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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第十章 Κήπος της Αρτέμιδος(アルテミスの庭)
258/405

2. Kahanamoku grill Fish and Seafoods


 

 

■ 10.2.1

 

 

 レイモンドが運転する軍用の高機動車は、基地のゲートを出てヴァンデンバーグ・ブールヴァードを通り、オマリー・ブールヴァードを抜けた後、ノース・ニミッツ・ハイウェイを経由してクイーン・リリウオカラニ・フリーウェイに入る。

 ホノルル中心部へと向かう五車線の広いフリーウェイを僅か数km走っただけで再びノース・ニミッツ・ハイウェイに戻った車は、工場の建ち並ぶ湾岸地帯を抜けて、そのままアラ・モアナ・ブールヴァードへと進入した。

 

 そのまま海沿いに寂れてしまったショッピングセンターが建ち並ぶ中を抜け、一昔前ならばいかにも高級そうなヨットが係留されて並んでいた、しかし今では小型のボートがパラパラと停泊するだけのケワロ・ベイスン・ハーバーを右手に見ながら通り過ぎ、照りつける日差しを受けて緑色に輝くような一面の芝生の上に、椰子やモンキーポッドの木が並び映えるアラ・モアナ市立公園の脇を走り抜ける。

 カハナモク・ラグーンに架かる橋を渡りアラ・モアナ・ブールヴァードを海側に逸れて、今は殆ど使われなくなって久しく、徐々に廃墟化が進むホテルが建ち並ぶ中を抜けて海岸に出ると、レイモンドはカハナモク・ビーチの端で車を道路の端に寄せて駐めた。

 

 車を駐めた道路の脇、閑散としたヨットハーバーと人影もまばらなビーチの間に、椰子の木に囲まれていかにもハワイアンコロニアルと云った外見の白い建物が建っていた。

 建物の玄関から道路へと続く歩道の入り口には「カハナモク・グリル フィッシュ・アンド・シーフード」と書かれた、日に焼けて色褪せた木製の看板が吊られており、海からの風を受けて僅かに揺れている。

 

「静かで良いとこだろ? やっぱり海が見えなきゃな。」

 

 そう言ってレイモンドは機嫌良さそうに店へと続く歩道を歩いて行く。

 昼食時の好立地のレストランであるというにも関わらず、見たところ客は達也達だけであるようだった。

 ファラゾア来襲前は世界に名だたるリゾートであったハワイも、旅客機など飛ぶこともなく勿論豪華客船など運航させることも出来ない今の世の中では、羽振りの良い観光客がこの島を訪れることもない。

 

 今現在オアフ島を中心としたハワイ諸島の住人は、元々この島に住み着いていた住人達と、ヒッカム基地を中心とした軍施設を根城とする軍人達、そして運悪くファラゾア来襲時にこの島を訪れており、あらゆる空路と航路が壊滅したためこの島に取り残されてしまった元観光客達だった。

 元々この島で暮らしていた住人達は、物資や食料、エネルギーの致命的な欠乏に喘ぎながらも、それなりに生活基盤を持っていたため、困窮した生活ではあってもどうにか耐え凌ぎ、あらゆるものが変わり果ててしまったこの南国のリゾート島での生活をなんとか確立させていた。

 

 この島に生活基盤を持たず、クレジットカードや銀行のオンラインシステムが壊滅した世界では蓄えた富をその手に取り戻すことも出来なかった不運な観光客達は、ごく短期間の内に生活生存不能な状態へと陥り、市街地の外縁にほぼスラム街の様なエリアを形成して住み着いた。

 治安の悪化という社会的な問題と、餓死者の大量発生という人道的な問題から、比較的羽振りの良かった第一次産業従事者や、地球上で最も重要な組織と化した軍が救いの手を伸ばし、僅かばかりの収入ではあってもどうにか食料を得て生き延びていけるような働き口を設けはしたものの所詮は焼け石に水と云った状態でしかなく、ファラゾア来襲後数年の内に数十万人という餓死者を発生した後に、雇用や食糧供給の需要と供給のバランスを得るに至った。

 

 ごく短期間で南国の楽園から地獄の入り口に滑り落ちたこの島々で、今現在最も羽振りが良いのは軍人と、軍に関連する産業やサービス業に従事する者達であった。

 とりわけ軍人、中でもパイロットや潜水艦のクルーなど、敵のただ中に飛び込んでいく事を課されている任務に従事する者達は、危険手当などで給料がかさ増しされており、その割には普段金を使う所が無いため大概小金を貯め込んでいる状態になっている上に、普段の任務で溜め込んだストレスを発散するため街では派手に散財する傾向があるので、羽振りの良い軍人の筆頭に挙げることが出来る。

 

 ホノルルやパールシティだけでなく全世界的に、軍施設が近くにある街の商店、とりわけレストランやバーと云った兵士達が好んで立ち寄る店は、その様な派手に散財する兵士達を呼び込むために大概の店が軍人優待サービスを設定している。

