20. 艦外休憩
■ 9.20.1
01 January 2052, Paific Ocean, near Japan
A.D. 2052年01月01日、太平洋、日本近海
地球連邦海軍(UNTNV)第七潜水機動艦隊所属潜水空母ACSS-041「ジョリー・ロジャー」は珍しく洋上を南に向かって航行していた。
本来であれば、数日後に迫る戦術プロジェクト「ボレロ」の第二段階である「ロシアン・ブルー」作戦に参加するため、太平洋を北上しなければならないのだが、一つには欺瞞行動のためと、そのついでに艦内に長く閉じ込められている事で乗員や艦載機パイロット達に溜まる精神的なストレスをいくらかでも解消するため、その巨体を洋上に晒して本来進むべき方向とは全く逆の方角に進路を取っているのだった。
全長400m近い巨大な艦船が、他に島影も無い大海原を海上航行していれば非常に目立つ。
ジョリー・ロジャー自身の索敵班も当然であるが、同航しているトニェツ級潜水ピケット艦八番艦である「ヤスノヴィーディニェ」がGDDによって上空監視を行い、敵艦による宇宙空間からの大口径レーザーでの狙撃を警戒している。
全長3000mもあるファラゾアの巨大戦艦が装備する大口径のレーザー砲が、どれ程の射程を持っているのか正確には誰も知りはしなかった。
従来軌道上に現れたファラゾア戦艦を地上、或いは軌道監視艇(OSV)から光学的に観察したところでは、最大で口径2000mm近いレーザー砲口と思しき開口部が多数観察されていた。
また、桜花ミサイルで撃沈され地上に落下したファラゾア戦艦の残骸から回収されたレーザー砲ユニットも、現在までの所口径約1800mmのものが最大であった。
一方、ファラゾアの大口径艦載レーザー砲は、レーザー光の発振ユニット部分にフェイズドアレイ式に似た構造を持っており、さらにバレル内に多重の重力レンズを装備していることが、回収された艦載レーザー砲ユニットの解析により判明している。
当然それはレーザー砲の破壊力と射程距離を向上させるための仕組みである事は明白であり、ただ単に口径2000mmのレーザー砲を想定した場合よりも長い射程距離と、高い破壊力を持つであろう事は想像に難くなかった。
また、地球人類の遙か先を行くテクノロジーを持ったファラゾアが、例えば光或いはフォトンの運動を直接操作制御出来る様な、現在の地球人類が持つ技術と想像力では考えも及ばない様な超技術を保有している可能性もあった。
いずれにしてもファラゾア戦艦の艦載大口径レーザー砲の射程距離は100万kmを下まわることは無いものと、連邦政府ファラゾア情報局、即ち「倉庫」は推測している。
つまりそれは、ファラゾア戦艦は月公転軌道の三倍にも及ぶ遠距離からのレーザー砲攻撃が可能であることを示唆しており、その推定射程距離の中には月面だけでは無く、月を周回する軌道と、地球-月間のL1からL5までの全てのラグランジュ点を含む事となる。
その報告を聞いた地球連邦軍上層部は顔色を変えた。
地球人類の存亡を賭けた戦略プロジェクト「ギガントマキア」のなかで、ある意味最も重要なステップである第一段階の中核を担う戦術プロジェクト「ボレロ」を実施するに当たり、その中心的な戦力となる予定であった水中機動艦隊の被害期待値を根本的に見直さねばならない事を示す情報であったからだ。
彼等連邦軍上層部の脳裏には、当時世界最強を誇っていた軍事大国である米国の、これまた当時世界最強を誇っていた空母機動艦隊が、僅かな時間で為す術も無く海の藻屑と消えていった事を知らされたときの驚愕と恐怖の記憶が鮮明に刻み込まれていた。
その情報を受けた連邦軍上層部は、GDDDS(Gravitational wave Displacement Detector Network to Deep Space:対深宇宙重力波監視網)を構築する大型GDD地上基地局にも負けない程の大型高精度GDDを搭載した、早期警戒艦(潜水ピケット艦)の投入を決定したのだった。
潜水ピケット艦に搭載されているGDDは、誇張無しにGDDDSのネットワークを構成しているものと同レベル、事によるとより高性能のものである。
