的にトリガーを引きながら、コンソール上に表示された桜花発射のタイミングと、前方に存在する敵艦隊とその艦載機の集団を睨み付けるように交互に見る。
レーザー砲の乱射は無駄ではないらしく、すでに何機かの撃墜を発生しているようだった。
勿論、三百機もいる敵戦闘機全体から見れば微々たる数だが。
しかし今日は敵戦闘機を追いかけている暇は無い。
そもそもドッグファイトが出来るような相対速度ではない。
機種転換訓練に組み込まれた座学の中で繰り返し注意されたことは、宇宙空間での戦闘の特殊性だった。
相対速度が数百km/s、ことによると数千km/sにも達する宇宙空間での遭遇戦では、まるで中世の騎士が馬上槍を持って行うトーナメントの戦いのように、一瞬のすれ違いざまに互いに攻撃を叩き込めるだけ叩き込む様な戦い方になる。
再び同じ敵と戦うためには、長い時間減速加速して数百から数千km/sある相対速度をゼロに戻し、すれ違って遙か彼方に遠ざかってしまった敵に向かって再び加速する必要がある。
それを繰り返すような戦い方は無駄の極みであり、正面からやり合った敵とはもう二度と会うことは無いと考えるべきだ、と。
どうしても一度の会敵で敵を殲滅したいのであれば、相対速度をほぼゼロにして、お互い腰を据えてじっくりと正面から殴り合いを行うしかないが、当然敵にも敵の都合と云うものがあり、敵が乗ってこなければその様な泥臭く無様な戦い方はそもそも成立しない。
今回の作戦がまさにそのすれ違い戦そのものであった。
達也はせわしなく機位を変える手動ランダム機動を行いながら、HMDに表示される敵情報を頻繁に切り替え、正面に存在する敵の集団の中で、どれが目標とする敵戦艦か、どの戦闘機の動きが脅威となり得るかを常に確認し続けている。
併せて作戦の主目的である桜花のリリースポイントまでの時間と、リリース方向を何度も確認する。
コンソール上のカウントダウンが減っていく。
敵艦隊最接近まで残り20秒。
敵艦隊まであと40000kmを切った。
地球人類の命運をかけた攻撃まであと少し。
敵からの激しい攻撃に晒されている筈だが、攻撃手段であるレーザーが見えないためまるで現実感が無い。
それは、ジェットエンジンによる音も振動も無く、高機動によるGも掛からない、静かで平穏すぎる真っ暗なコクピット内の環境にも原因があるのだろう。
余りに静かで平穏過ぎて、HMD画像がまるでゲームのモニタを見ているのではないかと錯覚を起こすほどだった。
それでも現実の攻撃時間は迫ってくる。
HMD画像としてコクピット内の景色に透過して重なり表示される月が、前方下側から徐々に大きくなり迫り来る。
敵艦隊が放出した戦闘機のうち五十機ほどが分隊を形成して、こちらに向かって高加速で接近して来ている事がマーカ表示されている。
敵戦闘機隊とはミサイル発射直前に交錯するものと、索敵システムの計算結果が敵マーカの脇に表示されていた。
カウントダウンの減りが遅い。
それは何も闘いの前の緊張や焦りによるものだけでは無かった。
僅か10秒にも満たない時間の間に立て続けに発生する敵機群との交錯、桜花発射、敵艦隊の交錯と、桜花の爆発を回避する機動。
どれも絶対に失敗できない、失敗すれば生存の可否に直結するイベントの連続に向けて、達也の精神は極限まで集中していた。
15。
モニタの中で、月の上方に表示されている敵戦闘機群がさらに上方に動く。
どうやら月に最接近するよりも先に敵戦闘機と交錯する様だった。
戦闘機群との距離22100km。
月との位置関係でこちらの上に被せ、逃げ道を塞ごうとしているのだと気付いた。
月を使って逃げ道を塞いで交戦空間を限定する、或いはこちらの動きを鈍くする事よりも、どちらかと言うとこちらにプレッシャーを掛けて機動の方向を限定し、敵艦隊からの艦砲射撃の命中確率を上げようとしている行動に見えた。
ウェポンセレクタを回し、蘭花を選択。
