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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第二章 絶望と希望
24/405

10. 大規模飽和集中攻撃


■ 2.10.1

 

 

 死に追い付かれる恐怖で、まるで心臓をかきむしられ握り潰される様だ。

 全身は汗だくで、これ以上水分を失うと脱水症状でも起こすのではないかと思えるほどだが、恐怖に支配された身体は汗をかくのを止めることはない。

 操縦桿とスロットルを握る掌は汗でべったりと濡れてぬるついており、激しい操作にいつ手を滑らせるかとも分からないほどだった。

 自分が恐慌状態に陥っているのが自覚できる。

 見えない敵から必死で逃げて、そして後ろから撃たれ続け、死と生が運と偶然だけで決まる様なこの状況では、その恐慌状態を抑える事も出来ようはずがなかった。

 

 500mという低空で逃げ回っている事がその恐怖に拍車を掛ける。

 F22やF15の様な大パワーを持つ機体であれば、速度を失うことなく急上昇することも可能だろう。

 しかしF5Eの非力なエンジンでは急上昇は速度を失うことを意味しており、速度を失うことは機動力を失う事と同義だ。

 

 通常であれば、急降下して速度と機動力を稼ぎつつ機体を上下左右に振って回避行動を行うのだが、現在の高度500mで降下という選択肢は無い。

 左右に旋回するだけでも速度は落ちる。増速するための降下は出来ない。ましてや上昇はあり得ない。

 従来であれば取れるはずの有利な行動が制限されていることで、余計に焦りと恐怖を生む。

 

 それでも、敵の攻撃を避けるためのジグザグ運動がパターン化しない様にランダムに動けているのは、これまで同じ様な事態に陥った事が何度もあるので、心を恐怖で鷲掴みにされつつも僅かに残った冷静な思考が警告を発し続けているからだった。

 

「・・・もう、大丈夫・・・だろう。」

 

 1分が1時間にも感じられる様な遅い流れの時間の中で散々逃げ回り、実時間で数分後、国境線からブラジル国内に向けて100kmほど逃げ込んだところでマテウスは言った。

 レシーバから、部下達の荒い息づかいが聞こえる。

 半世紀以上も前に開発された機体とは言えども、腐ってもジェット戦闘機だ。

 アフターバーナーを全開にして激しくランダム機動すれば、瞬間的に掛かるGは10Gを簡単に越える。

 

 しかし敵が撃ってくるのは光の速さで着弾するレーザー砲だ。

 たかだか音速の数倍しか出ない機関砲弾やミサイルとは違う。

 内臓が引き千切られんばかりに、血液が身体の上か下に偏り気を失いそうなほどの急激な機動を繰り返すことでやっと逃げられる。

 のんびり水平飛行などしていたら、一瞬で血祭りに上げられる。

 そうやって墜とされていった機体を幾つも見てきた。

 そもそもが、機関砲やミサイルと違ってレーザーは弾体が見えるわけでは無い。

 敵がどこを狙っているかさえ分からない中を、運と勘と偶然に頼って逃げ回るのだ。

 神経が削られることこの上なかった。

 

「ダリオ、ミラン、無事か?」

 

「無事です。損害無し。」

 

「問題ありません。」

 

 ほっと安堵の溜息を吐き左右を見回して、あれだけの機動の後でも八時と四時の方向にぴたりと追随する僚機を見る。

 部下ながら、腕の良いパイロット達だった。

 尤も、腕が良くなければこんなヴィンテージものの戦闘機を駆って今まで生き残ることなど出来なかっただろうし、逆にそんなポンコツ戦闘機を飛ばして今まで死線を掻い潜ってきたのだから嫌でも腕は磨き上げられる。

 

 敵の追撃を振り切れたなら少し落ち着くのを待って元の巡回コースに戻るべきだなと思いつつ、遙か彼方にファラゾアの降下地点がある右後方を見る。

 勿論ファラゾアの地上施設など見えるわけは無い。

 敵の本拠地がそちらにあれば、気になるのは当然だった。

 

「・・・なんだあれは。」

 

 渡り鳥の大群? バッタかイナゴの異常発生? 或いは竜巻で巻き上げられた砂塵?

