34. サン・ルカス岬沖脱出戦
■ 9.34.1
「EV1デッキ位置、07番機発艦。EV2デッキ位置、20番機発艦。プラットフォームシールド展開。プラットフォーム固定。EV1、EV2閉鎖完了。」
周囲の海面で爆発による巨大な水柱が次々と立ち上がり、上空に吹き上げられた海水がまるで滝のように航空甲板に降り注ぐ中、666th TFWのC中隊長機と、その僚機である20番機は、通常の発艦シーケンスに定められた出力よりも遙かに高い-20Gの重力推進を掛けて、母艦であるジョリー・ロジャーの航空甲板上から一瞬で姿を消した。
また一つジョリー・ロジャーのすぐ近くで爆発が発生し、海面に水柱が打ち立てられると同時に衝撃波と轟音が襲いかかる。
南国の紺碧の海は、次々と発生する爆発と、それを避けようとして海面を迷走する多くの潜水艦が残す航跡で真っ白く泡立っていた。
「水柱、3時の方向。CC(巡洋艦)『ランヴィジャイ』位置。ランヴィジャイ生存不明。」
「AGG1番から4番、出力50%到達。飛行可能。」
「ジョリー・ロジャー緊急離水。高度1000m、進路34、速度500kt。ランダム機動忘れるな。」
重力推進が準備できたとの報告を受け、シルベストレはすぐさま離水を命じた。
「艦長、待ってください。航空甲板閉納まだです。」
「んなモン後から畳みゃいいんだよ。まずはとっととこの場から逃げるぞ。離水急げ。それとミルウォーキーに通達。潜航よりも離水が有利。」
いったいどこから攻撃してきているのか未だもって全く不明であったが、本来は敵降下点から十分に距離を取った安全な海域で、艦載機を全て放出した後は平穏な海中に潜ってゆったりと艦載機の帰投を待つだけで良かった安全な筈の作戦が、いきなり最前線さながらの激しい敵の攻撃に晒されることとなった。
敵の位置も特定できていない今、彼らにできることはただ一目散に安全な場所に向かって逃げ出すのみであった。
「離水します。進路34、速度500kt。高度1000mまで上昇。」
航海士の声とともに、全長393mの巨体はまるで巨人の手に掬い上げられたかのように海面に浮き上がり、そしてそのままの勢いで絡みつく海水を振り切って空中へと飛び上がった。
巨大な艦体はゆっくりと回頭しながらさらに高度を上げ、同時に艦首方向に向かって急加速し始めた。
眼下では真っ白く泡だった海面を、黒く塗られた何隻もの潜水艦が逃げ惑っている。
機動艦隊の中核を成す潜水空母は、その構造上航空甲板を閉納せねば潜水することができず、爆発水柱が次々と吹き上がる水面を逃げ惑いながらもどうにかして航空甲板を折り畳んで、一刻も早く安全な水中へ逃げ込もうと躍起になっていた。
その潜水空母を護衛する役割を持つ巡洋艦や駆逐艦は、護衛対象である空母が未だ潜水できないのを放り出して自分達だけが海中に逃げ込むわけにもいかず、空母に付き合わされてその周りを共に逃げ回り、見えない敵をどうにかして発見しようと躍起になっていた。
「空母『インヴィンシブル』被弾。轟沈と推定。」
オペレータの声が、戦闘中の様々な指示や騒音にざわめいているCICに無情に響く。
敵の攻撃は巨大な水柱である水飛沫を大量に発生するので、それに包まれ隠されてしまった味方艦船の状態が確認できなくなってしまう。
しかしながら全長400mにもなる巨大な空母であれば、水煙から覗き見える艦体の部分の状態でその被害の大きさがある程度推定できる。
ジョリー・ロジャーはすでに高度500mに達していた。
上空から見下ろすモニタ画像の中では、海面から絶え間なく次々と爆発水柱が吹き上がり、レーザーが水飛沫に当たって爆発拡散したものと思われる鋭い閃光が断続的に煌めき、沸騰と水飛沫で泡立つ白い海面には、黒い潜水艦の艦体の他に撃破された味方艦のものと思われる様々な破片が浮き沈みしている。
真っ先に離水したジョリー・ロジャーを見習ったか、或いは旗艦ミルウォーキーからの指示があったか、この頃になるとようやく他の味方艦にも離水するものが現れ始め、離水したものから続々と水上ではあり得ない速度で、姿の見えない敵に攻撃されるだけの狩り場と化した阿鼻叫喚の海域を離脱する。
艦体に、特に内殻に僅かでも損傷があれば、潜水した途端に破壊が広がりそのまま沈没する恐れがある。
しかし空を飛ぶ分には、少々の破壊孔があってもすぐに沈んでしまうと云うことはない。
