35. Reminiscence (追憶)
■ 9.35.1
23 February 2052, United Nations of TERRA Forces North Island Air and Narval Base, San Diego, United States
A.D.2052年02月23日、米国、サンディエゴ、地球連邦軍ノースアイランド空海軍基地
ラパス降下点攻略から三日後、達也は懐かしさを感じながら、少し柔らかな冬の南国の日差しの下、ノースアイランド基地の中を歩いていた。
ラパス降下点の攻略自体は成功した。
しかしその過程で、達也達ST部隊を含めた艦載戦闘機部隊が母艦とする潜水機動艦隊が、月軌道に出現したファラゾア艦隊からの遠距離艦砲射撃による攻撃を受け、甚大な被害が発生した。
第七潜水機動艦隊は最寄りであったノースアイランド空海軍基地に寄港し、大きく損傷した艦の修理を行う事となった。
その為、第七潜水機動艦隊所属の艦載機部隊は全て、今や最前線基地ではなくなったノースアイランド基地に着陸し、別命あるまで待機という指示を受けていた。
ほぼ十年振りにこの基地を訪れた。
この基地を離れて十年、達也は世界のあちこちの前線を点々としてきたが、異動も短期の出張も含めてなぜかここを訪れる機会にだけは恵まれなかった。
避けていた訳では無かった。
ただ単に、本当にここを訪れる機会がなかったのだった。
その十年の間にこの基地は、変わったと言えば大きく変わっていたし、変わっていないと言えばさほど昔と変わっていないようにも見えた。
降り注ぐ南国の日差しに、海沿いであるにも関わらず少し乾燥した気候。
スプリンクラーから撒き散らされる水滴の、陽光を反射して煌めく輝きと、湿った芝生と土から立ち上ってくる匂い。
要所要所に固めて植えられた椰子の木と、乱れ咲くブーゲンビリアのこんもりとした塊、海からの風にそよぐプルメリアの丸みを帯びた葉と、花から香る甘い香り。
植え込みの遙か向こうに広がる青い水平線とキラキラと光る紺碧の海。
その手前に広がる砂浜に砕ける緑色の波、さらにその手前の無骨な滑走路のコンクリートと、立ち上る陽炎。
光を発する誘導灯の並びと、その向こうに見えるNAVY CLUBの建物と、その脇に植えられた背の高い椰子の木。
空気を切り裂く音を立てて上空を通過する戦闘機のダイアモンド編隊は、今やターボファンジェットの黒い煙を噴く事もなく、ジェットタービン特有のやかましくも甲高い、そして腹に響く轟音を立てる事もない。
連邦空軍機色に塗られた黒っぽい機体が滑走路から飛び立っていくが、昔に較べるとその高度も角度も異常なものであり、二機並んだ戦闘機は滑走路の端に到達すると急角度で上昇し、一瞬で真っ青な3000mの上空へと駆け昇っていった。
達也はミラーのレイバンを掛けた目で眩しそうに顔を上げてその姿をしばらく追うと、再び視線を前方に戻した。
達也は今、通称ライト・アヴェニューと呼ばれる、格納庫の並び立つ区域の真ん中を抜ける基地内道路を歩いていた。
以前ここにいた頃には、この道の右側は基地で働く将校用の住宅が並んで立っており、今よりももう少し華やかな、いかにもこれぞアメリカといった雰囲気の道路だった。
国土が狭く、ほとんどの人口が高層のマンションやHBDに住むシンガポールで育った達也にしてみれば、子供の頃TVのドラマでよく見かけた、家と家の間の間隔が広く余裕をもって取られており、どこもかしこもよく手入れされた芝生で覆われて、所々に植え込みがあって平屋建ての大柄な住宅を囲んでいる、想像していたままのアメリカの香りのするこの道路を通るのが、あの頃の達也は好きだった。
その後ラパスに敵の降下点が設置され、ノースアイランド基地も見事最前線基地の仲間入りを果たし、将校用の住宅街は徐々に取り壊されて、営舎や倉庫、格納庫などの無骨な建物が次々と建てられていったのだ。
ライト・アヴェニューはやがてA滑走路の東端近くに突き当たって終わる。
滑走路に併走するイーストJロードを左に曲がって滑走路を右手に眺めながら少し歩くと、すぐにロジャース・ロードに突き当たる。
ロジャース・ロードを南に曲がり、誘導灯の間を縫って道なりに滑走路の東端を回り込めば、今はもう荒れ放題となってしまった、米軍のシー・アンド・エア・ゴルフ・クラブのコースの向こうに青い海が見え隠れし始めた。
そのままロジャース・ロードを歩き続けると、NAVY CLUBの駐車場の入り口を越え、建物の裏手を通って反対側に出る。
