4. Very Important Person (VIP)
■ 9.4.1
その日は冬にしては珍しく、第七潜水機動艦隊所属の潜水空母ジョリー・ロジャーが航行する日本列島近海の太平洋上空には、晴れて雲の殆ど無い空の広がる穏やかな日だった。
西風の強いこの時期のこの海域であるが、前日までの冬の嵐の様な強風はぴたりと止み、波高2mにも満たない穏やかな海が見渡す限り広がっている。
索敵班の情報によれば、数日間オホーツク海に居座っていた強烈な低気圧が東に遠ざかり、次の低気圧が発生するまでのつかの間の穏やかな時間、とのことだった。
ジョリー・ロジャーは数日前に日本海で666th TFWと合流した後、ただ一隻の護衛である対空潜水艦DASS-052「不知火」を随伴したのみで日本近海を遊弋し、乗務員の習熟訓練と、666th TFWの離着艦訓練を繰り返していた。
訓練は何も艦載機に対してのみ行われているわけでは無く、この新造艦に搭乗してまだ日の浅い艦載機を送り出す側の甲板作業員や整備員、航空管制や索敵担当者、そしてジョリー・ロジャー艦内のみならず、護衛として付き従っている不知火との連携に関しても同様に訓練の対象となっていた。
訓練の成果はごく短期間の内に着々と上がっており、もともと戦闘機を己の身体の一部のように操縦する艦載機パイロット達については、まるで何年も前から艦載機乗りとしてやってきた古強者であるかのような習熟度を得て、潜水空母では無くとも潜輸などで潜水艦乗りとしての経験を長く有する空母クルー達もまた、この新しい艦での仕事に急速に適応しつつあった。
地球という惑星表面の70%をも占める海洋の活用法としては、ファラゾアによって封じられた海上輸送に代わって、ファラゾアが攻め込むことの出来ない海中を進む潜輸を用いた海中輸送がこれまでの主用途であった。
戦闘機による戦いも、島嶼部などの特殊な例を除けば、ファラゾアの降下点を囲むように陸上に設置された前線基地を中心として、降下点から八方に広がっていこうとする敵の侵攻を押し留める、言わば陸上とその上空での戦闘がこれまでの主体であった。
今回、潜水空母とそれを中心とした潜水機動艦隊なる効率も悪く奇怪な兵器群を新たに大量に投入し、陸上基地しか知らない空軍パイロットをこぞって海軍航空隊に転向させるような面倒を重ねて行ってまで海上に戦力を展開しようとする国連軍改め地球連邦軍の動きに対して、海上戦力を大量に投入した立体的或いは多面的な大規模作戦が近々行われるのだろうと、一般兵達の間ではもっぱらの噂となっていた。
この日も朝から666th TFWは朝から何度もジョリー・ロジャーに対して離発艦を繰り返しており、午後に太陽がかなり西に傾いた時間になってやっと飛行部隊長から、これが本日最後の発艦であると告げられた後に、二十一機全機が日が傾き柔らかな色に変わった冬空に向けて飛び立っていった。
二十一機全てが発艦を終え、上空3000mでデルタ編隊が七つ並んだ矢印のような形の編隊を組み終えたところで、ジョリー・ロジャーの航空管制から通信が入った。
「フェニックス、訓練中だが割り込みの任務だ。日本本土から来客がある。VIPだ。出迎えに行って本艦までエスコートしてくれ。方位25、距離50。コールサインはカトラス02。本艦艦載のTu-541ガガラが、仕事を終えた帰りに客を乗せて戻ってくる。ガガラは常時重力推進機だから、敵に目を付けられやすい。VIPが乗ってる時に襲われちゃ目も当てられん。急行してくれ。」
Tu-541ガガラ(Γагара)とは、潜水空母に艦載するためにツポレフ社で開発された小型の輸送機である。
艦内に格納されるためには、艦載戦闘機と同じシャトルパレット上に収まる必要があるが、かといって積載量がごく僅かになってしまうのでは輸送機としての意味が無くなってしまう、というジレンマに陥った。
結果、パレットに収まる限りのずんぐりとした大柄な胴体によって積載量を確保するという解決策が示され、そして積載量と引き換えに機体は空力飛行能力をほぼ失った。
その為Tu-541は常時重力推進での飛行が必要となったのであった。
「フェニックス、諒解。方位25、距離50。フュエルジェットクルーズで30分を予定。フェニックス全機続け。フュエルジェット、パワーミリタリー。」
南に向けて飛行していた編隊の先頭を飛ぶレイラ機が、機体を右に傾けて大きく旋回する。二十一機全てが次々とそれに続く。
