37. SF作家にはロクな奴が居ない
■ 8.37.1
29 September 2047, Transport fluvial et aerien sur le Rhin, Strasbourg, France
A.D.2047年09月29日、フランス、ストラスブール、ライン河川航空運送
三千年以上もこの場所にあり続ける古都に夜の帳が降りて数時間経ち、そろそろ深夜と云っても誰もが納得するであろうこの時間では、路上に人影は殆ど無く、市街中心部に立ち並ぶアパルトマンの窓に灯る明かりも少なく、街全体に灯る明かりの数もそれに応じて少なくなり、街全体が徐々に眠りにつこうとしていることがはっきりと分かる、そんな時間。
隣国ドイツとの国境であるライン川の河畔に存在するライン河川航空運送の看板を掲げた古びた倉庫は、外から眺めるならばとうに営業時間を終え、防犯用に敷地の所々に設置してある常夜灯の他は、夜間の警備を担当する警備員達が詰めるゲート脇の警備小屋にしか明かりは点いていない。
そのガードハウスの中で椅子に座る二人の警備員も、眠気を抑えながら朝まで続く暇な時間をどうにかやり過ごすため雑談に興じており、事情を知らない者であれば誰が見ても、潰れはしないが大して儲かりもしていない中規模の運送会社の倉庫の夜間風景にしか見えないことだろう。
倉庫の中も、まばらに置いてある40ft、或いは20ftのコンテナが目立つ程度で、他にはいつから放置してあるのか分からない様な埃をかぶったラッピングパレットが壁際に幾つも寄せてある位の閑散とした状態だった。
それはまさに卯建の上がらない中規模ローカル運送会社といった風を呈しており、倉庫の建物の中にも外にも、何も特筆すべきものはなかった。
しかし運送業界の者、或いはそこから何かをかすめ取ろうと企む「そっちの」筋の者が見れば、その倉庫の中の違和感に気づけるかも知れなかった。
そもそも倉庫内が綺麗すぎた。
殆ど埃が積もっていないコンクリート製の床は、貨物の出入りが多く、常に管理の行き届いている大手運送会社の倉庫の中と見まごうばかりだった。
丁寧に掃除された事を窺わせるが、それでも消しきれない轍の跡が偏りすぎていた。
フォークリフトを思わせる轍は全て二箇所に向けて集まっており、その一つは北側の壁沿いに縦に置かれた40ftコンテナであり、もう一箇所は東側の壁に沿って固めて四つ積み上げられた40ftHCコンテナの元に向かっていた。
そしてもう一つ、フォークリフトでは無く様々な自動車の轍と思われるものはほぼ全て、倉庫入り口から西側の壁に沿って置いてある40ftコンテナに向かっていた。
表面的に不真面目を装った警備員達と、実は敷地内に大量に張り巡らされた様々なセンサー網を掻い潜って侵入することはまず不可能ではあるが、もし盗みなどを目的とした賊が倉庫内に侵入したとすれば、その者はさらにあちこちに異常が存在することに気付くかも知れない。
見た目には閂が下りただけでロックはかかっていない筈が、どうやっても開くことが出来ないそれらの40ftコンテナ、よく見れば四つでは無く、隙間無く密着した一つの固まりとなっている四つの40ftHCコンテナ。
極めつけは、すでに夜は肌寒い季節であるというのに何故か常に昼夜を問わず20度辺りを維持している倉庫内室温と、併設された事務所の室温。
そして、事務所奥に設置されている身体障害者用トイレの側壁に設けられた物入れの、二段目の扉を開けると明らかになるセキュリティ端末。
しかし賊が眼にすることが出来るのはそこまででしかない。
例えこの「倉庫」の本当の「職員」であろうと、ただ一度でもパスコードを打ち間違えるだけで飛んでくる、不審者の射殺許可を得た警備員。
警備員の指示によって、光学探知可能な限り動く物を無差別問答無用に撃ち抜く無数に設置された対人用レーザー銃。
