29. Aggressor
■ 9.29.1
地球連邦海軍第七潜水機動艦隊所属ACSS-041 ジョリー・ロジャーは、補給のために停泊していたウラジオストク港を他の第七潜水機動艦隊の僚艦達と供に出港し、アムールスキー水道を抜ける辺りから水中に潜って進路を南に取った。
ファラゾアに発見されることを避けるために潜航した状態で日本列島に近づき、そのまま潜航状態で津軽海峡を抜け、そして太平洋に出る。
一昔前の潜水艦とは状況が異なり、日本の領海内である津軽海峡を浮上航行する必要は無く、また水深の浅い海峡を潜航したまま通り抜ける為、海底や周囲の地形に衝突する危険を回避するためにアクティブソナーも使い放題だった。
水中25ktという「低速」で列を成して津軽海峡を抜けたジョリー・ロジャーと第七潜水機動艦隊は、日本列島から一旦500kmほど東に離れた。
艦隊を展開して浮上した第七潜水機動艦隊は進路を北西に向け、さらにジョリー・ロジャーは航空甲板を展開して艦載機を発進させる態勢に入った。
ジョリー・ロジャーを発艦した戦闘機部隊は太平洋を北進し、北海道に南方から侵攻する予定となっている。
事の起こりは、ノーラ降下点殲滅作戦であるTactical Project(戦術級プロジェクト) 'BOLERO' 第二段階 Operation 'RUSSIAN BLUE'にて、多少の修正はあったものの計画通りノーラ降下点を撃破し、日本海北部で母艦に帰還した後、機動艦隊が補給と整備のためにウラジオストクに寄港した後に届いた一通の指令書であった。
ロシアン・ブルー終了の後、一旦母艦に収容された第七潜水機動艦隊に所属する艦載機のうち、母艦に整備予定が入っているものは再び母艦から飛び立ち、ウラジオストク近郊のツェントラーナヤ・ウグロヴァヤ空軍基地とウラジオストク航空基地(旧ウラジオストク国際空港)に振り分けられた。
666th TFWが母艦としているジョリー・ロジャーも接岸整備の対象となっていた。
達也達666th TFWはツェントラーナヤ・ウグロヴァヤ空軍基地に振り分けられ、一週間ほどの休暇と、その後さらに一週間ほどを訓練と教育に費やした。
一月も半ばとなり、母艦ジョリー・ロジャーの整備と補給が終わったとの事で、母艦への帰還命令が出た彼等を待ち受けていたのが、この訓練に関する指示だった。
「ダクト(異機種訓練)? 何を今更。そもそも訓練なんざしなくったって、ちょっと飛べば本物の敵が幾らでも転がっているだろう?」
ジョリー・ロジャーの艦内に設けられた飛行隊用のブリーフィング・ルームに、他の二人の中隊長と共に呼び出された達也は、彼等を呼びつけたレイラにそう言い放った。
これまでは飛行隊全体の打ち合わせを、ジョリー・ロジャーのクルーも利用する食堂を用いて行っていたのだが、飛行隊がブリーフィングを行い始めると、二十四時間当直勤務のクルー達が食事を出来なくなると不評であった。
狭い潜水艦内ではあったが、自分達の食事を確保するためには飛行隊用のブリーフィングルームを設けるべきだと、クルー全員一致で提案がなされ、艦長がそれに全面的に同意したために、今回の整備の中で資材置き場の一部を切り取り改造してブリーフィングルームが作られた。
最近、特に666th TFWでは消費量が減っているジェット燃料であるTPFRの保管量を見直し、空いたスペースに壁を設えて部屋として区切ったのだった。
狭いとは言え、従来の潜水艦に較べると巨大な潜水空母であるからこそ出来る贅沢であった。
その新たに設けられたブリーフィング・ルームに、帰還早々呼びつけられて言い渡されたのが、日本列島近海でのダクトの実施だった。
「言いたい事は分かる。が、そうじゃない。お前達には言っても構わないので、このダクトの本当の目的を明らかにしてしまうが、近い将来出現すると思われる地球人ブレインを搭載した敵戦闘機への対抗策を検討する為だ。」
成る程、と思った。
「で、つまり俺達にファラゾア役をやれ、と。」
「そういう事だ。ファラゾアの動きを一番良く知っているのがお前達で、その想定される脅威度に一番近いのも、お前達だ。とりわけタツヤ、お前を筆頭に一部の者は重力推進を多用する余りに、戦闘中の機動が既にまともな地球側の戦闘機とはかけ離れている。ほぼファラゾア戦闘機、と言い換えても良い。想定している地球人ブレインのファラゾア戦闘機に一番近いのがお前、という訳だ。」
レイラは真っ直ぐに達也を見ながら言った。
個人的な復讐心を元に、とにかくファラゾアを一機でも多く墜とす事だけを考えて戦ってきた結果、自分自身その憎むべき敵に近付いていって居るとは、なんとも皮肉な話だと達也は思った。
それでも構わなかった。
ファラゾアを墜とすためであれば、悪魔に魂を売っても構わないと思っていたのだ。
