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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第一章 始まりの十日間
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1. 兆し


■ 1.1.1

 

 

 27th November 2034, US Space Force Peterson Aerospace base, Colorado, United States

 A.D.2034年11月27日 米国,コロラド州,宇宙軍ピーターソン航空宇宙基地

 

 眼が痛くなるようなLED灯の白さで照明された廊下を、手に湯気の立つコーヒーの入ったマグカップを持った体格の良い男が歩いて行く。

 その男は殆ど黒に近い濃紺の米宇宙軍の制服に身を包み、そして手に持ったマグカップにはまさに「USSF」のロゴマークが描いてあることから、宇宙軍の軍人である事が想像できる。

 

「お早うございます、司令。」

 

「ああ、お早う。」

 

 すれ違う将官が皆、廊下の脇に寄って通路を譲り、一瞬立ち止まって敬礼をする。

 朝の挨拶を終え、司令と呼んだ男が自分の前を通り過ぎると、敬礼の手を下ろして元の進行方向に向けて皆再び足早に歩いて行く。

 扉に「基地司令室」とプレートの掛かっている黒塗りのドアを開けて中に入る。

 ドアを開けてすぐ脇のデスクの向こうで眼鏡を掛けた中年女性が顔を上げて、彼の姿を認めるとにっこりと笑った。

 

「お早うございます、司令官殿。まあ。コーヒーでしたら私がご用意しましたのに。」

 

「お早う、メアリ。良いんだ。私は猫舌でね。パントリーからここまで持ってくる間に、丁度良い塩梅にコーヒーが冷めてるってわけさ。合理的だろ?」

 

 そう言いながら男は、メアリと呼んだ彼の秘書官のデスクの前を通り過ぎていく。

 

「畏まりました。司令官殿は、紅茶は熱い方がお好みで、コーヒーを飲むときは猫舌におなりになる、と。偶に熱いコーヒーが飲みたくなったらお言いつけください。」

 

「はっはっは。敵わないねえ。

「今日のこの後の予定は何だったかな?」

 

 秘書官のデスクの前を通り過ぎたところで立ち止まり、一口コーヒーを啜る。

 

「電子会議については、スケジューラをご確認下さい。来客の予定は、1030時からNORAD施設部長が共用施設の負担配分についてお越しになります。1200時から、技術部長と食堂別室で会食の予定です。1430時から、コロラドスプリング市庁舎にて宇宙軍記念碑の除幕式に参加の予定となっておりますので、1330時にはお出かけになる必要があります。」

 

「オーケイ。じゃ、NORADの部長さんが来るまではデスクワークを片付けられるわけだな。」

 

 そう言いながらコーヒーをまた一口啜りつつ、秘書官のデスクの隣にある扉を開けて自室に入る。

 マグカップをデスクの上のいつもの場所に置き、デスクトップを立ち上げる。

 二つ並んだモニタの脇に置いてある指紋認証ユニットのガラスの上に右手を置くと、認証画面がクリアされた。

 デスクトップ画面に「お早うございます、ウィリアム・ロバートソン宇宙軍大将閣下」の文字が表示された後、見慣れたデスクトップ画面が広がる。

 

 さてメッセージは、と思いながらメーラーソフトを立ち上げようとしたところで、秘書官が扉を開けて顔を出した。

 

「司令官殿。3836偵察大隊のクロフォード中佐がお見えになっています。」

 

 細かいところに気の付く秘書官だった。

 彼の端末がまだ立ち上がりきっていない事を想定して、直接口頭で伝えてきたのだった。

 

「3836偵察大隊? クロフォード? ふむ。入ってもらってくれ。」

 

「畏まりました。」

 

 3836偵察大隊と言えば、主に偵察衛星を使った軍事施設の監視を行っている隊だったと記憶している。

 朝一でスケジュールに割り込んでまで直接報告に来るような何かがあったのだろうか?

 

「クロフォード中佐、入ります。」

 

「ああ、どうぞ。」

 

 少し短めの金髪を綺麗になでつけた中肉中背の男がドアを開けて入室し、その場で敬礼した。

 

「何か緊急の問題でも発生したか?」

 

「緊急の脅威とはなり得ませんが、優先度の高い案件で大きな変化が見られました。」

 

「何だね?」

 

「先月から優先順位Aにて追跡案件となっていました、ロシアの火星有人基地が音信不通となっている問題ですが、本日未明その原因が判明致しました。当該基地が破壊されていることが、天文衛星画像によって確認されました。ロシア人駐在員6名の生存は絶望的と見られます。」

 

 米国が計画している国際有人火星探査計画とは別に、約5年ほど先行してロシアは極秘裏に火星に有人宇宙船を送り、火星の赤道近くに有人基地を建設する事に成功していた。

 多国間の利権や覇権が絡んで遅々として進まない国際協力プロジェクトに対して、大統領の強力な主導の元に自国のだけで短期間に有人火星探査成功にこぎ着けた実質的なロシアの勝利であった。