 

 そんなわけは無かった。

 渡り鳥やバッタが高度10000mの高空を飛ぶわけは無い。竜巻で巻き上げられた砂の粒が100kmの彼方から見えるはずも無い。

 

「・・・隊長、あれは・・・まさかファラゾアの戦闘機・・・ですか? まさか?」

 

「・・・そんな。ウソだろ? ええ?」

 

 二人もそれに気付いたようだった。

 

 彼らから見て左後方、五時の方向、遙か彼方の空に薄黒い雲が湧いていた。

 しかしそれは明らかに雲では無かった。

 彼らパイロットの眼には、その薄黒い雲がごく小さな粒子から構成されているのがどうにか判別できる。

 100kmも離れた場所からどうにか認識できる大きさの粒子で構成された黒雲。

 真昼のギラ付く陽光を受けて、その小さな粒子が時折光っているのが分かる。

 

 千機などという数では無かった。数千、或いは万を超える数のファラゾア戦闘機で構成された黒い雲だった。

 この位置から見えると言うことは、そのファラゾア大編隊は100km程度の距離、即ちボリビアとの国境辺りに存在していると考えられた。

 つまり、グラン・チャコ・カア・イアを出た敵の大編隊は、ブラジル国内に向かい、ちょうど今国境を越えた辺りと云う事だった。

 

 この距離では無線は届かない。

 無理に届かせようとして発信を繰り返せば、敵に目を付けられて落とされるだけだ。

 あれだけの編隊からの集中攻撃など、どうやっても躱せる筈は無かった。

 全速で帰投し、無線が届く距離になったところで火急を告げるしか無い。

 燃料計を見る。十分だ。行ける。

 

 マテウスは機首を基地に向け、僚機が追随しているのをバックミラーで確認するとおもむろにスロットルを最大に開けた。

 アフターバーナーが点火し、背中からシートに押しつけられる加速。

 音速を超え、空気を伝わるエンジン音が聞こえなくなる。

 機体を伝わって聞こえるのは、甲高いタービンの回転音とチャンバー内で爆発する燃料の轟音。

 マッハ計がじりじりと上がっていく。M1.2を越えた辺りで上がりが鈍くなり、針が殆ど動かなくなる。

 高度1000mでは空気が濃すぎて空気抵抗が大きく、この非力なエンジンではこれ以上の速度を出すことが出来ないのだった。

 それでも秒速400m。10分ほどで通信可能範囲に到達するはずだった。

 

 僅かでも出力が上がれとばかりに、スロットルを力一杯押し込み続ける。

 上昇気流が複雑に絡み合っている低空の濃密な空気の中で音速を超え、激しく振動する機体を操縦桿の微妙な操作で押さえ付ける。

 地表が近い。色紙を四角く貼り付けたような農園や、もこもことした絨毯のような緑の森が、足下を凄まじい勢いで後ろに飛んでいく。

 左右を見回せば、超音速(ソニック)衝撃波(・ブーム)コーンを避け少し距離を取って両脇に部下達のF5EMが並行して飛んでいる。

 

 焦り怯える様に右後方を確認する。

 薄黒い雲は、眼に見えて先ほどよりも近づいて来ていた。

 雲を構成している粒が、明らかに白銀色の小型の飛行機械である事が分かるほどだ。

 こちらはM1.2を出すのがせいぜい。

 それに対してファラゾア戦闘機は、M5.0から8.0でクルーズ、瞬間的であれば高度10000mでM20ほども出す事が出来ると聞いている。

 この大規模襲撃を知らせることが出来るのは、良くて襲撃の直前、或いは間に合わないかも知れなかった。

 ファラゾアがこちらに気付いていないなどという事は無い。

 無線の到達距離に辿り着く前に撃ち落とされる事もありうる。

 