敵の砲撃に晒され、艦体に損傷を受けた可能性がある今の状態では、海に潜って姿を眩ますよりも、空を飛んでさっさと逃げ延びる方が色々と有利であることに皆が気付き始めていた。
敵の攻撃で発生した爆発による水中衝撃波を受けて艦が大きく損傷することがないという意味でも、空中の方が有利であった。
「航空甲板閉納できません。速度が上がり過ぎて、風の抵抗で開閉機構に負荷がかかって動作不能です。このままだと航空甲板が脱落します。」
また一つCICに悲鳴のような報告の声が上がる。
隣の席に座る副長のクリスチャンが何か言いたそうにシルベストレの顔を見ている。
速度を落とさねば開きっぱなしの航空甲板を閉じることができない。すぐに閉じなければ遠くない内に航空甲板が脱落する恐れがある。
しかし現在、敵の砲撃を受けている海域から急速離脱するためには速度を落としたくはなかった。
「操舵手。両舷補助舵翼手動アップトリム10。」
ウラジオストクで建造されたニパビジミィ級潜水空母には、ロシア製の潜水艦の例に漏れず艦首近くに四枚の小さな補助舵翼が装備されている。
艦尾に設置されている主舵翼に比べれば小さなものであるが、海中においては機動性を向上させるため、水上で航空甲板を展開時には僅かながらも艦を安定させることに寄与する。
シルベストレはその補助舵翼を手動で動かすように、操舵手に指示したのだ。
アップトリム、即ち航空甲板展開時には外に開くように10度動いた補助舵翼は、風の抵抗を受けて航空甲板を閉じる向きに力を発生させた。
空気抵抗で押さえつけられる様に力が加わり、動作不能となっていた航空甲板の開閉機構が、補助舵翼からの力を受けてゆっくりと閉じていく。
「・・・なるほど。流石だ。」
両舷に展開した航空甲板が閉じていく様を見ながら、クリスチャンが低く呟いた。
「アタマは生きてる内に使わなきゃな。」
そう言ってシルベストレは得意げにニヤリと笑った。
つい数十分前まで、太平洋の海中深くに身を潜めて航行していた潜水機動艦隊は、今や生存している艦の内重力推進を持つ全ての艦が空中を500ktもの速度で飛行していた。
黒光りする巨体が宙に浮き、群れを成して飛ぶその景色はモニタ越しに見ても壮観な眺めであった。
しかしその外部光学モニタが、敵の艦砲射撃と思しきレーザー砲が海面に着弾することによって変わらず次々と吹き上がる爆発水柱を映し出しており、水柱の位置は高速で空中を逃げ出す潜水機動艦隊を追いかけてきているように見えた。
「くそったれが。追撃してきやがるか。GDD、敵位置は掴めたか?」
「敵位置不明。ピケット艦、AWACSでも探知できていません。」
「大気圏内の敵機は?」
「ラパス降下点付近で戦闘機隊と交戦中。数二百四十八。本艦付近に敵影なし。」
シルベストレは一瞬考え込んだ後に、再び口を開いた。
「ミルウォーキーに通知。ジョリー・ロジャーは進路16に反転する。操舵手、取り舵30、高度500mに降下。速度そのまま。味方とぶつかるなよ。」
「は? 戻るのですか? 逃げてきたのに?」
シルベストレの指示に、クリスチャンが信じられないと云った声を上げる。
「どこに隠れていやがんのか知らねえが、好き放題バカスカ撃ちまくりやがって。モニタ見てみろ。お陰であちこちに結構分厚い雲ができてる。あれに逃げ込むぞ。あれだけ分厚けりゃ、レーザーの一発くらい耐えんだろ。雲の下で着水して潜航する。AGG使って空中逃げてたんじゃ、どこまでも追いかけてきやがる。どうせ宇宙空間のどこかに隠れてこっちを見ていやがんだ。AGG切って姿を眩ましてやる。これぞ潜水艦の戦い方だぜ、畜生めが。」
シルベストレが顎をしゃくって示したモニタには、機動艦隊が後にしてきた空間に、レーザー着弾による爆発で生じた大量の水蒸気と、爆発で巻き上げられた大量の水飛沫で、あちこちに低く分厚く垂れ込めるような雲が発生しているのが映し出されていた。
なるほどと思い頷いたクリスチャンであったが、今度はその台詞を口にしなかった。
「生き延びるためなら何でも使うぜ。こいつぁ、殺し合いの化かし合いだ。ルールのあるおキレイなスポーツなんざたぁ違うんだ。」
「ミルウォーキーより通信。反転する、我に続け。」
「フン、どうやら連中も気付いたみてえだな。」
