28. ミサイルリリース
■ 8.28.1
「敵だ! どこだ!?」
「ミサイル発射中止! シーケンス停止! 発射管カバー閉じろ!」
三人共ミサイルの発射にほぼ全ての神経を傾けていたため、敵の接近に気付けなかった。
COSDARが発した警報に慌てて画面上の警告表示をクリックし、COSDARの画面を切り替える。
その間もいかにも危険を知らせるといった、神経を逆なでする様な耳障りな警告音は鳴り続ける
「敵戦闘機! 数推定一千。方位21、07、針路09、28。距離15000km。約100Gで減速中・・・L4の艦隊からアクタウ降下点への戦闘機補充っすね。約120秒後に本船左舷約500kmを通過。」
ジェラルドが状況を読み上げる。
地球という巨大な質量とそこから発生する重力、山や海と云った様々な地形変化で大量のノイズが混入する大気中の敵の探知とは異なり、殆どノイズの乗らない宇宙空間、特に太陽や月の存在しない方向においてはGDDの探知能力は飛躍的に向上し、15000kmも先の敵戦闘機の集団を探知することが可能であった。
しかしながら宇宙空間での15000km、とりわけ1000G以上の高加速を易々と出してのけるファラゾアにとっての15000kmという距離は、隣の家の庭先程度の距離感でしか無く、地球の直径よりも遠い彼方の敵であってもOSVにとって全く油断の出来ない距離であった。
「まずいぞ。ミサイル発射は一旦中止だ。」
ハインリヒは囁くように言った。
脇の下を嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。
宇宙空間で500kmの距離など、すぐ脇をニアミスで行き交うようなものだった。
つい数十秒前に撃ち出したばかりのミサイル二発に気付かれなければ良いが。
今現在ミサイルは推力を持っておらず、重力波も放出していないので目立つことは無いが、それでももし何かの拍子に興味を持たれて特定され軌道を計算されれば、ミサイルが存在する位置に比べてその軌道が異常であることは簡単にバレてしまう。
そして同じ理由から、その発射元がこのハノーファーであることも簡単に特定されてしまうだろう。
三人ともそれが分かっているので、声さえ発さず物音さえ立てずにCOSDARの画面を凝視して、敵戦闘機の集団に変わった動きが無いか息を詰めて観察している。
宇宙空間は真空であるので、当然音が伝わることなど無い。
しかし船体内で大きな物音を立てた場合に、その音の震動が船体構造を伝って船殻を震動させる可能性があった。
デブリであれば本来あり得ないその様な震動が、運悪く光の反射などで敵に探知されてしまった場合、違和感を持たれて精密な探査の対象とならないとも限らない。
冗談のような真面目な話で、敵の眼が光っている中をデブリのふりをして通過しようとするときには、電磁波や赤外線の放出だけでは無く、コクピットで立てる物音にさえ神経質にならなければならないと彼らは教わっていた。
敵戦闘機の集団は刻一刻と近付いてきて、今や完全に個体を識別できるほどになった。
つまりは、向こうからもこちらは完全に認識されている距離だ。
ただ単に、地球の周回軌道を回る無数のデブリの一つと思われており、注意を引いていないだけだ。
L4に停泊中のファラゾア艦隊から出撃したと思われる約千機の戦闘機の集団は、ゆっくりと減速しながら地球に近付いていく。
今、ハノーファーも敵戦闘機群も地球の陰に入っており、敵戦闘機を光学的に確認することは難しいが、敵がいるのはほんの目と鼻の先の距離だった。
三人は手に汗を握りながら、敵戦闘機が自分達ハノーファー本体と、数km離れた所を飛行するミサイル二発に気付かないように祈る。
コクピット内を緊迫した静寂が埋める中、ハインリヒは腹を括った。
「トレイシー。200秒後からミサイル打ち出しを再開する場合のタイミングを計算しろ。」
ハインリヒは小声でトレイシーに指示を出した。
「マジかお前!? まだやる気か!?」
トレイシーが小声で怒鳴るという器用な技を披露する。
「当たり前だ。こんなチャンスそうそう無い。みすみす見過ごせるか。それにもう二発撃っちまった。あの二発が敵戦艦に近付いて動き始めればどのみち気付かれる。なら、徹底的にやる方が遙かにマシだ。」