 ここホノルルでも、ワイキキやアラ・モアナと云った昔から有名な観光地、或いは繁華街であった地域の店の殆どはその様なサービスを前面に押し出しており、まさに今達也達が入店したレストランもそうした店のうちの一つであった。

 

 L小隊のセリアとポリーナが加わり、総勢十二名にもなった達也達は、見晴らしの良い二階の窓際に置かれた大テーブルの席に案内された。

 片側に四~五人が余裕をもって着席することが出来るほどの大きさの長テーブル二つを占領した十二人は、それぞれが好みに応じた料理を頼んだ後に、皆で共有する大皿の料理を幾つも注文した。

 

 すぐに冷えたビールがなみなみと注がれたグラスがそれぞれの手元に置かれる。

 ビール程度であれば、飲み過ぎなければ明日に残ることもなかろうと、達也もグラスを手に取って傾ける。

 米国領らしいと云えばらしい、水っぽく薄い味のビールだった。

 

 皆が歓談する中、達也は一人窓の外を眺める。

 店の前に植えられた椰子の木の向こうに、青くどこまでも続く海が広がっている。

 海に向かって右にある筈のパールハーバーの方角にはヒッカム基地や隣接したサンド島の工業地帯などがあるはずだが、大きく取られた割にはその辺りの無粋な人工物を巧く隠すように作ってあるらしく、テーブルから眺める窓の外の景色にはその様なものは一切入り込まない。

 開け放たれた窓から聞こえる、海風にそよぐ椰子の葉の音を聞きながら、水平線の彼方から打ち寄せる波を眺めている限りには、今が宇宙の彼方から襲いかかってきた異星人と繰り広げる熾烈な戦争の真っ只中であり、ここが地球連邦宇宙軍の最前線基地の一つである事を完全に忘れさせられるほどに、それは穏やかで平和な時間だった。

 

 冬には雪と氷に閉ざされブリザード吹き荒れるシベリアや、見渡す限り岩と砂ばかりで緑など一切眼に入らない中東、乾いた礫砂漠がどこまでも続き立ち上る陽炎の向こうに急峻な岩山が揺れて見える中央アジアなど、色々なところで戦ってきた達也であったが、椰子の木と真上から照りつける強い日差しと、首元を吹き抜けていく僅かに潮の香りを含んだ海風を感じる南国にやって来たときには、否が応でも生まれ故郷を思い出してしまう。

 

 昨年行われた、達也も参加したカリマンタン島攻略作戦で、故郷を脅かしていた脅威は取り除かれた。

 しかしシンガポール島を、正確にはシンガポール島に存在した空軍基地を取り戻すために何度も繰り返された攻防戦の中で、徹底的に破壊されてほぼ島まるごと焼け野原と化した街が、自分が生きている間に往時の姿を取り戻すことはもう無いだろうと思った。

 生まれてから十四年間を過ごしたあの街並みの中を再び歩くことは、もう二度と叶うことのない夢のまた夢でしかないのだ。

 

「・・・だろ、タツヤ? なんだお前、全然飲んでねえじゃねえか。」

 

 窓の外に広がる風景に完全に心を奪われ、この地球上にもう存在しなくなってしまった故郷を想う望郷の念に捕らわれきっていて、テーブルを囲む同僚達の会話など殆ど聞いていなかったのだが、向かい側に座ったレイモンドに突然話しかけられて強引に意識を引き戻される。

 

「ああ、すまん。聞いてなかった。飲み過ぎるなよ、お前。」

 

 車好きのレイモンドが帰りもハンドルを握りたがるだろう事は予想が付いていた。

 作戦前日に交通事故で部隊の半数が壊滅するなど、余りに馬鹿馬鹿しい落ちでしかない。

 

「大丈夫だ。ぶつからなきゃいいんだよ。」

 

 ハワイ州も同じなのか正確には知らなかったが、元々アメリカではビールでグラス一杯程度のアルコール量では酒気帯び運転とは見なされない。

 尤も、レイモンドはすでに500ccほど入りそうなグラスで三杯目を注文しようとしているが。

 

「心ここにあらず、って感じね。午後の最終チェックがそんなに名残惜しい?」

 

 左隣に座ったセリアが笑いながら達也に訊いた。

 セリアの前のテーブルからはすでにビールのグラスが消え失せ、ラム酒と思しき黄金色の液体が半分ほど注がれたゴブレットが置かれている。

 やはりロシア人の血管にはアルコールが流れているのだな、とそのグラスを眺めながら達也は答えた。

 

「故郷を思い出していたんだ。椰子の木と海風があると、どうしても、な。」

 

