26. シェイクハンドプロトコル
■ 9.26.1
13 January 2052, Transport fluvial et aerien sur le Rhin, Strasbourg, France
A.D.2052年01月13日、フランス、ストラスブール、ライン河川航空運送
「全く理解に苦しむ話だよ。そう思わんかね?」
いつもの場所いつもの面子が集まり、トゥオマスが憤慨しているところまでいつもと同じ。
即ち、ストラスブール市内のライン河畔にある倉庫エリア、ライン河川航空運送という名前を掲げた少し古びた倉庫の地下遙か深くに設けられた地球連邦政府総務省情報分析センターファラゾア情報局(D-Ph: Department of PHARAZORE related things, Inteligence Analysis and Reporting Center, Ministry of General Administraton, United Nations of TERRA government)、即ち通称「倉庫」のトップ、情報局長であるヘンドリック・ケッセルリングのオフィスであり、そこに集まっているのは勿論部屋の主であるヘンドリック・ケッセルリング局長、シルヴァン・ボルテール副局長、そして先ほどから憤懣やるかたなしと云った風に喋っているのが、トゥオマス・コルテスマキ技術顧問である。
もっとも、トゥオマスが何かに憤慨して延々とその不満を言い募り、この組織のトップである筈の二人がかなりウンザリした顔でそれを聞かされ続けるというところまでが、いつもの光景なのであるが。
ただ、今日は少し趣向が異なるようであった。
「彼等の言わんとするところも、分からんではない。信頼性の高い『枯れた』技術が使いたい、というのだろう?」
身振りも大きく不満をぶちまけるトゥオマスに、ヘンドリックが応える。
そのトゥオマスは、茶色みがかったグレイの目でヘンドリックの顔をジロリと見て、フンと鼻息を吐いた。
「枯れた技術・・・枯れた技術ね。実際のところ核融合プラズマジェット(P-Jet: Thermo Nuclear Fusion Plasma Jet)は、核融合炉が実用化されたから使用可能となった技術だよ。電磁レールガンも、核融合炉からの豊富な電力供給があってこそまともに使えるようになった技術だ。重力推進も、それらに僅かに遅れたとは言え、背景と実用投入時期は似たようなものだ。レーザー砲自体も、ね。枯れた技術と言っても、遙か昔から研究していたというだけの話で、実際に実戦に投入された時期はさほど変わらんよ。
「枯れた技術と言えるのは、レールガンの機構の内で実体弾を飛ばすという点だけだ。意味が無い。宇宙空間で秒速5km程度の弾丸を撃ち出して、敵に届くと思っているのかね。 発想が第二次世界大戦の大艦巨砲主義になっていないかね? 宇宙は広いんだ。適当に撃っていればその内確率で当たっていた10インチ砲の時代とは違うのだよ。そんな亀のようにのんびり飛んでいく弾丸が、敵に当たる訳がないだろう。敵に到達する前に、弾速が秒速30万kmのレーザー砲で撃ち墜とされて終わりだ。いやむしろ、避けられるか、或いは加速されて逃げ切られて終わりか。」
ちなみに今トゥオマスは、「銀の弓(Silver Bow)」と名付けられた計画の中で開発されている、近距離宇宙戦闘機の武装について話をしている。
「銀の弓」計画で開発されている宇宙戦闘機は、近い将来にプロジェクト「ギガントマキア」第二段階の「アルテミスの庭」計画の中で、地球周辺宙域での戦闘に利用されるものだ。
トゥオマスはその戦闘機の武装として、新たに開発された大口径X線レーザーを搭載すべきだと主張し、それに対して技術者達が、物理的インパクトのある電磁レールガンと既存の赤外線レーザーを併用すべきだと主張して、意見がぶつかっていた。
トゥオマスの主張は、X線を吸収する地球大気という阻害物質がない宇宙空間であれば、エネルギー量が高く、僅かではあるが貫通力に優れるX線レーザーの方が有利であると考えたためである。
空力戦闘機よりは機体スペースの制限が緩い宇宙戦闘機であれば、大容量の核融合炉を搭載し、その潤沢な電力を用いた大口径X線レーザーの運用が無理なく出来るのだ。
一方、兵器開発を行っている技術者達は、地球から遠く離れた戦場での兵器の信頼性を重視し、既存の赤外線レーザーを搭載すべきと主張した。
併せて、物理的破壊力の無いレーザー砲を補うために、実弾体を飛ばすレールガンを併用すべきだと言った。
