6. 第一段階;戦術級計画「ボレロ」
■ 9.6.1
「では、二点目の案件に移ります。常に前線にて闘っている皆さんにとっては、こちらの方がより現実的かつ実感の湧く話題であるものと思われます」
一瞬後ろを振り返り、プレゼンテーションが切り替わっていることを確認したフィラレンシア大尉のかける眼鏡のレンズが、モニタの光を反射してキラリと光る。
「戦術プロジェクト名『ボレロ』(Tactical Project 'BOLERO')。本プロジェクトは、先ほど説明した包括的太陽系奪還計画『ギガントマキア』の第一段階であるフェーズ『ストラトスフェリク・ヘイズ(Stratospheric Haze)』の主要部分を占めるものとなります。」
彼女が再び言葉を切る。
全員が、先ほどの壮大すぎる計画「ギガントマキア」から、より現実的で目の前に存在する作戦に頭を切り替える為の時間であった。
人の感情など持たず、絶対零度に近い低温で動作しているスーパーコンピュータの様なフィラレンシア大尉であったが、このようにして聴衆の心の動きを捉え、考えをまとめる時間を差し挟むなど、聞く者を話に引き込みそして理解させる術にとても秀でていた。
大尉の背景となっているモニタ画像が、再びメルカトル図法の世界地図に切り替わった。
「先ほどお話ししたとおり、第一段階ストラトスフェリク・ヘイズの目的は、この地球上からファラゾアを一掃することです。」
全員を見回し、パイロット達が話に付いてきていることを確認して大尉は言葉を継いだ。
「現在地球上には、十二のファラゾア降下拠点が存在します。いずれの降下拠点にも、十個から三十個の大小地上施設と、その周辺に駐留する数千の小型戦闘機械が存在することが、軌道監視艇などからの光学的、あるいは重力的観察により確認されています。」
モニタ画面が、ファラゾアの降下点を示す赤いマーカの立った世界地図から、軌道監視艇から撮影されたと思しき敵降下点の画像に切り替わった。
砂漠の中に存在するその降下点の画像には、赤茶色の砂丘の中に散らばる大小様々な大きさの白い箱のような建造物が多数存在することが捉えられていた。
それは、常に降下点に最も近い最前線で活躍する達也達ST部隊のパイロット達にしてもほぼ初めて見る画像であった。
敵の攻撃の熾烈さが段違いに跳ね上がり、それ以上近付くことが出来ないファラゾア防衛線と呼ばれる敵降下点から約300kmのラインの向こう側に、何が存在するのかを見せられた彼等パイロット達は、身を乗り出すようにしてその画像に見入った。
「このファラゾア地上施設を全て破壊し、そこに居る戦闘機械も全て破壊します。そしてそれをこの地球上の降下点全てに対して実施します。
「即ち、この地球上から、ファラゾアと名の付く全ての存在を完全に、徹底的に排除します。」
フィラレンシア大尉にしては珍しく、感情の動きが読み取れるような口調だった。
ここに居る二十一人全てが、今までの経験の中でその様な者を沢山見てきた。そして、自分達自身もそうだった。
暗く凄惨な目つきでファラゾアを皆殺しにしてやると言い放ち、また哀しみに彩られた怒りの炎を燃え上がらせて絶対に許さないと拳を握る。
彼等が亡くしたのは、親か兄弟か、或いは恋人か友人か。生まれ育った故郷か、もしくは優しい隣人に囲まれた安住の地か。
戦場は、大切にしているものを次々に亡くし、その怒りや怨みを敵に叩き付ける様にして闘う者達で溢れていた。
感情を表に出すところを見たことが無い彼女もやはりそうなのだろうと、その僅かな温度の揺らめきに気付いた者は思った。
「先ほどお話ししたとおり、プロジェクト名は『ボレロ(BOLERO)』。フランスの作曲家モーリス・ラヴェルによって1928年に作られたバレエ曲の名です。世界的に有名なかの曲が単一の楽器の演奏から始まり、途中徐々に多くの楽器が演奏に加わって、最後にはオーケストラになるという曲の構成になぞらえています。」
