5. 包括的太陽系奪還計画「ギガントマキア」 STRATEGIC PROJECT 'GIGANTOMAKHIA'
■ 9.5.1
食堂にはジョリー・ロジャーに乗る飛行隊の全員二十一名が集められていた。
狭い潜水艦の中には、大きな作戦会議室などと言う贅沢なものは無く、多数が参加する会議を行うには食堂を使うしかない。
二箇所ある食堂の出入り口の水密扉を閉めてしまえば、部外者の立ち入りを禁ずる立派な密閉空間が出来上がる。
第666戦術航空団の長である、Mr. Aとだけ呼ばれる男が水密扉の一つに背を持たれ掛けさせて腕組みをして立っており、そして壁に掛かった大型のモニタを背にして、その秘書であるフィラレンシア大尉が皆の方を向いて立っていた。
Mr. Aと呼ばれた男は食堂に入ってきてからも殆ど喋らず、秘書の問いかけに対して「ああ」とか「それで良い」などと言った相槌をうつのみだった。
直射日光など射すはずのない潜水艦の中でさえ、男はシールドタイプのミラーのサングラスを外す気配はなく、殆ど仕事をしていない表情筋と常に横真一文字に結ばれた唇だけでは、その男が何を考えているのか全く読みとる事は出来なかった。
一方、秘書のフィラレンシア大尉は、縁の無い眼鏡のレンズの向こうから、感情はおろか体温さえ帯びていないのでは無いかとさえ思えるブルーグレイの瞳でゆっくりと飛行隊全員を見回していた。
こちらも横一文字に結ばれた薄く小振りな唇からは、彼女が今何を思っているかなど推測することさえ適わなかった。
「お疲れのところお集まり戴き有難うございます。第666戦術航空団が今後深く関わることになる、戦略レベルおよび戦術レベルの大作戦について説明致します。理解戴いていると思いますが、これからこの部屋の中で見聞きした内容は、一切拡散すること無きよう願います。」
フィラレンシア大尉は唐突に、めいめいに食堂の椅子に座るパイロット達に向けて語り始めた。
「大きく分けて二点についてお話しします。一点目、先日立ち上げられ、現在進行中である地球人類全体規模での戦略レベルプロジェクト。二点目は、地球連邦軍が現在準備中である戦術レベルでの作戦です。」
大尉はそこで一度口を噤み、向かい合う二十一人全員の顔を今一度見回した。
規律が緩く、いつもまとまりの無い彼等であったが、流石に今口を開こうとする者はいなかった。
大尉が手に持った小さなデバイスを操作すると、背にしたモニタにメルカトル図法の世界地図が表示された。
「まずは、地球人類全体規模での戦略レベルプロジェクトについてお話しします。
「ご記憶かと思いますが、現在のまま戦い続けるならば、地球人類は2070年には滅亡するという予測を以前お話ししました。この予測は現在も有効です。」
全員が一度は聞かされている話ではあるが、再びそれを耳にして、目を眇める、あるいは眉を僅かに顰めるなど、様々な反応を返す。
「人類はファラゾアの技術を吸収し、核融合を動力源とし、重力制御技術を手に入れ、冶金技術を大きく進歩させ、今や簡単に宇宙空間に到達することさえ出来るようになりました。今現在我々が持っている技術をもってすれば、有人の宇宙船を僅か10分足らずで月に送り込み、月面歩行を行って岩石サンプルを採取し、出発から僅か30分後には月の石を地上で待っていた科学者に届けることさえも出来ます。
「これは何も特別な宇宙船が必要と言うわけでは無く、皆さんが毎日乗っている戦闘機であっても、少し時間は余計にかかりますが、同じ事が出来ます。それだけ『宇宙』というものを、手の届く身近なところに引き寄せるだけの技術的躍進がありました。」
大尉は一瞬だけ言葉を切った。
「大きな進歩です。しかしファラゾアはまだ遙か先に居ます。我々には全長数千mの宇宙戦艦も無ければ、日産数千機の戦闘機工場も無く、その戦闘機を製造するだけの資源も無く、また百万km彼方から敵を撃ち抜くレーザー砲も無く、そして敵に傍受されずに通信する技術もありません。」
再び大尉が言葉を切り、視線を全員に投げかける。
まるで今の話が皆の頭の中に染み込むのを待っているかの様だった。
「この一年で、我々地球人類の生存圏は、ファラゾアによってさらに切り取られました。今現在のファラゾア制圧圏は地球表面の47%に達し、全陸地面積の62%が敵勢力圏下にあります。」
大尉が手元のデバイスを操作すると、背景にしているモニタの世界地図が赤く染まった。
彼女が今言ったとおり、まだらになってはいるが、地図の約半分が赤く染まっている事は、達也にも一目で分かった。
「我々地球人類は技術的躍進を果たしたため、ファラゾアの侵攻速度を来襲当初に比べて緩めることが出来ました。このまま戦い続ければ、いつかは侵攻速度をゼロにし、さらに彼等を押し戻せる時が来る、という感覚を持っておられるかも知れません。