彼等の言いたい事は理解出来たが、弾速という意味に於いて宇宙空間で宇宙船という移動目標に対してレールガンを使用するのは非現実的な話だとトゥオマスは思った。
数千km、数万kmにも及ぶであろう戦闘空間に於いて、芥子粒のように小さな宇宙船に、秒速数kmというゆっくりした速度で飛ぶさらに小さな砲弾を命中させるなど、至難の業を遙かに通り越して奇跡と言っても良い。
あり得ない選択だと思っていた。
推進装置についても、重力推進一本に絞るべきだと主張するトゥオマスと、重力推進の他に核融合プラズマジェット推進器も持たせるべきだと主張する技術者達との間で対立が発生していた。
トゥオマスに言わせれば、たいした加速力も得られない割に燃料を垂れ流しながら推進するようなプラズマジェット推進の使用など愚の骨頂であり、宇宙空間での推進力は全て重力推進へと転換すべきなのだった。
しかしここでも技術者達は、バックアップとしてのプラズマジェット推進の搭載を主張した。
曰く、重力推進のみだと、戦闘による損傷や故障によって重力推進に不具合が発生した場合、地球に帰還できなくなる、と。
遭難機の救助などまず見込めない宇宙空間で、推進器の不調でパイロットを失うのは余りに惜しい、バックアップの推進装置を備えるべきだ、というのが彼等の主張だった。
こちらも彼等の言いたい事は理解できるが、しかし実際問題として一瞬で秒速数百km/sの加速が出来る重力推進によって機体が得た対地球相対速度を、プラズマジェット推進でちまちまと減速し、地球に向けて帰還する速度を得るのは余りに時間がかかりすぎる。
燃料を噴射して推力を得るプラズマジェット推進では、それ程長時間燃料は保たないであろうし、何よりもプラズマジェットが発する眩い光は宇宙空間でよく目立つため、一瞬のうちに敵に発見されてしまい撃破されるであろう事は想像に難くなかった。
「宇宙空間は重い物でも問題なく飛ばせるんだろう? じゃ、両方載せときゃ良いじゃねえか。」
トゥオマスが次から次へと吐き出す、いわば愚痴に対して、もうウンザリという顔をしたシルヴァンが放り投げるような口調で言った。
ファラゾア情報局は、ファラゾアの動向について情報を収集し分析するところであって、対ファラゾア兵器の性能について議論する場所では無いのだ。
無関係、と言うつもりは無かったが、その手の議論はより適切な場所と状況で行ってもらいたい、というのがシルヴァンの本音であった。
その投げやりな発言を聞いたトゥオマスがジロリとシルヴァンを睨む。
「君は自分には関係ない話だと思っているだろう? そう顔に書いてあるよ。とんでもない話だ。全人類の命運を賭けた戦いの話だよ、これは。皆が我が事として真剣に考えるべきだし、有用でさえあれば誰がどのようなアイデアを出しても良いんだ。
「ちなみにだがね。いかに宇宙空間であろうと、重力推進であろうと、ゴテゴテと余計な装備を増加させるのは感心しないな。重量増加は重心の偏重や重量の分散を招く元であり、例え重力推進であっても潮汐力の増加や運動性の低下を招く恐れがある。航空機ほどにシビアではないが、宙航機も際限の無い重量増加は慎まねばならないのだよ。」
トゥオマスの指摘にシルヴァンは勘弁してくれという顔で天井を見上げ、そしてその視線をそのままヘンドリックに向けた。
その視線を受け止めたヘンドリックは、一瞬目を閉じて息を吐いてから、再び目を開けるとトゥオマスに向けて口を開いた。
「トゥオマス。君が言いたいことは理解した。だがまずは我々でなければできないことを片付けよう。」
そう言ってヘンドリックはいったん言葉を切った。
シルヴァンを睨んでいたトゥオマスの視線がヘンドリックに向いた。
話を途中で断ち切られたトゥオマスは、いかにもそれが不満であるという表情を浮かべていた。
その表情に気付かないふりをしてヘンドリックは続けた。
「我らが親愛なるチャーリーの件だ。君が送ってくれたメッセージは読んだ。だが、今ひとつ理解できなかった。もう一度説明してもらえないか? 連中に埋め込まれた生体プロセサの親和性の話だ。君の考えは我々には無い独自のものの様だ。理解しておきたい。」
ファラゾア情報局内には、外部との接点が殆ど無い半閉鎖的なネットワークが存在する。
膨大な量のファラゾア関連情報を扱うには紙の書類だけでは余りに不便すぎるため、電子的なネットワークを構築する必要があった為である。
ファラゾア情報局は、隠れ蓑にしている民間企業「ライン河川航空運送」倉庫の地下50m以深に設けられた地下施設だ。
エレベータシャフトなどには何重もの物理的電磁的侵入対策がなされており、例えファラゾアの電子的攻撃機でも、ファラゾア情報局内部に張られた閉鎖的なネットワークにまで到達する事は出来ない。