ファラゾアを墜とせさえすれば、後の事はどうでも良かった。それが本音だった。
憎むべき敵の役をやらされる事で、将来より高性能な兵器を手に入れて、より多くのファラゾアが墜とせるようになるというのであれば否やは無かった。
「諒解だ、少佐殿。いつやる?」
「艦隊は三日後にウラジオストクを出港し、ダクトは五日後に北海道南方の海上で行う。特にファラゾアに似た機動をする者を選抜してアグレッサー部隊を編成した。A1、B1、Lの各小隊と、アスヤ、お前がL小隊に四番機で入れ。その十機で行う。」
レイラは最後に、彼女の前に立つC中隊長であるアスヤ・リファイオグル中尉を見て言った。
「諒解。」
「十機でいいのか?」
アスヤの返答に続いて、達也が尋ねた。
「二十一機全員で襲いかかったら、『敵』が次々瞬殺されてしまうからな。力比べがしたい訳じゃ無い。想定されるファラゾア機の動きを研究したいんだ。圧倒的に強過ぎても意味が無い。」
「随分過大評価されたもんだな。」
達也は皮肉に嗤いながら言った。
「過大評価なもんか。知ってる? 地球連邦軍の目下の重大懸案事項の一つに、アンタが敵に捕獲されて、脳ミソが敵の戦闘機に乗せられる事が含まれているわよ。」
レイラが上官の口調から離れて、砕けた口調に戻った。
彼女は軍という組織の上での上官の立場と、同じ死線をくぐり抜ける仲間としての立場を上手く使い分ける。
多分それが、このST部隊と云う扱いづらい連中と上手くやっていけているコツなのだろう、と達也は思った。
上官だろうが部下だろうが、最前線で戦う限りにおいては、死は皆に平等に訪れる。
それを皆分かっているから、最前線で戦う兵士達の多くは上官であろうとタメ口で話しかけ、その上官もそれを許している。
「成る程。お互いに不幸な事にならない様努力するさ。」
達也にしてみれば笑うしか無い様な話だった。
実際のところは達也個人が、という訳ではなく、666th TFWがその懸案の対象であるのだが、その中の最も「危険な」パイロットである達也が、と言い換えてもほぼ同義であった。
「あと、そのダクトの間はタツヤ、お前がこちら側、つまりアグレッサー部隊の指揮を執れ。この件に関しては、明らかに私よりもお前の方が適任だ。」
レイラの口調が再び上官のものに戻り、上官としての指示を出した。
冗談で言っているのかと思って達也はレイラの顔を見たが、視線を返したレイラの眼の表情は至って真面目だった。
笑えない話だった。
味方から、お前が敵に一番近い存在だ、と言われたのだ。
自分でも自覚するほどに偏執的にファラゾアを墜とす事にこだわってきた。
他の全てを投げ捨てて、それだけを追求してきた。
自分から両親を、シャーリーを、そしてパトリシアを奪っていった、その恨みを晴らすためだけに戦ってきた。
ファラゾアを墜とせるなら、奴等を殲滅できるなら悪魔に魂を売っても良いとさえ思っていた。
そうやってファラゾアを憎み抜いて、これまでの人生全てをかけて敵を殺す技術だけを磨き上げて行き着いた先が、敵そっくりだと味方に言われてしまったのだ。
格闘戦のスタイルだけで無く、ものの考え方まで。
もっとも、他人からどう言われるかなどはどうでも良いことだった。
ただ、そう言われて自分でもそれに思い当たる節がある事が衝撃だった。
だが、そこでふと気が付いた。
悪魔に魂を売ってでも奴等を墜としたいと言うならば、奴等そっくりの戦い方で奴等を叩き落とす事に何の問題があろうか。
魂を売る相手として、悪魔も敵もたいして変わりは無かった。
要は、結果として奴等を墜とす事が出来るなら、それで良いのだ。
それでも、心の底から憎み抜いている敵と同じだと言われて、嫌悪感は残った。
レイラの指示に対して達也が返したのは、聞こえるか聞こえないか程度の溜息が一つだった。
レイラは、達也のその溜息が、面倒な仕事を押し付けられたが諦めて納得した、命令の消極的受諾の意思表示だと捉えた。
実際は全く違う意味の溜息だった。
そしてダクトの当日。
ST部隊、即ち666th TFWを載せたジョリー・ロジャーを含む第七潜水機動艦隊は北海道襟裳岬南東の海上約500kmの位置に展開した。
達也が指揮するアグレッサー部隊を発進させるジョリー・ロジャーを含み、第七艦隊に所属する全ての艦船が浮上し、潜水空母を中心とした対空警戒陣を敷いた。
ただし、直接演習に参加するジョリー・ロジャーと、対空警戒に神経を尖らせるピケット艦以外はかなり緩い警戒態勢を取っており、乗員の多くが交替制で甲板に出て休憩をとりながら天然の空気を楽しんでいた。
達也達アグレッサー部隊の十機がジョリー・ロジャーから次々に発艦すると、周りの艦のデッキ上に居るクルー達が笑いながら手を振っているのが見えた。