それはまるで、この倉庫に置かれた物品の盗難を防ぎ、職員の安全を守る事よりも、とにかく侵入者を生かしてこのエリアの外に逃がさないことに主眼を置いたような警備態勢であった。
その警備態勢は、警備員或いは警備システムから一度不審者且つ排除対象と断定されれば、その者がこの倉庫の建物の中で10秒以上生存することはまず不可能であると思われた。
その様な、外観上は少しくたびれたどこにでもありそうな倉庫ではあったが、40ftコンテナの扉の中、或いはトイレのバスコードロックされた隠し扉の向こう側から通じる地下には、現在地球で望める最新の機器が揃ったラボと、それに併設された事務エリアがあり、地上に存在する建造物から受ける印象にまるで反して、二十四時間体制で職員が働き続ける職場が存在する。
その事務エリアの一室で三人の男がソファに座り、目の前のテーブルに置かれた書類の山と、壁に投影されたプロジェクタ映像を眺めながらすでに数時間に及んでいるミーティングを行っていた。
一人用のソファに座る一人は、この部屋の主である国連安全保障理事会情報分析センター対ファラゾア情報局、即ち通称「倉庫」と呼ばれるこの施設の長であるヘンドリック・ケッセルリング。
もう一人は、二人がけのソファを一人で占領し、悠々と足を組んで座るシルヴァン・ボルテール、即ちヘンドリックに次いでこの「倉庫」の副局長であるフランス人。
そしてもう一人、シルヴァンの向かいで二つある一人用のソファの片方を占領しているのは、トゥオマス・コルテスマキと云う名のデンマーク人のSF作家であった。
SF作家という、変人或いは奇人を具現化した様な職業とヘンドリックに強い偏見を持たれた職を名乗るトゥオマスがこの場に居る理由は、彼の一風変わった経歴にある。
コペンハーゲン大学で宇宙物理学を専攻し博士号を取得したトゥオマスは、「天文学じゃ食えねえ」という理由でチューリヒ工科大学博士課程に入り直し、今度は量子力学で博士号を取得した。
そのまま大学に残り准教授の職を得て量子力学を講義し、研究室を任されていたトゥオマスであったが、ある日突然、大学という組織に所属し管理され、地位や或いは権力、名声と云った「下らない」尺度で自分の人生を他人から値踏みされ、価値を勝手に決めつけられる事の全てが馬鹿馬鹿しく思えるようになり、即日辞表を提出して街を出た。
その後はそれまでに蓄積した専門知識を生かしてアマチュアSF作家として半ば以上趣味で活動し、しばらく自由を謳歌していたのであるが、その確かな背景を持つ知識の深さと技術的或いは科学的描写の精確さ、論理的な文章、そして発想の自由さなどから、一部コアなハードSFファンの熱烈な支持を受けて新進気鋭のハードSF作家としてデビューし、そして数年経った頃にファラゾアの来襲があった。
ファラゾアよりも速い反応速度や、絶対に諦めることなく戦い続ける闘争心、それだけを武器にして、劣った科学技術と兵器性能でただただ死に物狂いに全力で闘っていただけのファラゾア来襲後の十年を経て、敵から奪った技術を少しずつでも身につけ、極めて限定的な状況下でという制約はあるが、敵と同程度の性能を発揮する兵器も僅かながらでも手に入った。
国連事務局と国連軍の上層部は今後十年、多分それ以上の長い時間、どの様にファラゾアと戦い、どの様な筋書きでこの仇敵を地球から追い出し、最終的には太陽系から蹴り出し追い返すかのストーリーを組み立てる余裕と現実味を手に入れた。
しかし相手はハリウッド映画にでも出てきそうな、彼等公僕或いは職業軍人の想像の埒外の存在であった。
従来彼等が取り扱ってきた陸海空の三元的全面衝突や、航空支援を伴う目標の占領、或いは局地的なゲリラ掃討戦、さらに云うならば屋内戦や示威行動レベルの散発的な撃ち合いまで含めて、これまでに得たあらゆる知識と経験を活用したとしても現実の状況にまるで対応が出来なかった。
