12. チャーリー
■ 9.12.1
12 July 2051, Strasbourg, France
A.D.2051年07月12日、フランス、ストラスブール
朝八時過ぎにオフィスを出たヘンドリックは、トゥオマスを助手席に乗せ自分の車を運転して、ストラスブール市街中心部にある地球連邦軍参謀本部に到着した。
配車係にキーを渡して車を駐車場に回してくれる様に頼み、ブリーフケース一つを持ってトゥオマスと共にエレベータに乗った。
今日の話題は主に、先日行われたカピト降下点への殲滅攻撃の評価と、どうやら相当数一般人の中に紛れ込んでいるらしい、ファラゾア製の生体プロセサを埋め込まれた連中、いわゆるチャーリーが何やらコミュニティの様なものを形成している様だという情報を掴んだ彼等「倉庫」からの報告となるだろう。
(注: ファラゾアにチップを埋め込まれた地球人類 = Chipped Human の頭文字「C」から、半ば暗号的に「チャーリー(Charlie)」の呼び名が付いた)
それは頭の痛い問題だった。
チャーリーが人類社会の中に紛れ込んでいる事は明らかだったが、彼等を判別する手段が無かった。
正確にはその手段が無いわけではなかったが、大都市の住人や道を行き交う人々を片っ端から捕まえて数十分もかけてCTスキャナ画像を取得するなど、現実的に採れる判別方法ではなかった。
より簡便で、かつ移動可能で、瞬時に判定が出来るようなデバイスが必要とされていた。
しかしそのバイオプロセサが正しく反応する信号媒体とプロトコルが未だ解明されていない現在、チャーリーと通常の地球人を区別する手段は事実上無いに等しいと言えた。
敵地の地域社会に潜り込ませた工作員を使ってやることなど決まり切っている。
重要な軍事目標への破壊工作か、重要人物の暗殺、或いは敵国の社会そのものへの工作、そんなところだ。
逆にあれだけ科学技術のみならず多分社会システム的にも人類の遙か先に進んでおり、戦略的あるいは諜報的な意味においても遙かに多くの軍事的行動の経験値を有するはずのファラゾアが、今までその様な手段を取ってこなかったことの方が不思議だった。
ただトゥオマス曰く、遙かに長い歴史と経験を持つ異星人の社会システムや常識、行動原理を、火を使い始めたばかりの穴居人に毛が生えた程度の我々地球人の常識という物差しで測ることは厳に慎むべきだ、との事であり、その言わんとするところはヘンドリックも理解していた為、その点については下手な先入観を持たず極力冷静に判断しようとヘンドリックは心に決めていた。
要するに、ファラゾアはチャーリーをこちら側に潜り込ませているものの、何をしたいのかはよく分かっていない、ということだ。
地球人の一般常識に照らし合わせて、想像できることに対して備えはしておくが、それ以外にどんな隠し球を持っているのかよく分からない。
これまでどうにかして手に入れた数十人の被検体に対する調査から、チャーリー達が植え付けられているバイオプロセサは、どのような形であれ他人に「感染」することはないという事が判っているのが、唯一の救いだった。
軽い電子音と共に、エレベータが八階に到着しドアが開く。
八階は参謀本部のオフィスになっているが、チャーリーどもが何か動いていると分かった後は、エレベータの両脇に軽武装の兵士が警備に立つ様になった。
要するに、地球人の常識に照らし合わせて想定できる事への対応策、の一つというわけだった。
連邦軍に所属する者は例外なく全員、最低でも年に一度、健康診断と同時にCTスキャンを受けることが義務づけられたこともその一つだ。
連邦軍に所属しているわけではないが、連邦政府の重要機関で働く者として、ヘンドリックを含めファラゾア情報局の職員全員もつい数ヶ月前にCTスキャンを受けたばかりだった。
エレベータで到着した二人の姿を見ても、視線を動かすだけでそれ以外は微動だにしない兵士の前を横切ってオフィスフロアに入っていく。
警備兵には面通しが済んでおり、それ以降何度もここを訪れているため、今更IDの提示を求められたりはしない。
IDカードなど、その気になれば偽造が可能だ。
それよりも、そこを日常的に通過する者の事をよく知っている、注意深い警備兵による入場者のチェックの方が、現在の状況において余程信用が出来るという結論に至ったのだ。
その者が身に纏う雰囲気や所作、僅かな挙動の違和感をも感じ取ることが可能である人間の感覚というものは、実は相当頼りになるセキュリティチェックなのだ。
そして世界中どこの国においても大概、陸海空の三軍の内最も兵士数が多かった陸軍が今は暇を持て余している。
ある意味常に職を求めている彼等に連邦軍本部の警備任務を打診したら、喜び勇んで一歩兵中隊約二百人を即日送り込んできたと、ヘンドリックは聞いていた。