14。
敵戦闘機との距離20500km。
敵戦闘機群はさらに月の上方に離れる。
自機と月の位置関係で、月の裏側の陽が当たっている部分が徐々に大きくなる。
もしHMDモニタの半透明な画像で無く、肉眼で見ていたら眩しくて敵マーカを見落としそうだった。
成る程、よく考えられている、と達也は思った。
月がさらに大きくなって、今や影の部分でさえ大きなクレーターがはっきりと見える程だった。
達也はリリースボタンを押して、敵戦闘機群に向け蘭花を四発同時に発射する。
宇宙空間ではどれだけ効果があるか分からない。
何もしないよりはましだろう。
ダークグレイに塗られた蘭花は、パイロンを離れると余りの高加速度に達也の視界に捕らえられること無く一瞬で遙か彼方へと飛び去る。
13。
敵戦闘機が軌道を変えた。
蘭花に反応したのではない様だ。
月地表に対してこちらよりも高高度から突っ込んで来る様な機動を取った事が動きで分かる。
敵戦闘機群との距離18500km。
元々月との最接近時には高度500km以下でかすめて通過するようなコース設定になっているが、敵戦闘機がどの様に動こうとも達也はその設定を変えるつもりはなかった。
12。
敵戦闘機群まで16300km。
敵戦闘機はさらに加速する。
こちらも加速する。
まるで宇宙空間でチキンレースをやっているようだ、と達也は冷めた眼で敵のマーカを見つめながら、感情のこもっていない嗤いで唇を歪める。
右手の人差し指だけは半ば自動的にトリガーを引き続け、自動照準システムがレーザー砲口を正しい方向に向け続ける事で、僅かずつではあるが敵機が撃墜されていく。
桜花の初弾リリースまで5秒。
11。
左下数千km離れたところを味方機を示す青色のマーカが三つ、凄まじい速度で飛び抜けていった。
マーカーにTF018202、TF018210、TF018211のテールナンバのキャプションが付く。
キャソワリのA1小隊だった。
敵戦闘機群まで14000km。
桜花リリース開始まであと4秒。
10。
敵戦闘機群まで11500km。
最早HMD上のマーカの動きを肉眼で追っているだけでも、自機が敵戦闘機群のすぐ下側を通過する事が分かる。
月はさらに巨大になりこちらに近づいて来ている。
再び桜花リリースの方向を確認する。
数秒の間に四発の桜花を正しい方向に発射しなければならないのだ。
リリース方向が分からずまごついてしまっては、発射のタイミングを逃してしまう。
桜花リリース3秒前。
9。
敵戦闘機群9200km。
桜花リリース2秒前。
これだけ近付いても、敵マーカは個体で認識出来ない。
ズームして個体を確認する時間など無い。
敵機数四十一機。
かなり減っている。
多分、武藤とマリニーも同じ様にレーザーを乱射しているのだろう。
確認している暇など無いが。
8。
敵戦闘機群6800km。
桜花リリース1秒前。
自機のフライトパスマーカは敵艦隊とほぼ重なっている。
どうやら相当ヤバいギリギリのコースをとらされているらしい、という事はよく分かった。
頭の上を再び味方機の青いマーカが通り過ぎた。
HMD表示でTF018302のテールナンバだけが確認できた。
7。
敵戦闘機4300km。
敵艦隊15800km。
「RELEASE: OHKA R3」の表示が視野の下側でフラッシュする。
HMDに桜花をリリースする方角が明るい二重線の菱形で表示された。
反射的に操縦桿を動かして機首を上げ、所謂ウィスキーマークを一瞬で菱形に合わせた。
ゴトリ、と音が伝わってくる。
桜花リリース。
真っ直ぐ前方に飛び出す白い影が一瞬見えて、すぐに見えなくなった。
月が足元でさらに巨大になって凄まじい勢いで近付いてくる。
6。
桜花リリース目標が僅かに動いた。
桜花をリリースせよと、HMDの表示がフラッシュする。
再び瞬時に機首方向を合わせ、リリースボタンを押す。
ゴトリ。
敵戦闘機隊1600km。