どうやらフィラレンシア大尉はただの軍人バカでは無く、一般教養についても人並みかそれ以上の知識を有する様だった。
一方、突然高尚なバレエ曲といった話を持ち出されたパイロット達の方は微妙な表情をしているが。
こちらは基本的に戦闘バカの集団である。
「プロジェクト『ボレロ』の大枠は、十一のステップと、一つの予備作戦、そしてそれらの周辺を補強する多くの小作戦によって構成されています。」
大尉が長く言葉を切った。
何人かのパイロット達の表情が変わるのを見届けて、彼女は再び口を開いた。
「ステップ数を聞いて気付いた方もおられるようですね。ご理解の通り、ボレロの一ステップは一つのファラゾア降下点に対応し、各ステップごとに一つの降下点を攻略します。予備作戦まで含めた全十二ステップが全て成功裏に完了すれば、この地球上から全てのファラゾア拠点が一掃される。それがこのプロジェクトの目的です。」
その大尉の言葉を聞いて、何人ものパイロット達が皮肉な嗤いや少し小馬鹿にした様な薄笑いを顔に浮かべた。
彼等はそれがどれ程難しい事か、文字通り身に染みてよく理解しているのだ。
「もう一度訊かなきゃならんな。出来るのかそれ? 本当に?」
再びレイモンドが口を開いた。
レイモンドはその闊達な性格から、基本的に他人に対して口下手であったり無愛想であったりする者の多いST部隊の代表質問者の様になっていた。
そして彼が今顔に浮かべる薄笑いは、「ここで『やらねばならないのです』などという精神論を吐くんじゃねえぞ?」という内心を雄弁に物語っていた。
対してフィラレンシア大尉の表情は、変わらず何の変化も示さなかった。
感情のこもっていない口調をそのままに、彼女は予想していたであろう質問に対して答えた。
「数値ベースの試算の積み上げによって可否判断を行っています。可能か不可能かという議論であれば、結論は『可能』です。」
さらに薄笑いを大きくしたレイモンドがそれを追求する。
「微妙な言い方をするねえ。可能性は0.1%だけど、ゼロじゃありません、なんてえ話じゃねえだろうな?」
それに答えるフィラレンシア大尉の口調はあくまで冷たく、変わらない。
「プロジェクト『ボレロ』全ステップを通しての成功の可能性は約35%。ファラゾア戦艦の存在などの不確定要素が加わり、プラスマイナス15%ほどの変動を含みます。勝率1/3の賭けですが、戦い方次第ではこれを50%近くに引き上げることは可能でしょう。可能性50%であれば、賭けとして充分有効なものであると思いますが。出来ませんか?」
最後の一言は挑発であると十分に理解していた。
言葉は違えど、要するに「ビビってるのか?」という、安い挑発だった。
しかしそれでも、レイモンドは嗤いを僅かに凄惨なものに変え、そして他のパイロット達も雰囲気を変える。
ここに居る誰もが、死を覚悟する最悪の戦場を幾つも生き抜いてきた者達だった。
「見え透いた煽りだが、面白え。やってやるよ。」
まるで喧嘩を売り買いする様な口調でレイモンドが言い放つ。
「そう言ってもらえると思っていました。いずれにしてもやるしかないのですが。」
「・・・余計な一言言うんじゃねえよ。」
「話を戻します。
「予備作戦を含めた、プロジェクト『ボレロ』の全十二ステップはこの様になります。」
一歩下がってモニタの前を開けた大尉は、そのままモニタの脇で身体を斜めにし、パイロット達とモニタの両方が見える様に立った。
モニタには十二個の作戦名とその概略が縦に並べられていた。
予備作戦(Pre-Operation)としてOperation 'Kalimantan Express(カリマンタン特急)'、第一段階のOperation 'Silk Road (シルク・ロード)'に始まり、第十一段階のOperation 'To télos tou Elysium(ト・テロス・トエ・エリジオン:楽園の終焉)'まで。