トゥオマスを伴いオフィス中央の通路を歩いて最奥に向かう。
フロアの向こう側1/3程は会議室や、参謀本部長であるロードリックや、参謀総長であるフェリシアンのオフィスが存在するエリアになる。
さらにもう二人の武装兵士が通路の両脇に立つ間を抜け、通路の両脇がスチール製の壁に囲まれたエリアに歩み入って、突き当たりにある会議室の左手前のドアをノックする。
「入りたまえ。」
部屋の中からの返答を聞いておもむろにドアを開けたヘンドリックは、自分達以外のいつものメンバー全員がすでに部屋の中に揃っているのを眼にした。
開始予定時刻に遅れたわけではないので、特に悪びれもせず入室し、これもまた既に定位置となっているソファにトゥオマスと並んで腰を下ろした。
「カリマンタン島の戦果について話していたのだ。こちらだけでも出来る話題だったので、先に始めさせてもらったよ。」
フェリシアンが軽く笑みを浮かべながら、腰を下ろしたヘンドリックとトゥオマスに断りを入れた。
彼の言う「こちら」とは、連邦軍内部という事だろう。
確かに、カピト降下点に対する殲滅作戦の戦果報告と評価に関しては、ヘンドリック達に提供できる情報は殆ど無い。
「いえ。お気になさらず。純粋な軍事作戦の戦果確認については、我々はあくまで情報の受け手ですので。」
ファラゾアンに関するありとあらゆる情報を集積し分析する彼のファラゾア情報局、通称「倉庫」ではあったが、あくまで情報局、或いは諜報機関である為、軍事行動中のファラゾア関連情報については軍から提供を受ける側である。
彼等の担当は、それ以外の分野での情報収集と解析だった。
「既に聞いていると思うが、軌道対地ミサイル『キッカ』は予想を上回る戦果を挙げたよ。挙げすぎた、と言っても良い。現地に調査隊を派遣したが、あまりに徹底的に破壊されすぎていて、地上施設のまともな残骸は殆ど見つからないらしい。今まで殆ど手に入らなかった、地上施設に関する情報を手に入れたかったのだがな。無いものは仕方が無い。次回はもう少し手心を加えなければならんな。」
そう言ってフェリシアンが顔に苦笑いを浮かべる。
ファラゾアに対して「やり過ぎた。手加減せねば」などという台詞を吐ける事態になったのは、多分これが初めてではなかろうか。
非力でやられてばかりであった地球人類も、とうとうそんな台詞が言える様になったのかと、半ば感慨深く、そして残る半分は次に起こることに対する警戒を抱いていた。
そもそもがファラゾアによる局地的或いは全体的な報復攻撃。
または、今回の攻撃が余りに綺麗に嵌まりすぎた事に依って地球人側に発生する、慢心、或いは見込み違い。
これまで十五年以上に渉って常に強大な敵に恐怖し、負け続けてきた為に、たった一度の勝利で浮かれ過ぎて敵を甘く見るようになるのではないか。
彼等にしてみれば原始人レベルでしかない地球人によって大損害を与えられたことでファラゾアのプライドを刺激してしまい、これまで地球人を大切に気遣いながら侵略を行ってきていた方針を大転換し、どれだけの死者が地球人側に発生しようと構わず大戦力を叩き付ける本気の攻勢に打って出る可能性。
プロジェクト・ギガントマキアとボレロのコンセプトと必要性についてはよく理解しているつもりのヘンドリックではあったが、その計画を根底から引っくり返すような状況にならなければ良いが、とヘンドリックは口には出さずとも内心危惧していた。
以前GDDDSに検知された、帰属不明の二千隻もの戦闘艦が太陽系周辺に存在する問題についても、未だ結論が出ていないのだ。
「ボレロの前哨戦とも言える今回の作戦で、キッカの使い所とその攻撃力を実戦で確認できた。その情報を元に、ボレロの今後の作戦に必要な数量を再計算したところ、我々はすでに充分な数のキッカを打ち上げ終えていることが明らかになった。新型の開発に応じて適宜入れ替えを行ってはいくが、生産力を全てオーカ(桜花)に割り振ることが出来るのは有り難い。地球周辺での宇宙空間の戦闘を考えると、改良型オーカ(桜花R2)は幾らあっても過剰と言うことは無い。」
桜花R2とは、本来大気圏内の母機或いは地上の発射台から軌道上の敵艦に向けて高加速で打ち上げる使用法で開発された桜花に対して、菊花の開発で得られた知見を加えて改造し、軌道上或いはそれ以外の宇宙空間にあらかじめ打ち上げておいて待機させ、攻撃範囲内に入ってきた敵艦を攻撃させるといういわば宇宙空間における対艦機雷の様な用法を想定したものである。
従来はロストホライズン時に地上数百kmの軌道に姿を現していた敵艦隊が、大気圏内から発射される桜花により甚大な被害を受け続けたことで、遠くない内に地上数千から数万kmの距離を取るようになるであろうとの推測を元に開発された。