モータージェットで飛行していた機体が、ジェット燃料に点火して増速し、リヒートを使わないまでも音速を超える。
リヒートを使えばさらに増速できるが、VIP護衛中に万が一敵との交戦が発生した場合を考えて、ジェット燃料消費の激しいリヒートは使用しない。重力センサー的に目立つGPUの使用などは論外だった。
こんな時間から、日本本土からわざわざ狭くて居心地の悪い戦闘艦にやってこようとする物好きなVIPは一体何者なのだろうかと、西の空で徐々に高度を落としていく太陽からの柔らかな光を反射して、僅かに黄色みがかった銀色に光る海面からの反射光に眩しそうに眼を細めながらレイラは思った。
やって来るにしても、常時重力推進のTu-541などという危険な輸送機では無く、空力飛行可能である中型輸送機や水上機を利用すれば、こちら朝からずっと訓練詰めで疲れた体を引きずってわざわざエスコートに500kmも出張る必要も無かったのに、と頭の中で愚痴る。
潜水空母の展開した飛行甲板があれば、例え機体を艦内に格納は出来ずとも、中型の輸送機が着艦するスペースは充分に取れる。
VIPを降ろした中型輸送機は、空中で待機するか、或いは一旦陸地に戻れば良いのだ。
この時間から時間のかかるエスコート任務を与えられたことにぶつくさとてんでに文句を言いつのる飛行隊を率いて、二十分ほど飛行したところでHMDに重力波の反応を示す紫色の円が表示された。
円の中心に向かって針路を微調整し直進すると、円は四角いTDブロックに変わり、ブロックの脇に「CUTLASS02 / ACSS041 / 156k」とIFF情報が併記された。
つまり無線封鎖の現状下にて、レーザー通信機が相手側の通信機とリンクしたという事だった。
「カトラス02、こちらフェニックス。迎えに来た。周辺に敵機無し。針路そのまま。速度M1.1に抑えてくれ。」
「フェニックス、こちらカトラス02。有り難い。ボッチで飛んでいて寂しかったんだ。」
「ここからは賑やかになるぞ。エスコートする。L小隊はカトラス前方。Aは左、Bは右、Cは後方を固めろ。」
「02、コピー。」
「03、コピー。」
「04。」
五分ほど対向して飛行し、カトラスとの距離が10kmになったところでレイラは左に旋回して、針路を反転させた。
残る二十機がそれに続いて旋回するが、旋回しつつ中隊ごとに分かれて、護衛対象に接近していく。
レイラはL小隊の二機を率いてカトラス02針路の左上方から合流し、前方1kmほどの位置に付く。
ほぼ同時にA中隊六機がカトラスの左舷500mほどの位置に、B中隊が右舷に占位し、さらにC中隊が後方を固める様な位置に付いた。
流石と言うべきか、音速を僅かに超えてフュエルジェットモードでは出力に余り余裕が無い速度の中で、無駄にリヒートを使うことも無く全ての機体がほぼ同時にぴたりと所定の位置に納まった。
「賑やかになったな。」
カトラス02が明るい声で軽口を叩く。
どうやら護衛も無く、武装の無い輸送機で陸地を離れるのが本当に心細かったらしい。
「お姫様は手厚く護衛しなくてはな。」
「あー、お姫様じゃ無いんだが、まあ、いいか。」
どうやらVIPは若い女性では無く、男性のようだった。ある意味当たり前と言えば、当たり前だが。
その後、敵の襲撃に遭うことも無く部隊は順調に復路を進み、やがてジョリー・ロジャー上空に到達した。
太陽は大きく西に傾いて水平線に迫り、あと少しで海の向こう側に姿を隠してしまうだろう。
赤く染まり始めた海面に真っ直ぐな白い航跡を長く残して、航空甲板を開いたジョリー・ロジャーが波を切り裂き進んでいくのが眼下に小さく見える。
「カトラス02、こちらジョリー・ロジャー・コントロール。針路10、速度20kt、合成風力06。あとがつかえている。速やかに着艦せよ。」
「カトラス02、諒解。済まねえな、フェニックス。お先に失礼するぜ。」
「さっさと行け。ガキ共が腹を空かして順番を待ってる。コケて道を塞いだら、あとで酷い目に遭うぞ。」
カトラスの機長は笑いながら空母に向けて真っ直ぐに降下していった。
666th TFWほどでは無いとは言え、Tu-541はするすると見る間に高度を下げていき、航空甲板の真後ろに位置取ると躊躇いなく航空甲板に舞い降りた。