ロジャース・ロードの歩道から分かれる芝生の中の小道を通ってNAVY CLUBの建物の脇を通って海岸に向かう。
海岸に出る途中、椰子の木をはじめとした南国の植物が沢山植えられて、まるでそこだけ植物園か或いは小ぶりの林のようになっている場所、小道が海岸沿いの歩道と交わる場所に、大小様々な植物に囲まれるようにしてその白い小さな建物はまだそこにあった。
達也にしては珍しく柔らかな笑みを思わずといった風に浮かべ、そして足は自然とその建物に向かって僅かに早くなる。
だが建物の前に立つと、あの頃とは違うのだと云う時間の流れを嫌でも強く感じる事となる。
夜の間に風に吹かれて上がってくる砂をどかすために毎朝掃き清めていた店の入り口の階段には、分厚く砂が乗って、階段の脇の部分はまるでスロープのようになっていた。
南の海を感じさせる店の前のパラソルは折り畳まれたまま朽ち始めており、海からの風に薄汚れて破れたカンバス布が揺れている。
三段ほどの階段を上がり店の入り口のドアの前に立つと、雨と泥で薄汚れた入り口のドアの中には、あの頃のままの看板が「CLOSED」の側を表に出して掛けられていた。
白く塗られ、当時は南国の眩しい陽光を反射していた外壁は、煤けた様に薄汚れて所々ペンキがささくれ立つ様に剝げて、下の茶色い板の生地が見えていた。
店のシンボルであり、これもまた客に南国気分を味わわせる為に一役買っていた、天井から床までが一枚のガラスで出来ている大きな窓も、雨と跳ね返った泥汚れで曇っており、その窓を通して薄暗い店内が見える。
明かりも付いていない店内では、全ての椅子は逆さにしてテーブルの上に上げられており、少し砂の浮いた床と、うっすらと埃を被った椅子とテーブルが、ここがもう長く使われていないことを物語っていた。
入り口のドアノブを捻ってみたが、当然のことながら鍵がかかっており、ドアを開けることはできなかった。
建物の横を通って裏手に回り、厨房に通じる裏口の扉のノブを回してみたが、こちらもやはり鍵がかかっていた。
薄汚れて砂と埃を被ったプラスチックのコンテナが裏口の脇に積み重ねられており、その日に焼けて見窄らしくなった赤色に、十年という年月を嫌でも強烈に意識させられた。
もう一度店の表に回る。
入り口の脇に立つと、先ほどは気付かなかった小さな黒板が、店の中扉の脇に立てかけられているのが見えた。
「本日のランチ/シーフードスパゲティ&サラダ、ドリンク付き」と黒板に書かれた文字には見覚えがなく、達也がこの店から去った後も、しばらくの間は店が営業されていたのであろう事を示していた。
達也は店の入り口ドアに背を向けると、一つ息をついて階段に腰を下ろした。
胸ポケットからラッキーストライクのパッケージを取り出し、煙草を一本抜き出して咥えると、パッケージの中に一緒に入れてあったライターで火を付けた。
煙を吹き出しながら、店の前の景色を眺める。
高くそびえる椰子の木の位置も、その脇のよく知らない低木の茂みもあの頃のままだった。
植え込みの間を抜けてくる砂が浮いたコンクリートの小道も変わらなかった。
今にも彼女が自転車に乗って、茂みの間を抜けてやってくるような気がした。
「何してんの? 暇なの、今日?」
少し量の多い金色のショートボブを海からの風に揺らせ、Tシャツとショートパンツといういつもの見慣れた格好で、あの弾けるように明るい笑顔を浮かべながら入り口脇の椰子の木に自転車を寄せて立てかけて、僅かにオーストラリア訛りの抜けきっていない明るい声で近づいてくる。
よく冷えたクリスタルガイザーのノンガスを冷蔵庫から取り出し、グラスとともに右から三番目のいつもの席に置く。
いつも通り椰子の木に自転車を立てかけた彼女は、カウベルを鳴らしながら店のドアを開けて、達也の姿を見かけると笑顔を浮かべて真っ直ぐにこちらに近づいてくる。
パスタが好きな割には少し不器用で、スパゲティを一口にちょうど良い量だけフォークに巻き付けるのが苦手で、いつも真剣な顔をして少し多めのパスタをフォークに巻き付けて大きな口を開けてそれを頬張る。
例え比較対象が味付けをろくに考慮していない、栄養補給を第一に考えてそれ以外のことは何も考えていないような軍の食堂で提供される食事であったとしても、好きな女が自分が作った料理を美味しいと言いながら幸せな顔をして頬張るのを見ているのは嬉しかった。
RARを終えて戻ってきて、夕方になって疲れた顔で店にやってきて、食事を注文したものの達也が調理をしている間に疲れに負けてカウンターに突っ伏して寝始め、湯気を立てる皿を置いて無理矢理起こすと、半ば寝ぼけてフォークで料理をつつき始める。