 ・・・それがどうした。そんな事は分かっている。

 万を超える大軍が空を埋め尽くそうと、敵の飛行速度がこちらの何倍あろうと、ただの気まぐれで生かされているだけで、奴等がその気になった瞬間に殺されるのであろうと、例え知らせを届けるのが襲撃の直前であろうと。

 あの大軍を見て何もしないというのはあり得なかった。

 そこに僅かな可能性でも残っているならば、その僅かな可能性を掴み取るために死ぬまで足掻き続ける。

 そうでなければ、その僅かな可能性すら取り逃がしてしまう。

 

「がっ!! クソッタレ! やられた! 制御不能、イジェクト! イジェ・・・」

 

「ダリオ!!」

 

 右を飛んでいたF5EMが殴り飛ばされた様に突然高度を下げ、錐揉みを始めた。

 そのまま放物線を描いて地上に向けて落ちていく途中で火を噴き、機体が炎に包まれる。

 キャノピーが吹き飛び、化学ロケットの噴射炎を引いて座席が射出されるのと、炎に包まれた機体が爆発して半ばからへし折れるのはほぼ同時だった。

 

 ダリオの射出(イジェクシ)座席(ョンシート)は、運良く機体が上を向いていたときに射出された様だったが、直後の爆発の炎に一瞬巻き込まれた様に見えた。

 爆発の破片に撃ち抜かれたりしてなければ良いが。

 

 僚機がやられたことで、死の恐怖がより一層強まる。

 まるで死神の掌で心臓を掴まれ引き抜かれるかの様な恐怖が襲う。

 しかしそれと同時に、長く共に飛んできた仲間を墜とされた怒りが湧く。

 何が何でも絶対に辿り着いてやる。

 マテウスは、速度が大きく落ちない程度にランダムな起動を始める。

 既に、あの雲の様なファラゾアの大軍から狙われているのは明らかだ。

 ミランがそれに追随する。

 

 後ろを振り返る。

 ファラゾア機で出来た雲はさらに近づいて来て、まるでマテウス達を飲み込もうとするかの様に空に大きく広がって行く。

 今ではもう、明らかにその雲を構成するのがファラゾア戦闘機であると判るほど、敵機の一つ一つが区別できる。

 

「CGRコントロール、こちらラガルト01。聞こえるか。」

 

「・・・・・」

 

「CGRコントロール、ラガルト01。聞こえるか。」

 

「・・・・・」

 

「CGR、聞こえるか?」

 

「・・・・・」

 

 マテウスの呼びかけに答えるのは、ザリザリと耳障りなバラージジャミングのノイズだけ。

 

「うお!?」

 

 左側の森が、まるで突然火山を生み出して噴火したかの様に爆発した。

 何本ものレーザーがまとまって攻撃してきたか。

 

「隊長、ミサイルです。」

 

 右後ろを見る。

 既に空の何分の一かを覆うほどに膨れあがった黒雲の中に、数え切れない程の白い小さな点が動いているのが見える。

 ファラゾアのミサイルは、地球の空対空ミサイルに較べて小さい。

 小さいが、核爆発並みの爆発力がある。

 そしてそのミサイルに半ば包囲されつつあった。

 

「引きつけます。ここは俺に任せて、行って下さい。」

 

「ミラン!」

 

「なに、すぐに追い付きますよ。」

 

 右を向いたマテウスの眼に、ミランがキャノピーの中で左手を使って敬礼するのが見えた。

 ミラン機がズーム上昇していく。

 思わずそれを眼で追うマテウス。

 バーナー全開のズーム上昇から大径のインメルマンターン。

 明らかに囮になろうとする動き。

 ミラン機は視野から後方に消えた。

 

「クソッタレ! おいCGRコントロール! 聞こえねえのか!?」

 

「こ・・C・R・・トロー・・・聞・・・・か?」

 

 ノイズに混ざって僅かに人の声が聞こえた。

 