ジョリー・ロジャーが緩い弧を描いて空中で高度を下げながら反転するのに続いて、第七潜水機動艦隊旗艦ミルウォーキーと残る十三隻の艦が同じように弧を描いて反転する。
その間もファラゾア戦艦からの砲撃と思しきレーザー砲は次々と海面に着弾し、巨大な水柱を打ち立てていく。
大量の水柱と、その結果発生する局所的な分厚い低層雲が入り交じる中、この作戦に参加している他の艦隊の潜水艦が空中を航行しているのが黒い小さな影として、複雑に逆巻く白い雲を背景に多数見え隠れしている。
それらの艦隊も、あるものは陣形を保ちながら、あるものはそれぞれ単艦でバラバラに、しかし同様に旋回しながら高度を下げて雲の中に逃げ込もうとしているのが分かった。
「ピケットより通信。敵艦位置判明・・・え?」
COSDARオペレータの声がCICの中に響いた。
中途半端に終わった報告に、シルベストレは眉を顰めながら応えた。
「敵艦位置、どこだ?」
敵の位置さえ分かれば、ミサイル駆逐艦からオーカを飛ばして攻撃が可能だ。
可能であればジョリー・ロジャーからもレーザーの一撃でも食らわしてやりたかった。
「敵艦位置・・・月軌道近傍。方位00、直上、距離39万5千km。敵艦隊、数、戦艦二、護衛艦四。ピケット艦中継のGDDDSデータです。」
「月・・・軌道?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
39万kmと言われて、成る程月ならそれだけ遠いだろう、などと頭の片隅で間抜けな事を考えた。
CICの中に絶望のざわめきが広がる。
夜空に浮かんでいる月。
潜水艦隊が、どうやったら月に手が届くというのか。
AGGを装備した潜水艦が、理論上月まで行ける事は知識として知っている。
だが、そういう事じゃない。
月の脇に停泊する宇宙艦隊と、ちょっと空が飛べるだけの潜水艦隊が、どうやって戦うというのか。
「敵艦は無視しろ。手が届かねえものをどうのこうの言っても仕方ねえだろ。とにかく今はそこの雲ん中に逃げ込む事に専念しろ。」
CICの中を絶望のささやきがさざ波の様に広がって行く事に危惧を覚えたシルベストレは、自分自身の絶望をとりあえず脇へ追いやって強い口調で命令を発した。
CICのオペレータ達はその言葉を聞いて一瞬シルベストレに視線を向け、軽く頷くと、絶望に曇った眼に再び光を宿してコンソールに向き直っていった。
高度を500mまで下げ、あと少しで雲の中に逃げ込めるかとCICの全員が焦燥を感じながら外部光学モニタ画像を見つめる中、突然強烈な衝撃がジョリー・ロジャーを襲った。
一瞬で平衡感覚が完全に失われ、離水した後に安全のため装着していたシートベルトが胴体を引き千切らんばかりに体に食い込む。
シートベルトをしていなかった者、或いは何らかの理由でCICの中を歩いていた者の身体が宙を舞い、天井に叩き付けられ、凄まじい勢いで壁際に押しやられて、ぐったりとした身体が壁の上を天井に向けて滑り落ちる。
逆さ吊りにされて振り回されたかのように血が頭に上り、強く脈打つ鼓動で頭が弾けそうな痛みが襲い、視野が暗転する。
固定されていなかったありとあらゆる物が宙を舞い、壁に叩き付けられ、どこかに吹き飛んでいく。
ジョリー・ロジャーの艦体をかすめて至近弾が海面に着弾し、吹き上がった水蒸気爆発が艦尾を捉えて急激に突き上げたのだった。
まるで放り投げられた木の棒のようにジョリー・ロジャーの艦体は空中で縦に一回転する。
艦内で固定されていなかったありとあらゆる物が吹き飛び、遠心力を受けて暴れ回り、手当たり次第に辺りを破壊する。
格納庫でプラットフォーム上に戦闘機を固定していたハーネスが切れ、プラットフォーム上から滑り落ちた戦闘機の機体が、まるで糸の絡まった操り人形の様に壁に叩き付けられ、機体が崩壊しながら跳ね返り、格納庫の構造材をへし折りながら分解する。
艦内通路を駆けていたクルーは、壁に叩き付けられ、そのままの勢いでさらに天井に叩き付けられて、首の骨が折れてすでに命を失った身体はまるでうち捨てられた人形のようにあちこちの構造材に引っかかり叩き付けられ、ズタズタに切り裂かれて真っ赤な血の跡を壁や天井に塗りたくりながら艦首方向に向けて吹き飛んでいった。
ジョリー・ロジャーの艦体は、ちょうど一回転した後に自動姿勢制御システムが四基あるAGGを巧みに操ることで姿勢復元され、水平状態に戻った。。