まるで新兵の訓練所で、就寝時間をとっくに過ぎてまだ鬼教官にバレないように隣のベッドの悪友と猥談を続けた時のように、声を潜めてハインリヒはトレイシーに言った。
トレイシーは眉を顰めてハインリヒの方を見ていたが、やがて納得したかのように数回頷くと、自分の前の画面に向き直って音を立てないようにしてキーボードを叩く作業に戻った。
その向こうからこちらの方を見ているジェラルドが、緊張に強張った顔のまま再びニヤリと笑い親指を突き出す。
エアコンのモーター音さえうるさく感じるほどの静けさの中、極力音を立てないようにトレイシーが打つキーボードの音だけが繰り返される。
喉がひりつくように渇く。
水が欲しくなるが、水を飲む時の僅かな水音も立てたくなくて、思わずボトルに手が伸びそうになるのを意志の力で抑え込む。
ジェラルドは歯を剥いて極度の緊張に耐えながら、COSDAR画面の中をジリジリと動いていく敵戦闘機の群れを追っている。
同様に死の恐怖にはらわたを握り付けられながら、ハインリヒは自分の顔が恐怖と緊張で引きつり、まるで笑っているかのように口角が上がっていることに気付いた。
永遠とも思える時間の中、トレイシーが計算を終え、汗の浮いた顔でハインリヒの方を向いて頷いた。
不敵に見える事を期待して無理に笑顔を作りハインリヒも頷き返す。
あと60秒。
敵の集団が、水面に砂利を撒いたように大気圏に到達し、そのまま気体の海の中に沈んでいく。
同時にすでに最近接点を通り過ぎたハノーファーが、敵の集団から徐々に遠ざかる。
「敵集団、全機高度100km以下に到達っす。」
ジェラルドが僅かに語尾の震える声で一応の安全が確保されたことを報告する。
その報告を聞き、三人ともが無意識のうちに深く息を吐いた。
「オーケイ。トレイシー、ミサイル発射再開だ。」
額に浮かび、無重力の中顔を伝って落ちることの無い汗を袖で拭いながらハインリヒが言った。
「ミサイル発射再開したいのはやまやまだが、今から残り六発全部撃つと、打ち終わる頃には確実に敵艦隊が地平線の上だ。ミサイルを理想的に上手く散らすには300秒ちょっとかかる。それでもやるか?」
トレイシーが、同じく玉の汗の浮いた顔でハインリヒの方を見て真剣な眼差しで言った。
ハインリヒは迷った。
最大の効果で敵を攻撃するか、或いは逃げることを優先するか。
常識的には、逃げることを優先するべきだった。
彼はこの艦のみならず、乗り組んでいる二人の命についても責任を負っている。
「敵が地平線に昇る前に撃ち尽くすことは?」
ハインリヒがトレイシーの方に顔を向けて訊いた。
その表情からは、ハインリヒが何を考えているのか読み取れない。
「勿論可能だ。だが、攻撃が偏る。もちろん、片舷に攻撃を集中するってのも有りだとは思うが。」
地球人同士の戦いの歴史の中で、とんでもなく強固な防御力を誇りなかなか沈まない巨大戦艦を効率よく撃沈する為に使われた手法だった。
魚雷攻撃を片舷に集中し、集中的に片舷に大量の浸水を発生させることで巨大な戦艦をも転覆させて撃破する。
転覆沈没はせずとも、宇宙空間の戦艦であっても、片舷に被害を集中させて撃破するという考え方も有りだろうと、ハインリヒは悩んだ。
・・・いや、そうじゃない。
初めての対艦攻撃は、まずは攻撃を確実に敵に当てることを優先すべきだろう。
例え撃沈できずとも、一発でも確実にミサイルが当たれば、それが後に重要な意味を持つデータとなる。
ハインリヒの頭の中で結論が出た。
「いや、できるだけ理想的に散布する。トレイシー、極力良好な散布界が得られるタイミングで撃ってくれ。」
「・・・諒解。やるなら徹底的に、だな。命預けたぜ、船長。」
即ち、このままトレイシーの計算したとおりにミサイルを発射し終えると、敵に見つからない様に地平線の向こう側でさっさと大気圏内に逃げ込むタイミングを完全に逸してしまうということに他ならなかった。
そうなると採れる方法は、ミサイルの軌道から逆算してハノーファーが発射元の船であると特定されないことを祈りつつ、向こう側の地平線の彼方に隠れるまでの間、極限まで息を潜めて敵をやり過ごすか、或いは敵艦隊からの十字砲火の中、運を天に任せて必死に逃げ回って大気圏に突入するか。