 眼の前を白銀色の物体が横切る。

 地上に、直径100mはあろうかという巨大な火球が幾つも発生する。

 M10近く出るファラゾアのミサイルは、こちらに来るのが見えたと思った時にはもう着弾している。

 狂った様に機体を操り、眼に見えた銀色の点が横向きに次々と通り過ぎるのを避ける。

 救いは、ファラゾアのミサイルは追尾性が甘い事と、速度が出すぎていること。

 一度通り過ぎたミサイルが戻ってくることはまず無い。

 速度が出過ぎているので、戻ってこようとしてもそのまま地上に突っ込む。

 

 地上に数え切れない程の火球が咲き、大量の土砂や樹木を吹き飛ばす。

 その衝撃波が機体を震わせる。

 ミサイルを避けるための機動で、頭に血が集まり、逆に血が無くなるのを歯を食いしばって耐える。

 古い機体が連続する急な機動に軋みを上げる。

 

 突然操縦桿を持っていかれる感覚があり、爆発音と振動が機体を伝わった。

 見ると、左翼端と翼端パイロンが消えている。

 ミサイルに気を取られていたが、レーザーでの攻撃も続いているらしい。

 安定を失い、ロールを始めようとする機体を無理に押さえ付ける。

 この程度の損傷なら、まだ飛べるはずだ。

 

「CGRコントロール! 聞こえるか! こちらラガルト01!」

 

「こち・・CGRコン・・ロール。聞・・える。ノイ・・酷い・・。どう・・た?」

 

 カンポ・グランデまであと150km。地上からではまだ見えないかも知れない。

 

「ボリビア方面から多数のファラゾア機がそっちに向けて侵攻中だ! 数千機、いや、一万機居るかも知れない! あと1~2分で到達する!」

 

 外したマスクを口元に持って来て怒鳴る様に言った。

 そう言っている間もまるで獲物に後ろから襲いかかる巨大な毒蜘蛛の様に、ファラゾア機の雲はマテウスの頭上、空一杯に広がっていく。

 

「大・・・ァラゾア? 一万と言っ・・・ ちょ・・待て。何だ・れは? ・・黒い雲が全・・ァラゾアだって?」

 

 時間を追うに連れて基地の管制官の声が聞こえる様になっているが、まだノイズ混じりだ。しかしそれでも何を言っているかは分かる。

 どうやら大量のファラゾア戦闘機によって作られた、薄黒く見える雲の様な塊はカンポ・グランデ基地からも見えた様だ。

 

「何でも良い、早く対応しろ! 奴等全速なら二分もかからないぞ!」

 

 返答は聞こえなかった。

 だが、時間が無いことは当然連中にも分かっただろう。

 あとはどうにか連中が対応してくれることを祈るばかりだが。

 

 ・・・絶望的である事は判っている。

 たった二分で何が出来るというのか。

 スクランブル待機しているミラージュでさえ、上がるどころか、何も対応出来ないだろう。

 対空陣地に置かれた機関砲でさえ起動できるかどうか怪しい。

 それでもこのたった二分を稼いだことで何かが変われば。

 所詮は旧式のF5EMに乗った自分がたった一機増えるだけで、もし何か状況が変わることがあるならば。

 既に絶望を通り過ぎ、しかし強い衝動に突き動かされて、マテウスは歯を食いしばり、カンポ・グランデに向けて飛び続ける。

 

 その頃、カンポ・グランデ空軍基地は、まさに蜂の巣をつついた様な大騒ぎになっていた。

 サイレンが大音量で鳴り響き、整備兵やパイロット達が走り回る。

 軍用車がタイヤを鳴らして走り、エプロンに並んだ戦闘機をどうにかしようと何人もの兵士が取り付く。

 タイヤを軋ませて駐まった車の荷台から、装備を身につけヘルメットを抱えたパイロットが何人も飛び降りて、各々の機体に向けて全力で走る。

 ラダーを駆け上るのももどかしくコクピットに飛び込み、空を見上げたパイロットが動きを止めた。

 