船は操舵手が最後に入力した命令どおりに、高度500mを方位16に向けて500ktで進み続けているが、今その航路を制御する者は居ない。
「被・・・害、報告・・・せ、よ・・・」
左半身を真っ赤に染め、しかし責任感からかシルベストレは、空気を吸い込もうとしない肺を無理矢理動かして咳き込みながらも、どうにか言葉を絞り出した。
警告音と様々な電子音の鳴り響くCICのあちこちから呻き声が聞こえるが、シルベストレの声に応える者は居ない。
「ほ、報、告・・・艦、載機、格納、庫・・・全、艦載、機、脱落。搬、送系・・・動作、不能。」
「左舷、H-Jet、チャンバに・・・歪み、大。推進力、低下なれども、動作、可能。」
「左舷、下部・・・主舵翼、脱落。上部、主舵翼は、動作可能。」
数十秒ほど経って再びシルベストレが被害報告を求めた後、やっとあちこちから言葉として理解できる声が聞こえて、被害報告が届き始めた。
水柱で爆発衝撃波を受ける事は想定して設計されている艦であったが、空中で下から爆風を受ける事は想定外であり、思わぬ大きな被害を受けているようだった。
着座してシートベルトを締めていたCICがこの惨状であれば、艦内のあちこちで配置に着いていたクルーにも相当な被害が出ているだろうと、少しずつまともに回り始めた頭でシルベストレは軽く絶望する。
艦体に被害が出ているかも知れない。
内殻のどこかに亀裂でもあれば、潜航なんて出来はしない。
「操舵手、針路、その、まま。正面の、雲の中に、突っ込め。艦内気圧、チェック。」
外部光学カメラ映像を映し出している壁面モニタは、大きくひび割れ、半ば映像が途切れてはいたが、モニタの生き残っている部分だけでも正面に浮かぶ分厚い低層雲が確認できる。
「針路、このまま。」
「艦内気圧、103.0kPa、正常。」
「オーケイ。雲に突入したら、高度下げろ。着水後、緊急潜航。」
「現在高度、500m。雲に、突入後、高度、下げます。」
緊急潜航などと言うと必ず口煩く小言を言ってくる副長の声が聞こえないと、シルベストレは右の副長席に目をやった。
頭から血を流して、上半身を血で黒く濡らした副長は、背もたれにもたれ掛かって焦点の合っていない目を見開いている。
「クリス、クリス。大丈夫か?」
シルベストレがクリスチャンの左腕を軽く叩くと、半ば光を失った眼を僅かにこちらに向けて少しだけ頷いた。
ジョリー・ロジャーの黒い巨体が、積乱雲並みに濃密な真っ白い雲を掻き分けてその中に姿を消す。
外部モニタ画像は真っ白になって何も見えなくなる。
しかし空中に居る間はレーダーを使って周囲を探る事が出来る。
とっくに敵に発見され、これだけ砲撃を食らった後に電波管制など意味は無かった。
「雲に突入。高度下げ。30秒後に着水。」
「後方1200mにミルウォーキー。DDイッレクイエート、4時800、DDユキカゼ、8時300に追随。」
「着水します。耐衝撃用意。5秒前、3、2、1、着水。現在針路16、速度33kt。」
「AGGカット、艦内漏水箇所確認、艦内気圧確認。急速潜航用意。」
「艦内漏水箇所無しをセンサーで確認。目視確認は不能。」
「艦内気圧103.0kPa。問題無し。」
「ジョリー・ロジャー、急速潜航。」
「ベント解放、タンク注水、急速潜航。」
分厚い雲によって陽光が遮られた薄暗い海の上を、空中から急速に降下してきた黒い巨体が海面に白い波を蹴って着水した。
白く航跡を曳き始めたその巨体は、そのままゆっくりと水中に没していき、やがて白い航跡さえ消えて辺りには暗く碧い海面が波打つだけとなった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
ファラゾアの3000m級戦艦に標準的に搭載されている口径約1800mmのレーザー砲は、射程100万km以上あります。(ストーリー展開上の都合にて明記しません)
尤も、100万kmもの先の目標に対して有効なのは、目標が静止している場合のみで、艦隊戦などでは観測から発射、着弾まで7秒近くかかるそんな遠方の目標を撃ち抜く事は出来ません。
艦隊戦の場合のレーザー砲の有効射程は、口径如何に関わらず通常約30万km、必中を喫するなら10万kmといったところです。(「夜空に瞬く星に向かって」と同一設定)