3. ニパビジミィ級潜水空母 ACSS-041 「JOLLY ROGER」
■ 9.3.1
冬の日本海の天候は、航空母艦への着艦を行うには不向きであることが多い。
低温のシベリア上空に高気圧が発生し、比較的高温である海上に低気圧が発生する。
シペリアから日本海へと向けて吹き出した風は、時に風速数十mという台風顔負けの強さとなって日本海を渡っていく。
同時にこの風は日本海上で大量の雪雲を発生し、高度5000m以下は一面分厚い雲に覆われて、その中に突入してしまえば、ほぼゼロに近い視界と吹き荒ぶ強風にもまれ、母艦への着艦どころかまともに機位を保つことさえ難しく、高度を下げれば風に煽られて地面と激突しないようにするので精一杯、という事になる。
この日のウラジオストク南方の海域も、まさにその様な酷い状態であった。
カムチャツカ半島南東約1000kmほどの海域で訓練を行っていた第一潜水機動艦隊を離れ、西に約3000kmもの旅程をこなしてきた達也達ST部隊、即ち666th TFWの二十一機は、母艦との合流指定海域の遙か彼方まで続く雪雲と殆ど嵐の様な天候を避けて、北海道上空を高度6000mで飛行していた。
従来、通常の飛行隊と同じく一小隊プラス二中隊、即ち五小隊十五機で構成される戦術飛行隊(TFS)の形を取って一部隊を形成していた彼等666th TFWの戦闘機隊であったが、そのベースとなる飛行場を潜水機動艦隊に移してからは一小隊プラス三中隊、つまり七小隊二十一機へと機数を増加させていた。
この新編成はST部隊である彼等だけに限った事では無く、機動艦隊の艦載航空隊は全て同様の構成を取る。
その最大の理由は、翔鷹級、ニパビジミィ(Непобедимый)級など、次々と潜水空母が建造され幾つもの潜水機動艦隊が編成された、この時期の多くの主力潜水空母の艦載機収容能力が二十五機から三十機であることに依る。
従来の十五機編成の飛行隊では、一隻の潜水空母に対して一部隊十五機を格納すれば格納庫に余りが多すぎ、二部隊三十機を格納するには無理があった。
結果、一飛行隊の構成を変えて二十一機とすることで、一空母あたり一飛行隊を格納することでこれに対応した。
僅かに余った格納庫スペースは、当然発生するであろう損害に対する予備機を格納することに使われるか、より余裕のある艦であればさらに小型の輸送機を追加することで、艦隊内或いは付近の陸上からの物資人員の輸送、補給、或いは海上に脱出した救難者の救護をを円滑に行えるような構成となっている。
ちなみに戦闘空域を管制する要であるAWACSについては、艦隊内に搭載能力の余裕のある潜水空母が存在すれば小型輸送機を改造したAWACSを搭載するか、或いは探知潜水艦(ピケット艦)からAWACS子機を射出し、その索敵情報を直接探知潜水艦で受信することでAWACS任務を代行させることが出来る。
いずれにしてもこの後の地球連邦軍の戦略あるいは戦術における機動艦隊の運用方法では、一機あるいは一隻のAWACSで複数の機動艦隊の航空隊を管制する運用が計画されていたため、その様なAWACS配備数で充分であった。
「キャリア41、こちらフェニックス。聞こえるか?」
太平洋から西進し、北海道上空を越えて日本海に侵入した達也達ST部隊は、ランデブー海域と指定されたウラジオストク南方100kmの海域に高度6000mで近付きつつあった。
眼下は一面真っ白く分厚い雲に覆われており、遙か彼方まで広がる雲海の下に存在する本当の海の黒い海面などどこにも見当たらなかった。
指定海域付近ではあるものの、一体どこに自分達の母艦が存在するのか、そもそもこの雲を突いて降下し着艦できるのか、部隊全員が不安な気持ちを抱き始めている中、飛行隊長のレイラは無線にて分厚い雲の下に居る筈の母艦に呼びかけた。
「フェニックス、こちらキャリア41、JOLLY ROGER。待ちくたびれたぞ。こっちはすでに今日予定されている公試プログラムをほぼ完了している。後はお前達を載せて終わりだ。」
レーザー通信の様なクリアな音声では無いが、呼びかけに対して明瞭な反応があったことにレイラは無意識に詰めていた息を吐く。
その姿は雲の下で全く視認することは出来ないが、自分達の母艦は確かにすぐ近くに居るらしい。
「キャリア41、諒解した。これよりアプローチを開始する。短ビーコン照射願う。コンディション送れ。」
「短ビーコン照射諒解。コンディション、針路13、速度20kt、風速25、方位33、視界10、雲高度03、波高06。」
