27. 超光速航行技術
■ 9.27.1
「確認したいのだが。GDDDS(対深宇宙重力波監視網)のログの話だよ。太陽系外からの侵入は、これまで分かっているだけで何回あったのかね?」
テーブルの上、すぐ眼の前に置かれたコーヒーカップを持ち上げ、湯気を立てるコーヒーを一口啜ってからトゥオマスは唐突に言った。
チャーリーの話をしていたつもりが、突然GDDDSの話題が出てきてシルヴァンは訝しげな顔をする。
「GDDDS設置後は四回だ。最初は設置されてすぐ、2045年12月19日、次が・・・」
「ああ、詳しい日時は必要無い。それよりも知りたいのは、何隻やってきて何隻が侵入に成功したか、という情報なのだが、今すぐ分かるかね?」
ご機嫌取りをした訳では無いのだが、自分の考えを思う様述べられるようになり、先ほどまでの怒りの表情がまるで嘘であったかのようにトゥオマスは期限良さげな表情と手振りで言った。
「わかるぜ。一回目、2045年12月19日、427隻が太陽系内に侵入。太陽系内に存在した約2000隻の艦隊に迎撃され壊滅。推定約150隻が生存しており撤退。
「二回目。2046年4月3日。862隻が太陽系に侵入。エッジワース・カイパーベルト辺りで機関停止。その後追跡不能。この艦隊の太陽系内への侵入に対して、交戦は無しと推定。
「三回目。2049年6月10日。265隻が太陽系内に侵入。太陽系内に存在した1625隻の艦隊が迎撃。265隻は交戦を回避し撤退。
「四回目。2049年10月9日。1552隻が太陽系内に侵入。二回目同様にエッジワース・カイパーベルト辺りで機関停止。その後追跡不能。この艦隊の太陽系内への侵入に対して、交戦無し。
「一回目の侵入についてはGDDDS稼働開始直後で調整がまだ甘かったので、太陽系内に隠れていた迎撃艦隊の詳細な数字が不明。数が多すぎて、重力波スパイクピークの分離が出来なかったんだ。」
「ふむ。その重力波スパイクピークについては、超光速航行のワープアウトかジャンプアウトの時に発生する空間構造振動によって生じるもの、という推察について異論は無いものと思っているが、良いかね?」
コーヒーを啜りながらシルヴァンの報告を聞いていたトゥオマスが、シルヴァンの報告が終わったところでコーヒーカップをソーサーの上に戻して言った。
静かな部屋に、陶器がぶつかる音が響く。
トゥオマスのコメントに、ヘンドリックとシルヴァンの二人が無言で頷く。
「この侵入者と守備者については様々なケースが想定され、議論されているが、私としては侵入者がファラゾアの増援艦隊、守備者が我々がまだ存在を認識していない第三勢力であるという可能性が一番高いと思っているよ。」
GDDDSという高精度重力波探知機による全天警戒網が設置された後に判明した事であるが、地球人類が棲息するこのソル太陽系は、繰り返し地球外生命体の侵入を受けていた。
勿論その侵入を阻止する力など持たない地球人類であったが、侵入者と守備者の攻防を傍から眺めているだけであっても、地球人類が知る事もない遠い宇宙で異星人間の戦いが行われており、そこに地球人類も巻き込まれつつあるのだという、地球人類を取り巻く環境の一端を知る事が出来た。
単純に考えれば、今現在太陽系内を我が物顔で闊歩し地球を侵略しているファラゾアが守備者、その状況の何かが気に入らず脇から手を出してきている第三の勢力が侵入者である、と解釈するのが普通であり、実際に情報局や軍部、学者達の意見のかなり大きな割合を占めていた。
それに反して今トゥオマスが語ったように、侵入者こそがファラゾアの増援艦隊であり、守備者はソル太陽系に対するこれ以上のファラゾア増援を阻もうとする第三勢力であるという考え方もまた、無視できないほどの割合を占めている。
前者の場合は、現在三千隻近いファラゾア艦隊が太陽系内に存在するという事となり、これに打ち勝ち追い払わねば生存できない地球人類の未来はほぼ絶望的な状況にあると云って良かった。
後者の場合、目下の敵であるファラゾアの脅威度は低下するものの、何を目的としていつから太陽系に居るのか、その総数さえ不明な第三の勢力という極めて不確定な要素が発生し、これもまた人類の未来を予想の付かないものとしていた。
その他にも様々なケースが考えられて報告されており、いずれの推測に対しても決定的な証拠が無い為に、終わりの無い議論が展開されている現状であった。
「先ほどの逆だがね。太陽系から出て行った船は何隻ある? 特にその中で太陽系内部にいた船が、太陽系の外に移動する、或いは太陽系の中からワープした船の数だが。」