正確に言うならば、敵がどのような手をまだ隠し持っていて今後どのように動き、それに対して自分達は今からどのような兵器を用意すべきか、そのためにどのような技術が必要なのか、これまでの常識がまるで役に立たない状況に皆頭を抱えた。
国連安全保障理事会情報分析センター対ファラゾア情報局というヘンドリック麾下の組織はまさにその様な役割を期待されており、世界中から集まるありとあらゆる情報を分析して敵の行動や脅威を予測し、さらにはそれに対抗するためのあらゆる方面での提案を求められている。
当初僅か二十人余りの欧州連合情報活動分析センターファラゾア対策第3班として産声を上げたこの組織が、寄親を国連というより巨大な組織に変え、さらに彼等自身についても末端まで加えるならば今や千人を越える巨大な組織へと成長したのも、与えられた任務の重要性と、アウトプットされる成果への期待の大きさの表れであると、構成員の誰もが認識していた。
しかしながら、これまでの常識では任務を遂行できないという問題は彼等「倉庫」にも等しくのし掛かっており、より精確な予測、より高度な兵器、そしてそれらを使いこなし人類の未来を力業で切り開く戦略を策定するに当たって、ヘンドリックを始め「倉庫」の主だったメンバーは特定の分野に於ける自分達の知識不足と想像力不足を常に痛感していた。
そこで白羽の矢が立ったのがトゥオマスであった。
人類の文化的活動が停止する前、即ちファラゾアによる襲撃の前、主に欧米のSF界に衝撃的なデヴューを果たし、他の追随を許さない発想力と知識によって紡ぎ出される彼の作品は、ファンタジーや日常と云った色を濃く帯びるようになっていたヨーロッパのSF界を戦慄させ衝撃を走らせた異色の光を放ち輝いていた。
新たなハードSFの旗手と謳われ、そして人類の文化はそこで凍り付いていた。
とにかく知識とアイデアを求める「倉庫」の面々が、トゥオマスの元にたどり着いたのはある意味必然とさえ言って良かった。
SF作家を毛嫌いするヘンドリックも、彼の持つ量子物理学と宇宙物理学の博士号を前にして黙るほかは無かった。
例えそれらの経歴から予想される人格が、奇人変人という言葉にさらに社会生活不適合者を乗じたものであろうとも。
とにかく専門的知識と豊かな発想力を求めていたシルヴァンは、トゥオマスについて書かれた報告書を読み、大笑いしながら勧誘と採用を即決した。
だがやはり最大の問題はトゥオマスの性格にあった。
組織に属するのが嫌、管理される事が我慢ならない、元准教授そして人気作家でもあり金には特に困っていない、地位や名声、権力と云ったものに一切興味が無い。
究極の組織であるとも云える国連の下部に位置し、職員を完全管理することが必要条件である情報部という組織が、金や地位に眼もくれないその様な男を勧誘するのは至難の業、というよりも不可能事であると思われた。
実際、日参するように彼の元を訪れた勧誘員は、通えば通うほど頑なになるトゥオマスの態度に勧誘をほぼ諦めていた。
結局部下から懇願されたヘンドリックが嫌々トゥオマスの元を訪れ、局長権限で倉庫施設内での行動の自由、ほぼ最高位の情報閲覧権限を与えるなどの多数の譲歩を行った末にやっと彼の首を縦に振らせることに成功したのだった。
いわゆる民間人であり、機密情報などというものに触れた経験など無いであろうトゥオマスに対して、情報の扱い方と心得について危惧したヘンドリックがその点を念押しするとトゥオマスは言い放った。
「何を言っているんだ君は。情報部の職員として当然のことだろう。その程度のことは言われずとも分かっている。SF作家を甘く見ない方が良いぞ?」
やはりSF作家という奴は、頭のネジがどこか嵌め違えられたオカシイ奴等だと、ヘンドリックは認識を新たにしたものだった。
そのトゥオマスが倉庫に「棲み着いて」から早半年が経とうとしている。
