34. Déjà vu (デジャヴ)
■ 8.34.1
大音響のベルとサイレンの中、達也は手に持った書類の束を書架に置き、壁掛けの形で設置してあるモニタの前に移動する。
達也がモニタの前にたどり着いた頃には、パイロットと整備兵とですでにモニタの前に軽い人だかりが出来ていた。
モニタはロストホライズンに関する情報を次々と映し出す。
有力な敵艦隊がハミ降下点上空300kmに展開中。
敵艦隊内訳、戦艦二、空母四、護衛艦六、その他一。
敵空母四隻からの敵戦闘機軌道降下を確認。推定軌道降下戦闘機数二万。
ハミ降下点での重力反応増大中。
ハミ降下点の推定駐留敵戦闘機数五千。
ロストホライズン推定敵侵攻部隊戦闘機数二万。
ロストホライズン推定敵侵攻目標、北方(ウルムチ或いはカラマイ)。
ロストホライズン敵侵攻部隊推定目標到達時間約三十分。
周辺各基地にロストホライズン警報、並びにスクランブル警報発令中。
3666TFWのパイロット達は口々にとうとう来たか、さて今日は何匹墜とせるか、などと軽口を叩き合っている。
例えロストホライズンであろうと自分は生き残れるという自信の表れなのか、他の飛行隊にてロストホライズンを知らされた一般兵士達が見せる、人生の終焉に際しての悲壮な覚悟を決める表情や、絶望と諦めに塗り尽くされた台詞を吐くような者は一人も居なかった。
一方、自らが戦う術を持たない整備兵達は、モニタ上に次々と映し出される絶望的な情報を眺めてその表情を暗く染めながらも、チラチラとパイロット達の方に視線を飛ばしている。
基地放棄となれば、何もかもを投げ出し捨て置いて、取るものも取りあえず殆ど身ひとつで脱出用の輸送機に飛び乗り、命からがら逃げ出さねばならない事を運命付けられている彼らは、自分達が整備している機体にはどれもエース中のエースが搭乗し戦うのだと云うことを知っている。
この地上からまた一つ人類の基地が消えてしまうのか、彼らならそれを何とかしてくれるのではないだろうか、例え彼らでもたかだか一部隊十五機ではどうにもすることなど出来ないのではないだろうか、と不安と期待の織り混ざった表情でパイロット達を見ているのだった。
「全員傾注!」
詰め所のドアが勢いよく開き、飛行隊長のレイラが大股で詰め所の中に入ってくる。
達也はその光景に軽いデジャヴを覚える。
その場に居た者は皆、パイロットも整備兵も、部屋の中程まで進んだレイラを見る。
「知っての通りロストホライズン警報が発令された。敵侵攻目標はハミ降下点から北方が予想されている。3666TFSは全機速やかに出撃、酒泉基地上空で編隊を整えつつ待機し、追って出撃してくる3667TTSと合流。これを護衛しつつZone4-08へ進出し、3667TTS攻撃行動の間エスコートを継続。3667TTSが攻撃を終了して戦闘空域を離脱した後、3666TFSは東側から敵ロストホライズン侵攻部隊の側背を突き、可能な限り敵を撃墜する。それ以降の行動は現地空域管制チュウウーの指示に従う。以上。行動開始!」
レイラの号令一下、全員が動き始める。
出入り口の混雑を避けて、達也はまたレイラに話しかける。
「まずはVIPの護衛からか。」
「そうよ。あのクソ野郎が乗ってると思えばムカツクけどね。」
「話をしたが、そう悪い奴じゃ無かったぞ。何にせよ、奴等のミサイルが大活躍するらしいが。」
「飛行隊長会議で何回も顔を合わせたわよ。やっぱりムカつく奴だったわ。お手並み拝見と云ったところね。無様な事しやがったら思いきり笑い飛ばしてやる。」
それは多分、からかった時の反応が面白くて遊ばれているのではなかろうかと達也は思ったが、口に出すのはやめておいた。
下らない戦いに巻き込まれるのはまっぴら御免であったし、同じ部隊内に居て常に最前線に立たされるのはもっと考えたくない事態だった。
この件についてこれ以上踏み込まないと決めた。
達也はレイラの言葉に肩を竦め、少し空き始めた出入り口に向かって振り返り、レイラと肩を並べて歩き出した。
格納庫の中はまさに蜂の巣をつついたような大騒ぎであった。
もともとRAR出撃直前であった為、各機体の整備はほぼ完了している。
運良くここ数日、3666TFSは小競り合いにも巻き込まれなかったため、修理が必要な機体が残留していることもない。
それでもフライト前チェックは実行せねばならず、各機体に数人ずつ取り付いた整備兵が、所狭しと並べられている暗灰色の戦闘機の間を走り回っていた。
小隊毎に順番にRARに出撃するようにスケジュールされていたものが、急遽変更され即時全機出撃となったわけだ。
上を下への大騒ぎにならない訳が無かった。
