40. 遊撃部隊
■ 8.40.1
切り立った茶色い山肌が音速の一歩手前の速度で急速に接近する。
前を行くL小隊二番機のセリアが駆る雷火の尾翼が捻るように動き、まるでフェイントを掛けるかのように山肌に激突する寸前でひらりと上昇し、稜線に沿って急上昇した黒灰色の機体が尾根の向こう側に消える。
達也も操縦桿を引き、フュエルジェットに点火する直前までスロットルを押し込んで機体を垂直に立て、山肌を舐めるように上昇すると、右ロールで機体を上下反転させ、背面状態で尾根を越える。
下り斜面に沿って機体を「上昇」させつつ右ロールを続け、尾根を越えて高度が100mほど下がったところで機体が順面に戻る。
すぐさま次の峰の斜面が正面左に迫り、前方のセリア機が右バンクして急旋回する。
それを追う様に達也も機体を右バンクさせ、山肌を掠めるようにして急峻な斜面との激突を回避する。
前を行くセリアとさらにその前を行くレイラの機体は、空に向けて突き立つ槍のような峻嶺に向けて急激に上昇する谷底に沿って上昇していく。
彼女達の雷火に比べて空力飛行では応答が鈍い自機に少し強い迎え角を取らせ、気流が主翼から剥がれる寸前の急上昇で速度を大きく失いながらも同様に谷底に沿って山肌を駆け上がる。
標高6000mを軽く越える尖った山頂を、レイラとポリーナが右に回避し、セリアが左に回避する。
急な機動と上昇で大きく失った速度を、モータージェットの限界に近い推力を絞り出すことで回復させながら、達也はセリア機の後ろを追い掛けて山頂部分を左に回避する。
すぐ後ろを追随する武藤とマリニー機が同様に山頂を左に避け、続く沙美達のA2小隊の三機も同じ様に左に回避したことを、視線を一瞬後ろにやって確認する。
高山の連なる山岳部の狭い谷間を、まるで自在に形を変えて流れるひと塊の生き物のように次から次へと尾根を乗り越え、隣の谷に流れ込むという動きを続けている今は流石にもう密集した編隊は組んでいないとは言え、しかしこれだけの激しくシビアな機動を一人の脱落者もなく当たり前のようにこなしてしまうこの面子の異常さに、自らの事ながらも達也は思わず呆れてしまう。
何よりも、エース中のエースとして世界中の最前線から選りすぐられた666th TFWのメンバーと遜色のない動きをするL小隊のセリアとポリーナの二人、そしてこの異常な技量を持つ飛行隊を先導するレイラの三人。
最初はハミ基地にて達也と武藤がそれぞれ率いる二小隊を含む飛行隊の長にたまたまなった、その飛行隊長直下のL小隊の構成員として配置された、ただそれだけの偶然であった筈だった。
運良く命を落とすこともなく、それら二小隊と共に戦う内に腕を上げながらここまでやってきた。
今では666th TFWのメンバーと行動を共にしていても危なげなく立ち回る事が出来るだけの技量を持つに至っていた。
「距離80。確実に捕捉されているね。本格的に突っ込む。全機AGG(人工重力発生器)イネーブル。」
既に敵のマーカが戦術マップウインドウ上に赤く表示されている。
音速を遙かに超える速度でこちらに向かってくる敵との距離は急速に縮んでおり、3666TFSは既に敵の射程圏内に入って居る。
こちらに付き合って居るのか何なのか、敵の高度が10000mを切っているため、山を縫い谷に沿うように飛んでいる3666TFSを直接に狙う敵の射線は、崑崙山脈の峰々に遮られている。
重力推進が使用可能となってからが達也の、正確には高島重工の鋭電に乗るA1小隊の腕の見せ場だった。
「A1小隊、予定通り別動する。A2はL小隊に続け。」
「A2、コピー。」
達也はA1小隊の後ろに続くA2小隊をレイラの指揮に任せると、出撃前に打ち合わせていた通りに、武藤とマリニーを率いて左側の斜面に沿って急上昇し、尾根を越えてとなりの谷に下りる。
その動きを数度繰り返し、3666TFS本体とは10kmほど南に離れた谷に到達する。
「増速する。遅れるな。」
3666TFS本体との間には崑崙の山並みが横たわっており、すでに電波でなければ通信不能の状態にある。
達也の声は後ろにいる武藤とマリニーにのみ届く。
二人の応答を確かめることも無く、達也はGPUスロットルを前に倒した。
途端に両脇の斜面が後ろに流れていく速度が跳ね上がり、正面に立ちはだかる急峻な山肌が凄まじい勢いで迫ってくる。
達也は顔色一つ変えること無くGPUスロットルを操作し、斜面ギリギリを急上昇。