地球人類の遙か先を行く科学技術を持つファラゾアであるので、ナノロボットの類を用いた物理的な侵入も想定されており、換気口にはウィルス以下の大きさの物質さえ通さない100オングストロームレベルの防塵フィルタが設置してある程だ。
限定的である外部との通信、例えば連邦政府或いは連邦軍とのデータのやりとりは、何重にもシールドされた光ケーブルが用いられている。
ファラゾアの電子攻撃機と言えども、厚くカバーされた光ケーブルを走る信号には干渉出来ない事が経験的に知られている。
光ケーブルの中継点には、最前線での使用にさえ耐えるほどのシールドが施された機器が設置されているのだった。
「あれは何も難しい事を言っている訳では無いよ。これまでのチャーリー関連の情報を元に推測しているに過ぎない。ただ、推測に推測を重ねた理屈であるので、決めつけて掛かると危険だと言っているだけさ。もっとも、推測に推測を重ねたという意味では、ファラゾア関連情報はどれも似たようなものではあるがね。」
トゥオマスは表情を和らげて、ヘンドリックの方に向き直った。
気難し屋の変人の追求を逃げられたと、シルヴァンがこっそり溜息を吐く。
「私が気にしているのは二点だ。一つ目は、チャーリー同士での通信に関して。もう一つは、地球人CLPU(生体脳)を使用した戦闘機出現の可能性について、だ。」
「宜しい。まずは彼等同士の通信についてだが。
「確か最近、彼等の拠点を襲撃して何人かサンプルを手に入れていたね? その最新のサンプルでもう一度実験してみると良い。今度は、チャーリー同士での通信手段が見つかるかも知れない。それを発見できれば、彼等の通信プロトコルを見つけ出す事も出来るだろう。そこまで出来れば、チャーリー判別デバイスの開発も難しくは無い筈だ。」
「電磁的な手段でのコミュニケーション判定はもう行った。以前と変わらず、だ。彼等は何も発していないし、どんな波長にも反応しない。」
「電磁的手段に限らず行ったかね? 私が一番疑っているのは嗅覚だが。或いは視覚かも知れない。味覚、という可能性は薄いが、あり得ない話では無いよ。」
「なんだって? 嗅覚?」
「誤解を恐れずに言うなら、フェロモンとか、その様な類だよ。匂いなら風に乗ってそれなりに遠距離まで情報を伝達する事が出来る。」
「いや・・・言いたい事は分かるが、人間の嗅覚では無理だろう? 匂いの違いで細かな情報を伝達できるとはとても思えない。それを人間の鼻が嗅ぎ分けられるとは思えない。」
「何を言っているのだ、君は。人間にそんな事出来る訳がないだろう。幾ら生体プロセサが入っているとは言え、ハードウエアは人間の身体なのだよ。ハードウエア以上の性能が出る訳がないだろう。
「いいかね。例えば、匂いが所謂シェイクハンドプロトコルになっている場合を想定してみれば良い。匂いによって近くに同類がいる事が分かる。接近すれば匂いが強くなって、特定出来る。相手を特定した後であれば、電磁的手段に切り替えれば情報量は膨大に増加する。受け手を特定出来ない間は、無駄に情報を垂れ流す事を防ぐために電磁的手段は一切用いない、とかね。」
「・・・あり得ない話では無い。なるほど。それなら、いきなり電磁波を浴びせても一切の反応が無い事も説明できる。可能性としては否定できないな。シルヴァン、後でブラウンシュヴァイクに連絡しておいてくれるか。シェイクハンドプロトコルは五感を使った別の手段である可能性あり、だ。」
「諒解。」
先ほどまでのウンザリとした表情はどこへやら、シルヴァンが面白そうに口許を歪めながら右手を挙げた。
「さて、もう一つは何だったかな。ああ、地球人CLPUを用いたファラゾア戦闘機だったかね。これは今のチャーリーの話にも関係してくるのだがね。
「・・・ところで、コーヒーか何か、飲むものは無いかね? 少々喉が渇いてしまってね。飲み物を手元に置いて、もう少し落ち着いて話そうじゃないか。」
「長くなる話か?」
「或いは、ね。」
ヘンドリックの視線を受けたシルヴァンは、軽く肩を竦めるとソファから腰を上げ、サイドボードの上に常に用意してあるコーヒーサーバに向けて歩いていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
少し前にPVが百万を超えました。大変嬉しい事です。
拙作にお付き合い戴いている皆様のおかげです。ありがとうございます。
ただ、予告通り(?)GWの投稿がガタガタになっています。申し訳ありません。
「倉庫」での密談、もう少し続きます。