敵艦隊13700km。
相変わらず敵戦闘機隊の下辺とフライトパスマーカがほぼ重なっている。
そっちがその気なら、こっちもそうするだけだ。
スロットルを僅かに操作し、敵戦闘機群のど真ん中を突っ切るコースに乗せる。
チキンレースはこうでなくちゃな。
衝突の可能性はある。
衝突した事さえ知覚できずに死ぬだろう。
月がさらに巨大になって、視野の下半分を覆い隠す。
白い月の地表が眩しく思える。
5。
巨大な月が眼の前にあって、その横を猛スピードで通り過ぎようとしている。
桜花リリース目標がまたに少しだけ動いた。
半ば反射的に操縦桿を引き、一瞬で機首方向を合わせ、桜花をリリース。
ゴトリ。
敵戦闘機群と交錯。
一瞬白いものが見えたような気もするが、気のせいかも知れない。
生きているという事は、衝突しなかったという事だ、
今度は敵戦闘機に後ろから撃たれる。
関係無い。
ランダム機動するのは同じだ。
むしろ、それ以外出来る事は無い。
敵艦隊、11300km。
4。
手が届きそうな月表面が足元を凄まじい勢いで流れていく。
まるでSF映画のよう。
桜花リリースポイントの動きに合わせて機首を上げる。
ゴトリ。
桜花リリース。
これで全部だ。
操縦桿を引く。
敵艦隊8900km。
あとはずらかるだけだ。
3。
ふっと月が後ろに消え、無数の星に彩られた宇宙が広がる。
機首を敵艦隊の反対方向に向けた。
スロットルは最大のまま。
もう出来る事は無い。
桜花の爆発に巻き込まれないよう、全力で逃げるだけだ。
敵艦隊まで7050km
フライトパスマーカは敵艦隊マーカから大きく外れた。
何とかなりそうだ。
2。
最大加速を続ける。
爆発の瞬間、敵艦隊に機体後部が向いているよう調節する。
視野の端で、何かが光ったような気がする。
気のせいか。
反対を向いたせいで、頭上に再び月が見えた。
もうこんなに離れたのか。
敵艦隊まで4700km。
1。
機首方向で白く輝き遠ざかっていく月が、膨れあがる様にさらに真っ白に輝いた。
桜花が着弾したようだ。
間違っても、振り返ってそっちの方を見ない様にする。
敵艦隊、2900km。
0。
敵艦隊まで600km。
どうにかくぐり抜けたか?
核融合弾頭の爆発光を受けて眩しいほど白く輝く月が徐々に遠ざかっていく。
話では、爆発の瞬間に100km以下の距離だとヤバいという話だったが。
爆発衝撃波のように広がる核融合プラズマの影響を受ける可能性があると言っていた。
そして激戦の最中とは思えない静かなコクピットに時間が戻ってくる。
達也は、徐々に数字が増えていく月までの距離、敵艦隊までの距離を眺めながら、無意識に詰めていた息を大きく吐いた。
手動のランダム機動はまだ続けている。
だが、どうやら今回も生き延びる事が出来た様だった。
いい加減、核融合爆発ギリギリのところで毎度怯える様な作戦は勘弁して欲しいものだが、と思いながら肩の力を大きく抜いた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございました。
投稿遅くなりました。すみません。
ちょっと変わった書き方をしてみました。
アドレナリン分泌により引き延ばされた極限状態の時間といいますか。
僅か一秒の間になんか色々語っちゃっていますが、もちろん言葉で考えていることではありません。
時間全然足りませんから。
久々に宇宙空間での戦闘を書きましたが、やはりAIに完全支援された駆逐艦レベルの船舶での戦闘と、半手動でとぶ孤独な戦闘機での戦闘は全然違いますね。
ま、まだ地球人の科学技術が未熟というのもあるのですが。
途中、かぶせてくるファラゾア戦闘機群に向けてわざと突撃するような達也の行動がありますが。
高速道路なんかで幅寄せされたら、「ざけんなよコラ」と逆に思い切り幅寄せ仕返すのと同じ様な行動と思ってください。w
要するに、キレてます。w