8. 幻の巨人
■ 2.8.1
27 June 2036, Science & Technology Division, UN Meeting for Totally Counterplan to PHARAZORE, Bruxelles, Royaume de Belgique(Belgium)
A.D.2036年06月27日、ベルギー王国、ブリュッセル、国連ファラゾア対策総会科学技術部会
会議場の中には身なりの良い服に身を包んだ男女が、ある者はテーブルに着いて、別の者は立ったまま通路で、幾つものグループを作って互いに情報交換を行っている。
聞こえてくるのは、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、北京語と、世界中のあらゆる言語をかき集めた感がある。
中には、英語で発せられた質問にドイツ語で答え、そこにさらにロシア語でコメントが入るという、離れ業の様なコミュニケーションを行っているグループもある。
数百人の人間が、大声では無いとは言え特に声を潜めるわけでも無くてんでに喋っていれば、吸音に優れている筈のこの会議場でさえも常にざわざわとした空気とノイズを充満させ、時間とともに独特な雰囲気を醸成する
そのざわついたノイズが渦巻き反響して再び天井から降ってくる様な空気を割って、澄んだベルの音が響いた。
会議場の最奥のテーブルに座った初老の男が、卓上のマイクを引き寄せて視線を会議場全体に配る。
「定刻となりましたので午後のセッションを開始します。まずはEU連合からの技術報告、7番。ファラゾア技術に関する解析総評、EU INTCENから、イシドロヴナ・クレンコフ。」
マイクで喋った座長の男が座るテーブルの脇には、演台と大きなプロジェクタスクリーンが設えてあり、そこでは既に一人の男が準備を終えて会議場全体を見回す様な視線を送っていた。
「紹介に与りました、欧州連合情報活動分析センター対ファラゾア情報局対策第一班リーダーのイシドロヴナ・クレンコフと申します。」
男はそこで一旦言葉を切った。
司会者が会議の再開を告げた事で多くの参加者達はそれぞれ自席に戻っていっているが、中には会議場の後ろの方でまだ立ち話を続けているものもいる。
こういった大きな会議では珍しくも無い光景だった。要は、話題の優先順位による。
今から行われる報告の内容よりもより緊急度の高い事柄があれば、当然そちらを優先して意志決定をしなければならない。
他の参加者に迷惑を掛けない程度の低い声での会話は許される。長時間にわたる場合には会議場から出て、議場の外で話を続けることがマナーとされる。
実際、その様な会話を続けている何組かのグループが議場の外に出ようとしていた。
会議場から出る、口をつぐんで演者に注目する、或いはもうちょっとだけこのまま会話を続ける。
参加者達がどうするか意志決定するのを確認し、イシドロヴナはプレゼンテーションを開始した。
演台上の彼から見える会議場の席は、六割方が埋まっていた。
参加を表明しつつも、実際には色々な理由でこの会議の場に到達することが出来なかった参加国の代表者達も多い。
六割方の席が埋まっているという事は、参加している者の殆どが今彼の話を聞いているという事になる。
イシドロヴナはその状況に満足し、ゆっくりと力強く語り始めた。
「ご存じの通り、ファラゾアの侵攻から約1年が経過し、科学技術分野に於いて彼等と我々との間に簡単には埋めることの出来ない非常に大きな隔たりが存在することは、ここにおられる皆様方であれば既に共通の認識としておられると思います。
「重力制御推進(Gravity Control Propulsion Device)を始めとして、その推進装置にパワーを供給する熱核融合反応炉(Thermal Nuclear Fusion Reactor)。そして熱核融合反応炉から供給される豊富なパワーを背景とする大口径高エネルギーの攻撃用レーザー発振技術。1500℃を超えても歪み一つ発生しない戦闘機外殻を作成する複合材料技術。まるで原子一つ一つを丁寧に並べて作ったかの様な緻密かつ欠陥の無い合金を合成する先進的な冶金技術。高耐摩耗性、高耐熱衝撃性、高対靱性剪断性など自由に特性を操ることが出来る炭素系素材合成加工技術。構造と制御が高度且つ複雑すぎて、未だ我々にはまともに解析すら出来ない量子演算回路技術。」