「キャリア41、コンディションがかなり厳しい。というか、その風と波で着艦は無理だ。もう少し条件の良い場所に移動できないか?」
「あ? 冬の日本海はどこもこんなもんだぞ。ぬるいコンディションが必要なら、太平洋まで出るしかないな。つべこべ言わずさっさと降りてこい。ビーコン出しっ放しはヤバいんだ。」
「無茶言うな。新品の艦を壊したく無けりゃ、条件の良い所まで移動するか、或いは着艦中止だ。一旦チトセかハバロフスクに降りる。こっちだって命が惜しいし、新品の機体を潰したくは無い。」
母艦からの無理な要求に若干不機嫌な声になったレイラの抗議に対して、母艦からの返答はしばらく返ってこなかった。
「フェニックス、こちらジョリー・ロジャー・コントロール。まだ墜ちてないか? 上の指示が出た。離水して雲の上に出る。本艦を視認後、速やかにアプローチに入れ。」
自分達が乗ることになるニパビジミィ級の潜水空母は、旧国連軍参謀本部からの強い指示で、従来潜水艦に設置されていた核融合炉とH-Jet推進器に加えて、AGGとGPUを装備する様に仕様変更があった為、その気になれば空が飛べるのだと話には聞いていた。
だが、レイラや達也を含めてST部隊パイロット達の認識は、それは緊急時にのみ使用される特別な機能であって、少々天候が悪かったり、艦載機が着艦できない程度の事で使われるものでは無いと云うものだった。
潜水艦が空を飛ぶと言うのだ。
それはまるで、象が空を飛ぶと云われているようなものであって、GPUを設置する事で理論上飛行が可能であると分かっていても脳が理解を拒否し、通常あり得ない事、だから滅多なことでは使われることの無い機能であろうと、先入観から思い込んでしまった彼等を責めることは出来ないであろう。
常識外の事態が今から起ころうとしている世紀の驚愕シーンを見逃すまいと、部隊の皆が目を皿のようにして、真綿を敷き詰めたようにどこまでももこもこと真っ白く続く雪雲の雲海を、狭いコクピットの中で身を捩ってキャノピ越しに見下ろして注視する。
ふと、密集した羊の群れのような白い綿波の一部が陰ったように思えた。
その陰りは徐々に黒さを増し、次第にはっきりとした形を取り始める。
柔らかそうな凹凸のある雪雲の上端を、掻き分け割るようにして、遅い午後の陽光を反射して黒光りする巨大な艦体が姿を現す。
それはまるで、潜水艦と云うその存在そのものの特性をここで発揮したかの如く、白い雲の海を割って黒く長い巨体が浮上してきたかの様に見えた。
雲の凹凸でその黒い艦体が時々隠されるのは、まるで高波を割って洋上を進む軍艦の勇姿そのもの。
一面に広がる白い雲海のただ中に、長さ400m近い黒くのっぺりとした巨大な艦体が浮くという、現実離れした、或いは幻想的とさえ言っても良い風景がそこにあった。
彼等が声も無く見とれ見守り続ける中で、白い綿雲を掻き分け進む艦体の山なりに丸く尖った背の部分が割れ、見る間に大きく左右に開いた。
まるで背開きされた魚のように、艦首近くから艦尾近くまで真っ二つに真ん中から割れた艦体上部は、そのまま左右に大きく開いて水平になった状態で固定された。
今朝まで乗艦していた翔鶴級のような、艦体中央に艦橋部分が残り、艦首と艦尾部分にそれぞれ分離された二箇所の展開型航空甲板とは異なり、ニパビジミィ級は余計な出っ張りの無い展開型全通航空甲板を持つ。
どこまでも白い雲の上に、幅30m長さ約300m程の黒い航空基地が忽然と現れ、傾きの大きくなった午後の陽の光を受けながら、白い海の上を雲を掻き分けながら進むその姿に暫し皆声も無く視線を奪われた。
「フェニックス。何してる。さっさと降りてこい。針路11、対気速度プラス05、風向02。短ビーコン照射開始。着艦可能。」
自分達が作る編隊の下、約1000mほど離れた所で行われた大スペクタクルに意識を完全に奪われていた皆が、母艦の航空管制の声で我に返った。
「フェニックス01、アプローチ開始する。飛行隊、小隊ごとに続け。」
レイラ機が機体を左に捻り、大きく左旋回するのに続いて、L小隊のポリーナ機とセリア機がそれに続く。
「A1小隊、続け。L小隊の後ろに付く。A2小隊、A1の後ろに続け。」
そう言って達也も操縦桿を左に倒し、大きな円を描いて左に旋回する。
武藤とマリニーがそれに続き、さらに沙美を先頭としたA2小隊がそれに続く。
着艦待ちで達也達が母艦の上空1000mを二周する頃には、レイラが着艦していた。
黒い小振りな機体が、黒い航空甲板にゆっくりと接近して着艦する。