「結論から言うと、出来ません。」
フィラレンシア大尉が背景にしているモニタ画像が切り替わった。
画面には、三本の線が描かれたグラフが表示された。
「このグラフは、我々地球人類の技術的進歩と、地球人類の兵器生産能力、そしてファラゾアの侵攻速度を示したものです。赤色の線がファラゾアの侵攻速度、黒が我々の兵器生産能力、青が技術的進歩を示しています。横軸は時間の経過を年で示してあります。」
モニタに示されたグラフの中の赤色のファラゾア侵攻速度は、グラフの左端から立ち上がり、その傾きを緩めながら右に伸びていた。
しかし、横軸に2055年と示してある位置を過ぎると再び傾きが大きくなり、その傾きは急速に立ち上がって2070年を僅かに越えたところでグラフ枠の上限を突いていた。
「我々地球人類の技術力の向上により、次々と新兵器が生み出されて戦場に投入されることで、ファラゾアの侵攻速度は一旦大きく鈍ります。しかし、埋め切れない技術的隔絶、そして圧倒的な物量を抑えきることは出来ず、ファラゾアの侵攻速度はゼロには達しません。敵の侵攻は速度を鈍らせつつも止まること無く確実に地球人類の勢力圏、生存権を削り続けます。」
大尉が再びパイロット達全員を眺め回す。
全員が彼女の話の内容に付いてきているかどうかを確認している様だった。
「地球人類は生存圏を削られ、人口が減り、人口が減ることによる労働力の減少、新規兵士数の減少、新生児数の減少が徐々に進行します。支配地域の減少は、資源の減少、兵器生産能力の減少、そして食料の減少に繋がります。今現在、なんとか平衡を保っているこれらの問題ですが、2060年を過ぎる頃に大きく顕在化し、その後は加速度的に悪化の道を辿ります。
「それに伴い、どうにか抑え込んでいたファラゾアの侵攻速度は再び増加に転じ、あとは止まるところ無く加速度的に増加して、2070年、この地球は全てファラゾアの勢力圏下に置かれます。」
大尉は口を閉じてその小振りな唇を横一文字に結び、透明なレンズの向こうの冷たい色の瞳で再び皆を見回した。
その意味を理解し眼を見きモニタのグラフを見つめている者、不機嫌そうに目を眇めて口元を歪めている者、僅かに眼を細めただけで殆ど感情を表さず、何を思っているか表面的には捉えられない者。
ただ一言も、そしてどのような物音も発する者は居なかった。
「2055年、僅か五年後には、状況悪化の明確な兆しが現れるものと予想されています。しかしそれを止める手立てはありません。地球人類は既に全力を振り絞って敵と戦っており、兵器の生産力も、技術の革新速度も、今以上は望めないからです。ですから、悪化に向けて一度坂道を転がり落ち始めれば、それを止める力は地球人類には残されていません。」
食堂は、水を打った様に静かだった。
ただ壁と床を伝わって来る機械音の低いうねりだけが聞こえる。
「で? 何か策があるんだろう? それとも死刑宣告をするためにこんな海の中くんだりまでやってきたのか?」
皮肉な嗤いに口角を吊り上げたレイモンドが静けさを破った。
「勿論です。すでに発効し実施されています。プロジェクト『ギガントマキア(GIGANTOMAKHIA)』。大戦略レベルでの包括的太陽系奪還計画です。」
大尉は再び言葉を切って全員の顔を見回したが、表情が明るく変わる者は居なかった。
フィラレンシア大尉は皆のその反応に表情を変えること無く、彼女の背景となっているモニタ画面を切り替えた。
「当然のことながら、ギガントマキアは幾つもの戦略作戦、戦術作戦から構成されています。未だ全てが立案されたわけでも無く、また立案されたものについてもこの場で全て説明するには時間が掛かりすぎますので、詳細な構成の説明は割愛します。
「ギガントマキアの概略について説明します。ギガントマキアは、大きく分けて五つの段階から構成されています。第一段階、PHASE 'Stratospheric Haze(成層圏の霞)'。地表および大気圏内、即ち地球上に存在する敵を殲滅。
「第二段階、PHASE 'Kípos tis Artémidos(アルテミスの庭)'。地球ー月ラグランジュポイントを含む月公転軌道内、即ち地球宙域の敵を殲滅、且つ敵による再占領の防止。
「第三段階、PHASE 'Scorpius Cor(蠍の心臓)'。火星上に存在するファラゾアの戦闘機製造拠点の殲滅、およびファラゾア艦隊の火星宙域からの一掃。
「第四段階、PHASE 'Ambrosia Star(アンブロシアの星)'。ファラゾアの燃料補給基地と化している木星圏、土星圏からの敵の一掃。