いわゆる重点的要素技術(Prior Elemental Technology)と云われ、それを何とかして自分達のものにしようと、全地球を挙げ全人類が全力を投じて解析を行っている異星人の技術リストが表示されていたプロジェクター画像を、イシドロヴナは次のページに送った。
「その技術分野にも依りますが、我々地球人類とファラゾアとの間の技術的格差は、小さなものでも数百年分、差が大きなものについては推定一万年以上の隔たりがあるものと我々EU INTCENでは推察しております。」
幾つもの科学技術分野でのここ数百年の地球人類の歩みと、ファラゾアが現在到達していると考えられる水準、そしてその間を点線で繋ぎ、格差を横軸に時間で表したグラフがプロジェクションスクリーンに投影されている。
急伸する炭素系素材合成加工技術の様に、このまま加速度的に伸びれば数百年後には人類が独自でその高みに到達出来たであろう事を予測するグラフもあれば、重力制御技術や恒星間航行技術の様に、いまだその基礎理論さえ形成されておらず、一体いつになれば彼等に追い付くことが出来るのか、グラフの線さえも描かれていない分野もあった。
「これらの重点要素技術の内、人類がファラゾアの脅威に対抗するために特に重要であると指定された五点について、熱核融合反応炉技術の開発はフランスを中心としたEU連合で、重力制御技術は日本で、超合金冶金技術はロシア、炭素系素材技術はアメリカ、量子演算回路技術は中国で、今後それぞれ開発が行われていくことが、先週開催されたG7+2首脳会議とその実務会議にて決定された事は皆様ご存じの通りです。」
イシドロヴナの後ろには、今彼が説明した内容の一覧表がスクリーンに投影されている。
「そういう事になったのか?」
ポーランド代表団の席に座る淡いグレイのスーツに身を包んだ若い事務官が、隣の席の男に大きさを抑えた低い声で尋ねた。
「なんだ、知らなかったのか。そういう事になったんだよ。」
話しかけられた渋い茶色のスーツの男が、これもまた低い声で答える。
隣り合わせの席で会話する二人の声は、殆ど周りに届いてはいないほどの小さな声だった。
「なんかこういうのって、先進国がいつの間にか決めて自分達のものにしてるよな。俺達が知らされるのは、いつも全部決まった後の結論だけだ。」
「ま、実際重力制御技術の開発とかウチの国に振られたってどうしようも無いけどな。金と力を持ってる奴等がやりゃ良いんだよ。」
渋茶のジャケットの両肩を竦め、男は斜に構えた返事を返す。
「そう、それさ。重力制御技術の開発、ってどうするんだ、って話だよ。核融合炉なら既にある程度のところまで出来ているから、ファラゾアから拝借した技術を上乗せして完成を早めました、ってのは分かる。重力はそうはいかないだろ。そもそも重力とはなんぞや、という事さえまだ分かってないんだろ?」
グレイのスーツの男が、眉を顰めながら云う。もっともな話だった。
反重力装置や重力発生装置など、SFの中でこそ頻出する有名なものではあっても、実際の科学技術としては最初の一歩さえ踏み出せていない状態なのだ。
「とりあえずコピー&エラーで解析するところから始める、って話だぜ?」
グレイのスーツが呆れた様な顔で天井を見上げる。
「コピー、って。大丈夫なのかそれ。そもそもコピーって云ったら、中国の得意技だろう?」
茶色のスーツの方が嗤った。
「なんだお前、知らないのか。コピーする技術の本家本元は日本だぞ。第二次世界大戦後、あいつらはありとあらゆるものをコピーしまくった。コピーしまくっている内に知識と技術を蓄えて、そこから出来上がったのが今の日本だ。」
「そうなのか?」
グレイのスーツの男は、会議場の中の日本代表が座る中を見やる。