 パタパタと音を立てて風にそよぐ細い椰子の葉、アスファルトに大きな木陰を落とすマンゴー。

 これでもかと咲き誇るブーゲンビリアの赤紫、スコール前の強風に揺れて明滅する様に葉を翻すモンステラ。

 抜けるような青空の下を吹き抜けていく僅かに湿気を帯びた潮の香りがする海風、熱された芝生の上を吹き抜けていく、むっとするような緑と土の匂いがする風。

 プルメリアのおぼろげな黄色と、漂ってくる甘い香り。

 金色に光る高層ビルの窓、陽光の中で煌めく水飛沫。

 風に乗ってやってくる虫除けのレモングラスの匂いと、サテの油が火に落ちて焼ける香ばしい香り。

 五香粉とクミンシードの香りが飯時を知らせ、そして青く輝くモスクの屋根と緑の芝生。

 ガネーシャ神像に捧げられた線香の甘い香り、蒸し上がったジャスミンライスと、ロティを焼く安っぽいバターの香り。

 ミナレットのスピーカから響くアザーンの祝詞、寺院の中に響く心経の合唱、開け放たれた窓から聞こえてくる賛美歌の音色。

 

「シンガポールだっけ? なんて言えば良いのか分からないけれど。気の毒な話ね。」

 

「気にしなくて良い。俺は今生きてここに居る。同じ境遇の人間はごまんと居る。故郷がなければ生きられない訳じゃない。」

 

「怒るかも知れないけれど、この風景を見て思い出せる故郷というのが、少し羨ましいわ。あたしの故郷なんて、冬は雪と氷で寒いだけ、夏はグレーのコンクリートと大量の蚊ぐらいしか思い浮かばないわ。」

 

 そう言ってセリアは涼しげに透き通る青い瞳を縁取る白い眉を顰めた。

 どうやらお世辞を言っている訳ではなく、本当に嫌な思い出がある様だった。

 

「ロシアの・・・どこだったか。済まん。思い出せない。」

 

「オネガ、っても知らないでしょ。アルハンゲリスクの近く。白海の一番奥にあって、スカンジナビア半島の付け根よ。ナリヤンマル降下点から直線で800km位南西になるの。」

 

「今でもそこに家族が住んでいるのか?」

 

「まさか。始まりの10日間の内に逃げ出したわ。ラトビアとリトアニアの国境の近くにあるバウスカって街で仕事を見つけてね。両親は今そこで暮らしてる。あたしもオネガに居たのは十歳位までよ。でもどうしてかしらね。蚊に刺された記憶と、氷で滑って転んだ記憶しか無い筈なのに、なぜか思い出すのよね。」

 

 白金色(プラチナブロンド)のストレートの髪を揺らしながら、苦笑いに近い表情をセリアが浮かべる。

 そのセリアの笑い顔を見ていて、達也は不意に強い苛立ちに似た感情を覚えた。

 そしてその突然わき上がってきた感情に驚きを覚える。

 自分の失った故郷と、話し相手の未だ無事に存在する故郷の話をしたことなど、今までに何度もあった。

 何も特別な話題について話しているわけではなかった。

 よくある会話。失った故郷については、もう諦めも付いている。

 存在しないのだ。諦めるしかない。

 

「冬になるとね、海は全面氷で覆われてしまうの。真っ白に。だから、こんな明るい日差しと、碧く透き通る海って小さな頃から憧れだったのよ。ハワイもね、子供の頃にTVで初めて見たときには衝撃だったわ。この世にこれほど明るく美しい風景があるのか、って。」

 

 僅かひとときであっても戦いを忘れ、窓の外に見える景色を眺めながら幸せそうに語り続けるセリアに向けて、達也は適当な相槌を打ちながら話を聞き流していた。

 

 それは、どの様な故郷であろうと、故郷がある者に対する嫉妬。

 生きて帰りを待っている大切な者達を持つ者達への嫉妬。

 そしてそれを自分が持っていないことに対する苛立ち。

 大切な記憶。大切な故郷。大切な者達。

 その理由が分かると、胸の中で熱く渦巻いていた様な苛立ちもまるで水が引いていくかの様に消えていき、達也の心は平静な状態を取り戻した。

 

 これがまだシベリアの雪と氷に彩られた針葉樹林であったなら、それほどまででもなかったのだろう。

 サン・ディエゴからハワイへ。

 椰子の木と碧い海を見るたびに昔のことを思い出す。

 故郷(ふるさと)のこと、南の海に散っていった戦友のこと、二度と会うことの叶わない女のこと。

 戦いから離れている時間が長すぎた、と、いつしかこちらを向いて話し続けるセリアの声さえも耳に入らず、ぼんやりと窓の外の海を眺めながら達也は思った。

 

 

 

 

 

 いつも拙作お読み戴きありがとうございます。


 投稿遅くなりました。済みません。

 やはりリアルがハードで。


 延々と「達也のとある休日」をやってきましたが、次話からまた戦いに戻ります。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 休日もいいですね。
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