店の片付けをしている間ずっとカウンターでうたた寝をしていた彼女を起こし、寝ぼけた彼女を半ば背に負うようにして自転車を押して夕闇の迫る海岸沿いの小道をコテージに帰る。
ビーチから聞こえてくる波音にふと我に返ると、咥えた煙草はすでに根元まで灰になって火が消えかけていた。
ほぼフィルタだけになった煙草を足元に落として踏みつけると、達也は階段から腰を上げて尻に付いた砂を払い落とす。
波音に誘われるようにして、達也は砂の浮いた歩道を海岸に向かって歩いた。
日の光を受けてきらめき崩れる波を眺めながら、記憶の中で通い慣れた道をビーチに沿って歩く。
つい数日前まで最前線であったこの基地では、広く遠浅のビーチで遊ぶ人影もない。
正面に視線を戻せば、ビーチ沿いに敷かれた道に沿って十軒ほどのコテージが並ぶのが見える。
その二軒目。
あゆみを進めるほどに徐々に近づいてくるそのコテージから達也は目を離せなくなっていた。
くたくたに疲れ、店で居眠りをしていた彼女を無理に起こして、半ば朦朧と寝惚けている彼女の手を引いてコテージに帰る毎日。
部屋に入るとフライトスーツを脱ぐのも面倒臭がり、そのままベッドへと直行しようとする彼女を引き留め、服を脱がせて風呂場に押し込んだ日々。
朝には朝で、いつまで経っても起きようとしない彼女をベッドから叩き出し、寝惚け眼でふらふらしているところをバスルームに追いやる。
食卓に朝食を並べていると、シャワーを浴びてやっと目が覚めた彼女が、食事の匂いに引き寄せられて下着姿のままテーブルにやってくる。
フライトスーツを着た彼女が自転車に跨がり、夕食を楽しみにしていると、いつもの笑顔を見せて元気に手を振って走り去る。
そのコテージは、今は誰かが住んでいるようだった。
ビーチに近く、風の強い日には砂と塩水が直接飛んでくるようなこの場所では、他に何かを建てるわけにもいかず、せめて住居に利用するためにコテージがそのまま残されているのだろう、と想像した。
今住んでいるのは子供が居る家族らしく、コテージの周りにはボールや砂遊びをするためのおもちゃや、随分くたびれた姿の子供向けの自転車などが置いてあった。
そう。
あの日も彼女は夕食を楽しみにしていると、明るい笑顔を向けて自転車に跨がったのだ。
そして、二度とこのコテージには帰ってこなかった。
次に彼女の姿を見たのは病院の集中治療室で、そして彼女のあの明るい笑顔を見ることはもう二度となかった。
「ママ、ビーチで遊んできて良い?」
コテージの玄関の前に立ち尽くす達也の耳に、コテージの中から聞こえてくる元気な子供の声が届いた。
内容は聞き取れなかったが、母親のものらしい女の声がそれに応えて何か云うと、コテージの玄関が勢いよく開いて中から十歳にも届かないような女の子が飛び出してきた。
女の子は海風に長い金髪をなびかせて、コテージの前に佇む達也のことを不思議そうに見て口を開いた。
「ウチになにかご用?」
達也は首を横に振ると、踵を返してビーチ沿いの道をやって来た方向に向かって歩き始めた。
女の子はしばらくの間、不思議そうな顔をして達也の後ろ姿を眺めていたが、やがて興味を失って、向きを変えるとビーチに向けて元気に走って行った。
風切り音に気付いて顔を上げると、達也の頭上を二機の戦闘機が通過して、サンディエゴの街がある方角に向かって飛び去っていった。
あれからもう十年も経ってしまったのだと、改めて思った。
十年前に止まってしまった自分の中の時間に決着を付けたくてここまで足を運んではみたが、結局何も解決することはなく、却って自ら傷を抉り症状を悪化させただけのような気がした。
この基地に居ると、いつも病んでしまった自分の心のことばかり考えている、と達也は皮肉に唇を歪めた。
同じ様な境遇で同じ様に心を病んでいた女の事を思い出した。
彼女も同じ様に過去に縛られ、前に進もうと藻掻いていたのだろうか。
思えばあの関係も、心に傷を負った者同士が互いに傷をなめ合うだけの様な関係だった。
彼女は前に進む切っ掛けを見つけられていたのだろうか。
自分はそれをどうやって見つければ良いだろうか。
その答えを聞こうにも、パトリシアと同様にシャーリーももうこの世にはいなかった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
久々のメインヒロインの登場です。(出てきてねえ)
リアルの都合で、来週から二週間ほど、また更新が遅れ気味になる事と思われます。
ご迷惑をおかけしますが、ご了承戴きたくお願い申し上げます。