そこには眼鏡を掛け、地味なスーツにこれもまた地味な色合いで最悪な趣味の柄のネクタイをした男が座り、壇上のプレゼンテーションを注視していた。
「ああ。当時は結構顰蹙ものだったらしいがな。ただ日本人は、コピーしたら絶対に元の製品より小さく高性能にして改良を加えなけりゃ気が済まないらしい。盗まれたって騒いでたら、それどころかふと気付けばオリジナルより性能の良い製品が溢れてて、いつの間にかシェアをゴッソリ奪われてる、って顛末だ。
「だから、良いんじゃないか? 大陸の反対側でちょっと不便なところだが、元のファラゾアの重力制御装置よりも高性能で小型のものを作ってくれるなら、願ったり叶ったりってとこだろう。」
「成る程ね。それで日本に重力技術、と。」
「中国にやらせたんじゃ碌な事にならなさそうだからな。今回のコピーはマジでやらなきゃならないんだ。中国製コピーみたいに、ガワだけそっくりで動かしてみたらまともに動きませんでした、じゃお話にならねえだろ。人類の存亡が掛かってんだ。」
「問題はそこだよな。ユーラシア大陸は、ファラゾアの占領でほぼ真っ二つだ。どうやってやりとりするつもりだろう。」
「それがな、やつら北極海に海底ケーブル敷く気らしいぞ。」
「北極海に? 大丈夫なのか?」
「もともとロシアから分断されたシベリアと急接近してるんだ。どうやらそのまま北に延びていって、氷の下を通ってバレンツ海辺りに通してくるらしい。」
「バレンツ海、ってお前、ナリヤンマルのすぐ脇じゃないか。作業船は良い的にしかならないぞ。」
「何でもケーブル敷設用の潜水艦があるらしい。」
「潜水艦? そう言えば、海上船舶に較べて潜水艦被害は殆ど無いという報告を見たことがあるが。大丈夫なのか?」
「大丈夫も何も。異星人と本気で殴り合いやってるんだ。生き延びるためには多少の危険は当然だろう? 軍事用のシールドの高い光ケーブルを敷設するらしいぞ。流石に電磁波が漏れてなければ、連中も海底ケーブルまでは見つけられないみたいだしな。」
「そう言えば、この会議の参加者も潜水艦で移動してきたってのが結構居たな。ファラゾアは海の中には入ってこないのかな。」
「水の中では行動が相当阻害されるらしいというのは聞いた事がある。レーザーも通らないし、ミサイルの機動力も地球製のホーミング魚雷以下になるらしい。要するにファラゾアには手が出せない、という事なんだろうな。」
「なあ、それファラゾア脅威下での新しい輸送手段になるんじゃ?」
「ああ。既に研究が始まってる。既存技術の発展だから、例の重点要素技術って奴とは違って、各国で個別にやってるみたいだが。潜水艦大国のロシア、アメリカ、日本ってとこだ。旅客潜はもとより、輸送潜なんかもあるって事だぜ。」
「そう言えば、アメリカどうなってる? 何か聞いてるか? やっと立ち直ってきたって話だったけど。」
「まだまだ危機的状況だ。社会的な混乱が一段落して、燃料の供給が前よりマシになった、程度だと。大工業地帯で原子炉が大量にメルトダウンしたのがやはり大問題らしい。特に東海岸に集中してたのが相当痛手みたいだな。いっそのことピッツバーグとかとっとと放棄して、ファラゾア降下点の無い西海岸に新しい工業地帯作ったらどうか、なんて話も出てた。首都移転の話もあるらしい。」
「東海岸と五大湖はもうダメか。国力も相当低下しているし、アメリカの復活はまだ当分先だな。痛いな。」
「当分先、どころか。内乱の兆候がちらほら見えている。この一年で国民に相当ストレスが溜まっているらしい。」
「内乱? アメリカが? 冗談だろう?」
「国民の武装度が無意味に高かったのが不幸の始まりだ。だいたいどこの家庭にも、ライフルやショットガンの一丁はある。全国民誰でも一瞬でタリバン一般兵並みのゲリラ兵に早変わりだ。住民が百人も居れば、町の警察署だって襲撃して勝てる。自由と平等のスローガンじゃ、腹の足しにはならんからな。
「何でも南部から西部にかけて、東海岸と北部を切り離そうって動きがあるらしい。ホワイトハウスは必死だよ。一方でファラゾアを押さえて、他方では自国民の蜂起を押さえておかなきゃならん。」
「かと言って、軍が国民を撃つわけにはいかないしな。」