「なんだ、こりゃ・・・有り得ねえよ・・・マジかよ。どうすりゃ良いんだよ・・・」

 

 まだ若いそのパイロットが見上げた先には、青いはずの空が1/3程も薄黒い雲に覆われた光景が広がっていた。

 その雲は地平線から立ちのぼり、まさに彼等の頭上を覆い尽くさんと今も蠢き頭上に広がりつつあった。

 パイロットの彼の眼には、頭上に広がる黒い雲が全て数え切れない程のファラゾア戦闘機で構成されているのがはっきりと見えていた。

 

「馬鹿野郎! ボーッと突っ立ってんじゃねえ! さっさと支度して上がりやがれこの小僧!」

 

 ラダーの上端に登ってきた中年の整備兵が声の限り叫ぶ。

 しかしその声は、茫然自失としている若いパイロットに届かない。

 この一年で何度も死線をくぐり抜けたとは言え、怒鳴る中年の整備兵に較べてまだまだ人生経験の未熟なその若いパイロットは、眼の前に広がる絶望的なまでに圧倒的な力と、今からほんの僅かな時間の後にその圧倒的な力が自分達に向かって振るわれたときの己の運命を想像して絶望し、思考も身体の動作も完全に固まってしまっていた。

 整備兵は太く浅黒く筋張った右手を伸ばし、パイロットの襟首を掴んでコクピット内に引きずり降ろした。

 

「いいか、小僧、口開けて阿呆面さらして上を見上げてても敵は墜ちちゃくれねえんだ。手前(てめえ)が上がって、手前がその手で墜とさにゃならんのだ。分かってんな?」

 

 整備員はパイロットの身体をシートに叩き付ける様にして座らせた。

 なおも目を見開き空を見上げる若いパイロットの額に、まるでボルトの様な太い人差し指が突き付けられ、そのまま頭をシートに押し付けられた。

 流石にパイロットの視線が戻り、しかしその眼は呆然としたまま整備兵を見た。

 

「手前だけの話じゃねえ。手前のその腕に、この基地にいる全員の命が掛かってるってえ事を忘れんな。聞いてんのか、コラ!」

 

 そう言うや否や、野球のグローブの様なごつい掌が若いパイロットの頬を叩いた。

 まるで今眼が覚めたかの様にその眼に意志の力が戻ったパイロットが、怒りの表情で整備兵を睨む。

 

「クソ、分かってるさ。どけ、キャノピーを閉じる。チェックは終わってるんだろうな?」

 

「舐めんなクソガキ。チェックリストなんざ遠の昔に埋まってる。後は手前が飛ぶだけだ。」

 

「分かった。さっさと降りろ。」

 

 エンジンの回転数が徐々に上がり、唸る様な音が甲高く変わっていく。

 隣の駐機スペースに駐まっていたミラージュが、輪留めを外されて動き始める。

 ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた整備兵が、若いパイロットのヘルメットにまるで節くれ立ったハンマーの様な拳骨をぶつけた。

 

「小僧、死ぬなよ。下から応援してるぜ。力一杯暴れてこい。じゃあな。」

 

 そう言って整備兵はラダーから飛び降りた。

 すぐにラダーが外され、セーフティピンを何本も抱えた兵士が輪留めを外し、駆け足で機体から離れる。

 下がり始めたキャノピーの中から、パイロットが中年の整備兵を見た。

 地上に降りた整備兵は、まるで空母の飛行甲板員の様に姿勢を低くしてしゃがみ込み、右手を大きく振りかぶって真っ直ぐに前に伸ばす。

 エンジン音がひときわ大きくなり、鏃の様な三角翼を取り付けられた全長15mの機体が、弾かれた様に前に出た。

 しゃがみ込む整備兵のすぐ上を、三角形の翼が通り過ぎる。

 