いずれにしても当初の予定に比べて生存の可能性が随分低くなってしまうことに間違いは無かった。
「心配するな。今回の出撃スケジュールに、撃墜される予定は載ってない。」
「ふん。敵の戦艦を殴りつける予定も無かったはずだぜ?」
「ビッグサプライズ、さ。」
「ぬかせ。」
トレイシーが唇の右側だけを歪めて皮肉に嗤った。
「本船あと650秒でカリマンタン島上空を通過。敵艦隊が地平線の上に出るまで約250秒。」
ジェラルドの声が二人を現実に戻す。
「諒解。ミサイル発射再開。一番発射まで23秒・・・10秒前、9、8、7、6、5、4、3、2、1、一番発射。次弾装填。続いて38秒後に二番発射・・・・・5、4、3、2、1、二番発射。二番次弾装填。」
船体全体に響き渡るような大きな音を立てて、最新型の重力推進式ミサイルが発射管から虚空へ向けて送り出される。
まるで潜水艦から、商船を撃沈する為の必殺の魚雷が送り出されたかのように、翼の無い棒状のミサイルが地球に向けて突き進んでいく。
そしてすぐさま自動装填機構が働き、ミサイル発射管に隣り合わせて設置してあるミサイルマガジンから、空になった発射管に向けてミサイル本体を送り出して射出可能な状態にする。
五分後、ハノーファーはその搭載していた八発の新型ミサイルを全て虚空に放出し終わった。
そしてその時には、遠く東南アジアの島国の上空に停泊するファラゾア艦隊が、青く朧に霞む大気を纏った地球の地平線上に光学カメラの画像として捉えられていた。
「敵艦隊、位置動かず。空母三隻からの戦闘機群の降下中。着弾まで300秒。」
船内は再び、音を立てることも憚られる緊張した空気で満たされた。
今敵に気付かれるわけにはいかない。
攻撃も失敗、自分達も撃墜されました、では全ての苦労が水の泡と消える。
最低限攻撃が行われるまで、あわよくば攻撃が成功して、船が再び敵艦隊から遙か彼方に離れるまで。
余計な赤外線や電磁波を放出しないことは当然として、僅かな震動も船殻に伝えないよう三人は息を潜めてモニタ画面を凝視する。
熱放出をゼロにし、エアコンも止めた為にコクピット室温が上がっているのか、或いはただ単に極度の緊張状態にある為か。
喉がひりつくように渇く。
唾を飲み込もうにも口の中もパサパサに乾ききっており、飲み込む唾さえ存在しない。
無意識に唾を飲もうとする喉が、痛みを感じるほどに乾きで貼り付く。
喉はカラカラに渇いているくせに、体中が汗まみれで身体に張り付く服が不快感を増す。
撃ち出されたミサイルは、光学観察によって追跡しておりその位置を完全に把握している。
八発のミサイルは、螺旋の大きな弧を描くようにして広がり、少しずつ遠ざかっていく。
300秒後、敵艦に最接近する時でも、敵との距離はまだ100km以上離れている。
それでも極力敵を包み込むように接近できるよう計算された軌道を少しずつハノーファーから遠ざかっていく。
「敵艦隊、動き無し。距離800km。着弾まで100秒。」
残り時間を読み上げるジェラルドの声だけが、張り詰めた空気のコクピット内に響く。
エアコンさえも止めた耳が痛くなりそうな静けさの中で、敵に発見されて命を落とす恐怖と、人類初の快挙を成し遂げる大きな期待とが合わさって、おかしくなってしまいそうな緊張感が続く。
「着弾まで30秒。」
トレイシーが声になるかならないかの低さで、ぼそぼそと祈りの言葉を口にしているのが聞こえる。
ジェラルドが握った拳を緩く小刻みに動かしながらCOSDAR画面でミサイルを追っている。
ハインリヒはただ口元を強く引き締めて、僅かに目を眇めながらやはりミサイルのマーカが敵艦を示す赤いマーカに徐々に近付いていくのを凝視している。
今や敵艦隊は船外光学カメラで完全に捉えられ、その白く輝く艦体を持つ大小八隻の敵艦が、白い霞の海のような大気圏の上に浮かんでいるのがズームなど使わずともはっきりと視認できる。
「着弾まで15秒・・・10秒、8、7、6、5、4、3、2、着弾、今。」
着弾のタイミングを知らせるジェラルドの声がコクピットに響いた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
緊迫した雰囲気が巧く書けていると良いのですが。