「勿論だ。そんな事をした瞬間にあの国はバラバラさ。各州が独立を宣言して、連邦が瓦解してお終い、だ。実際、今もしカンザスとテキサスが動いたら、一気に雪崩を打って、というところまで来ている。」
「テキサスは分かるが、カンザスが?」
「穀倉地帯である中部地域と石油を握ってる南部は、ファラゾアの脅威の無い西部と手を組んで、お荷物になった東部と北部を切り飛ばす、という流れだな。北部から東部に広がる穀倉地帯は、メルトダウンした原発から流れ出た放射能でもう使い物にならない状態だ。予想では、ミシシッピ川が東アメリカと西アメリカの国境線だ。」
「世知辛い話だな。しかしそれをやられると・・・」
「そう。本気でそれをやられちゃ、北米大陸東側に一億人を超える超大量の難民がいきなり発生する。工業も農業も何も産業が無い、深刻な放射能汚染に囲まれた状態で、生産性のまるで無い一億だ。支援しなければ大半が餓死するか、無法地帯の暴徒と化す。しかし支援すれば自国が傾く。誰もが自国内だけで手一杯の今、一体誰が一億の人間を支援する?」
「逆を言えば、今ミシシッピ川以西の州がそれを負担している、と。」
「そういうことだ。無収入のくせに態度だけでかくて食っちゃ寝の家族を世話するのに疲れた兄弟達が屋台骨の傾いた家からみんな逃げ出して、西アメリカ連邦が出来る理由、分かったろ?」
「しかし、どうすればそれを阻止できる?」
「阻止しない。放置する。」
「え? だって、一億人が・・・」
「さっき言っただろ? 現実問題として、今の地球上でその一億人を支えることが出来る国家は存在しない。強いて言うなら、国内にファラゾアの拠点が無い、比較的余裕のあるEUか日本だろうが、それはあくまで『比較的』という話であって、どちらも国内の経済は低調で常に物資不足に喘いでいるのが現状だ。とても他人んちの事までかまけているような余裕などありはしない。そもそも支援に必要なのは物資であって、金じゃ無い。人に施す物資の余裕を持っている国などありはしない。」
「一億人見殺しにするしか無いというのか・・・」
「だからそうならないようにアメリカ政府にはせいぜい頑張って貰わなければな。」
そう言って茶色のスーツの男はアメリカ代表が座る席の方を見やった。
そこには大国の威厳を何とか保とうとしつつ、しかしどことなく疲れて威厳が虚勢にも見える男女が四人座っていた。
いつ終わるとも知れないほど山積みで、またさらに容赦なく次から次へと新たに沸き起こる大陸規模の国内問題と休む間もなく戦い続け、しかしそれでもその国内問題を引き起こした元凶である敵と戦うため、滅びの道を転がり落ちぬように何とか踏みとどまるため、他国との情報交換を行い、自分達が生き延びるための僅かなチャンスも見逃すまいと足掻く者達の姿がそこにあった。
そして、彼らが支え続けようとしている大国はもう既に歴史の中にしか存在しない幻想でしか無く、現実には新興国並みに国力が低下し、解決の目処さえ立たない無数の国内問題を抱えて喘ぐ、今や自分の身体を動かすこともままならない断末魔の巨人がそこに横たわっているのみだった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
今回改めて調べて結構驚いたのですが、米国には原発が100基あるのですね。
まあ、航空母艦の動力源を原子炉にする国なので、当然と言えば当然なのでしょうが。
因みに私は原発推進論者で核武装論者です。生まれも育ちも某世界で最初に反応弾喰らったトコの近くですが。
技術の進歩によって開発された核分裂炉の危険性は、その技術によってキッチリ押さえ込まれるべきと考えています。「怖い」「嫌だ」で目を逸らして逃げるのでは無く。
ニトロ化合物をダイナマイトにして制御可能としたように、核分裂炉を安全にするだけの技術開発がなされるべき、と。
まあ、一番良いのは比較的綺麗な核融合炉にとっとと移行してしまうことだと思いますが。
何十年も研究してる割には、核融合って未だに成功してないんですよね・・・低温核融合もなんかうやむやになった感がありますし。