当初、彼と同席となる会議を極力避けようとしていたヘンドリックであったが、自分達だけでは解決し得なかったであろう難問であった情報を読み解き、人類にとってまだ殆ど経験の無い未知の領域である宇宙空間に於けるファラゾアの動きを予想して見せ、そしてその正しさが観測結果によって次々と裏打ちされ、想像も付かなかった兵器の存在を指摘し、逆に地球人類の開発目標として指し示し、ヘンドリック個人としては認めたくは無いもののしかしそれらの提案に確かに筋が通っており、そしてトゥオマスがその様な「当たり」を次々と出す度に上機嫌で報告に来るシルヴァンの報告を幾度となく聞かされ、さしものヘンドリックもトゥオマスの有用性を認めない訳にはいかなくなった。
あくまで「トゥオマスの有用性」であり、「SF作家の」では無いことを頑なに主張していたが。
それがここ最近頻繁にヘンドリックの部屋にこの三人で集まり打ち合わせをする理由であった。
「で、ウイグルからチベットにかけて多数落下した敵艦の残骸だが・・・」
「絶対回収するんだ。宝の山だ。前回カリマンタン島に落ちた奴は全く回収出来ていない。そっちの回収が難しいことは理解している。だが、タクラマカン砂漠に墜ちた戦艦の艦首部分はファラゾア防衛線を外れていて、行ける筈だろう? 一秒でも早く回収すれば、それだけ早く地球人の技術力が進むんだ。この戦いは要するに、地球人が全員脳ミソを抜き取られるのが早いか、或いは地球人が技術力を付けて奴等のケツを蹴り飛ばすのが早いかの競争だ。技術に関する事は一秒も無駄に出来んぞ。」
そう言うだろうと思ったよ。
ヘンドリックは諦め顔で天井を見上げた。
「どうやって回収する? 敵の勢力圏内だ。放射能の問題もある。いずれにしても長時間の作業は無理だ。あの図体は芋虫を摘まむようにはいかんぞ。」
一週間ほど前にハミ降下点にて発生したロストホライズンで、地球人類渾身の作である重力推進ミサイルによって多数のファラゾア艦が撃沈された。
それ自体は歴史上の偉業と言って良い快挙だった。
問題は撃沈された敵艦が、文字通り地球大気の中に沈んだことで、放射能を帯びた大小無数の残骸が地上に降り注いだことだった。
重力推進という「浮力」を失ったほぼ全ての残骸はそのままハミ降下点周辺に降り注ぎ、撃破された二隻の戦艦のうち一隻の艦首部分およそ500mほどの巨大構造体がタクラマカン砂漠中央部、戦術エリアで示すならばHami/Zone4-33に落下していた。
ロストホライズンに投入された敵艦隊はハミ降下点直上300kmの軌道に静止していたため、他の全ての大型落下物は全てファラゾア防衛圏と呼ばれる降下点から350km以内の領域に落下しており、事実上回収は不可能とみられていた。
「は? 何を言ってるんだ君は? 人間が直接作業しなければ良いだけの話だろう。」
トゥオマスが、出来の悪い生徒の無思慮な発言を叱責するような口調で、ヘンドリックを僅かに見下したような、そして自分のアイデアを披露したくて仕方が無いような、そんな表情で言い放った。
クソ。やっぱりSF作家にはロクな奴が居ない。
ヘンドリックは口元を歪めながらもう一度天井を見上げた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
随分遅れてしまいました。申し訳ありません。
先週末から原因不明の熱で死んでました。
PCR検査もインフルエンザ検査もパスしたので、別の病気っぽいのですが、医者もはっきりと病名を告げてくれず。
とりあえず熱は下がる傾向にあり、解熱剤を飲むと落ち着いてるので、まあこのままボチボチ治るのかな、というところです。
なんか、トゥオマス君紹介回になってしまいましたが。
奇人だ変人だイカレ野郎だなんだと云ってる割には、トゥオマス君に丸々一話使ってしまった。w