「・・・ゼロだよ。知っているだろう? さっきの話に出てきた『侵入者』が撤退して太陽系から離れていったのを除くと、一隻の船も太陽系を出ていない。」
GDDDSは、太陽系の内部をファラゾア艦が移動する時に放出する重力波を探知する事が出来る。
シルヴァンの答を聞いて、トゥオマスは我が意を得たりとばかりに得意げな笑みを浮かべた。
「私が注目しているのは、そこだよ。
「ファラゾアは、どこか宇宙の彼方で大規模な戦闘を行っている。ファラゾアが、彼等の戦闘機械を動かすCLPUを得るために、地球人を生体脳の供給源として収穫作業を行っているこのソル太陽系にまでその戦争の余波が及ぶほどに、ね。
「彼等は既に数十億という地球人の脳を手に入れている筈だよ。クローンでコピーしたならば、さらにその数倍の数を持っているだろうね。だが、それらが太陽系から搬出された形跡はない。なぜだろうね?」
トゥオマスはまるで二人の顔を見比べるかのように、ヘンドリックとシルヴァンの顔を交互に見た。
二人とも軽く手を挙げ、肩を竦める。
トゥオマスがどの様な答えを期待しているかなど、分かりはしない。
大学教授であり人気SF作家でもあるという一風変わった経歴を持つトゥオマスは、各国政府官吏からヨーロッパ連合へと出向し、その後はずっと情報分析センターに所属している二人とは、色々な点で異なるものの考え方をする。
そういう意味では、彼等では出来ない発想を基に、色々な切り口から事象を眺めてみるという、まさに要求されたとおりの仕事をこなしているトゥオマスではあるのだが、彼が求めている回答とは異なる答えを二人が口にした時、いつも嫌味な口調でそれを指摘される事に辟易していた。
得意満面な口調でトゥオマスが喋り続けている間は、下手に口を挟まない方が精神衛生上得策であると、二人共がよく理解していた。
「一つには、ファラゾアが転送ゲートのような物を持っていて、それを使って物資を太陽系外に搬出しているという可能性がある。もしそうならば、これから述べる私の仮説は根底からひっくり返されるのだがね。しかし連中がその様な物を持っている可能性は低いと考えているよ。」
そう言ってトゥオマスは再び二人の顔を交互に眺めた。
「侵入側と守備側、どちらがファラゾアで第三勢力であろうと構わない。連中はなぜ毎度毎度太陽系外縁で戦闘を行っている? 例えば木星軌道や地球軌道にいきなりワープアウトせずに、なぜいつも几帳面に太陽系外縁にワープアウトしてくる? 地球人類が宇宙艦隊を有していて、太陽系内で彼等を待ち伏せているという訳でも無いのに。そして守備側は必ず太陽系外縁で息を潜めて敵を待ち伏せていて、なぜ太陽系内部に入り込んでこない? ファラゾアはなぜ折角収穫した地球人類の脳ミソを満載して太陽系から出荷しない? 連中の目的は、収穫した地球人の脳ミソを遙か銀河の彼方で行っている戦場に兵器として投入する事だろう? なぜそうしない? なぜだ? 分かるかね?」
分かる訳ないだろう、と二人とも心の中で呟いた。
「彼等の超光速航行技術は空間の歪みの影響を強く受けるため、多分太陽系の最外縁、太陽からの引力の影響が小さくなったところでしか使えないのだよ。
「彼等がワープアウト、或いはワープインする時に、必ず空間構造の震動が発生して、われらがGDDDSに検知される。即ち、彼等のワープ技術は空間構造をどうにかして、対象物を我々が住んでいるこの四次元連続体から切り離して、異次元だか亜空間だかに遷移させた上で、相対性理論の魔の手が及ばないところで遙か彼方に突き飛ばして居るのだろう。
「知っているかね? 重力とは空間の歪みの事だ。即ち我らが主星太陽の引力圏内では空間が歪んでいるのだ。彼等の超光速航行技術は、空間をどうにかして超光速航行が出来る空間に船を送り出す技術なのだろう。イン側かアウト側、或いはその両方で、空間の歪みが大きい、即ち太陽の引力の強いところでは使えないのだろう。
「だから、侵入者は毎回必ず太陽系外縁にワープアウトしてくる。そして侵入者が現れた時、速やかに対応出来る様に守備者は太陽系外縁に待機している。超光速航行を使用してすぐに駆け付けられるように、ね。」
得意げな笑みを口許に浮かべ、しかし眼差しには一切の遊びを感じさせる事無く、トゥオマスは再び二人を見た。
そして二人が何か反応する前にそのまま続ける。