槍のように尖った山頂の右側を抜け、機体を回転させながらその先の峡谷に向け再び山肌に沿って急降下する。
後ろに続く武藤が峻峰の左側を、マリニーが右を抜けて達也の動きをトレースする。
二人が問題無く付いて来ていることを確認し、さらに増速。
木も生えておらず、ゴツゴツとした鋭角的な岩肌がまるで凶器のように剥き出しとなって連なるV字型の谷の最も深い場所を、音速を超える速度で駆け抜けていく。
曲がりくねった谷は次から次へと眼前に障害物を表し、流石にこの速度であればシャープな効きをみせる空力とGPUを巧みに併用して、達也はそれらを右へ左へと機体を傾け、息つく間もなく躱し避けて谷底を疾走する。
「敵距離50。」
そろそろ3666TFSの本体が、敵との交戦に向けて谷間から跳ね上がる頃だ。
しかし達也達三機はなおも谷底を駆ける。
十八機の敵は変わらず、数の多い3666TFS本体に向けて移動している。
角度によっては、GDDと光学センサーで捉えられた敵マーカーとの間に障害物が無くなり射線が確保されるが、次の瞬間にはまた敵マーカは山稜の向こう側に隠れる。
まだ高くない太陽から降り注ぐ光は谷底に深い陰を作り、コクピットに差し込む陽光と嶺々の陰がまるでフラッシュライトのように一瞬おきに明滅し切り替わる。
「敵距離40。上昇する。攻撃用意。」
曲がりくねった谷底で10kmもの距離を僅か20秒ほどで駆け抜けた達也達三機は、達也が指示を出した次の瞬間、一瞬のうちに谷底から山稜を越え、さらに高く跳ね上がるように崑崙山脈の山々の遙か上空に姿を現した。
「敵機確認。攻撃。」
山稜の遙か上空に飛び出した達也達は、崑崙山脈の峰々が連なる遙か彼方の空中にファラゾア機の集団を確認する。
3666TFSの本体からの攻撃によるものだろう、当初十八機いた敵機は、既にその数を十五機に減じていた。
敵が3666TFS本体を攻撃しようとしているところを、横から狙い撃ちにする。
この距離であれば全ての敵機がガンサイトに収まる。
鋭電に搭載されている200mm/150MW光学砲二門の銃身が、COSDARと連動する照準システムによって駆動され、瞬時に敵に狙いを付ける。
HMDに表示されるガンサイトの円内を自由に動き回るレティクルが、中心に近い敵マーカに重なって輝度を増し、照準が合ったことを知らせる。
達也はレティクルの輝度増加を確認し、トリガーを引く。
操縦席下方両舷に設置されたレーザー砲からレーザー光が放たれたと同時に敵に着弾し、その外殻を灼く。
レーザーが着弾した部分が瞬時に数万度以上に熱され、俗にファラゾア合金と呼ばれるチタン系特殊合金でさえその熱に耐えられず爆発的に蒸発して破壊孔を生じる。
レーザーはその破壊孔から機体内部にさらに侵入し、光路にあるものを手当たり次第に熱し、爆発蒸散させる。
内部構造の爆発の衝撃によるものか、或いはレーザー光に直接触れて高熱で破壊されたか、機体内部の致命的な部分を損傷し機能を停止したファラゾア機は、レーザーに灼かれた薄い煙を引きながら、放物線を描いてゆっくりと回転しながら地上へと落下していった。
COSDARは、ファラゾア機の重力波を検知出来なくなったこと、或いは光学的観察でファラゾア機が本来の予想航路を外れて落下し始めた事を検知すると、目標に撃墜判定を与え、至近の次の目標に照準を合わせるよう照準システムにコマンドを送出する。
撃墜された目標からはファラゾア機を示す赤いマーカが消え、レティクルは至近の次の目標に飛んで再び輝度を増す。
それを確認した達也が再びトリガーを引く。
3666TFS本体を実質上囮にし自分達が狙われる危険が少ない状態で、別動した達也達A1小隊の三機は3666TFSを狙うファラゾア機十五機を次々と撃ち落とす。
同時に3666TFS本体側からもファラゾア機に攻撃が加えられ、達也達が攻撃を開始してから僅か五秒で十五機のファラゾア戦闘機は全て撃墜された。
「チュウウー05、こちらフェニックスリーダー。敵機十八機と交戦、殲滅した。こちらの損害は無し。」
「フェニックス、こちらチュウウー05。敵殲滅はこちらでも確認した。相変わらず良い腕だ。ウルムチから棒棒を呼ぶ。フェニックスはRARを継続。」
「フェニックス、コピー。」
僅か一瞬で終わった交戦の後、レイラが戦闘終了をAWACSチュウウーに報告する。