「そして最終段階である第五段階。PHASE 'Toda la Reconquista(全再征服)’。太陽系全域からのファラゾアの一掃。
「当然のことながら、この遠大な作戦を全て完結するにはそれなりの時間が掛かります。第五段階の完了まで、短くとも七十年、長ければ百年の時間が必要であるものと試算されています。」
SF小説の一部でも読み聞かされているかのような、想像力が追い付かない壮大な戦略をフィラレンシア大尉は一息に説明した。
次から次へと目の前に現れる敵を撃破することにあらゆる全てを注ぎ込む生き方をしているパイロット達は、そのスケールの大きさと想像の埒外である太陽系という巨大な空間に思考が追い付けず、軽い混乱状態にあった。
彼女の説明を言葉として理解している者でさえ、その余りのスケールの大きさと、そこに至るまでの遙かな道程を想像して気の遠くなるような思いをしていた。
「あー、理解はしている。すまん、木星がどうとか、『太陽系全域からの敵の一掃』とか言われても、実感が全然湧かねえ。てか、出来るのかそんな事。」
余りに壮大な話に毒気を抜かれたような困惑した声でレイモンドが言った。
誰もが似た様な思いをしているものと思われた。
そのレイモンドの問いに対して、フィラレンシア大尉は僅かに眼を細めて言い放った。
「『出来るのか』ではなく、やるしか無いのです。出来なければ、我々は滅亡する。先ほども言ったとおり、二十年先で完全占領される未来が見えています。死にたくなければ、やるしか無い(Wipe them all out or we'll be eliminated)。」
その大尉の気迫に押されたわけでも無いであろうが、レイモンドはそれ以上反論せず、彼女の眼を見ながら軽く何度も頭を縦に振った。
それ以上の質問、或いは反論が無いことを確認して、彼女は話を続けた。
「話を元に戻します。本計画で困難且つ重要な部分は、第一段階Phase 'Stratospheric Haze'から第三段階Phase 'Scorpius Cor'に至る前半部分です。第一段階は、兵力、生産能力、生存圏、制空制宙権、取り巻く環境のあらゆる事柄に制限が掛かった中で作戦を完遂せねばなりません。第二段階、地球周辺宙域とは言えども、ほぼ初めての経験となる宇宙空間での大規模戦闘を、その道に長けた敵を相手取って戦い抜かねばなりません。第三段階、数十億kmの距離を越えて、敵の橋頭堡であり、太陽系内での本拠地とも言える火星を落とさねばなりません。
「さらに作戦の遂行を難しくしているのが、冒頭にお話しした時間の問題です。特に第一段階において、五年以内に完了しなければ、作戦の遂行はより難しくなります。むしろ、五年経ってなお完了していない場合は、完了はほぼ不可能になるとみて良いでしょう。そのため、第一段階について、理想的には三年以内での完了が望まれます。」
大尉はそこで一旦大きく言葉を切った。
皆が話の内容と重要性をそれぞれ理解し、何らかの意見を思いつくのを待っている時間でもあった。
しかし反論が湧きこるようなことは無かった。
皆が軍人であり、上からの命令には従うほか無いという立場であることもさることながら、地球人類の生存圏が徐々に狭められて行っているということを実感として理解しているからでもあった。
難しい顔をしてモニタ画面を睨み付ける皆の表情を眺め、その氷の瞳の温度を僅かに暖かくしたかのように彼女は続けた。
「作戦の骨子自体は難しいことではありません。ごく単純な解決法です。即ち、徐々に体力を失って近い将来死に至るのであれば、まだ充分に体力がある今の内に、持てる全力で敵を殴りつけて形勢逆転を狙う。それだけの事です。」
そこでレイモンドが軽く手を挙げ、皮肉な笑いを浮かべたまま質問を発した。
「成る程単純だ。よくある手だ。で? その代償は? 喧嘩でも何でもそうだが、一発逆転の渾身の一撃は、大概相当なリスクを伴う。この場合俺達が払わなきゃならんリスクは? 或いはベットしなきゃならん掛け金は?」
フィラレンシア大尉は一拍おいてその問いに答えた。
「我々自身の命、と言って良いでしょう。敵に全力を叩き付ける以上、失敗すれば戦力の大半を失います。例えば第一段階のどこかで失敗した場合、その後三年以内に地球は完全に占領されます。」
大尉の瞳の温度が、再び絶対零度に戻ったように見えた。
いつも拙作お読み戴き有難うございます。
やっと話がスペースオペラらしくなってきました。
作戦説明するフィラレンシア大尉;
「太陽系の奪還です。(フンス)」
潜水艦の中のパイロット達;
「・・・・(ポカーン)」
いかん。キャラクター達が話に付いて来ていない。w