着艦後、機体はすぐさま主翼を折りたたみ、航空甲板のセンターラインに沿ってエレベータ上に設置されたシャトルパレットに向かってゆっくりと移動する。
その頃には後続のポリーナ機がアプローチに入っている。
着艦の間隔が酷く短く思えるが、それは従来の艦載機のように時速数百kmで着艦するわけでも無く、また全ての艦載機はGPUを装備するため、もしアプローチ中に航空甲板上で不慮の事故が発生したとしても瞬時にアプローチを取りやめて再上昇可能である為だ。
幸いその様な事故が発生することも無く、レイラ機はエレベータ上のパレットに乗って艦内に消えていき、ポリーナとセリアが同様に着艦に成功した後、達也の順番が回ってきた。
「キャリア41コントロール、フェニックス02、アプローチング・スタート。」
「02、こちらジョリー・ロジャー・コントロール。対気速度プラス04。TDLに従い着艦せよ。」
「02、諒解。」
初めての艦への着艦である為、達也はHMDにカメラ画像とインジケータを重ねて投影する。
本来見えるはずの無いコクピットの床の向こう側の景色がHMDに投影されて、まるで床が透けているかのように見え、さらにTDLブロックの連なりがそこに重なる。
母艦は日本海上空を吹き荒ぶ風と同じ方向に風よりも僅かに速い速度で移動しているため、合成風はほぼ艦首方向から吹き、その風速も問題となる程では無い。
僅かに風に流されながらも、達也は空力による方向修正とGPUを併せて用いて針路を修正しながら、TDLブロックのほぼど真ん中をスムースに航空甲板に向けて降りていった。
俯いて床の向こう側に見える航空甲板の投影画像がほぼ視野一杯に広がり、キャノピーの外側にカメラ画像では無い、白い雲の中に浮かぶ実際の黒い航空甲板のコントラストが見えてすぐ、着陸脚が甲板表面に当たる衝撃を感じた。
僅かに開けているモータージェット推進はそのままに、GPUスロットルをゼロに戻した。
「タッチダウン。フルストップ。」
「タッチダウン確認。空中着艦であるため、甲板作業員が誘導できない。フライトパスマーカを艦首のタキシングリーダに合わせて、エレベータまで微速前進しろ。」
「02、コピー。」
視線を正面に戻すと、航空甲板の艦首側の端で十字に光る緑色の明かり(タキシングクロス)が、HMD上のフライトパスマーカの向こう側に見えた。
ジェットスロットルを僅かに開けて、指示通りにゆっくりと前進する。
やがて機体がエレベータのシャトルパレット上に乗り、タキシングクロス全体が赤く光ると同時に、耳元で電子音が聞こえた。
「02、フルストップ。」
「02、コピー。」
達也がジェットスロットルを戻し機体を静止させると、エレベータの向こう側の一部が持ち上がって扉のように開き、中から二人の甲板作業員が走り出してきた。
甲板作業員は、どうやら命綱らしいコードを大きなフックで腰に装着しており、コードの反対側の端は今走り出てきた甲板の扉の中へと続いている。
二人は機体の両脇で、パレットの端に設置してあるウインチリールのようなものから機体固定用のハーネスを引き出し、バレット上の固定具を通して機体下面の固定具にフックを引っかけて、達也の機体をパレット上に固定した。
エレベータが下がり始め、そこに乗ったパレットごと達也の機体は艦内に引き込まれる。
甲板作業員二人は、エレベータが艦内に沈み始めると同時に腰に付けていたいかにも邪魔そうな命綱を外しており、いまはパレットから転落しない様に達也の機体に掴まっている。
最新鋭の潜水空母とのことであったが、見回せば艦内格納庫の構造は飛鷹とよく似ていた。
パレットはそのまま艦内格納庫の奥に進んで行き、ポリーナの機体の直ぐ下の中段最奥で停止した。
停止と同時に、周りに設置してある明かりが灯り、コクピットの中までが昼間のような明るさになる。
達也はキャノピーを解放し、HMDヘルメットを脱ぐと、身体をシートに縛り付けているハーネスを外し始める。
ハーネスと格闘していると、整備兵がラダーを機体に掛ける音がして、整備兵がコクピットに上がってきた。
「よう、久しぶり。元気そうだな。」
初めて着艦する潜水空母の整備兵から掛けられるには余りに意外な言葉に、達也は思わず声がした方に顔を向けた。
懐かしい顔がこちらを向いて笑っていた。
いつも拙作お読み戴き有難うございます。
艦名は英語でジョリーロジャーですが、ウラジオストクで建造されました。
戦闘機の技術が全世界的に共有されているように、潜水艦に関する技術もかなり共有がなされています。
特に、ファラゾア来襲以降に開発された技術の大半は各国で共有されています。