作戦の予定では、3666TFSが一回目の敵との交戦をトリガーとして、ウルムチ基地から重力プラットフォーム(GP)の集団が出撃することになっている。
そして予定では、3666TFSはこのままRARを続け、この先で再び敵と交戦することとなっている。
「なあ、『バンバン』て何だ?」
武藤が達也に問いかける。
その不思議な言葉がウルムチから出撃するGPを示すのであろう事は話の流れから理解できたが、実際どういう意味の言葉なのかが分からなかった。
「人足のことさ。天秤棒の両側に重い荷物をぶら下げて運ぶ。」
「ああ、成る程ね。」
台湾人のゲイリー・フーが武藤の問いに答えた。
今はA1小隊も高度8000mで山並みの上空を飛行しており、3666TFSと通信が確保できている。
「高度を下げる。A1小隊、高度60。」
「コピー。」
達也は後ろの二人に知らせると、操縦桿を倒し背面降下で2000mほど高度を下げた。
高度6000mは、崑崙山脈に連なる多くの山々のちょうど山頂付近を飛ぶことになる。
希に6000mを超える高さを持つ山を避けなければならないが、山並みの上で3666TFS本体と通信を維持したまま、目立たず、いざというときにはすぐに谷間に逃げ込める絶妙な高度だった。
「こちらも高度60まで下げる。」
そう言うとレイラも翼を翻し、一気に2000mを駆け下りた。
デルタ編隊を組んでいるL小隊の二機がそれに続き、A2小隊、B中隊の計三つのデルタ編隊が次々とそれに続く。
「タツヤ、敵は?」
30kmほど北側でA1小隊と同高度に落ち着いたレイラが、索敵情報を訊いてくる。
今達也達が飛行しているのは、Zone5-07の区域であった。
大作戦を実行中であることを誤魔化すために、AWACSは普段のRAR任務のサポートを行うときと同じZone6からZone7の境界辺りを遊弋しており、AWACSと通信して索敵情報を得るのは、索敵情報の精度という意味でも、遠いAWACSとの間の通信の確保という意味においても、ともすると戦闘機とは言えども高性能のGDDを搭載している達也達の鋭電の方が頼りになる事をレイラは知っていた。
「敵影無し。」
「諒解。予定通りこのままコースTK-28にてRARを継続する。高度このまま。」
先の交戦の知らせと共に、GPとその護衛がウルムチ基地を出発したはずだ。
同時に、Zone4-07付近にて予想されているファラゾアとの大規模交戦に対応するための戦闘機隊が酒泉基地を出発したはずだった。
既に一度敵と交戦し、こちらの存在はバレている。
今更GPUをカットして隠れる必要は無かった。
このまま、通常のRARのフリをして、コースに沿って飛べば良い。
よく見れば、一飛行隊が丸々出撃している事や、達也率いるA1小隊が、敵と接触した場合に隊内に絶対に被害を出す事無く敵を速やかに始末するための遊撃隊として、少し離れた所を同航している事など、あちこちに違和感を感じることが出来るだろうが、基本的に数に任せた力押しで攻めてくるファラゾアは、その様な細かい事を気にしていない様だという事を前線の兵士達なら誰もが肌で感じ取っていた。
連なる山頂付近の高度を維持ししばらく飛行したところで、再びレシーバから電子音が発せられるのを達也は聞いた。
同時に11時の方向にGDDの丸い紫の縁が表示された。
「GDDにて敵探知。方位27。遠距離のため規模、高度、距離共に不明。」
「大体予想通りのタイミングだ。A1、GPUカットし谷間に隠れろ。他はGPUオンのまま針路高度共に現状維持。さっきと同じパターンでいく。」
達也の報告を聞いて、レイラがすぐに反応する。
「諒解。A1、GPUカット、谷間に隠れる。08、09、続け。」
「08、コピー。」
「09。」
達也はGPUをカットし、操縦桿を左に倒す。
機体は左に大きく回転しながら、朝日の中未だ暗く影の差す急峻な谷底に向けて吸い込まれていく。
武藤とマリニーの二機がそれを追った。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
体調は戻ったのですが、仕事が減らない。
また遅くなってしまい申し訳ありません。
「棒棒」という職業はもう無いかも知れません。
船が港に着いた時など、天秤棒を担いで両端に重い荷物をぶら下げ、荷揚げや積み込みを行うための人足の事です。
今やコンテナとガントリークレーンに完全に取って代わられているかも知れません。