「ファラゾアが転送ゲートのような物をもし持っていたとしても、それは多分超光速航行と似たような技術を使っている筈だよ。なぜなら、もし空間の歪みが大きな場所でも使用できるような転送ゲートであれば、火星軌道でも地球軌道でも好きなところに巨大なゲートを設置して、所詮は軍事物資、或いは工業用資源の一つでしかないくせに生意気にも抵抗してきて取り扱いが面倒な、地球という星に住む原住生物、即ち我々地球人類を叩き潰すための大艦隊を本国から直接呼び込もうとするはずだからね。
「そしてその様なゲートがあるならば、ゲートのパワーをOn/Offした時、或いは物質がゲートを抜ける時、GDDDSが空間振動を検知するはずだ。しかし太陽系外縁以外でその様な空間振動による重力波の発生が検知された事は無い。
「依って以上の事から、超光速航行へのイン・アウトは太陽による引力の影響を受けて太陽系内部では出来ない様だ、という事と、少なくとも現時点では、太陽系内に転送ゲートのようなものは設置されていない様だ、という事が推察できる。
「勿論、この考察が正しいと決めつけて今後の予定を立てるのは危険だ。状況証拠から考察しただけだし、そもそもただ単に今ここに投入されていないだけで、恒星の引力圏から物体を超光速で送ったり受けたりする技術自体は既に彼等の手にあり、いつでも好きなときに投入できるのかも知れないからね。」
トゥオマスは頭の中にあった考察を、少々出来の悪い生徒二人に対して説明しきったという風に満足そうな笑みを浮かべて、冷め切ったコーヒーの残るコーヒーカップを持ち上げた。
「・・・ちょっと待ってくれ。今の君の話には穴があるぞ。太陽の引力で空間に歪みがあってワープできないなら、人工重力で太陽の引力を打ち消してしまえば良いんじゃ無いのか? 我々の戦闘機も人工重力で地球の引力を打ち消して飛んでいるのだろう? 同じ事じゃ無いのか?」
眉間に皺を寄せて何事かを考えていたヘンドリックが、難しい表情はそのままに、トゥオマスと視線を合わせて言った。
そのヘンドリックの反論を聞いたトゥオマスの顔が笑顔に変わる。
「素晴らしい。その通りだよ。太陽の引力によって生じる重力の傾斜、或いは空間の歪みは、AGGを用いてゼロに打ち消す事が出来る。
「だが、彼等はそれを行っていない。超光速航行が出来る宇宙船が、重力推進を持っているのだ。今君が言ったとおりの事は、間違いなく彼等だって試してみたはずだ。しかし思った通りの結果を得られなかったのだろうね。だから彼等は今それを使っていないのだろう。」
「それでは理屈に合わないじゃないか。」
「そんな事は無いさ。『理屈に合わない』と思っているのは、超光速航行技術を持たない、その理論さえ確立していない、地球という星の外へ満足に出て行く事さえ出来ない未開の原住生物である我々がそう思っているだけだよ。超光速航行については今の我々は知らない事ばかりなのだ。我々には想像も付かないような致命的な問題があって、人工重力による空間の歪みの補正では超光速航行は有効に機能しないのだろう。そう考える方が無理が無い。違うかね?」
「・・・成る程。確かにその通りだ。分かった。」
ヘンドリックのその答えに、満足したように笑顔で頷くと、トゥオマスは手に持っていたコーヒーカップの残りを一気に口の中に流し込み、空になったカップをソーサーの上に置いた。
「さて、そこでチャーリーの話だがね。」
空のカップが置かれたソーサーを持ちソファから立ち上がったトゥオマスが、壁際のサイドボードの上に載ったコーヒーサーバに向かって歩きながら言った。
「地球人CLPUを使ったファラゾア戦闘機の話だろ? そろそろ話題を戻さないか?」
トゥオマス同様、冷めたコーヒーを飲み干して、おかわりを注ぐためにソファから立ち上がりながらシルヴァンが言った。
立ち上がるついでにヘンドリックのカップを手に取り、両手にカップを持っている。
ヘンドリックは片手を軽く上げて、何も言わないまでもおかわりを注いでくれようとしているシルヴァンに感謝の意を示した。
「戻す? 何を言っているのだね、君は。全て繋がっているのだよ。大前提の話として状況を整理していたのだろう? 状況証拠が出揃って、ここから本題に入れるのだよ。」
コーヒーサーバーの上面にある、手動でコーヒーを注ぐための大きな押しボタンを右手の人差し指でコツコツと叩きながら、トゥオマスは言った。
説教臭いトゥオマスの長話はまだ続くのかと、シルヴァンは思わず天井を見上げた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
倉庫での三人の会話が長々と続いていますが、あと一話このままの予定です。