その十二の作戦は、その数の一致と、そして先ほどのフィラレンシア大尉の説明から推測して、一つ一つがそれぞれ一つのファラゾア降下点に対応する作戦であり、リストの様に並べられたこれら十二の作戦を全て終えれば、地球上のファラゾア降下点を一掃できるものであろう事が想像できた。
「全てを説明すると時間が掛かりますので、今は三件のみ説明します。まずは、ボレロの本格的スタート前に実施する予備作戦、Operation 'Kalimantan Express'。
「名前から分かるように、本作戦はカリマンタン島降下点カピトを攻略します。主戦力はカリマンタン島東方セレベス海および南方ジャワ海に展開する潜水機動艦隊および、マレー半島、インドシナ半島から進出する陸上基地の空軍戦力、そして軌道上に設置されたOGM(Orbit to Ground Missile)、およびOGMをコントロールする軌道監視艇です。攻撃はまずOGMを用いた・・・」
大尉が説明を進めると同時に、モニタ画像がカリマンタン島を中心とした広域地図に切り替わった。
それは達也にとって懐かしさを覚える反面、苦い記憶を呼び起こす地形でもあった。
ファラゾア来襲前に米軍で開発された対地ミサイルを満載した二部隊三十機でルソン島を出発し、パラワン島南岸を伝ってカリマンタン島に到達しようとした作戦。
エメラルドグリーンの珊瑚礁と、白い砂浜。生い茂る椰子の木。
密生する椰子の森の中からまるで逆向きのシャワーの様に吹き上がってくる数百もの白いミサイルの嵐。
HMDを埋め尽くす一面の敵マーカ。
空中に次々と花開く巨大な火球と、それに呑まれ消えていく黒い戦闘機。
気付くと、つい先ほどまで胴体下増槽タンクに寄りかかって共に軽食を摂っていた仲間達は誰もおらず。
磨き上げられた工芸品の様な最新鋭の自機が、砂の浮いた小さな空港で裏返り爆発して炎に包まれる。
前を飛ぶ「皇」の赤い文字と、横に並ぶ赤色の盾に青と黒の槍が交差するエンブレム。
それら全てが、まるで反応弾の火球のような強烈な光に包まれて燃え、熔け落ちていく様は、今でも時折夢に現れ、夜中に何度ベッドの上で跳ね起きたか。
「・・・帰投時には潜水機動艦隊は再浮上し、艦載機を収容。再度潜水して各艦隊ごとに作戦海域を離脱します。」
鋭い爪で心を大きく抉る様に傷付けた過去の記憶の中に沈み込んでいた達也は、ふと我を取り戻し正面を向くと、予備作戦として一番最初に実施される作戦の説明を殆ど聞き逃してしまったことに気付いた。
実際の作戦開始前にはまた詳細な説明が行われるだろう。
達也は特に問題無いものと判断し、意識を正面で説明を続けるフィラレンシア大尉に再び戻した。
彼女は、ボレロ第一段階のOperation 'Silk Road'の説明を行った後、最終段階であるOperation 'To télos tou Elysium'の説明を始めた。
「本作戦では、地球上に残る最後にして最大のファラゾア降下点、キヴ降下点を殲滅します。余り馴染みの無い降下点かと思われますが、キヴ降下点は『始まりの十日間』以降にファラゾアが降下して出来た、地球上最大の降下点です。キヴ降下点に向けたファラゾア艦船の度々の降下が確認されていることから、捕獲した地球人の身体、或いは生体脳の集積・積み出し拠点となっているものと推定されています。」
画面には赤みの強い大地に広がる草原と、その中に点在する白い地上施設が映し出されていた。
大きさの推定が上手く出来ない衛星軌道からの画像であったが、それを差し引いても先ほど見せられた写真に比べて地上施設が明らかに大きく、そしてその数も多かった。
「ト・テロス・トエ・エリジオンの作戦詳細については実施時にまた改めて説明があります。
「この度の説明は以上ですが、ご質問ある方はどうぞ。」
そう言って大尉は一歩踏み出してモニタの前で皆に向き直った。