地上基地局とは異なり、GDD(を搭載した潜水ピケット艦)自体が地球上を移動する為、どうしてもバックグラウンドノイズの除去精度が低くなってしまうためにGDDDSの様に太陽系外縁の敵艦の動きを掴めるほどの精度は有してはいないが、例え火星が合の位置にあろうとも、2億km離れた外惑星の周回軌道上で敵戦艦が地球に向かって数千Gの加速を行った事を検知し、それを知らせる警報で潜水機動艦隊が早期に退避行動をとれることを、最悪でも、地球の海表面に浮上し遊弋する水中機動艦隊に狙いを付け、地球周辺宙域に向けて数千Gで減速してくる敵艦の発する重力波を一秒でも早く検知し、そして僅かでも早く艦隊に警報を発して退避する時間を作り出すことを、その艦は役割として与えられていた。
自分が乗る潜水空母ジョリー・ロジャーと同航し、浮上して併走するその潜水ピケット艦ヤスノヴィーディニェが立てる白波をぼんやりと眺めながら、達也は煙草を吹かしていた。
酸素に限りがあり、閉鎖された空間の中でエアコンディショナーを使用して二酸化炭素を酸素に転換しながらちびちびと使っていかねばならない潜水艦の中では、エアコンディショナーに余計な負担をかけるとして喫煙は全面的に禁止されていた。
艦としては三日ぶりに洋上に浮上し、達也としては一週間ぶりに外の空気を吸えるチャンスだった。
達也の横には武藤、さらにその向こうにはレイモンドとウォルターが、達也と同じ様にして手摺りにもたれかかるか、あるいは少し低めの手摺りの上に肘を突いて、思い思いに煙を噴かす様は、まるで突然ここが洋上の喫煙所にでも変わってしまったかの様だった。
ニパジミニィ級潜水空母であるジョリー・ロジャーは、丸みを帯びた三角形の船体断面を持ち、潜水形態では界面上に最大で17mほど船体を突き出す形で喫水線を持つ。
全通甲板を持つニパジミニィ級はいわゆる潜水艦によくある船体上方に突き出した煙突状の艦橋を持たず、航空甲板を開いていない状態では艦首から艦尾までほとんど凹凸の無い長く引き延ばした紡錘形の艦体が特徴である。
今達也達は浮上したジョリー・ロジャーの畳まれた航空甲板の上のデッキ部分に出て、久しぶりの新鮮な空気を味わっている。
愛機に乗って空に飛び立ったとしても、発艦前にキャノピは艦内で閉じ、着艦後は駐機位置に戻ってから解放するため、外の風景をキャノピ越しに眺めることはあっても、新鮮な空気を吸うことは無いのだ。
乗員や艦載機パイロット達のストレス緩和の為に時々設けられるこの「艦外休憩」の時間は、狭い潜水艦内に押し込められ、艦の運航を妨げないように行動を緩く制限されている彼らパイロットの精神衛生にとって、確かに意図された通りの効果をもたらしていた。
山なりの船体上面の尾根部分に設けられたデッキに立つ達也達の足下遙か下で、20ktほどの速度でゆっくりと水上航行する艦体が押し退ける紺碧の海原が白く波立ち広がっていく。
「なんか、不健康な集団ね、ここ。」
そんな達也達の居場所に笑いながら近づいてくる声が、艦が進む波の音に混ざって聞こえた。
「艦内禁煙だからなあ。喫煙所くらい作ってくれても良かろうに。」
近づいてくるジェインに、右手に煙草を持ったレイモンドが答えた。
もちろんであるが、喫煙所がある潜水艦など地球連邦海軍には存在しない。
「一本ちょうだい。」
脇から声をかけてきたナーシャに、達也はポケットからパッケージを取り出して渡す。
「嫌な名前よね、これ。」
合成風の風上に背を向けて、パッケージに一緒に突っ込んであったライターで火を付けると、ナーシャはラッキーストライクのパッケージを達也に返してきた。
肩の長さに切りそろえられた黒髪が風に乱され、その向こうから彼女が吐いた煙が風に乗り一瞬で後方に向かって消えていく。
風に乗って暴れる髪を焦がさない様に、彼女は丸くした右手の中に煙草を摘まんでいるのが見えた。
「この向こう、あなたの祖国?」
風下に向いているナーシャの声は、20ktの合成風の音に流されながらも達也の耳に届いた。
今、達也達が面している艦の右舷側遙か彼方、水平線の向こう側には日本列島が存在するはずだった。
「国籍はな。実際に住んだ事は無い。」
「どういう事?」
風で乱れる短めの黒髪を掻き上げながら、ナーシャが振り向いた。