達也はエプロン側格納庫出口から四番目の駐機スポットに駐まっている愛機に近付いていく。
見慣れた整備兵達が、一名はラダーの上でコクピットを覗き込んでおり、二名は機体脇で手にした機体整備用パッドを確認しながら、機体チェックを行っている。
達也はラダー上の整備兵に声をかけて、コクピットに昇った。
「問題無し。一昨日から出てたRFIPの不調は部品交換で解消した。初期不良だ。安心して良い。共通部品で助かったよ。」
「済まないな。助かるよ。」
「なに、これが仕事だ。あんた達は、今から仕事だ。」
整備兵の脇からコクピットに足を突っ込み、コンソールに取り付けてある取っ手を掴みながらシートに身体を沈める。
脇に居る整備兵からヘルメットを受け取って被り、酸素マスクをヘルメットに引っかけた後にコネクタを接続する。
HMDバイザーを下ろして、動作を確認した後、コンソールの出撃前チェックシーケンスボタンを押すと、コンソールにコマンドウィンドウが開き、チェックシーケンスが流れ始める。
横を見ると、となりの機体で同様に武藤が出撃前のシーケンスを行っているのが見えた。
しかし、その向こうに駐まっているマリニーの機体にパイロットが乗っていないのが見えた。
「マリニーは居るか? 姿が見えないが。」
達也は、未だ基地内の有線ネットワークに接続されている為に有効となっている通信機能を使用して、部隊内全員に聞こえるように言った。
「マリニーだけじゃねえぜ。A2小隊がまだ居ない。」
「何してるんだあいつ等。誰か見かけなかったか?」
「そういや今日はまだ見てねえな。」
最悪置き去りにして先に発進し、上空で合流するしかないかとの考えがよぎったところで、B2小隊15番機のヨゲシュの声が聞こえた。
「今格納庫に泡食って入ってきた。ロッカールームに向かってる。」
今日のRAR出撃時刻が遅めに設定されていたため、四人でのんびり喋りながら朝飯を食っていたとか、どうせそんな理由なのだろうと達也は軽く溜息を吐いた。
朝食をゆっくりと摂ったところで何の規則に違反するわけでもないのだが、今みたいな事があることを考えると、最前線基地で食事をのんびりと摂ろうなどと云う発想は、達也には湧いてこなかった。
コンソールでは、チェックシーケンスを終えたコマンドウィンドウに「CHECKED; NO ERROR」の緑色の文字が点滅していた。
武藤の機体の機首の向こうで、マリニー達四人が詰め所脇のロッカールームに駆け込んでいくのが見えた。
「レイラ、のんびり娘共をちょっと待ってやってくれ。今ドレスアップ中だ。」
「たく、何やってんのよ。帰ったら基地十周の刑ね。」
「五周にしておいてやってくれ。明日に響く。死なれちゃ困る。」
2500m級の滑走路を二本持つ酒泉基地外周を一周回れば、優に7~8kmはあった。
いかなトップパイロットとは言えども、フルマラソンを遙かに超える距離を走らされれば、流石に翌日に疲れが残るだろう。
「基地五周に反省文付き。ロシア語で書かせてやろうかしら。」
「それはなかなか良いアイデアだ。だがロシア語で書かせると、あいつらなら『ゴメン』一言になりそうだな。」
「最低百単語以上のシバリ付き、ってのはどう?」
「朝飯の味の感想を延々書き連ねそうだ。」
くだらない雑談をしながら、整備兵と共に行う出撃前チェックが終了する頃には、マリニーも自分の機体に乗り込んでいた。
「遅い。何してた。」
「ゴメン。朝ご飯食べてた。RARは1200時だったし。」
「急げ。すぐに出る。」
「諒解。」
四人が乗機したのを確認し、彼女たちが出撃前チェックを行う時間を使ってレイラが行動予定を再度説明する。
「08、準備完了。」
「A2、準備完了。」
「A中隊準備完了。出撃可能。」
マリニーと沙美からの準備完了の報告を受けて、達也はレイラに出撃可能を報告した。
「3666TFS、出撃する。遅れるな。遅れたら3667TTSのクソ野郎がまたうるさい。」
「少佐、急いだ方が良い。3667はもう上がり始めた。」
「クソッタレめ。」
整備兵からの情報にレイラが毒づく。
整備兵はコネクタプラグを機体から抜きながら、レイラの機体から離れた。
モータージェットのエンジン音が高くなりレイラの機体が動き始め、格納庫の入口に向けて機首を回す。
「ヨゲシュ、B中隊は裏口から出るぞ。お前が先頭だ。裏の大扉開けろ。」
「は!? 正気かアンタ?」
「うるせえ。前が出るの待ってたら日が暮れちまうわ。良いからさっさと開けろ。大きさは充分あるんだ。」
レイモンドが飛ばした無茶苦茶な指示に整備兵が抗議するが、レイモンドはさらに畳み掛ける。
渋々と云った風に整備兵が裏側の大扉の開閉ボタンを押すと、格納庫裏手の大扉がゆっくりと開き始めた。