「二つある。一つ目は、予備作戦のカリマンタン島まで今から半年ほどの時間的開きがある。その理由。二つ目。カリマンタン島から次のハミ降下点まで、また半年の開きがある。その理由。三年以内に終わらせなきゃならんのじゃなかったか? 半年は大きい。」
今度はレイモンドではなく、その横に座っているウォルターが質問を発した。
「カリマンタン・エクスプレスまでの約半年の時間は、作戦の中心となる潜水機動艦隊の戦力を整えるためのものです。カリマンタン・エクスプレスには、機動艦隊からの航空機五百機、地上基地からの空軍部隊五百機が参加することになっています。即ち、機動艦隊の潜水空母が少なくとも二十五隻必要となりますが、現在稼働中であり且つプロジェクト『ボレロ』参加可能な潜水空母は十九隻しかありません。これからの半年の間に潜水機動艦隊の戦力を整えます。」
大尉はそこで一度長く言葉を切った。
その表情から彼女の考えていることを想像するのは難しかったが、何かを迷っているようにも見えた。
僅かな沈黙の後、再び彼女は言葉を継ぎはじめた。
「実際の所、カリマンタン・エクスプレスだけを取り上げるのであれば、現有戦力だけで可能であると考えられています。
「しかしながら、カリマンタン・エクスプレスを『予備作戦』としてボレロ開始前に実行する事には色々な理由があります。
「一つには、新たに投入され、ボレロの中心的戦力を担う水中機動艦隊の実作戦への習熟。
「また一つは、軌道設置型対地ミサイル(OGM)『キッカ(菊花)』の実作戦試験。
「特に、重力推進を持つ上に衛星軌道に配備せねばならないキッカについて、その特性上試験発射が極めて制限されているため、カリマンタン・エクスプレスでなるべく多数を使用して実使用データを取得する必要があります。
「最新兵器であるキッカを量産した上で、敵に気付かれない様に軌道上に配備する為にも時間が必要です。」
フィラレンシア大尉はウォルターを見る。
ウォルターは、彼女の云うことを理解したと云う風に、軽く頷いた。
「カリマンタン・エクスプレスからシルク・ロードまでの半年の間隔は、主にそのキッカの配備に必要な時間です。
「先ほど申し上げたとおり、キッカは発射試験が極めて制限されており、カリマンタン・エクスプレスでの使用が半ば発射試験でもあります。この時取得したデータを元にキッカのチューニングを行い、さらにそこから始まる十一の連続した作戦に向けて大量のキッカを準備せねばなりません。その為に半年の時間が必要です。
「この半年があれば、追加の水中機動艦隊、地上基地航空戦力の増強、予備機のストック拡充など、他の戦力についても増強が可能となります。」
彼女は先ほどのギガントマキアの説明の中で、「全力を叩き付ける」と言っていた。
その「全力」を溜める為の時間が必要なのだとウォルターは理解した。
その後も幾つか質問が発せられていたが、彼女はそれら全てにキッチリと答えていた。
やがてこの奇妙な説明会は終わり、666th TFWのボスとその秘書は、夜間であるにも関わらず再びカトラス2に乗って陸地へと帰っていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
前回からずっと今後の計画の説明回になってしまってごめんなさい。
先にばばーんと説明してインパクトを与えるのと、隠して徐々に小出しして、見えなかったものが徐々に見えてくるのと、どっちが面白そうかと較べて、ばばーんとやっちゃうことにしました。
ちなみに。
プロジェクト名、作戦名にやたらとギリシャ神話やギリシャ語が出てくるのは、太陽系の星の命名がローマ神話ベースである為、そのローマ神話に対応するギリシャ神話を多用しているためです。
あと、本作の構成としてその方が色々と都合が良いので。
ホントはもっと原初宗教的なゾロアスター教やジャイナ教から引っ張る方がより良なのでしょうが、さすがにその辺になると神の名前くらいしか知らないので無理でした。