 計画が極秘で進められていたこと、米国人には理解出来ない軍事的プレゼンスの主張方法の違いなどから、人類で一番最初に火星の土を踏んだ宇宙飛行士達の偉業は伏せられ、そして火星基地の存在自体もロシアから公表されることは無かった。

 

 建前的には、宇宙条約によって他天体の軍事利用は禁止されていること、また現実的には、火星に核弾頭を持ち込んでも米国にとって何ら脅威になりはしない事から、米国としても特に表沙汰にすること無く静観されていた案件だった。

 月への有人探査に負けたロシアが、今度こそ米国を追い抜こうと相当強引に火星有人探査を計画した、と云うのがもっぱらの受け止め方で有り、そして米国はその計画を知ってもロシアと競り合おうとはしなかった。

 それよりも米国としては、他国と共同で宇宙という無限のフロンティアを開拓していくという国際協力の姿勢を見せる方が、建前としても、予算的にも好ましかったからだ。

 

「破壊? 事故か何かかな?」

 

 現在のところ地球上に火星を直接攻撃できる兵器は無い。

 どうしても攻撃したければ、火星探査船ロケットに搭載された探査機を核弾頭に取り替えれば済むだけの話だが、それをやって何か得られるものがあるわけでもなかった。

 火星の探査基地で何か変事が生じれば、普通はその基地内での事故が原因と考えられる。

 

 先月、ロシアの有人火星基地がいきなり音信不通になった事が判明したのだが、大規模な通信機の障害か、或いは何か基地内で事故が起こったのだろうと予想されていた。

 運悪く火星の位置がちょうど太陽の向こう側であった為、人類の最先端を行く六人のロシア人達に一体何が起こったのか光学的に観察することが出来なかったのだが、各天体の位置関係がずれたために直接見ることが出来る様になったのだろう。

 

「それが・・・こちらをご覧下さい。」

 

 そう言って中佐は手に持っていたパッドをデスク越しに差し出した。

 民間の洗練されたデザインのものでは無く、軍で制式採用されているごつくて重いパッドだ。

 パッドには、赤茶けた大地に、何かが爆発して飛び散った様な画像が表示されている。ロシアの火星基地だろう。

 

「爆発しているのは分かるが。これが何か?」

 

 ロシア人達が勝手に自爆して自分達の基地を台無しにしたとしても、米国の宇宙軍の活動に何ら障害が生じるわけでもなく、また国際協力火星探査プロジェクトもそんな些事には関わること無く、ゆっくりとではあっても着実に進んでいくだろう。

 

「ご存じの通り、ロシアの有人火星基地はゼフィリア平原の岩山を地下にくりぬいたトンネル内部にあります。この画像の他、四十枚ほどの画像を解析した結果、基地の爆発は基地内部で発生したものでは無く、外部的要因で発生したものと思われます。」

 

「要するに、攻撃された、という事かね?」

 

「はい。その通りです。」

 

「たまたま隕石が直撃した、という可能性は?」

 

「まさに天文学的な低確率ですが、もちろん可能性はあります。が、こちらの画像をご覧下さい。」

 

 そう言ってクロフォード中佐は、デスク越しに手を伸ばしてパッドに表示されている画像を何枚か先送りした。

 目当ての画像を表示した後、画像をピンチアウトして拡大する。

 先ほどの画像よりももう少し元の画像が拡大されている。

 

「これが?」

 

「ここをご覧下さい。黒っぽい線が見えますか? こちらにもありますが。」

 

 クロフォード中佐が示した部分には、赤茶けた大地の上に何本かの黒っぽい直線が引かれているのが確かに見て取れた。

 

「何だねこれは?」

 

「解析した結果、大口径のレーザー等の熱線兵器で攻撃された跡と推察しました。地表の土と岩盤が熔け、急速に冷えてガラス状になったものと思われます。」

 

「大口径レーザー? 人民解放軍か?」

 

 彼の知る限り、米国の宇宙船で現在火星軌道近くに居るものは皆無なはずだった。

 そして、ピーターソン航空宇宙基地司令である彼が知らない米国籍宇宙船が存在するはずは無かった。

 そもそも、米国がロシアの基地を攻撃するはずが無かった。

 もうそんな時代はとうの昔に終わっているのだ。

 残る可能性としては中国人なのだが。

 だがそんな筈は無かった。

 

「いえ。中国人の宇宙船は、有人無人ともにまだ火星まで到達出来ていません。ご存じの通り、先日の『飛天四号』の軌道遷移失敗で連中の火星探査計画は頓挫したままです。」

 

「では、どこの国の宇宙船だというのだ。」

 

 ヨーロッパ諸国は米国と供に国際協力の火星探索計画を推し進めている。

 インドや日本が火星に宇宙船を飛ばしたという話はまだ聞いたことが無い。

 他に火星に宇宙船を飛ばせそうな国は無かった。

 

「分かりません。基地自体は、周囲の岩盤の破壊跡から、外部からのミサイルのようなもので攻撃されたものと推察されます。同時に熱線兵器での攻撃も行われたものと思われます。」

 

 ミサイルにレーザーだと?