 若いパイロットが乗ったミラージュ2000Cは、エプロンからタクシーウェイに向けて増速し、今まさに緊急で発進しようとしている友軍機達の列の中に加わった。

 4機のミラージュは通常ならば考えられない速度でタクシーウェイを抜け、滑走路(ランウェイ)に出た。

 そのまま止まることなく位置を変え、滑走路の左右に一機ずつ、二列横隊で滑走路に広がり、そしてエンジンの回転数が跳ね上がる爆音が聞こえる。

 

 二機のミラージュが滑走路の上、地面を蹴って加速する。

 機体後部の巨大な噴射口からアフターバーナー特有の煌めきを輝かせ、二機のミラージュは機首を上げ、そのまま空中に躍り出る・・・事が出来なかった。

 

 突然滑走路の最南端のさらに向こう側の緑地帯が膨れあがった。

 猛烈な砂埃と供に、幾つもの爆発が起こり、地面がめくれ上がり、吹き飛んだ。

 その爆発箇所は見る間に滑走路の端にまで到達してきて、滑走路表面を覆っているコンクリートを吹き飛ばした。

 離陸中の二機のミラージュは、エンジン全開のままその炎と土が混ざり合った爆炎の中に突っ込んだ。

 爆炎の向こう側、滑走路の端にその二機の姿が現れなかったことで、その二機が辿った運命は誰にも想像がついた。

 

 地上で起こる爆発は、まるで爆発そのものが疾走しているかの様な速さでさらにその場所を移す。

 滑走路と言わず、その周囲の緑地帯と言わず全ての場所が爆発し、滑走路先端から空港施設に向けて移動する。

 地上に設置されたあらゆる設備、空をも埋め尽くすほどの敵を果敢にも迎え撃たんと構える機銃砲座、逃げ惑う兵士、緊急出動しようと動き始めた戦闘機、燃料タンク、空港施設。

 爆発はそこにあるあらゆるものを飲み込んでいき、吹き飛ばし、磨り潰し、燃やし尽くす。

 

 数分後、大量の黒い煙を上げて燃え盛るカンポ・グランデ空軍基地の上空に、あちこちに破壊孔の空いた満身創痍のF5EMが一機辿り着く。

 そこに彼が降りるべき滑走路は見当たらず、帰るべき空港は存在しなかった。

 空港の周りの市街地は、火災さえも殆ど発生していない。

 まるで、空港の敷地の中だけを綺麗にレーザーでなぞって焼ききったかの様な破壊跡だった。

 

 失った我が家を呆然と見下ろす。

 彼は余りの出来事に、万を超えるファラゾア戦闘機がまだ頭上の空全体を覆う様に存在していることを、ほんの僅かの間意識から消してしまった。

 

 突然、F5EMの機体が火を噴く。

 燃料の殆どを使い切ってしまっていたため、そのF5EMが大きく爆散する様なことは無かったが、しかし半分に千切れた機体は推進力と揚力を失い地表に向けて落下し始めた。

 キャノピーが吹き飛び、射出座席のロケットモータが火を噴き、落下傘が開く。

 落下傘のベルトに吊り下げられた彼は、長く苦楽を共にし、ファラゾアの猛攻をくぐり抜けてここまで彼を運んで来た愛機が、火を噴きながら落下していくのを呆然と見送るばかりだった。

 

 その日、ファラゾアの大規模飽和集中攻撃によりカンポ・グランデ市に発生した被害は、地球側戦闘機の墜落により倒壊したビルディング二棟と、その墜落によって発生した火災一件のみであった。

 同日、南米ボリビアの奥地グラン・チャコ・カア・イアに降下定着したファラゾアの軍勢をよく押さえ戦い続けてきたブラジル空軍は、ファラゾアに対抗する手段を実質的に全て失った。

 


 いつも拙作お読み戴きありがとうございます。


 更新遅くなり申し訳ありませんでした。

 流石に150時間/月のペースで残業すると、執筆の時間が取れませんね。

 今月いっぱい、更新が不安定になるかと思われますが、ご了承願います。


 ファラゾアの飽和攻撃です。これから先、何度も書くことになるかと思います。

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