裏手の扉は、エプロンに面した正面の大扉よりはやや小ぶりではあるものの、機体や機材の搬入を考慮してそれなりの大きさがあり、ギリギリではあるが戦闘機も通り抜ける事が出来る。
裏の大扉が開くのを待たず、15番機ヨゲシュ・パテル少尉の機体が回頭して裏口に向けて移動し始めた。
機体は扉が完全に開くまで少し待たされたが、扉が開くと同時に裏口から構内通路に向けて格納庫を出て行った。
センターラインも引いていない裏口ではあったが、ヨゲシュは巧みに機体を操作して通路の中央を維持し、機体をぶつけることなく扉を抜けた。
続いて14番機、ゲイリー・フー少尉が格納庫内で機体を転回し始める。
裏口を抜けて基地構内通路上に出た15番機は、その場でGPUを作動させて垂直に上昇する。
高度30mに達し、格納庫の屋根を完全に越えた所でモータージェットの回転数を上げ、そのままフュエルジェットモードに突入して、爆音を後に残しながら急角度で上昇して行った。
正面の扉の方は、レイラに続くL小隊所属の6番機、即ち達也の隣に駐機していたアポリナーリヤ・ローセヴァ少尉の機体がちょうど扉を潜ろうとしたところだった。
達也の機体の正面に立つ誘導員が輪留め外せのハンドサインを出し、続いてブレーキ解除、前進の指示を達也にハンドサインで伝えてくる。
達也はスロットルをゆっくりと開け、格納庫内通路に進んで左折する。
GPUを0Gで作動させ、コンソールに表示されているAGGメータが安定したところで着陸脚を上げた。
機体の接地感が無くなり、着陸脚から伝わってきていた振動が消えた。
その行動を見て達也の意図を察したらしい、正面大扉の中央で前進のハンドサインを出していた誘導員が慌てて扉の陰に駆け込んで隠れる。
達也はスロットルを開け、格納庫内、高度2mで徐々に加速する。
格納庫の扉を抜ける頃には60km/hに達しており、操縦桿を引くと機体はエプロン上で槍のような長い機首を上に向けた
GPUスロットルを-5Gにまで進めると急激に地面が後ろに遠のいていき、さらにスロットルを開けてフュエルジェットに点火する。
機体は真上を向いて爆発的に加速し、一瞬で高度500mに達した。
姿勢を水平に戻しつつGPUスロットルを戻し、水平飛行で400km/hに達したところでフュエルジェットをカットしてモータージェットモードに戻した。
続く武藤機も達也の行動を見て、遅れじと同じ行動をする。
さらにマリニー、A2小隊の三人がそれに続く。
3666TFS格納庫前のエプロンは、さながらロケットの発射台のように続々と凄まじい勢いで急上昇する戦闘機を吐き出した。
A2小隊の最後尾であるナーシャがエプロンから急上昇する頃、裏口から発進していたB中隊も、最後尾となるB中隊長のレイモンド機がちょうど格納庫の屋根を越えてフュエルジェットに点火したところであった。
高度1000mで基地上空を旋回するレイラとL小隊の三機を見つけ、達也はその左後ろに合流する。
A中隊の各機が続々と達也の後ろに加わり、最後尾のナーシャが合流するとほぼ同じタイミングで、既に合流を終えレイモンドを先頭にした二つのデルタ編隊を組んだ状態のB中隊が達也達の反対側、L小隊の右後ろに滑り込んだ。
「A中隊、準備完了。」
「B中隊、準備完了。」
「諒解・・・随分早いわね?」
「部隊行動は拙速をもって尊きとなす、ってね。」
レイモンドが笑いながら言った。
多分、レイラはB中隊がどの様に離陸したか知らないのだろう。
帰投した後、管制か或いは飛行隊本部から厳重注意を受けて頭を抱えることになるのだろうと予想するが、口には出さない。
戦いに赴く前に余計な情報は不要だと思ったからだった。
もっとも、達也を始めA中隊の離陸も人のことをとやかく言えたようなものでは無かったのだが。
「・・・まあ良いわ。フェニックス、エンソーのエスコートを開始する。続け。」
先頭のレイラ機が右に機体を捻って旋回を始めた。
L小隊の二機、そして達也とレイモンドを先頭にした各中隊の十二機がそれに続く。
レイラの機体が旋回して行く先に、輸送機と見まごう大型の機体が六機、白い朝の光が降り注ぐ礫砂漠を背景にして、まるでシルエットのような黒灰色の機体で二つのデルタ編隊を成して飛行しているのが見えた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
苦労人レイラさんの人生ナイトメアモードの始まりです。
ちなみに少し前の話で、レイモンドが3666TFS内の女性人口の偏在について文句を言っていましたが、A2小隊が女3人、L小隊も女3人、A1小隊にマリニーと、計7人、部隊の半数が女性です。