ずんぐりとした黒い機体が甲板上をのそのそと移動し、パレット上に乗るのと前後して、再び航空管制からの通信が入る。
「フェニックス、所定の訓練を再開する。緊急着艦訓練。着艦開始せよ。緊急着艦、デュアル。」
「フェニックス、諒解。ラピッド・タッチダウン、デュアル。08、続け。01フロント、08リア。」
「08、コピー。」
航空管制からの指示に応答するとすぐさま、レイラ機が反転急降下し、ポリーナ機がそのすぐ後を追って反転する。
急激に高度を落とした二機は、高度200mで速度を殺して針路を整え、レイラが前、100mほど後ろをポリーナが追って、GPU推進で高度を下げながらジョリー・ロジャーの後方から接近していく。
艦尾側のポリーナが後部エレベータのすぐ後ろに僅かに早く着艦し、続いてレイラ機が航空甲板中央部エレベータのすぐ後ろに着艦した。
GPU推進を持つ航空機でのみ可能な、二機同時着艦による緊急着艦である。
「02、09、続いて着艦せよ。」
レイラ達が着艦したばかりでまだエレベータにも乗りきっていないタイミングで、アプローチ開始の指示が出る。
重力推進があれば甲板上で多少のアクシデントがあろうとも瞬時に上昇して惨事を回避することが出来る為だ。
ジェット推進による空力飛行のみで戦闘機が空中に浮かんでいた時代には、危険すぎてとても実行など出来ないような間隔での連続着艦だった。
「02、諒解。ラピッド・タッチダウン、デュアル。09、続け。02フロント、09リア。」
「09、コピー。」
達也は機体を反転させて背面急降下でアプローチコースに接近する。
セリア機がそれを追う。
世界が反転して急激に海面が近付いてくる中、二機同時での緊急着艦の宣言と、自分が艦首側に着艦することを宣言する。
艦首側に着艦する機体は、タイミングを合わせつつも艦尾側の機体よりも僅かに遅れて着艦する必要がある。
万が一艦尾側の機体が事故を起こしたときに、その針路上から緊急退避するためだ。
アプローチする経路も、艦尾側の機体の上を交差して飛び抜けねばならないため、艦首側に着艦する機体のパイロットにはより高度な技術が求められる。
編隊内での機体番号が若い機体が主導権を取り、艦首側に着艦するのが通常のプロセスであるが、着艦位置の前後は主導権を持つ機体の判断で入れ替えても構わなかった。
見事な操縦で達也の前方100m、高度で30mほど下の位置にひらりと降りてきたセリアは、そのまま艦尾着艦位置へのアプローチラインに乗った。
達也はそのセリア機の位置を確認しながら、自分の機体を艦首側着艦位置へのアプローチラインに乗せる。
着艦位置までの間にずらりと並んだタッチダウン・リーダ・ブロックが、進入経路と目標までの距離をはっきりと教えてくれる。
緊急着艦である為、アプローチ速度も通常よりも速めだ。
黒い航空甲板と、その両脇で艦の作る波に白く泡立つ海面が見る間に迫ってくる。
セリアの機体が徐々に速度を落とす。
自分の機体の下になり、見えなくなったセリア機をHMDインジケータとして視野の中に入れながら、達也は自分の着艦位置を目掛けて機体を進める。
「09、タッチダウン。所定の位置まで前進する。」
セリア機が着艦した。
続いて達也も、タッチダウンクロスを緑に保持しつつ着艦する。
「02、タッチダウン。所定の位置まで前進する。」
モータージェットを最低推力まで落とし、エレベータ上のパレットまで半ば惰性で前進する。
100m弱ほど後ろにセリア機が居るこの状態でスロットル操作を誤ると大惨事だ。
緑色のタッチダウンクロスを中央に捉えたまま前進しつつ主翼を畳み、パレットの上に乗る。
電子音が鳴り、クロスが赤に変わったところでスロットルを戻し、フットブレーキを踏んだ。
「02、フルストップ。」
静止したという声を待たずに甲板作業員が飛び出してきて、機体をパレットに固定した。
その作業が終わってすぐにエレベータが動き始める。
後ろを振り向くと、セリア機はすでに艦内に引き込まれており甲板上に姿は無い。
振り返る達也のHMDの視野の中に、続いてアプローチに入っているレイモンドと武藤の機体のマーカが見えたが、エレベータが下がり始めてすぐに甲板の向こう側に見えなくなった。
機体をパレット上に固定され、操縦する必要がなくなったところで達也は大きく息を吐いてシートに身体を沈めた。
緊急離着艦は、あらゆる操作について時間的余裕が殆ど無い、安全マージンを極端に削ったギリギリの操作の連続を強要される。