勿論その声が聞こえたりなどはしないが、みな他人事だと思って面白がっているのがよく分かった。
北海道に向けて「侵攻」するアグレッサー部隊に対して防衛側は、ノーラ降下点が殲滅された事で配置転換される予定の連邦空軍部隊が、コムソモリスク・ナ・アムーレから二部隊、ハバロフスク近郊の基地から二部隊と、特別支援任務を解かれて日本に帰還する日本空軍と海軍からそれぞれ一部隊ずつ、計六部隊が参加する予定となっていた。
その他に、空域を管制するAWACSが後方を飛ぶのは当然の事として、戦況を直に観察する為の方面参謀本部の武官と航空機メーカーの技術者を乗せた輸送機が三機、演習空域の中にまで入り込むとの事であった。
当初の計画では、日本の高島重工業の技術者と、高島重工業に駐在しているMONEC社の技術者達だけで無く、コムソモリスク・ナ・アムーレにあるスホーイの技術者も招いて、日本海北部ウラジオストク周辺の海域で演習を行う事が提案されたのだが、ごく最近ノーラ降下点が撃破され、その後始末を行う輸送隊や現地調査を行うための調査団やその資材を乗せた輸送機が忙しく飛び交う極東シベリア地域において、「クソ忙しい空域で、お遊びで仕事の邪魔をするな」とウラジオストクの方面司令部から怒りのクレームが付いたため、比較的平和かつ比較的閑散とした空域である北海道南東の海上が訓練空域として再設定されたのだった。
「こちらフェニックスリーダー。セブンアイズ、聞こえるか。」
今日のアグレッサー役はもう全機発艦しており、高度3000mで旋回待機している。
まるで巨大な鯨の背中に乗っているかの様にも見える、潜水艦のデッキからこちらを見上げて手を振る兵士達を眺めつつ高度を上げながら、達也は第七艦隊のピケット艦が打ち上げたAWACS子機を通じて、ピケット艦に置かれた航空管制に呼びかけた。
「こちらセブンアイズ01。よく聞こえる。どうした、今日は姐御はお休みか?」
AWACSオペレータがレイラを指して言った呼び名に思わず吹き出しそうになりながら、確かにST部隊はヤクザかチンピラの集まりと思われても仕方が無いな、と思った。
「いるぜ。後で張り倒されるぞ。訳あって今日は俺がリーダーだ。誘導を頼む。」
「やべえ、恐ろしくてちびりそうだ。当直終わったらベッドで布団被っとくぜ。フェニックスは進路31、速度M2.0以下で飛行せよ。」
AWACSの指示する進路は、海上から襟裳岬に向けて真っ直ぐに進む進路のはずだった。
作戦の素案をそのまま実行しても面白くなど無い。
アグレッサー役など仰せ付かってしまったのだ。ディフェンス側には、何を考えているか分からないファラゾアの動きを十分に楽しんでもらわなければ。
作戦の大枠は決まっているが、細かな戦術に関してはアグレッサー役である666th TFWに一任されていた。
ファラゾアらしい動きをするようにと云う要求は、すでにそこから始まっている。
「コース修正だ。進路31、速度M2.0で約150km進む。その後進路を27に変更する。」
「セブンアイズ01諒解。進路31、速度M2.0で220秒、その後進路27に転針。」
「フェニックスリーダーより各機。進路31、高度80、速度M2.0。A1の左にB1、後ろにLで逆デルタを組む。続け。」
旋回待機していた僚機の脇を通過しながら、達也はさらに高度を上げる。
残りの九機が同様に上昇しながら達也に追いついてきて、指示通りに編隊を組んだ。
第七艦隊が展開した辺りには雲もなく、鈍い紺色の冬の海が眼下に広がっている。
達也に率いられたファラゾア役の十機は、九倍の戦力を持つ「敵機」が待つ空に向けて翼を並べて進み始めた。
いつも拙作お読みいただきありがとうございます。
アグレッサー部隊の指揮を執るよう指示されて、そこで自分の異常性と矛盾に気付かされ、細けぇこたぁどうでもいーんだよ、と開き直る達也君のお話です。(笑)
この模擬戦をDACTと呼ぶのはどうなんだろうと思わないでも無いですが、まあ確かに異機種戦訓練ではあるので、やはりダクトかと。
666th TFWは艦載機に乗っていますが、ディフェンス側は艦載できない陸上基地の戦闘機ですので。
達也たちが乗っている艦載機は、狭い潜水空母に格納できるようにコンパクトサイズの戦闘機です。
一般的な陸上基地を離発着する戦闘機は、格闘戦時に大量に消費されることを想定してジェット燃料を多く積んでいます。
それに対して達也達が乗っている艦載機は、腕の良いパイロットをかき集めて艦載機部隊を編成することを想定しているため、格闘戦時にAGG/GPUを比較的多用するので、ジェット燃料消費が断然少ないです。なので、ジェット燃料積載量を半分くらいに削っています。
達也などは、格闘戦時もほぼ重力推進のみで機動しているため、多分もうほとんどジェット燃料を使っていないものと思われます。