「言わなかったか? 俺は、生まれも育ちもシンガポールだ。父親の仕事の都合でな。」
ナーシャの視線を感じながら、濃紺の海の向こうを見つめながら吐き出す煙と供に達也は言った。
「シンガポールは・・・」
「ああ。カリマンタン島の降下点を潰したから、一応は解放された。何回も繰り返された奪還作戦で、何度も戦場になったお陰で島まるごと焼け野原になって、な。街なんて、見る影も無い状態らしい。取り返しはしたが、誰も住める状態じゃ無い。半島の先端にある軍事基地化するのに好都合な位置にあるただの島でしかない。今やそこに街があったことがかろうじて分かる遺跡になっちまったよ。」
カリマンタン島に向けて侵攻する際には最前線基地とするに最適な立地である、マレー半島先端の島であるシンガポールは、達也がバクリウ基地から転属した後にも何度となく奪還作戦が繰り返された。
あるときは奪還に成功し、橋頭堡である空軍基地を復活させたところをロストホライズンの大部隊に襲われ、あるときはファラゾアの大部隊をマレー半島から押し出すための激戦地となった。
市街地はヘッジホッグの格好の隠れ場所となり、一発当たりが戦術核並みの威力を持つヘッジホッグのミサイルによる洗礼を数え切れない程に受けて、街も森も何もかもが焼き尽くされた。
幾度となく繰り返された攻防戦により、シンガポール島やその沖合に浮かぶビンタン島、バタム島は今や、ズタズタに荒れ果てた見るも無惨な姿を南洋の青い波濤の上に晒している。
ST部隊のパイロットという立場上、一般兵士よりも高い閲覧権限を持つ達也は、これまでに何度となく自分の故郷を空撮した写真を眼にする機会があった。
その様な高い閲覧権限を与えられている事が、喜ばしい事とはとても思えなかった。
「世界中どこにでも転がっている様な話だ。ましてや俺達は、数え切れない程の反応弾を使って、敵の部隊をそこにあった街ごと吹き飛ばしてきた『始末屋』だ。自分の故郷が消し炭になったからと云って、誰かに文句を言える様な立場でも無いだろう。」
しばらく風の音と足元の波の音だけが聞こえていた。
ややあって煙を吐き出したナーシャが再び口を開いた。
「家族は?」
「母親はファラゾア来襲初日に住んでいたアパートメントごと吹き飛んだ。死体さえ残らなかった。父親はイスパニョーラ島で反応弾の爆発に巻き込まれて死んだ。」
「・・・悪い事を聞いたわ。」
「構わんさ。これも、世界中どこにでも転がっている様な話だ。家族を失ったのは俺だけじゃ無い。そういうお前の家族は? ポーランドだったか?」
本当に何も気にした風でもなく、達也がナーシャに尋ねた口調はいたって普通だった。
「皆無事よ。」
対してナーシャはどことなく気まずい様な、申し訳なさそうな雰囲気を僅かに滲ませて達也の問いに答えた。
この時代、相手の家族について話をするのは少々リスクの高い話題と言えた。
存命の場合にはその幸運をともに喜ぶことが出来るが、地球上の人口が1/4近くに減っている現在、家族の内複数人を失っているものもまた多かった。
もっとも多くの場合、達也が話した様な理由で、誰もがすでにその死を乗り越えている場合が殆どである事が救いであるのだが。
「良い事だ。なくさない様に大切にしろ・・・と言うよりも、俺達の働き如何に掛かっていると言うべきか。」
「そうね。」
軍や政府が兵士達の士気を鼓舞するためによく使うフレーズである「地球防衛」或いは「人類の存亡」という言葉には殆ど興味の無い達也だった。
達也が戦う動機は今でも、自分の周りの者達を奪われたことに対する復讐のみだった。
とは言え、今自分の周りにいる者達が大切にしている人々を守る一助にはなりたいという気持ちが無いわけではなかった。
狭い艦内に押し込められ、艦内を循環する再生空気を呼吸するしかないパイロット達は狭いデッキで思い思いの時間を過ごした後に、自分達の持ち時間が終わると、待機していた次の組と交代するために艦内に戻っていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
投稿遅くなり申し訳ありません。
日常の一コマ・・・ではないですが、作戦行動以外の風景です。