一つ間違えば大惨事になりかねない、正気の沙汰とは思えないこの着艦手順も、当然のことながらそれが必要であるから訓練を行っているのだ。
例えば作戦が終わり母艦に帰投したところで運悪く母艦が敵の襲撃を受けたとき。
敵の砲撃を受けて艦体に大きな損傷を受ければ、潜水空母は安全な海中に逃げ込むことが出来なくなる。
そうなればあとはなぶり殺しにされ、撃沈される未来しか無い。
地球人同士の戦争であれば、白旗を揚げれば捕虜にしてもらえるかも知れないが、ファラゾアが所謂普通の捕虜を取ることは無い。
陸上の基地であれば地上作業員は、敵の襲撃に対しててんでに走って逃げることさえも出来るだろう。
しかし海上の空母であれば、ましてや開口部の少ない潜水艦では乗務員に退艦のチャンスなど無く、艦が沈めば数百人の乗務員が皆一瞬で命を落とす事にもなりかねない。
そうならないために、一秒を争いながら着艦せねばならない時を想定して、頭がおかしいとしか思えない様なこの訓練は存在する。
パレットは格納庫スペースを移動して所定の位置に動いていく。
見上げると、甲板へのエレベータ開口部は既に次のパレットで塞がれており、次の順番のレイモンドと武藤が着艦シーケンスに入っている事が想像できた。
パレットが所定の格納スペースに到着し、機体を伝わってくる機械動作音が止まったところで達也はキャノピを開いた。
格納庫内の機械や油の色々な匂いが混ざった空気がコクピット内に流れ込んでくる。
「よ。お疲れ。」
コクピット脇にかけられたラダーを登って、整備兵のスライマーンが顔を出した。
ホルムズ海峡に面したバンダレ・アッバース基地のロストホライズンで別れて以来の再会だった。
今も当時も前線を渡り歩いているため、国連軍本部からの指示を直接受け取る事が難しい達也に、参謀本部からの指示を伝え、ロストホライズンに対する切り札であった反応弾頭ミサイルを渡したのがこの男だ。
色々と怪しげな動きをしていたのが印象的だが、整備兵としての腕は確かで、当時の達也はなんだかんだと自分の機体を優先的に整備してくれるスライマーンの腕に全面的な信頼を置いていた。
一般の整備兵では知るはずも無い様なことを次々と口にし、参謀本部、或いは666th TFW本部からの連絡の渡し役となってくれていた当時から思っていたが、この艦で再会して達也は確信した。
正式にそういうものがあるのかどうかは分からないが、整備兵としてこの男もST部隊の一部なのだろう、と。
そうでなければ、中東の基地で整備兵として働いていたこの男と、極東で建造され、事実上ST部隊艦となったこのジョリー・ロジャーで顔を合わせるはずなど無いのだ。
「オエライさんが来てるぜ。」
コクピット脇から顔を出したスライマーンがそう言った視線の先を辿ると、今達也が居る場所からは少し遠い、一番上の階層の薄暗いキャットウォークを歩く五人の人影が見えた。
五人の内二人は空軍の青い制服を着ており、その二人を前後に挟んで歩く三人は、潜水艦乗り達が普段着ている、海軍支給の濃紺のジャンパースーツに似た形の作業着を着ている。
薄暗い中を歩く青い空軍の制服の二人に眼を凝らすと、小柄な方は遠目にも明るい茶色と分かる髪を肩の下辺りまで伸ばしている事から女であると思われた。
暗がりの中で、女の眼鏡が光を反射して一瞬光った。
そしてもう一人は体つきから男である事が分かる。
男の目元で光っているのは、シールドタイプのミラーのサングラスだろうか。
どうやらST部隊のボスとその秘書のお成りの様だった。
「また何か面倒なことになりそうだな。」
帰還した機体を載せたシャトルパレットを搬送する機械音が格納エリア内にやかましく響く中、他に言葉も無くスライマーンと達也はMr.Aとフィラレンシア大尉が歩き去る後ろ姿を見ていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
同時2機着艦です。
現代の空母だと有り得ません。
この時代の潜水空母でも、常識的には行わないと思います。
文中にある様に、一秒でも早く着艦作業を完了して潜水しないと命が掛かっていますので、ギリギリのことをやっています。
スライマーン君、再登場です。
あのちょっとふてぶてしい感じが気に入ってます。
もちろん、今の達也の機体にも例のステッカーは貼ってあります。奴が張りました。w