 どこの国の宇宙船でも、そんなものを積んで火星まで行く余裕などまだありはしない。

 人間と、その生存用の物資と資材と、探査用の機器を必要なだけ積み込むと、大概の有人宇宙船はそれだけで既に大きく重量オーバーとなるのだ。

 そこから、涙を飲んで必要なはずのものを削りに削って、本当に必要なもの最低限ギリギリまでに絞り込んで、やっと何とか火星に送り込めるだけの重量に収めるのだ。

 そこに、他国の基地を攻撃するためのオモチャを載せる余裕など無い。

 

 もちろん、他国の基地を攻撃する事そのものを目的とした攻撃用の無人宇宙船ならば話は別だが。

 とは言え、軍事的に殆ど何の意味も無い火星の有人基地などを攻撃しても何の利益も無い。

 火星まで到達出来る様に一隻に何億何兆という膨大な予算を注ぎ込んだ宇宙船でやるべき仕事では無い事は、ハイスクールの学生にだって分かる様な話だ。

 

 ロシアの有人火星探索基地が他国から攻撃されたという結論はあり得ない、というのが彼の中でのこの件の落とし所となった。

 速報としてセンセーショナルな情報をぶち上げておいて、後でよく調べたらやっぱり違いました、という様な無様な真似をするわけにはいかないのだ。

 その様な事をしていては、そもそも宇宙軍の存在意義さえも疑われてしまう大きな不信感を他所に与えてしまうことになる。

 

「君の見解は?」

 

「ありません。小官の推測の範囲を超えております。」

 

「分かった。ではこの件は、ロシア人の基地の中で起こった事故により発生したものと結論づける。奴等が実験中に何かやらかして、それが原因でロシア軍の基地が消滅したのだ。十年以上も前に我が国が送り込み、今は地表で野晒しになっている無人探査機以外、今火星近傍にはどの様な宇宙船も存在せんのだ。存在しないものが攻撃できるはずが無かろう。戻ってもう一度よく調べろ。」

 

「調べました。観測担当チームが三回通り確認し、チームリーダと私でさらに三回確認しての結論です。そもそもレーザーなどによる岩石の溶融痕は、爆発の時に生じる・・・」

 

「分からん奴だな。ではそのレーザーは誰が打ち込んだのかね? ミサイルは? 中国には火星に宇宙(Space )(Craft)を送るだけの力はまだ無く、そして我が国の次の火星探索船は建造に着手さえされておらず未だ影も形さえもない。唯一火星に人間を送り込む事に成功しているロシアが、自分達の基地を攻撃するはずもない。インドや日本、或いは民間の宇宙開発業者は、中国よりもさらに遅れている。現実の問題として、火星のロシア基地をレーザーで灼ける者など、この太陽系のどこにも居ないのだよ。違うかね?」

 

 その通りだ、と、基地司令の前で背筋を伸ばして立っているブライアン・クロフォード中佐は思った。

 そして、その通りでもない、とも。

 

 基地司令官は、意図してか意図せずか、一つの可能性について大きく見落としをしていた。

 確かにこの太陽系の中に、今火星に到達出来る国も団体も存在はしないだろう。

 

 では、太陽系の外だったら?

 もちろんそんな考えを、あの基地司令が受け入れることは絶対にあるまい。

 可能性として捨て去れない。

 そもそもあれだけの大口径のレーザーを宇宙船に積むことが、現在の我々の技術ではほぼ不可能だ。

 だが、今の基地司令の状態では、とてもその様な話を受け入れて貰えるとは思えなかった。

 

 追い払われるように退室し、自室に戻りながらブライアンは考える。

 

 NORADの調査部に持ち込むか。それともCIAに送りつけるか。いっそのこと、新聞社にでも売ってやろうか。

 いやいや。どこに持っていっても、先ほどの基地司令と同じ様な反応が返ってくるだけだろう。

 

 やはりここは定番中の定番から正攻法で攻めてみるべきだろう。

 幸い、そこで働いている友人もいる。

 ブライアンは自室に着くと、ラングレイで働いている友人のアドレスを呼び出した。

 

 拙作お読み戴きありがとうございます。


 時代背景を説明する説明会になってしまいました。

 ちなみに高度50km以下はNORADの管轄で、高度50km以上が宇宙軍の管轄です。

 あと、「Space Force」のSPACEはサイバースペースのスペースも含んでいます。


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[良い点] 突然感想を送る無礼をお許しください。 説明会と御謙遜なさる必要はないと思います。 流麗な情景描写と、登場人物の顔や仕草を容易に思い浮かべる事が出来る文章力。 こんな秀作に偶然出会えた幸運に…
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