地上からの距離を取ることで桜花着弾までの時間を大きく取ることが出来、時間があれば反応速度の遅いファラゾアでも回避行動を取ることが可能である為だ。
すでに地球連邦軍は低軌道から静止衛星軌道まで、果てはラグランジュポイント周辺にまで桜花R2の敷設を開始しており、プロジェクト「ギガントマキア」の第二段階、キポス・ティス・アルテミドス(アルテミスの庭)の実施に向けて着々と準備を進めている段階にある。
「ただ、キッカの威力が予想外に大きすぎた。調査隊が撮った写真を私も見たが、ファラゾアの地上施設が存在した辺りは完全に更地になってしまっていた。調査隊も融けて固まったファラゾア施設の破片しか発見できなかった。敵の防空兵器に撃墜されることを想定して、一つの地上施設当たり二発を割り振ったのだが、予想に反して撃墜が全く出なかった。ちょっとやり過ぎた。次からは一発にする。」
と肩を竦めながらフェリシアンが言うと、他の四人が苦笑いを返した。
地球側の航空機が、降下点から約300kmの通称「ファラゾア防衛圏」を踏み越えて降下点に接近すると、300km以遠の場所で通常出会うものに較べて数倍から数十倍のファラゾア機数による極めて熾烈な迎撃に遭うことになる。
これはどの降下点でもほぼ同じ反応が返ってくることが、現地最前線で闘うパイロット達の命を代償として経験的に知られていた。
それ程に過激な反応が返ってくるだけに、ファラゾアは降下点の地上施設に地球側の兵器が近付くことを激しく厭うのであろうと推察されていた。
当然のことと言えば、当然のことであるが。
そして、降下点の地上施設そのもの、或いはその周辺には、ファラゾア防衛圏内縁での熾烈な迎撃をさらに上回る様な攻撃力を持った防空兵器が存在するものと予想されていた。
即ち、降下点の地上施設を目標として菊花が突入するならば、地球人類の遙か先を行く彼等の技術力を存分に使った、想像を絶する程に熾烈な対空迎撃を当然の事ながら受けるものと予想されていた。
1000㎞もの彼方宇宙空間から、100km/sもの非常識な超高速度で突入してくる菊花は、大気圏を僅か1~2秒で突破して地表に到達するのであるが、菊花の動きそのものは起動直後から重力波として捉えられているはずだった。
地上施設の対空防衛機構は当然の事ながら、その様な敵性目標に対して激しく攻撃を加えてくるはずであり、もしかするとそれこそSF映画にでも出てくる様な、地上施設を覆う半球状のバリアの様なものさえも装備しているかも知れなかった。
その為、目標到達率を30~40%と見積もって、地上施設数に対して倍の数の菊花を突入させたのであったが、それらの想像を全て裏切って、突入させた菊花は全てが地表に到達し、完全なオーバーキルとなってファラゾアの地上施設はおろか、現地に元々存在した山や川などの地形まで含めて、ありとあらゆるものを全て吹き飛ばしたのだった。
そうやって情報交換と議論を一時間ほど行った頃であった。
五人が次に実施する大作戦「シルク・ロード」と、さらにその次の「ロシアン・ブルー」、即ちプロジェクト「ボレロ」の第一段階と第二段階の戦術レベルでの兵力の配置や兵站、それら二作戦をたった半月の間に連続して実施するために兵力を含めたあらゆる資源の動かし方を議論している時であった。
「ノーラ降下点が極東であることを考えると、やはり物資をハミからノーラに動かすのは効率が悪すぎるでしょう。ハミ周辺に集積した物資は、アフガニスタンかカザフスタンに直接送って、後の作戦に活用する方が・・・」
参謀本部長であるロードリックが、兵站について持論を展開している時だった。
突然、ビル全体を揺るがす大音響と共に床から突き上げるような衝撃が襲い、フェリシアンの執務机の向こう側に一つだけある窓の強化ガラスに幾つものひびが走った。
いつも拙作お読み戴き有難うございます。
ファラゾアにバイオプロセサを埋め込まれた者の名前を「チャーリー」としました。
どこかの造船所の社長ではありません。
もちろん北ベトナム軍兵士でもありません。w
最初、もうちょっと捻った名前にしようかと思ったのですが。
例えば、Pharazoren Chip Inserted Humanで、PCIHとか。
そんな呼びにくい名前とかダメだろ、ってんでPharazoren Humanとか。
Phharazoren Human・・・略して P-Man。
・・・・却下。
バイオプロセサ入れられてるというより、ノーミソ抜かれてる感じがします。ダサすぎ。
というわけで、Chipped Humanに落ち着きました。
コードネームとしてチャーリーの方が言い易いでしょうし。